異邦の眷属   作:テクニクティクス

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第10話

 

突如、空気が凍った。

無限列車の残骸を照らす月光の下、血の匂いを切り裂いて現れた影が一つ。

足音はなく、ただ夜風が一度だけ強く吹き抜けたかと思えば、その男はそこに立っていた。

 

刺青めいた紋様が浮かぶ全身、獲物を見据える獣の瞳――そこには上弦の参と描かれている。

 

「……上弦、か」

 

煉獄の声は低く、しかし炎のように熱を帯びていた。

 

闇を裂いて、夜風の中にひときわ鋭い声が響いた。

 

「俺は猗窩座。どうだ、お前も鬼にならないか?」

 

負傷し仰向けになっている炭治郎を一瞥し、炎柱を射抜くように見据える。

鍛え抜かれた肉体に纏う圧倒的な気配。敵意よりも、純然たる闘争の熱を帯びた声音。

 

「その強さ、練り上げられて至高の域に近い。柱だな? ……そこの異様な装束の男もただ者ではない。惜しいな。お前たちの才なら、鬼になれば永遠に鍛え上げられるものを」

 

その瞳に宿るのは狂気ではなく、底なしの確信。

――人は老い、死に、やがて脆く散る。だからこそ鬼となり、不滅の強さを手にすべきだ。

そう断じるその言葉は、炎のように真っ直ぐな杏寿郎にとって、何よりも許し難い侮辱だった。

 

「ふざけるな――」

 

剣を握る腕に炎が宿る。

 

「老いることも死ぬことも、人として尊ぶべき営み。強さとは肉体にのみ宿るものではない。人の心を、志を侮辱するな。この少年は弱くない」

 

杏寿郎の声は落ち着いているがその芯は烈火のごとく、闇を焼き払うように轟いた。

隣に立つ千夜もまた、帽子を懐にしまい、冷えた瞳を返す。

 

「強さを求めること自体は否定しない。……そして何に縋っても生きたいという欲求は、俺にもある。だが――そのために他人を犠牲にしてまで生きる外道に堕ちるつもりはない」

 

二人並び立ち、決然とした言葉が夜気を震わせる。

断固たる拒絶。人としての矜持。

猗窩座は鼻で笑い、ゆるやかに腰を落とし、構えを取った。

 

「ならば仕方ない……鬼にならぬ愚か者は、この場で潰すまでだ」

 

大地が軋み、空気が裂けた。

次の瞬間、戦慄の幕は切って落とされた――。

 

 

 

目にも止まらぬ疾駆。

猗窩座の影が地を削りながら迫った刹那、千夜は迷いなく上段蹴りを放つ。

空気が裂け、火花めいた衝撃音が夜に炸裂した。

 

僅かに仰け反った猗窩座は軽々とバク転で間合いを離す。その足が地を打った瞬間、両腕を突き出す。

 

「破壊殺・空式!」

 

虚空を殴打するごとに放たれる衝撃波が矢継ぎ早に襲いかかる。

それを薙ぎ払うように、炎柱の太刀が奔った。

 

「肆ノ型――盛炎のうねり!」

 

烈火の渦が盾となり、杏寿郎と炭治郎を覆い尽くす衝撃を焼き砕く。

揺るぎなく立つ杏寿郎の姿に、千夜は刹那、深く頭を下げるように声を掛けた。

 

「煉獄さん、すみません……炭治郎や乗客を護ってもらえますか?」

 

迷いのない瞳で、炎柱は頷いた。

 

「任せろ!」

 

その一言の力強さに、千夜はわずかに笑みを浮かべ――。

 

「ありがとうございます」

 

言葉を残すと同時に、疾風のごとく地を蹴る。

瞬きより早く、猗窩座の懐に踏み込んだ。

 

「破壊殺・乱式――!」

「荒魂血闘術・加具土命――熔鉄の連槌(ようてつのれんつい)!」

 

燃え盛る焔と荒れ狂う鉄槌が、闇夜で正面から激突した。

拳が閃き、骨が砕け、肉が裂ける。だが互いの身体は瞬時に再生を繰り返し、止まることを知らない。

豪炎に包まれた乱舞と、炎の柱のごとき鉄槌の奔流が交錯するその光景は、まさに灼熱の嵐。

 

空気は焦げ、地は割れ、夜空すら朱に染め上げられていく。

――人外と人外。二つの強烈な異能が、互いを焼き尽くすまで終わらぬ死闘の序幕を告げていた。

 

「破壊殺・砕式 万葉閃柳!」

 

轟音。

猗窩座の拳が空を裂き、千夜の胸板を穿たんと迫る。

だが、地面を大きく揺らして足元を陥没させつつも、その攻撃を重く受け止めた。

 

幸魂血闘術・大山津見神―「大地の威稜(だいちのいりょう)

 

猗窩座の一撃をそのまま逆流させるようなカウンターの衝撃に猗窩座の胸元が大きく抉れ、血煙を伴って夜空に吹き飛ばされた。

続けざまに千夜は跳躍する。

 

奇魂血闘術・志那都比古神――「空転の羅城(くうてんのらじょう)!」

 

両脚が旋風を巻き起こし、乱れ舞う連脚は横薙ぎの竜巻へと変貌した。

烈風がうねり、吹き飛ばされた猗窩座を飲み込み、羅城の檻のように閉じ込める。

 

だが――。

竜巻の内で肉が裂け、血が散るのと同時に、瞬く間に再生する。

猗窩座は己の体を刻まれながらも突破し、むしろ笑みを浮かべて千夜の懐へ飛び込んだ。

 

