【完結】信頼度MAXオペレータ短編詰め 作:むとう
「──ほら」
先に階段を降りたドクターがアズリウスに向かって手を差し伸べる。
先日、ちょっとした事故で階段の下部がえぐり取られてしまった。今は仮置きのものがあるが、少々歪で、最後の段だけ高さが低いため気を付けないと躓くことがある。先に降りた者からの、なんでもない気遣いだ。
アズリウスは一瞬それに戸惑って、そろそろと手を重ねた。ドクターはアズリウスの躊躇など知らない様子でそっと手を引いて、アズリウスを隣に並べさせる。
役目を終えて離されそうになった手を、アズリウスはとっさに追いすがった。きょとん、とするドクターをアズリウスは薄く頬を染めておずおずと見つめた。
「あの、もうすこしだけ……よろしいでしょうか……」
ドクターはふっと笑って、「いくらでも」と答える。それにこくこくと小刻みに頷きながら、アズリウスは己の胸を抑えた。
とくとくと、いつもよりも早く心臓が動いている。手からじんわりと伝わる熱が飛び上がりたいほどうれしい。
あの日も、ドクターはアズリウスの手にこんなふうに触れた。
そのことを思い出しながら、アズリウスは小さく微笑んだ。
■ ■ ■
アズリウスは「毒物」である。自在に毒を作り出し、敵を攻撃する。自然、周囲はアズリウスを避けるようになった。たとえアズリウス自身に害意はなくとも、ひとは恐ろしいものには近づかないものだ。
それはこのロドスでも同じことだった。
しかしある時、それが変わった。ドクターがアズリウスの腕を取ったのだ。
その日、アズリウスはいつもより少しだけ動きがぎこちなかった。前回の任務で足を捻挫したのだ。テーピングを施す程度でかなり軽いものだ。だが歩くとなると多少支障が出るもので、階段の途中でふらついたアズリウスの腕を支えた。
一瞬、なにが起こったのか分からなかった。ついで、触れられた部分がかっと熱くなった。
「ド、ドクター……ま、まさか私に触れて? ……いえ、服の上からですので、問題ありませんが……。それでも…………」
「なんだ、触らないほうが良かったか?」
「いえ、あの……、私は『毒物』でして……。あの、その……」
「ああ……。別にコントロールできるんだろう。それなら──ほら」
「ひゃっ、あ、あの、手、手がっ! ドクターの手がっ!」
「階段で暴れるな。……まずは降りよう」
結局、腕と手を取られて階段下まで降りた。取りた途端、アズリウスは口を開いた。
「あの……解毒剤を持っておりますわ! わ、私のもつものが信用ならないというのであれば、医務室へ行きましょう!」
しかし焦るアズリウスに反して、ドクターは不可解というように首を傾げた。
「私に毒を盛ったのか?」
「まさかっ! そんなこと、しておりません!」
「なら、解毒剤なんて必要ないだろう」
「ですが……。あの……、私の手は……」
途方に暮れるアズリウスを、しばしドクターは眺めた後にひとつ頷いた。
「……すこし、話そうか」
連れて行かれたのはドクターの執務室に隣接する休憩室だった。そこでコーヒーを渡されて、隣り合うようにして座る。
「毒の定義を知っているか?」
「ええと……、一般的には外来性の物質で生体に毒性を示すもの、ですわ」
飲む毒は
「毒理学の医療チームに協力していくれているんだったか。そのとおり。ならば、〝毒でないものはない〟ということも知っているだろう」
「それは……」
「少量であれば害がなくとも、あるいは薬にさえなるものでも、過ぎれば毒となる」
「…………」
ドクターの言うとおりだ。薬と毒は表裏一体。そしてどんなものでも毒になりうる。
たとえばタマネギ。タマネギに含まれるアリシンは血液をサラサラにする。適量を食べる分には健康に良い。だが、食べ過ぎれば胃酸を多量に分泌し、吐き気や嘔吐を引き起こす。そして最悪は死に至る。
「ですが……」
ドクターの言いたいことは分かる。
アズリウスは「毒物」と呼ばれるが、他の「安全」と思われるものだって「毒」へと変わるのだと言っている。しかしことはそう簡単ではない。
仮に人間を「毒」と呼ぶとしよう。ならばアズリウスは「猛毒」である。
数を合わせなければ「毒」となりえないだろう他の人間に対して、アズリウスは明確に「毒」になるうる。
納得できないというように口を引き結ぶアズリウスに、ドクターは苦笑いをした。そしてまた質問をする。
「学問、というものはなんのためにあると思う?」
「……?」
「ああ、学問だと広すぎるか。なら、科学はなんのためにあると思う?」
「……より豊かに暮らすため、でしょうか」
「ああ、間違ってはいない。だが、それは副産物に過ぎない」
「……なんでしょう。ううん……わかりませんわ……」
