千夜は半天狗の分身体たちが散開した瞬間、ぐっと表情を引き締めた。
里の住人たちにも危険が及んでいる可能性もある。零余子に「みんなを頼む」と短く告げて、迷いなく積怒の正面へと踏み込む。
積怒は千夜を見て、あからさまに眉をひそめた。
(コイツ……強い!)
血鬼術による中距離の牽制も、錫杖を使った練度の高い棒術も、ことごとく千夜に掻い潜られる。
踏み込みが速すぎるのだ。まるで空気を縫うように一気に間合いを詰めてくる。
「ならばこれならどうだ!」
苛立ちを露わにした積怒が錫杖を突き出し、赤と青の雷撃が迸る。
地面を焦がし、空気を裂くその稲妻は、本来なら近づく者を寄せつけないはずだった。
だが――
「幸魂血闘術・万象の杖」
千夜の手が、閃光のように錫杖を逆に掴み返す。直撃した電撃は確かに千夜へ伝わった。けれど、身体が焼け焦げる気配はない。
電流が千夜の中で方向を変え、一本の“流れ”のまま別へと抜けていく。
その異様な制御に、積怒は一瞬だけ目を見開いた。
次の瞬間、硬い音が響く。
千夜が鋭く息を吐き、雷撃を纏った上段蹴りを叩き上げたのだ。
「――ッ!!?」
積怒の鬼の上半身が、轟音とともに吹き飛んだ。
電撃ごと蹴り砕かれた形で、体が宙を舞う。
(腹立たしくて堪らぬ……! 可楽も空喜も何をてこずっておる!)
司令塔である自分が押されるなど、あってはならない。
だが現実は、千夜の気迫と技術にじわじわと追い詰められていた。
千夜が積怒の上半身を吹き飛ばしたのとほぼ同じ頃――
炭治郎たちもそれぞれの相手の頸を落とすことに成功していた。
禰豆子は息を荒げ、玄弥は肩で呼吸し、炭治郎はまだ刀を構えたまま周囲の気配を警戒している。
「……やった、のか?」
玄弥が荒い息の合間に低く呟く。
だが、返事をするより先に、嫌な感覚が四人の背筋をなぞった。
ずるり、と。
千切れた肉が、まるで勝手に意思を持つようにうごめいた。
炭治郎が目を見開く。
「……再生してる。堕姫や妓夫太郎の時みたいに、頸を落としただけじゃ終わらないんだ……!」
禰豆子の耳がわずかに震え、玄弥はすかさず銃を構え直す。だが分かる。撃っても、斬っても、すぐに追いつかれる。
この鬼たちは、頸を飛ばすだけでは止められない。
千夜も積怒の再生が始まるのを見て、そっと息を呑んだ。
あの分厚い憎悪が、肉と同じ速度で戻ってきている。床に散った血の匂いさえ、まだ“生きて”いるように感じられた。
四つの頸は、確かに同時に落とせた。
それでも終わらない。ゆっくりと、確実に、鬼たちは形を取り戻しつつある。
「……違う。こいつらは、堕姫や妓夫太郎とは仕組みが違う」
炭治郎の声は震えていない。けれど、強い緊張が滲んでいた。
再生の音が、四人の耳に嫌でも染み込む。血肉が編み直される、不快な音だ。
千夜の胸にひっかかっていた違和感が、形を持ちはじめていた。
この鬼は分裂する――だが、増える数には上限があるらしい。
それに、どれだけ頸を落とし、肉を砕こうと、遅くとも確実に再生する。
(……だったら、“どこかに本体がいる”ってことじゃないのか?)
