異邦の眷属   作:テクニクティクス

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第13話

 

藤の家の一室。障子の向こうからは遊郭の喧噪が微かに聞こえていた。

天元が腕を組み、真剣な面持ちで口を開く。

 

「……潜入させていた俺の嫁たちから、連絡が途絶えた。嫌な気配がある。だからお前らを呼んだ」

 

その言葉を聞いた瞬間、善逸が椅子から飛び上がった。

 

「な、な、なにィ!? い、今なんて言った!? 嫁!? しかも“たち”って複数形だよね!? ふ、ふ、ふざけんなァァ!!」

 

部屋の端でジタバタ暴れる善逸に、炭治郎が慌てて宥める。

 

「ぜ、善逸! 落ち着いて! 大事な作戦の話だよ!」

「落ち着けるわけあるかぁぁ!! 一人だって夢のまた夢なのに、三人!? 三人も嫁がいるってどういうことだよぉぉ!!」

 

そんな善逸を横目に、千夜はひょいと肩を竦めた。

 

「いやぁ……一夫多妻って、いいものじゃないよ?」

「な、なんだと!? 千夜さん、まさか肯定派!?」

「いやいや。俺が言いたいのは逆だ。聞いたことあるだろ? 嫁同士の嫉妬ってすごいんだよ。表ではにこにこしてても、裏じゃもう……毒を盛ったり、髪を掴み合ったり……」

 

千夜は肩をすくめながら、淡々と続けた。

 

「かつて、とある後宮じゃな。側室同士の争いがあまりに苛烈で、相手を陥れて四肢を欠損させた、なんて逸話まで残ってる。

 絢爛豪華な宮殿の奥で、実際は血で血を洗う修羅場だったらしい」

 

その声音はどこか現実味があり、ぞっとするほど冷静だった。

 

「それに比べりゃ、台所で包丁を持ち出すなんて可愛いもん――」

「やめろォォォォ!!」

 

善逸は全身を震わせ、床にへたり込んで頭を抱えた。

 

「怖いよぉぉぉ!! 結婚って!結婚ってそんな戦場なのかよぉ!? 嫁さん欲しいけど……いやでも……でもぉぉ!」

「……っ」炭治郎は半分青ざめ「そ、そんな……そんな風に争わなくても……」と弱々しく呟いた。

「なるほどなぁ……嫁取りってのは血みどろの決闘かァ!」

 

伊之助は目をギラつかせ、むしろ面白そうに腕を組んでいる。

 

「おもしれェ! 俺も嫁いっぱいもらって勝ち残ったやつだけ残すかァ!」

「ちょ、伊之助!? やめろ!」

 

炭治郎が慌てて制止する。

 

そんなやり取りの中、ついに堪忍袋の緒が切れた天元が、ばーんと机を叩いた。

 

「派手派手にふざけんなァッ!! 俺の嫁たちはそんな陰惨じゃねぇ!! 美しく、強く、最高にイカした女たちだ!!!」

 

その迫力に場が一瞬しんと静まり返る。

ただ一人、善逸だけが隅で丸くなったまま「怖いよ~怖いよ~」と小さく震えていた。

 

天元の手で盛られた白粉と紅は、確かに派手ではあった。遠目には華やかに映るかもしれない。

だが、近くで見れば見るほど、愛嬌はあれども「おかめ」と揶揄されても仕方のない厚化粧であった。鏡に映った炭治郎たちの姿を見た瞬間、千夜は思わず深くため息を吐いた。

 

「……ちょっと、やりすぎですね」

 

そう言うと、彼は慣れた手つきで炭治郎たちの顔を拭い、白粉を落としていく。

水に濡らした布巾で滑らかに粉を拭き取り、肌の色を生かした自然な薄紅をほんのり差す。

その所作はどこか現代の記憶を抱える彼らしい、余計な飾りを削ぎ落とした美意識の表れであった。

 

派手さや誇張を廃したその化粧は、むしろ素材の素朴さを引き立てる。

炭治郎の柔らかな瞳は澄んだままに映え、善逸の面差しは儚げな色気を帯び、伊之助ですら野性的な鋭さを隠した艶を見せていた。

言ってみれば――現代でいう「ナチュラルメイク」。まるで風に散る花びらのように、華やかさの奥に落ち着いた美しさを宿していた。

 

