異邦の眷属   作:テクニクティクス

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第14話

 

轟音と炎の閃光は、遊郭の夜を一瞬にして切り裂いた。

瓦は砕け、屋根は派手に崩落し、燃え盛る火が闇を押し退ける。きっと、この異変は炭治郎たちの目にも映っているだろう。――だが、今は振り返る暇はない。

 

千夜はひとつ浅く息を吐くと、静かに立ち上がった。

薬売りとしての柔和な顔はすでに消えている。衣擦れと共に白粉まじりの和装がほどけ、そこに現れたのは狩人としての貌。闇に馴染む濃灰のロングコートがひらりと舞い、遊郭の仄暗さを一層深く染め上げる。

 

「な、何なのよアンタ!」

 

焦げ跡を纏いながらも、堕姫は怒声を上げる。

 

「刀も持ってないし、鬼狩りじゃない……!? どうしてそんな真似が――」

 

その叫びはどこか苛立ち混じりで、理解の及ばぬものへの恐怖が透けていた。

 

(……情報が共有されていない?)

 

千夜の脳裏に一瞬、冷徹な考えが巡る。珠世の隠れ家で遭遇した時も、鬼たちはただ「偶然」に出会ったかのように振る舞った。無限列車で上弦を退けたという事実すら、どうやら周知されてはいないようだ。

鬼舞辻の支配網は恐ろしくも緻密なはず。だが、その隙間に“自分”は確かに潜んでいる――。

 

ほんの刹那の思索を胸に押し込み、千夜は再び視線を上げる。

目の前で帯を翻し、獲物を嬲ろうとする女鬼に、余裕など一片も与えぬために。

 

「……考えるのは後だ」

 

その瞳は炎の残光を宿し、無音のまま構えを取った。

遊郭を覆う騒乱の只中で、冷ややかに、そして確かに――狩人がそこに立っていた。

 

 

 

堕姫の帯がしなやかに宙を走った。

その動きはまるで舞の一振り。艶やかで、柔らかく、しかし触れたものを瞬時に切り裂く妖の刃。

刀で受ければたわみ、力が逃げてしまう――まともに斬り払えるものではない。

 

だが千夜の両腕は、剣ではなく炎を纏っていた。

荒魂血闘術――加具土命の焔。

帯が襲いかかる刹那、千夜はその手で掴み取る。布のように見えるそれは、実際には鋼鉄を凌ぐ強靭な鬼の器官。しかし指先から奔る炎は容赦なくそれを焦がし、瞬く間に黒煙を上げさせた。

 

「……っ、あつっ!? な、何よそれっ!」

 

堕姫の悲鳴が弾けた。今まで誰にも触れられず、切り裂けなかった帯が、握られたまま燃やされていく――その事実が彼女の矜持を逆撫でする。

 

千夜は無言のまま、ただ火を強めていく。

致命には至らずとも、確実に痛みと損耗を刻み込む。炎は一瞬で肉を穿つこともできるが、彼はあえてそうしない。周囲を巻き込まぬよう、そして必要な瞬間まで鬼を殺さぬために。精緻な火の扱いは、荒ぶる神を御するような緊張感に満ちていた。

 

「ちぃっ……!」

 

堕姫は帯を乱舞させる。炎に焼かれるたび、その苛立ちは募る。

そして――次の瞬間。

 

帯は狙いを変えた。

瓦を崩し、近くの楼閣の壁を断ち割り、下にいる人々を巻き込もうとする。遊郭の嬌声は悲鳴へと変わり、ざわめきが広がる。

 

「卑怯者め……!」

 

その光景を見た瞬間、千夜の胸中に烈火が走った。

無辜の人々を盾にとる――それは彼が最も忌む所業。炎が轟音を立てて噴き上がり、夜空を焦がす。

 

「……絶対に、逃がさない」

 

その声は低く、静かで、しかし怒りの芯を燃やす焔のように揺るがなかった。

 

「ごちゃごちゃごちゃごちゃ、うるさいわね!」

 

堕姫の声が、夜の遊郭に甲高く響いた。

 

「アタシは鬼。老いない、金も要らない、病にも罹らない、死ぬこともない。何も失わず、美しく、強い――そんな鬼は、何をしたっていいのよ!」

 

その言葉は己を飾り立てる化粧のように、薄っぺらな光沢だけを帯びていた。

千夜の瞳に、憤りと冷然が重なる。

 

「……ならば」

 

炎の荒神は、静かに告げる。

 

「それを上回る暴力に晒されたなら――死を厭うなよ」

 

「――焦熱の噴爆(しょうねつのふんばく)

 

一歩、いや、瞬きよりも早い踏み込み。瞬歩の如き速さで堕姫の懐へ滑り込み、灼熱の掌底を突き上げた。

堕姫の上半身が一瞬で黒炭と化し、断末魔もなく夜空へと吹き飛ぶ。

 

だが鬼は死なない。

帯を錨のように放ち、焼け焦げる身体を強引に引き戻すと、再生途中の腕を千夜へ叩きつけた。

しかしその伸ばした帯を掴まれ引き戻されて溶解した鉄の如き連撃を受ける。

 