そんな予感が、喉の奥を熱くした。
千夜は戦いの合間に炭治郎へ声を投げる。
「炭治郎、臭いでコイツらの本体……核みたいなの、探れないか?」
炭治郎は一瞬だけこちらを見て頷き、深く息を吸い込んだ。
全集中のときと同じく、嗅覚を一点へ集中させる。
四体の強烈な匂いに紛れて、薄く、けれど確かに――小さな息遣いのような、刻むような“気配”がある。
「……いた。わかった!」
炭治郎の身体が跳ねるように動き、彼は一気に駆け出した。指差す先は、戦場から少し離れた茂みの奥。
そこに、もう一つの“鬼の匂い”が潜んでいる。
「禰豆子! 炭治郎を助けてやってくれ!」
千夜の呼びかけに禰豆子は迷いなく頷き、兄を追って駆ける。
「行かせるものかッ!!」
怒号とともに積怒が錫杖を振り上げたが、その腕が動くよりも早く、千夜の飛火槍――ストレートの一突きがその顔面を貫いた。
炎を纏った拳の衝撃で、積怒の頭部が一瞬で消し炭になる。
可楽が羽団扇を広げ、強風を起こして炭治郎たちを吹き飛ばそうとするが、千夜が踏み込む方が早かった。
地をなぎ払うような低い蹴り――その勢いのまま、可楽の身体を木へ叩きつける。
「じゃあ、止めてみるがいい」
静かに言い放つ声には、一切の揺れがない。
(こいつらは行かせない……! 炭治郎たちの邪魔は、絶対にさせるものか)
血と焔の熱が拳に宿り、千夜の眼光が鋭く光った。
彼は一歩踏み出すたび、立ちはだかる鬼たちをその場へ縫い留めるように圧していく。
だが千夜の胸の奥に、ずっと小さな棘のように刺さっていた不安が、ここにきて疼きはじめた。
炭治郎も禰豆子も戦いの中で傷を負ってはいる。だが――玄弥の状態だけは、明らかに一線を越えていた。
(……こんな傷、普通の人間ならとっくに死んでいる……)
それでも立ち上がろうとする玄弥の背中が、余計に痛々しい。
そして、ずっと心のどこかで引っかかっていた懸念が現実味を帯びる。
玄弥は一時的に鬼の力を得られるらしい。だが、それは相手を圧倒する“万能”ではない。何より――彼は呼吸が使えていない。
(これでは、戦力差がモロに響く……!)
4対2になった瞬間、天秤はあっさり傾いた。
哀絶の槍が玄弥の身体を何度も撃ち抜き、その体躯は蜂の巣のように穴だらけになっていく。
「玄弥ーーっ!!」
叫ぶ千夜の声と同時に、可楽の羽団扇が振り抜かれ、暴風が玄弥を森の奥へ吹き飛ばした。
追い打ちのように、積怒の雷撃と空喜の超音波が千夜へ襲いかかる。
千夜は大きく息を呑み、地を踏み鳴らす。
――幸魂血闘術・大山津見神 「
瞬間、周囲の大地が咆哮するように隆起した。
幾本もの巨大な岩柱が四方へ連続して突き上がり、積怒と空喜、可楽、哀絶をまとめて弾き飛ばし粉砕する。
その一瞬の静寂――鬼たちの動きは完全に止まっていた。
「……玄弥!」
千夜はその隙を逃さず、森の奥へ駆け出した。
血の匂いが濃くなる。折れた木々が散乱し、吹き飛ばされた跡が痛々しいほど鮮明だ。
胸がざわつく。けれど、足は止まらない。
無事でいてくれ――そんな願いを噛み締めながら、千夜は玄弥のもとへと飛び込んだ。
茂みをかき分けた先、土を抉ってできた窪みに玄弥が倒れていた。
仰向けのまま、胸がかすかに上下している。鬼化の作用で辛うじて命をつないでいる――そう分かる状態だ。
それでも、負った傷があまりに多すぎるのか、再生は遅く、口角から泡が絶え間なく溢れ落ちている。
「玄弥……!」
声に反応したのか、彼の指先が震え、折れた木の枝を掴もうとした。
千夜は思わずその肩を押さえたくなる衝動に駆られたが、玄弥の眼差しがそれを許さない。
(俺は……まだ……! こんなところで止まってられねぇ……
柱にならねぇと……柱になって兄貴に……!)
荒れた呼吸の中で、玄弥は己を叱咤し続けていた。
焦点の合わない視界に霞がかかる。そんな中、耳の奥――どこか深いところから声が届いた。
『玄弥……このままだと本当に命まで落としかねない。……賭けになるかもしれない。それでも、一縷の望みを掴むか?』
(選ぶ時間なんざ……いらねぇ……! 俺は――!)
