異邦の眷属   作:テクニクティクス

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第16話

 

蝶屋敷の朝――。

遊郭での死闘から幾日が経ち、館の中にはまだ薬草と薬湯の匂いが漂っていた。炭治郎は深い呼吸を繰り返しながら静かに療養中。

善逸や伊之助も手当を受け、包帯姿のまま館の娘たちに小言を浴びている。

千夜もまた、一見無事そうに見えるものの、大事をとり休養していた。

 

だが、その静かな空気を破ったのは、豪快な声だった。

 

「ハッハァ! 派手に調子戻ってきたぜぇぇッ!」

 

訓練場のほうから轟くような声。声の主はもちろん、宇髄天元。

切断されたはずの右腕は、まるで最初から存在したかのように自在に振るわれ、空を裂く。

しっかりと縫合された箇所に不安定さはなく、筋肉の張りも健在。さすがは「元忍び」にして「柱」の男、その回復力は並外れていた。

 

廊下を歩いていた千夜の腕を、豪快に掴み取る天元。

 

「おい、暇そうだな千夜! ちょうどいい、稽古に付き合え!」

「……いや、まだ療養中なんじゃ」

「療養? 冗談じゃねぇ。これだけ派手に戻ったんだ、試してみなきゃ落ち着かねぇだろ!」

 

有無を言わさぬ勢いで引きずられる千夜。訓練場の床板を響かせる天元の足音は、蝶屋敷の娘たちの悲鳴混じりの抗議をものともせず、空気をどこまでも派手に染めていた。

 

千夜はやれやれと肩を竦めると、静かに呼吸を整えた。遊郭での激闘がまだ身体に残っているはずなのに、天元の圧に触れると自然に戦いの勘が蘇ってくる。

 

「……分かりました。では、手加減なしで」

 

軽くため息を漏らしながらも、視線は研ぎ澄まされ、拳を構え直す千夜。

その立ち姿は、既に闘気に包まれていた。

 

訓練場の空気が、音柱と千夜――二人の気配で一変する。

再び始まろうとしていたのは、蝶屋敷を揺るがす真剣勝負だった。

 

 

 

訓練場に轟き渡るのは、宇髄天元の派手な型――音の呼吸。一撃ごとに空気を震わせ、床板を軋ませる。

まるで祭囃子のように鳴り響く轟音と衝撃波は、調子の確認であっても柱の戦闘。爆薬こそ使わぬが、十分に「戦場の音色」を放っていた。

 

千夜もまた真正面からその力を受け止め、打ち返す。鍛錬といえど二刀の日輪刀は布で覆われているだけで、当たり所を誤れば容易に骨を砕きかねない。

それでも両者は一切怯むことなく、刃と拳を交わらせるたびに真剣な眼差しをぶつけ合っていた。

 

気づけば、訓練場の隅で腕を組み、燃える瞳でその光景を見据える男が一人。煉獄杏寿郎である。

 

「……うむ、これは……見応えがある!」と呟きながら、興味深げに一歩、また一歩と近づく。

 

天元の二刀が唸りを上げ、千夜の拳が鋭く応じる。轟音、衝撃、木の軋み――そのすべてが訓練場を満たす中、千夜はふと低く息を吐いた。

 

「……ちょっと、試してみるか」

 

次の瞬間、彼の呼吸が天元の音と重なり合う。

打撃音が互いに干渉し合い、波と波がぶつかり打ち消し合うように――訓練場からすべての響きが掻き消えた。

 

「……なっ……!? 音が……消えた……?」

 

観戦していた杏寿郎が目を見開く。鼓膜を揺らしていた轟音が、まるで世界から剥ぎ取られたかのように消え去ったのだ。

刀がぶつかっているはずなのに、耳には何も届かない。全身に伝わる衝撃や場を揺らす轟きはあるのに、音だけが綺麗に抜け落ちている。

 

天元もまた一瞬だけ目を見張ったが――次いで豪快に口角を吊り上げ、笑った。

 

「ククッ……! 面白ぇ……! 派手にやりゃあいいってもんじゃねえ、か! これは俺にしか出来ねぇ芸当だと思ってたが……まさか、ここまでやるとはな! 最高だぜ、千夜!」

 

静寂の中、ふたりの刃がなおも交差し続ける。

耳を澄ましても何も聞こえないのに、見える光景は確かに激突――。

その異様さに杏寿郎はただ瞳を輝かせ、次の瞬間には拳を握って叫んでいた。

 

「――参加させてもらうぞ!!!」

 

訓練場の空気は熱を帯びていた。

 