「――溶鉄の連鎚」

 

「まだよ!」

 

堕姫の帯が、狂乱の花弁のように散った。

無数の刃が格子を描き、回避など不可能と断じるほどに空間を覆い尽くす。

 

――だが。

 

「――炎威の怒濤(えんいのどとう)!」

 

千夜の咆哮と共に、烈火が奔流と化して押し寄せた。

帯の刃など砂粒のように呑まれ、音もなく焼き尽くされていく。

赤々と燃え広がるその光景は、炎柱の舞いをさらに荒々しく昇華させた荒魂の神楽――まさに荒神の顕現であった。

 

「な、なによ……この力……!」

 

堕姫の声は震え、焼かれるたびに嘶くように響く。

 

その時、別の屋根から駆けつけた影があった。

炭治郎、善逸、伊之助、そして天元。

しかし彼らはただ、圧倒的な炎の奔流を前に足を止め、目を奪われるしかなかった。

 

「……これが……千夜さん……」

 

炭治郎が震える声で呟く。

荒れ狂う炎の海原に立つその姿は、人の域を越えた“炎の荒神”そのものだった。

 

 

 

「い、いや……こんなの、ありえない……」

 

堕姫の声が掠れ、再生を繰り返す身体は焼け爛れ、鬼の矜持さえ打ち砕かれていた。

帯を操る腕が震える。かつて無惨から力を賜り、何百もの命を貪ってきた誇りなど、炎の奔流の前では塵に等しい。

 

「おにいちゃァ――んっ!!」

 

叫びは絶叫に変わった。

その瞬間、遊郭の大地が濁った血に濡れるように脈打つ。

黒い瘴気と共に、粘つくような血が溢れ出し、そこから這い出す影。

 

「……オイオイ、泣かされてんじゃねぇかァ、堕姫ィ」

 

細長い身体を折り曲げるようにし、醜悪な笑みを浮かべる鬼――妓夫太郎。

その目は嫉妬と怨嗟に濁り、声は針のように耳に突き刺さった。

 

「綺麗な顔のヤツ、強ぇヤツ、幸せそうなヤツ……みんな大っ嫌いだ。だから潰す。喰い尽くしてやる……!」

 

毒々しい血鎌が虚空に現れ、地面に突き刺さるだけで瓦が腐食して崩れ落ちた。

 

「おにいちゃん! コイツ、ムカつくのよ! アタシをコケにして、ボロボロにして、藤の匂いまで撒き散らして!!」

 

堕姫は半泣きで訴える。

 

「ねぇ、やっちゃって! おにいちゃんならできるでしょ!?」

「……クク、よく言った」

 

妓夫太郎が堕姫の髪を撫で、醜悪に歪んだ顔を寄せる。

 

「オレとオマエは二人で一つ。どんなヤツだろうと一緒に殺してやるよ」

 

血の瘴気と炎の奔流。

遊郭の夜を二つの異質な力が裂き割り、地獄の幕が上がった。

 

 

 

戦場が割れた。

千夜と妓夫太郎がぶつかり合うその一方で、堕姫は血走った眼を輝かせ、未だにしぶとく帯を繰り出す。

否――帯の動きは先ほどまでとは比べものにならなかった。妓夫太郎の血が流れ込んだのか、その双眸には赤黒い光が宿り、獲物の動きを捉える視線が鋭さを増していた。

 

「なんだよコイツ……さっきより帯のキレが増してやがる!」

 

伊之助は牙を食いしばり、二刀を振るう。

斬り裂く刃が僅かに遅れれば、頬に傷が走った。

 

「……見えてる……!」

 

善逸の背筋に冷たい電流が走る。

動体視力を強化された堕姫は、雷のような踏み込みすら追いかけてきたのだ。

 

「なら――オレも、もっと速くなるしかないっ!!」

 

雷鳴が弾け、善逸は一瞬で帯を切り裂き、堕姫の頬をかすめた。

だが次の瞬間、無数の帯が蛇の群れのように襲いかかる。

 

「チッ、数が多すぎる!」

 

伊之助の二刀が閃くが、削ぎ切った分をすぐに補うかのように帯は再生する。

 

そのとき――音もなく、影が舞い込んだ。

 

「……援護は任せて」

 

零余子だった。

彼女の手には刃はない。だが、帯の死角を縫うように動き、堕姫の間合いを乱す。

帯を絡め取られそうになる瞬間、身を紙のように薄くすり抜ける。まるで月の陰を想起させる戦いぶり。

 

「おい、テメェ……邪魔するんじゃないよ!!」

 

堕姫が唸るが、零余子の瞳は冷ややかだった。

 

「だからこそ……私はもう、二度と鬼には戻らない」

 

善逸の稲妻、伊之助の獣爪、そして零余子の影の舞い。

三者三様の力が絡み合い、堕姫の猛攻を削ぎ落とす。

 

「伊之助! 合わせろッ!」

「言われなくてもだ!」

 