〝科学〟と言われれば、ぱっと思い浮かぶのは実験室だ。ビーカーやらスポイトやら、あるいは名前すら知らない機械で研究する姿が浮かぶ。そしてそれらの研究が、アズリウスが使う武器や機材、はては服や食事にも使われていることは知っている。だが「なんのため」と言われれば、すぐさま答えが浮かばなかった。
そんなアズリウスにドクターは低く笑った。「学問をする意味、科学をする意義」と歌うように口を動かす。
「それは──〝未知〟を〝既知〟にするためだ」
それがこの世の真理であるかのように、そう言った。ドクターは続ける。
「〝既知〟だと思っていたものが、〝未知〟になる、ということもあるが、それはまあ、例外だ。この世に『絶対』というものはない。だが、〝既知〟の範囲では『絶対』というものがある。そして、その点ではアズリウス。日常生活において君は〝まったく問題ない〟と結論が出ている」
「それは……、そうですが」
「なら、君に触れることに害がある、というのは間違いだ。君がそう主張することも周囲に誤解を与えるだけだとは思わないか?」
違うか? と首を傾げるドクターを、アズリウスは呆然と見上げた。「それに」ドクターは小さく笑う。
「私は戦闘オペレーターほど力がないからな。毒などなくても、私を殺せる。それこそ、このボールペンでも」
そうしてドクターは、胸のポケットからちらりと覗くペンの頭をつついた。
そんなものは極論だ、と思う。実際はそうなのだとしても、人々はやはり目の行く脅威に恐怖する。押し黙ったままのアズリウスを気遣うように、ドクターは机の上に己の手のひらを広げた。
「それじゃあ、言い換えよう。私は君に触れることに、他の人間に触れるのと同じ程度しか気にしていない。君は?」
「私は……」
横からじっと見つめる視線に、思えわず目を伏せる。
アズリウスは「毒物」だ。それは変えられない事実で、それゆえに人々に遠巻きにされてきた。そしていつしか自分自身から一歩引くようになった。
必要以上に傷つかないために。
そのくせ、実際にそうされると傷つくという不毛さで。
「私は……」
「君はきっとここで簡単に答えられないような日々を送ってきたんだろうな」
答えを出せないアズリウスに、ドクターは静かに言った。
「たとえそれが当然だと思っても、無理に飲み込む必要はない。少なくとも本人には、その資格がある。私はそう思う。まあ、当事者じゃない私が言っても、説得力はないかもしれないが」
嫌ならば嫌と言ったほうがいい。ほしいならば、ほしいと言った方がいい。
飲み込んでばかりだと、現実が硬直する。
「言葉にするのは大切だ。自分のことは自分がよく知っている。それに多くの場合、自分を救うのは自分だから」
アズリウスはぎこちなく己の片腕を上げた。そうして、ドクターの手のひらの上に、自分のそれを重ねる。
「私も、気にせず触れていただけると……うれしいですわ」
応えるようにゆるく手が握りしめられる。それに、きゅう、と心臓まで握られたような心地がした。
目頭が熱くなる。油断すれば声を上げて泣いてしまいそうだった。
「そして……」
泣く代わりに、アズリウスは続けた。ドクターはただアズリウスの言葉を待っている。
「もっと多くを望めるのならば、手を……。皆様の前で、私の手を、握ってほしいですわ」
「いいよ」
おやすい御用。そう言って、ドクターはよくやったと褒める教師のような顔で、目を細めてアズリウスを見た。
■ ■ ■
「あっ」
会議室の前でドクターの手は離れた。
無意識に離れた手を視線で追って、そんなアズリウスを見つめるドクターの視線に気づいて赤面する。
「あの……ドクターのおかげで、皆様、以前よりもずっと親しくさせていただいておりますけれど、体に触れてくださるかたはまだそこまで多くおりませんのでっ。だからっ、あのっ……」
「君に限らず、そんなに体に触ってほしいなんて言うもんじゃないと思うが」
「そういう意味じゃありませんわ!」
「はは、分かってるよ。からかっただけだ」
「うう……」
ドクターに遊ばれている気がする。涙目で睨むとケラケラと笑われた。
そのまま会議室に入っていくドクターを見送る。
「あの、また……」
「ああ、また」
ひらり、と振られた手に、ちいさく振り返す。しばしその場で佇んで、じっと己の手を見つめた。
これから、どれほどの人間がアズリウスの手を恐ろしいものだとは思わずに握ってくれるだろう。
きっともっと見つかる、と思える程度には、アズリウスは希望の持ち方がうまくなっていた。
けれど、と思う。
けれど、どれほどの人間がアズリウスを受け入れようと。ドクターの手はずっと特別なのだろうと、そう思うのだ。