天元の二刀が、爆ぜるようなリズムを刻む。

杏寿郎の炎の剛撃が、唸りを上げて突き抜ける。

その両者を相手に、千夜は一歩も退かず、ひたすら受け、捌き、打ち返す。

 

「ハッ! やるじゃねぇか千夜ァ!」

「フフ……見事だ! やはり君は強い!」

 

派手さと豪快さが重なり合う二人の柱。その猛撃を受け止める千夜の構えは揺るがず、まるで岩のように立ちはだかり続ける。

だが防ぐだけに終わらない。時折差し込まれる拳は確かな切れ味を持ち、二人の戦いに拍車をかける。

 

最初こそ稽古の延長戦にすぎなかった。

だが今や、互いに呼吸を合わせ、手加減を忘れ、ただ純粋に戦いを楽しんでいた。

 

轟く衝撃。

炎の揺らめき。

訓練場が戦場へと変貌していく。

 

――そのとき。

 

「ここは医療院でもあるんですよ」

 

冷たい声が、火照った空気に氷の刃を差し込んだ。

振り向けば、そこに立つのは胡蝶しのぶ。

 

笑顔を崩さぬまま、額にははっきりと青筋が浮かんでいる。

 

「音を鳴らすのも、炎で空気を揺らすのも……患者さんの迷惑だとは思いませんか?」

 

その一言で、訓練場が水を打ったように静まり返った。

 

「……お、おう」

「……す、すまない……」

 

さっきまでの覇気はどこへやら、音柱と炎柱は同時に目を逸らして縮こまる。

二人の柱が叱られる姿に、千夜も苦笑を浮かべつつ構えを解いたが、しのぶの視線がぴたりと千夜に向けられる。

 

「いや、俺は引きずられて……」

 

その笑顔は変わらぬのに、背筋に冷たいものが走る。

 

「千夜さんも……楽しんでいませんでしたか?」

「……ごもっともです」

 

ばつの悪い返事をする千夜。

訓練場に再び静けさが戻る――だがそれは戦いを終えた静寂ではなく、しのぶの圧にねじ伏せられた気まずい沈黙であった。

 

 

 

蝶屋敷の奥、ひっそりとした薬草園。

千夜が自らの手で造り、日々世話をしてきた場所だ。

花壇の土は柔らかく、薬草の葉は瑞々しく、木々は青々としている。風が通るたび、わずかに香気を漂わせる。

 

その一角でしゃがみ込み、徒長して伸びすぎた茎を迷いなく剪定する千夜の姿を、しのぶはふと立ち止まって見ていた。

きのこの群生も手際よく間引かれ、残されたものがより健やかに育つよう整えられていく。

 

「……手慣れてますね」

 

つい口から零れたその言葉に、千夜は振り返り、少し照れたように笑みを浮かべる。

 

「何となくですが、水が足りないとか、肥料が欲しいとか……植物も、そんなふうに訴えているように見えるんです」

 

冗談めかした口ぶりだが、その眼差しは優しく土に注がれていた。

鬼を相手に倫と立ち、さまざまな技と意志で戦う姿とはまるで別人のように、静かな慈愛に満ちている。

 

しのぶは無言で籠を抱え、必要な薬草を摘みながら心中で思う。

――彼はただの戦士ではない。

任務先では救護員のように動き、負傷者に的確な処置を施す。村や町では薬師として薬を売り歩いているとも耳にしていた。

 

彼女自身も検体協力を条件に、医術の基礎を千夜へと教えてきたが、その吸収は異様に早かった。

それだけでなく、時折ふと垣間見える所作には、自分の知らない別の流派――おそらくは異国や別の時代の技術を思わせる片鱗さえあった。

 

しのぶは手を止め、摘んだ薬草を見つめながら小さく息を吐く。

 

「……あなた、本当に不思議な方ですね」

 

それは独り言に近い。

けれど千夜は、まるで聞こえていたかのように笑みだけを残して、再び植物へと視線を戻した。

 

静かな薬草園に、二人の間に流れる沈黙が落ちる。

けれどその沈黙は、決して不快なものではなかった。

 

静かな時間が流れる中、しのぶは籠を抱え、千夜と並んで薬草を選んでいた。

 

目の前で薬草を手際よく扱う千夜の姿。――それは「鬼」という枠から遠く離れていた。

だが、それがかえってしのぶの心を揺らす。

 

鬼に育てられた草木で人を救う。

鬼でありながら薬師として生きる姿。

それは、最愛の姉・カナエが夢見ていた「鬼と仲良くする未来」の一端に、まるで重なってしまう。

 