「……こ、これが、お、おれ……?」

 

炭治郎は思わず鏡をのぞき込んだ。頬にほんのり差された薄紅が、真っ直ぐな瞳をかえって柔らかく見せる。

普段の誠実さが「娘らしい初々しさ」にすり替わり、自分でも気づかぬうちに戸惑いの笑みを浮かべて、やはり兄妹だからか、どこか禰豆子のような面影さも併せ持っていた。

 

「うわっ……! な、なんだよこれ……。俺……案外……」

 

善逸は言葉を詰まらせ、耳まで真っ赤に染めた。化粧で整えられた輪郭が、どこか儚い美少女じみた影を帯びているのを自覚してしまったのだ。

 

「……い、いや! 違う違う! これは千夜さんの化粧がすごいだけだ! おれは女装なんか似合わないからな!!」

 

 必死に否定するも、目の前の鏡は残酷なほどに「それなりに映える女装男子」を映し出していた。

 

一方、伊之助は腕を組み、不満げに唸っていた。

 

「……なんか、顔を塗りたくられるの気に食わねぇ」

 

素顔の彼は、もともと女と見紛うほどの美貌を持つ。だがそれを隠す獣のような気迫こそが誇りであり、その「獣らしさ」を化粧が和らげてしまうことに我慢ならなかったのだ。

 

「おれは強ぇんだ! こんな顔じゃ伝わんねぇ!」

 

だが千夜が軽く肩をすくめて答える。

 

「逆に、その顔だからこそ潜入に役立つんですよ。ほら、今の伊之助くん……誰がどう見ても可愛い娘さんです」

「……ぬぐっ!」

 

否定できず、伊之助は悔しげに顔を背ける。

 

「ド派手さが足りなくねぇか?」と天元がなおも食ってかかるが、その直後、三人はあっさりと各店に「娘」として迎え入れられていった。

 

「で、テメェはどうするんだ?」

 

派手な和服に着替え、髪に煌びやかな簪を差した天元は、腰に手を当てながら問うた。落ち着いた装いに見えても、その気風の良さと遊び人めいた華やぎは隠しきれない。

千夜は小さく笑い、背筋を伸ばした。

 

「俺はまた違った道筋から情報を得るつもりですよ。――零余子」

 

す、と夜気が震えたかと思うと、闇の中から影が滑り出る。人影は音もなく千夜の隣に並び立ち、深々と頭を垂れた。

 

「……はい、お傍に」

 

零余子。かつて十二鬼月の一角に名を連ねていた女。

彼女はまるで夜闇の化身のようだった。足音も気配もなく、ただ「在る」という事実だけを唐突に周囲へ押しつける。

ほんの一瞬、視界の端に揺らぎを感じたと思えば、もう目の前に姿を現しているのだ。

 

千夜は彼女に短く命じる。

 

「気配を絶やし、各所に忍び込んでほしい。情報は必ずここへ」

 

零余子は言葉少なに頷くと、ふたたび夜の闇に溶けて消えた。残されたのは、冷えた空気と、どこか生臭い気配の名残だけ。

 

――その光景を見届けた天元の目が細まった。

 

(……やはり、ただ者じゃねぇな)

 

元忍びである天元ですら、現れる直前まで一切の気配を感じ取れなかった。人の営みが雑然と広がる遊郭の喧噪の中でさえ、影のように気配を消すなど、尋常ではない。

 

(千夜といい、あの女といい……なぜ鬼殺隊に与している。いや――本当に信用していい存在なのか?)

 

耀哉が許し、杏寿郎が認め、胡蝶ですらわずかに心を許す千夜。その彼が連れている「闇の女」。

目の前で何もかもを見せつけられてなお、天元の胸の奥に走ったのは、鋭い疑念と警戒心だった。

 

だが、千夜は意に介さず、旅客のような脚絆衣装に着替え、背に大きな薬箱を背負う。まるでただの行商人のように見えるその姿が、逆に天元の神経を逆撫でする。

 

(……あいつ、本当に何者だ? ただの鬼殺隊士に収まる器じゃねぇ)

 

煌びやかな遊郭の灯りの下、天元の瞳は獲物を射抜くように鋭く細められていた。

 

 

 

