【完結】信頼度MAXオペレータ短編詰め   作:むとう

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神と人間/ツキノギ

 昼間のざわめきが嘘のように消えた廊下を歩く。明かりが消えた中でひとつだけ光をこぼす部屋がある。ツキノギはそこで足を止めた。

 ノックをすれば、入室を促す声が聞こえる。

「こんばんは、ドクター」

「ああ、ツキノギか……」

 部屋の主はペンを置いて眉間を揉むとちらりと窓を見て、その墨汁を塗ったかのような黒にため息を付いた。窓の外を見る余裕がないほど集中していたらしい。ツキノギは勝手知ったるという様子でブラインドを下ろすと、ドクターに向き合って、にこりと笑った。

「それで、休憩する時間はあるかしら」

 

 ■ ■ ■

 

 ……神を数える単位を知っているだろうか。

 〝人〟? 〝つ〟? それとも、〝こ〟?

 答えは、そのいずれでもない。〝(はしら)〟だ。

 一柱(ひとはしら)二柱(ふたはしら)三柱(みはしら)

 柱とは、地面からまっすぐと天に向かって立つもの。樹木に神様が宿るという考えから生まれたというが、ツキノギは天を支える存在ゆえにそう呼ばれると考えていた。

 そして、このロドスには三つの柱ある。

 一柱目はリーダーであるコータスの少女。

 二柱目は医療部門責任者であり、コータスの少女の教師でもあるフェリーンの女性。

 そして、三柱目は──目の前の「ドクター」と呼ばれる人物。

 ある程度大きくなった組織において、その中心人物ともなれば特別視されるのも当然のこと。そして周囲の者が理想を願い、現実の人物との乖離を起こすこともまた多くあった。このロドスという組織もまた、例に漏れず。

 しかし肥大化した理想との乖離による組織崩壊──という様子は今のところはまったくない。それはそれぞれがそれぞれの方法で対処しているからだろう。

 一柱目のコータスの少女は、信者たち──こう呼んでしまうと語弊があるかもしれないけれど──の誰よりも理想に燃える。しかし非情な現実というものも理解して、進む強さがある。理想よりも理想の形をしていて、誰かの理想から外れたとしても、離別はあるとしても失望はされないだろう。

 二柱目は彼女自身が霧に包まれている。霧が晴れたらそこにあったのはただの惨めなドブネズミだった……なんてことが往々にしてあり得るが、しかし彼女はそうはならないだろうという風格がある。叡智を持ち、力も有し、しかし自らが神ではないことを知っている人物。そして、三柱の中で最も現実が残酷であると考える者。彼女も神聖視する者が多いが、それを受け止められるだけの深淵を持っている。

 さて、三柱目のドクターはといえば……。ツキノギは件の人物に目線を移した。

 茶請けの砂糖控えめのクッキーと温かい茶を交互に口にして、ほっと息を吐いている。先程まで山脈があった眉間はなだらかな平地に戻っている。それに頬を緩める。

 ドクターは不思議な存在だ。肉体的には脆弱極まりないが、その頭脳は卓越している。敗北が必須だろうと、あるいは犠牲は免れないだろう局面で、この人間が指揮をすれば完勝さえ夢ではない。そういう、奇跡のようなものを起こす。しかし決してそれは天の恵みなどではないのだ。計算の上でそれを作り上げる。

 その上、このひとは他人をよく見る。目の前の人間がなにを考えているのか、どういう思考によって行動するのか、それから予測される言動はなにか。

 ツキノギもまた似たようなことができる。過去の経験と元々の能力のおかげだが、ドクターと比べるとどうだろう。ツキノギが劣っている訳ではないが、ドクターは口に出さないだけでさらに多くを読み取っているように思える。

 時々、このひとの前に立つと鏡を見ているような気持ちになる。ツキノギのすべてを映し出して見せられているような、そんな気に。それが不快でないのは、ツキノギと相性がいいためか、あるいはドクターの人柄か。

 そんな人物なので、特別視するなというのが難しいのだ。人の内側にするりと入って、その上、己の能力の百二十%を引き出してくれる。

 ドクターは頼る。信頼する。しかし誰かを見下げないし、見上げない。神ではなく、人として、同じ道の一歩先を歩いている。

 ツキノギはその能力と人柄ゆえに見上げられることが多い。それは不快ではない。当然の義務だとすら思う。ただ時々……、ふっと体が重くなることがあるだけだ。

 大衆が見上げる神は人間性を消されていく。進化なく凝り固まった思想はいつしか考える力を失わせる。そうでなければならない。なぜならそうあるべきだから、なんて、破綻した論理で。考えることをやめた人間は中身を失う。失えば残るのは他人の理想を果たすだけの機械だ。それは人間とは呼べない。

 だがドクターは、ともすれば神とでも呼ばれそうなのに、人としての道からそれない。同じ大地に足をつけて、まっすぐと見つめてくる。そうして気づくのだ、ああ、私もちゃんと人間だったのだと。

 今までに不満があったわけではない。信者に見上げられて、己の上に座すものとして敬われて。もちろん、そうでない存在もいたけれど、これほどフラットにツキノギと向き合うものはいなかった。同じ場所に立っているはずなのに、向けられるのはあまり好ましくない感情が多かった。

 だから、いま。この存在のそばにいられるということが、得難いものだと思うのだ。

「今日はどうしてこんな遅くまで?」

「この間、騒動があっただろう」

「ああ、あれね。もしかして、それで?」

「ああ。……仕方ないことだとは分かっているが、できれば時期をずらしてほしかった」

「あらあら、ふふふ」

 そのほかにもぶつぶつと。よっぽどだったのだろう。ドクターがあまり注意してこちらを見ていないことをいいことに、頬がゆるんでしまう。愚痴だなんて。人々が求める神の行いからほど遠い。

 腹がくちたためか、ドクターは眠たげに瞬きをした。

「今日中にやらなければならない仕事はある?」

「……いや、…………緊急性が高いものは……終わらせてある」

「あら、よかったわ」

「だが……。書類の提出が……ひとつ……」

「どれ?」

 重たげに上げられた腕がひとつの書類を指差す。開発部への依頼書だ。そういえば途中で通った道で、あそこはまだ電気がついていた。

「うふふ、かわりに私が出しておくわ。だから……あらっ」

 眠ってしまって問題ないわ、と言うよりも早く、ドクターは寝息を立て始めた。リラックス効果のある茶が良かったのかもしれない。ツキノギはくすくすと笑って、その横顔を眺める。

 無防備なその姿を見るのが好きだ。信頼されているのが分かる、というのももちろんだけれども。それ以上に。

 ──この存在が神でも機械でもなく、ただの〝人間〟であることを、強く感じさせるから。

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