【完結】信頼度MAXオペレータ短編詰め   作:むとう

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墓守ではいたくない/ウィスパーレイン

 朝。目覚めてすぐに、自分がまだ過去を思い出せることに安堵する。そして同時に、あるところよりも前は思い出せないことに悲しくなる。今日もまた、奇跡は起こらなかった、と。

 ウィスパーレインは特殊な体質だ。体は脆く、傷つきやすい。しかし致命的な傷を受けたり、寿命を迎えたりすると時計の針を巻き戻すように「若返り」を行う。そして若返る過程で、記憶もまた失ってしまう。

 もう何度若返ったか覚えていない。その度に、向けられる目が忘れられない。以前の自分を大切にしてくれていたのだろう、今の自分は知らない他人。泣かれることがあった、責められることもあった、「大丈夫」とほほえみながら、その瞳の奥には傷ついた色があったことも……。

 自分の知らないかつての自分を知っている人間に出会う度に、ごめんなさいと謝りたくなる。

 弱くてごめんなさい。取り返しのつかないほど傷ついてごめんなさい。あなたの悲しみを正しい私が受け取れなくてごめんなさい。あなたを忘れてしまって、ごめんなさい……。

 ベッドから抜け出て鏡の前に立つと、憂鬱な表情の妙齢の女性が映る。ここまで成長したのだという思いと、今度はどこまで歳を重ねられるだろうという思いが心にゆるく絡み合った。

 

 ──それはほとんど衝動だった。

 負傷者はいたものの、大事に至る者はなく。作戦はほとんど大成功と呼んでいいものだった。

 ロドス内部で酒も持ち込んだ簡単なパーティーが開かれ、ウィスパーレインも参加した。会場の隅に立って、ぼんやりと皆の様子を眺める。

 喜色に溢れたいくつもの顔が愉快そうに揺れている。いくつかの塊があり、もっとも大きな塊の中心にそのひと──ドクターはいた。

 このロドスで暮らしていれば、いくら人付き合いをほとんどしないといっても、自然と彼の人の噂は耳に入ってくる。ウィスパーレインと同じように以前の記憶をなくしたひと。自然とそちらに視線が向いた。

 幾人ものオペレーターに囲まれて、楽しげに笑っている。古参のオペレーターと新人のオペレーターが──つまり、かつてのドクターと今のドクターしか知らない人間が──入り混じって、本当に楽しそうに。

 喉奥に石が詰め込まれたかのように息が詰まる。どうして、と思った。

 だから、人々の輪の中から抜け出して、傍にやってきたドクターに思わず訊いてしまったのだ。

「ねえ、どうしてそんなにふうにいられるんですか?」

 軽い挨拶を交わした後に横たわった沈黙のすえに、出た言葉だった。ドクターはすこし首を傾げて、「どういう意味だ?」と聞き返してきた。それにウィスパーレインは口をもごつかせながら、うつむいて言う。

「……あなたはどうして過去を失ったというのに、そうも自然体でいられるのでしょうか」

「自然体?」

「はい。……過去を失って、悲しんだ方もいるのではないですか?」

 ウィスパーレインの核心を突かない要領を得ない問いかけに、ドクターは数秒黙り込んだ後、「ああ、なるほど」と顎を撫でた。

「君はもう何度も過去を失っているんだったか」

 こくり、と頷くウィスパーレインの隣に、ドクターは座った。

 ふたりしてぼんやりとパーティーの様子を眺める。さきほどまであれほど囲まれていたというのに、ドクターはこちらの──パーティーの様子を外から眺める傍観者──住人だった。ときおり、ドクターをちらりと見たり、声をかけたりするが、ドクターは笑みを浮かべて手を振るだけでウィスパーレインの隣から立ち上がろうとはしなかった。

 なんだか海の中から、外の様子を眺めているようだった。互いの姿は見えているけれど、見えない水の膜が貼っていて、あちらとこちらは行き来できない。そんなどうでもいい妄想をした。