玄弥が口を開いた瞬間、千夜は小さく頷き、血を固めた丸薬をそっと押し込んだ。
ガリッと音を立てて噛み砕いた途端――
焼鉄のような熱が玄弥の喉を通り、胃の奥で爆ぜた。
次の瞬間、その熱は全身へ、毛細血管の一本一本へ、神経の末端へと突き刺さるように広がっていく。
(ああ……なんだ、これ……熱い……! 燃えて……全てが……塗り替えられて……!!)
声にならない咆哮が、地面を震わせるほどの勢いで迸った。
――その頃。
空喜が羽ばたきながら森を横切っていた。積怒たちの元へ戻ろうとした瞬間、前方の木々の間に“気配”が立ち上がる。
俯いた影――玄弥が立っていた。
「……ギヒッ、まだ生きて――」
空喜が不快な笑いを漏らし、高速で飛翔しつつ足のかぎ爪で裂こうとした瞬間、玄弥が紅く光る散弾銃を構えた。
銃身に絡みつくのは新たに得た力の気配――燃えるような朱。
豪、と地を押し返す反動。続けざまに五連射。寸分の狂いもなく、全弾が空喜の身体を撃ち抜いた。
爆炎が咲き、空喜が森へ叩き落される。
その破裂音に気づいた積怒たちが遅れて到着する。
三体の姿を前に、玄弥はゆっくりと息を吸い――炎のような熱を吐息ごと解き放った。
鬼を喰うことで得られた力の上に、千夜の血が重なり合い、短かった玄弥の日輪刀の刀身が、爆ぜるように膨れ上がる。
血が灼け、朱が揺らめき、刃が炎の太刀へと変貌した。
玄弥の声が低く震え、静かに告げる。
「荒魂血刀術――壱ノ型・焔丸」
赤い閃光が走った。玄弥の姿が一瞬で三体の鬼の背後へ抜ける。遅れて、三つの頸が同時に宙へと跳ね上がった。
そして――
玄弥は柄を深く握り込み、振り抜いた太刀に劫火が纏い、飛ばした頸の切り口から朱い閃光が溢れ、鬼たちを焼き尽くした。
遠くで、空気を裂くような鬼の叫びが響いた。
炭治郎が半天狗の本体へ辿り着き、頸を斬りかけている――その気配が千夜にも伝わる。
ほんの僅かに胸を撫で下ろしかけた、その瞬間だった。
「……まだ、終わってない……!」
千夜の視界の端で、燃え続けていた四体の分身体が――歪むように、寄り集まった。
焼け焦げた肉片が不気味に蠢き、炎の中から黒い影が膨れ上がっていく。
ゾワ……ッ。
肌を刺すような悪寒が走った。
次の瞬間、空気を震わせる咆哮とともに、森全体が揺れた。
地面が盛り上がり、巨大な樹木の“龍”が幾本も、地を割る勢いで出現した。
「くっ……来るぞ、玄弥!」
「上等だ……!」
千夜も玄弥も、立ち向かうように前へ踏み込む。
玄弥の炎刀が風を裂き、千夜の拳と血闘術が龍の顎を粉砕していく。
だが次々に襲い来る龍の奔流は、まるで尽きる気配がなかった。
その中心――龍たちの根元に、ひとりの影が立っていた。
中華風の衣を纏い、金色の肩当てが淡く光る。
十代半ばほどの小柄な身体。
なのに。
その足元は、底のない奈落のように“黒い圧”を広げている。
喜怒哀楽の四体とは比べ物にならない。
ただ見ているだけで、胸を鷲掴みにされるような悪意。
存在そのものが刃のように鋭く、冷たく、凶悪。
樹木がざわざわと揺れ動き、本体らしき何かを包み込むように守り固めた。
そして、少年のようなその鬼は、静かに唇を歪めた。
「――弱きものをいたぶる、鬼畜ども。……不快。不愉快――極まれり」
吐き出された声は、まるで地獄の底から響いてくるようだった。
とてつもない殺気が森を裂き、押し寄せる。
思わず呼吸が止まるほどだ。
「……っ、何だ、この圧は……!」
「気を抜くなよ……」
合流した炭治郎が刀を構え、禰豆子も低く唸って前に出る。
千夜と玄弥も肩を並べ、四人でその鬼を睨み据えた。
新たな姿を現した上弦――憎珀天。
闘いは、まだ“ここから”だった。