雷と牙が交差する。

 

その背後で、零余子は静かに堕姫の動きを観察していた。

 

(……兄の力を受けて強化されている。でも――まだ手はある)

 

闇の中、堕姫との死闘が、炭治郎たちの眼前でさらに苛烈さを増していった。

 

 

 

「へえ……なるほどね。アンタも鬼だった口か。哀れねえ。せっかく力をもらっておいて、捨て犬みたいに追い出されたの?」

 

堕姫の声は鋭く、帯の先で零余子をなぞるように挑発する。

 

「そんな腑抜けが、今さら人間のフリをして何になるの? どうせまた、血の匂いに飢えて人を喰い出すんじゃないの?」

 

――胸の奥が、ざらりと軋んだ。

堕姫の嘲りは、零余子が最も恐れている記憶の棘を突いてくる。

人を喰い、その悲鳴を聞きながら、なおも自分が笑っていた断片。

それは夢のように唐突に蘇り、夜ごとに彼女を苛む。

 

(……私は……何をしていた……? あの時の私の顔は、笑っていた……?)

 

その記憶に触れるたび、背筋を氷柱でなぞられるような悪寒に襲われた。

 

だが――同時に、思い出す顔がある。

千夜が、いつもの穏やかな眼差しで彼女を見つめ、何も問わずに言ったのだ。

 

「罪を消すことはできない。けれど、生きて償うことはできる。だから、お前はここにいていい」

 

その言葉に救われてから、零余子は初めて“居場所”を得た。

過去に縛られて逃げ続ける存在ではなく、“今を生きるための駒”として――彼の傍に。

 

「……私は違う」

 

零余子の声は静かだった。だが確かな芯が通っていた。

 

「過去は消えない。血に塗れた罪も、決してなくならない。でも――それを認めて償うために生きるのなら、千夜様は私を支えてくださる」

 

視線を上げる。揺らぎはなかった。

 

「だからもう、私は逃げない。かつては自分だけのために走ったけれど、今は――守るために、この場に踏みとどまれる」

 

堕姫が唇を吊り上げた瞬間、零余子は皮肉を落とした。

 

「私は――千夜様の第一の駒、零余子。それ以上でも、それ以下でもない。

 ……何より、名前を呼ばれただけで処刑するような臆病な“元主”なんて、使える義理もないのでは?」

 

その一言に、堕姫の顔が醜悪に歪んだ。

帯がざわりと震え、部屋全体の空気が怒りで軋む。

 

だが零余子の心には、かつての恐怖ではなく、確かな温もりが灯っていた。

――主に支えられるということ。

その優しさに、彼女は魅かれ、そして強さを得ていた。

 

「――黙れェッ!」

 

堕姫の絶叫と共に、帯が四方へと狂ったように暴発する。壁も床も人も、すべてを斬り刻み瓦礫に変えんばかりの暴虐。妓楼そのものが悲鳴を上げ、軋みを立てて崩れかけた。

 

だが次の瞬間――。

狂気の奔流は、まるで見えない何かに縫い止められたようにぴたりと止まった。

 

「……え?」

 

堕姫の双眸が驚愕に揺れる。帯を見下ろすと、宵闇に溶けるような仄暗い糸が無数に絡みつき、まるで蜘蛛の巣のように動きを封じていた。

 

「――奇魂血法・月光糸(げっこうし)

 

零余子の声は静かだった。累の操る蜘蛛糸を思わせながら、それは虚空に張り巡らされ、触れようとしても指先は空を掻くだけ。掴めず、断てず、逃れられぬ幻の糸。

 

「ふ、ふざけんじゃないわよぉぉッ!」

 

堕姫は凄絶な形相で帯を引きちぎろうとする。全身の力を込め、無理やりに糸を裂き、暴発させる。

その瞬間――二つの影が閃いた。

 

「壱ノ型――霹靂一閃ッ!」

 

善逸が雷光と化し、稲妻の軌跡を描いて堕姫の首筋へ斬り込む。

 

「弐ノ牙――切り裂きィッ!」

 

伊之助が獣の咆哮と共に二刀を交差させ、鋭利な獣爪のように頸骨を断ち切った。

轟音と共に堕姫の首が宙を舞い、鮮やかに斬り離される。

しかし――。

 

「お兄ちゃあああんッ! また斬られたぁぁぁ!」

 

泣き叫ぶ声とともに、落ちたはずの頸が帯に絡め取られ、必死に繋がっていく。肉が、骨が、醜く引き合い、再び一つになろうとする。

 

(――ならば、私たちは……!)

 

零余子は震える手を糸に伸ばした。

 

(このまま、コイツを縛り付ける! 終わりのない戦いでも、ここで食い止める!)

 

糸が再び虚空を走り、堕姫の体を拘束する。

善逸も伊之助も息を切らしながら立ち上がり、刃を握り直した。

 

崩壊しかけた妓楼の中、鬼の叫びと人の息遣いが交錯する。

果てなき死闘が、ここに始まろうとしていた。

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