「ウィスパーレインは……」

 しばらくふたりで海の外を眺めていた。ふいにドクターが口を開いて、ウィスパーレインはちらりとそちらを見たが、ドクターはウィスパーレインに目をやらずに、遠くで楽しげにしている皆を見ていた。

「過去を失くしてつらいかい?」

「……はい。……ですが、私以上に、悲しまれる方がいました」

 なによりも、その存在がつらい。

 その上、二度目がないとは決して言えない。

 ウィスパーレインは儚く、脆い。ひとよりも脆弱で、簡単に壊れてしまう。そしてまた、今まで生きてきた記憶を代償として次の生を始めるのだ。過去と同じ、しかし幼い顔で。前の記憶など消えてしまっているのに。

「私は……。私も、失ったものを惜しいと思う。かつてを忘れて、多くの者を傷つけた」

 ドクターの視線を追う。そこにはコータスの少女──ロドスのリーダーの姿があった。彼女はドクターに気づくと、嬉しそうにはにかんで手を振った。ドクターはそれに手を振り返してやる。

「同時に、私は前の私の墓守ではないとも思う」

「墓守……」

「ああ」

 たしかに。ウィスパーレインは目を伏せた。

 記憶を失うことは死ぬことに似ている。過去の自分が死んで、新しい自分になって、しかし連綿と続く過去の自分の先に、新しい自分は立っているのだ。まったく新しい存在としては生きていけない。決して過去から逃れられない。

 「だが」と続いた言葉に顔を上げる。決然としたその横顔を見た。

「墓守をし続けるには、私にはやりたいことが多すぎる」

 言い切るその姿に、息を呑む。ドクターがウィスパーレインを見る。視線が絡む。

「どうしようもないことは、どうしようもないんだ。いくら願っても失ったものは戻ってこない。ならば私は私がしたいことをするよ」

 氷の心臓に、灼熱の杭を打ち付けられたような心地だった。

 唇が小さく震える。そんなこと、と切り捨ててしまうのは簡単だった。

 だってあなたは、まだ一度しかその喪失を経験していない。たった一度。ウィスパーレインよりもずっと、ずっと少ない。だからそんなふうに、軽く言ってしまえる。失ってしまったことがどれほど残酷なことなのか、あなたはまだ知らないから。

 けれど。

「……いいんでしょうか、そんなこと」

「さあね、君の人生だ」

 ドクターはさらりと、それは他者に委ねるべき苦悩ではないというように、そう言った。ぱっと手を離されたように感じて、しかしすぐに〝そのとおりだ〟と思う。私の人生だ、私が決めるしかない。

 ぐっと押し黙ったウィスパーレインにドクターはふっと相好を和らげた。

「きっと、その死を悼み続けることにも意味はあるんだろう。だが……少なくとも私は、君が私を忘れたとして、ずっとそれを悔いて生きてほしいとは思わない」

 もちろん、強要はしないがね。

 そう言って、ドクターは息を吐く。ぐっと伸びをして悪戯をするネコのように、笑った。

「結局のところ、私は私の好きに生きたいんだ」

「じ、自分勝手……」

「あはは、そうかもしれないな」

 それじゃあ、楽しんで。

 ドクターは最後ににこりとすると、またパーティーの喧騒の中に戻っていった。ウィスパーレインはそれを呆然と見送った。

 照明の明るさに、弾ける喧騒に、目がチカチカして、頭がくらくらする。とてもそこが自分の場所だとは思えない。けど。そう、けれど。

 ウィスパーレインは立ち上がった。空になったグラスのおかわりをもらうのだ、と心の中で言い訳をして和の中に、喧騒の中に入る。すぐにこちらに気づいた顔見知りの幾人かが、ぱっと笑顔でウィスパーレインを呼んだ。

 それにちいさく笑みを返して、思う。

 ──私もあのひとくらい自分勝手にいられたら、楽しく生きられるのかしら。

 あんなふうには突き抜けられないと思う。でも、とも思う。

 ひとりぼっちの海の中は、つめたいから。

 

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