しばらく後のことだった。

千夜はもう、吉原の街にごく自然に紛れ込んでいた。肩に大きな薬箱を背負い、飄々とした笑みを浮かべる流れの薬売りとして。

 

普通ならば、一見の者がそう易々と出入りできる土地ではない。だが千夜は、試供品として渡す薬に確かな効果を持たせ、人々の信頼を徐々に勝ち取っていった。

さらに、珠世の血鬼術を真似たような“惑血の香”をほのかに漂わせ、相手の心を和らげる。

その香はまるで夜の酔いに似て、気づけば人は警戒を解き、つい余計なことまで口にしてしまう。

千夜はその揺らぎを決して見逃さず、言葉の端々から遊郭の暗部を拾い上げていった。

 

そんなある日のこと。

艶やかな花魁道中でのことだった。ひときわ目を引く鯉夏が歩む最中、手元から小物がするりと落ちた。

それを拾い上げた千夜は、ただ手渡すだけではなく、一枚の香り紙に短歌を添えて託した。

 

――“二度と落とさぬように”

 

それは単なる注意の言葉ではなく、どこか優しい祈りを含んでいた。

 

後日、御用聞きに赴いた折、鯉夏からは返歌が贈られてきた。

柔らかな香に彩られたその文は、さながら夜に咲く白梅のように気品を帯びていた。

噂はすぐに広がった。

 

「人当たりのよい薬売りが、花魁と歌を交わしたらしい」と。

しかも彼は、媚びも欲も見せず、ただ静かに人と接する。時に柔和に、時に叡智を覗かせながら。

艶やかに彩られた吉原の闇と光、その両方を受け止めるかのように。

千夜はこうして、誰に咎められることもなく遊郭の中に居場所を築いていった。まるで、初めからそこに棲んでいた者のように。

 

その知らせは不意に舞い込んだ。

京極屋――そこに名を轟かせる「蕨姫花魁」が、薬売りを装う千夜を直々に邸へ呼び寄せたというのだ。

 

通された一室は、絢爛でありながらどこか圧を孕んでいた。几帳の影が揺れ、薄紅の香が漂う中、千夜は静かに深く平伏する。

 

「御呼びいただき、ありがとうございます。……何かご入用で?」

 

返ってきたのは、嗜虐に濡れた笑み。

 

「鯉夏とのやり取りが評判になっているそうじゃない。――面白くないのよ、私」

 

蕨姫の声は甘やかに響くが、その奥には棘が潜んでいる。彼女は自らの人気が揺らぐことに我慢ならず、同じように“劇”を演じろと無茶を言い放った。

だが蕨姫の鼻先を掠めた瞬間、別の気配が胸を打った。――藤の香。

鬼にとって忌むべきその香りを、なぜわざわざ纏うのか。理由は一つ。挑発、そして狩りの合図。

 

次の瞬間、部屋の静寂は破られた。

人払いは済んでいる。誰も来ない。誰も助けない。

その場に残るのは、妖艶な笑みを深める女と、身じろぎもせず座す千夜だけ。

 

「……いい顔をしているじゃない。容姿も悪くない。そのまま喰ってしまっても――いいかもね」

 

蕨姫の声音が艶やかに低く落ちた瞬間、彼女の背から帯が咲き乱れる。蛇のようにうねり、鋭い刃のごとく千夜へと襲い掛かった。

 

だが、そこに轟いたのは――炎。

 

「――荒魂血闘術・加具土命」

 

立ち上がる動作はあまりに自然で、振り抜かれた右の剛腕は稲妻のように速かった。

火焔が唸りを上げ、槍のごとき一撃が空間を貫く。

 

「飛火槍ッ!!!」

 

炎をまとった千夜の拳は、襲いかかる帯をことごとく焼き裂き、その勢いのまま堕姫の上半身を直撃した。轟音と共に黒髪が炎に包まれ、花魁の姿は鮮烈な火柱に呑まれていく。

次に見えたのは、艶やかな着物の布片が炎に舞い、燃え盛る閃光とともに遊郭の夜空へと吹き飛ばされる影。

 

――堕姫。

その本性を暴かれ、怒声を上げる鬼の姿が、ついに宵闇へと晒された。

 

そして、遊郭の静寂は破られた。

ここに、死闘の幕が切って落とされたのである。

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