「認めたくない」――そのはずだ。

鬼に姉を奪われ、血の匂いと泣き叫ぶ声の中で育った自分が、鬼を受け入れてしまったら……姉を忘れるのと同じではないか。

でも「否定できない」――目の前の千夜は確かに、人を救う者としてここに立っている。

 

胸中で絡み合う思いにしのぶが沈んでいた時、千夜がふいに口を開いた。

 

「……俺も、鬼という存在が嫌いですよ」

 

何気なく、土を払うように吐き出された言葉だった。

しかしその響きが、しのぶの胸を強く揺さぶる。

 

――鬼であるはずの彼が、鬼を嫌うという。

どんな矛盾だろう。だが、それは揺れ動く自分の心をも映すようで。

 

「……そうですか」

 

精一杯の答えは、それだけだった。

もっと別のことを言えたはずなのに、言葉は喉の奥で絡まり消えてしまう。

 

気づけば、口から零れていた。

本来なら心の奥に押し込め、誰にも言わないはずの本音。

 

「……いずれ、私が絶対に討たないといけない上弦の鬼がいます。何を犠牲にしても」

 

しまった、と思う間もなく、千夜は肩をすくめて穏やかに答えた。

 

「ならば決して一人では挑まないでください。無様に逃げても、生き抜けばいい。絶対に加勢に向かいますから」

 

気負いのない声音。まるで当たり前のことを言っただけのような、軽やかな響き。

けれどその言葉が、しのぶの胸の奥にひんやりと涼やかな雫を落としたような気がした。

 

矛盾する想いの渦の中で、ひとすじの光を見たような――そんな錯覚。

しのぶは胸に芽生えたその感覚を持て余しながら、ただ黙って薬草を摘み続けた。

 

 

 

産屋敷の広間。

深夜の闇に包まれ、灯明のほのかな光の下で、産屋敷耀哉は静かに横たわっていた。

すでに声を絞り出すだけでも苦しげで、吐血によって枕元に紅の痕が滲む。進行する無惨の呪いは、容赦なくその肉体を蝕み続けていた。

 

ほとんど見えぬ目を薄く開き、耀哉は静かに言葉を紡ぐ。

 

「……千夜だね。どうしたんだい?」

 

宵闇の中から影のように姿を現し、畳に膝をついて深々と頭を垂れる千夜。

 

「こんな遅くに申し訳ありません。耀哉さんが倒れたと聞いて……」

 

彼の眼差しは真剣だった。

 

「……長年の無惨の呪いによる肉体の劣化。医術ではどうすることも出来ません」

 

唇を噛むように告げる声には、無力さへの苦い色が混じっていた。

だが千夜には、もうひとつの道がある。人ではない己にしかできない、異能の術が。

 

「形代はすぐにでも用意が出来ます。完全に取り除くことは出来ずとも……今よりかは身体も楽になり、長く生きることも」

 

必死の願いのように差し出されたその提案に、耀哉はかすかに微笑んだ。

 

「……優しいね、千夜は」

 

穏やかで、しかし揺るがぬ声音。

 

「これはある意味、私と無惨の闘いでもあるのだよ。子供たちを戦場に送り出しておきながら、自分だけは生き延びたいと願うのは――許されぬことだ。

だからこそ、朽ちゆくこの身で抗うことに意味がある」

 

その言葉に、千夜は沈黙する。理解はできる。だが納得とは違う。

喉奥に燃えるような言葉を抑えきれず、低くこぼした。

 

「……自分は、生きたいがために鬼を――異物を受け入れました。だからこそ、耀哉さんにも生きていてほしい」

 

まるで子が親にすがるような声。

その痛切な願いに、耀哉は瞼を閉じ、苦しさを押し殺すように微笑を浮かべた。

 

「他者を思いやる、その心を失わない限り……君はちゃんと人として、私の子供のうちの一人だよ」

「……(みち)を外れた、怪物だとしてもでしょうか」

 

千夜の問いは、ずっと心に抱えてきた己への呪いそのものだった。

 

耀哉は動くのも辛いだろうに、そっと手を伸ばし、慈しむように千夜の頭を撫でる。

その温もりは、彼にとって救いの証だった。

 

「……ありがとうございます、お館様」

 

千夜の瞳から一筋の涙が零れ落ちる。

深く頭を垂れ、再び闇の中へと姿を消していった。

 

残された耀哉は、その背を見送り、静かに息を吐く。

やがて疲れ果てたように瞼を閉じ、再び眠りについた。

薄闇に包まれた屋敷の中で、なおも消えぬ闘志だけが静かに燃えていた。

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