「甘い!」

 

逆袈裟のような脚が振り抜かれ、千夜の左腕を豪快に蹴り飛ばす。

骨が軋み、地に叩きつけられそうになるも、千夜は怯まず右拳を振り下ろした。

地鳴りのような一撃を側転でかわし、猗窩座の髪が風圧で揺れる。

 

「……はは! なんだ貴様は! その力、すでに人を超えている! 鬼だったのか!? ならば俺と来い!」

 

声は歓喜。眼は狂喜。

 

「どこまでも高みに至れる! 果てのない闘争を楽しめそうだ!」

 

なおも手を差し伸べる猗窩座に、千夜は冷めた眼差しを返す。

返答は言葉ではなく、無慈悲な反撃の拳だった。

 

――その戦いを、炭治郎は呆然と見つめていた。

いつの間にか伊之助も傍に立ち、牙をむきながらも動けない。

目の前で繰り広げられるのは、もはや人の領域を外れた戦闘。

剣を振るうことさえ、おこがましい――。

そう思わせるほど、熔鉄と炎と再生の嵐が渦巻いていた。

 

そして杏寿郎は、ただ黙して立っていた。

眼差しは燃えるように熱く、だが一歩も動かない。

――この場にいる誰よりも、炎柱こそが理解していた。

この戦いは、並び立つ者の間でしか交わせぬものだということを。

 

地を穿つような轟音と共に、猗窩座が片膝を突いた。

両腕を後方に大きく引き、獣が最後の牙を剥くかのような殺気を凝縮させる。

――絶技の予兆。

 

対峙する千夜もまた、一息を深く吸い込み、全身に力を巡らせた。

しっかりと大地を踏みしめ、視界から一瞬も猗窩座を外さない。

右腕を大きく後ろへ振りかぶり、魂を削る覚悟でただ一撃を放つ。

 

「――破壊殺・滅式ッ!!」

「――七獄五劫ッ!!!」

 

次の瞬間、夜の闇を焼き尽くす劫火が爆ぜた。

天地が裂けるかのような衝撃、炎と衝撃波が絡み合い、まるで地獄の門が開いたかのような光景が広がる。

 

そして、火柱が収まったその中央に――。

互いの胴に拳を突き立て、動かぬ二人の姿があった。

 

「……千夜さん!!」

 

炭治郎の悲痛な叫びが、焦げる空気を震わせる。

 

だが、沈黙の中で――千夜の瞳がぎらりと光を取り戻した。

再起動するかのように身体を震わせ、呻き声を漏らしながらも、自らの胴を貫く猗窩座の腕を無理やり引き抜く。

血飛沫が舞い散り、限界を超えた力で猗窩座の腕をがっちりと掴んだ。

 

「……お、お前……!」

 

初めて、猗窩座の声に焦りが滲む。

 

「――煉獄さんッ!! こいつの頸を!!!」

 

千夜の咆哮。

その声に呼応するように、杏寿郎が踏み込み、渾身の日輪刀が閃光を放つ。

 

刃は確かに頸を捉え、肉を割き、骨を断たんと食い込む。

だが――。

猗窩座は苦悶に顔を歪めながらも、最後の抵抗を見せた。

腕を、千夜に掴まれたまま――自らの両腕を引き千切った。

 

「……逃がすかァ!!!」

 

血を滴らせながらも後退する猗窩座に、千夜はなお追撃を振りかぶる。

 

その瞬間。

――ベォン……と、不気味に澄んだ琵琶の音色が響いた。

 

夜気を裂く音と共に、猗窩座の身体が障子戸の幻影へと吸い込まれていく。

あと一歩、あと一太刀。

その刹那の距離を埋める前に、猗窩座の姿は掻き消えた。

 

戦場に残ったのは、血に濡れ、荒い息を吐く千夜と――

悔しげに刀を振り下ろしたまま、動きを止める煉獄杏寿郎の姿だった。

 

猗窩座が消え去り、静寂が戻る。

だが戦場に立つ者たちの胸の内には、なお燃え残る激情の熱があった。

千夜は荒い息を吐きながら振り返り、杏寿郎に問う。

 

「……乗客の中で、重傷者や死者はいないですか?」

 

炎柱は血に濡れた腕を拭いながら、力強く答えた。

 

「多少の怪我はあるだろうが、命に別状はないだろう。よく護り切った」

 

その言葉を聞いて千夜は小さく安堵の息をつき、炭治郎の方へ視線を移した。

 

「結構叫んでいたけれど……炭治郎も平気か?」

 

炭治郎は痛みに顔をしかめつつも、無理やり笑みを作る。

 

「ええ……ちょっと痛みが増しましたけれど、なんとか……」

「……そうか。それは良かった……」

 

千夜はふっと微笑み、緊張の糸を解いたようにその場へと倒れ込んだ。

 

「千夜さん!!」

 

炭治郎と伊之助の声が重なり、最悪の事態を予想して駆け寄る。

しかし、杏寿郎はすぐに膝をつき、脈を取り、確かめると落ち着いた声で告げた。

 

「心配はいらん、大丈夫だ。眠っているだけのようだ」

 

その言葉に炭治郎も伊之助も肩の力を抜き、胸を撫で下ろした。

 

その時――夜が白み始め、東の空から差し込む朝日が、無限列車を黄金に照らし出す。

長く続いた激闘を終えた者たちを、まるで労うかのように、やわらかな光が包み込んでいた。

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