異邦の眷属   作:テクニクティクス

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第20話

 

憎珀天は、もはや“分身体の延長”などという生易しい段階ではなかった。

一体に統合されたことで、喜怒哀楽それぞれの鬼が持っていた力をすべて扱えるようになり

その首は六六尺──見上げれば夜空を割る黒柱のように伸長し、巨大な影が里を覆い尽くす。

 

口腔から解き放たれる術は、かつての分身の比ではない。

 

雷撃は稲妻の束が暴れ狂うように奔り、風圧は建物ごと押し潰す暴風壁となる。

哀の超音波は空気を千枚に裂く悲鳴となって骨に響き、激しい涙は鋭い槍として雨のように降り注ぐ。

 

四種の術が重なり合う絶望的な嵐の中、炭治郎と禰豆子は必死に食らいつく。

だが細身の日輪刀では斬っても斬っても樹木の肉は深く削れず、再生があまりに速い。

玄弥の散弾銃も焔丸も、火力は増しているのに樹龍の巨体には足りない。

 

憎珀天の操る龍の長い首が、蛇のようにしなりながら迫ってくる。

噛み付かれれば肉ごと抉られ、飲み込まれれば口の中で圧殺される──そんな地獄のような近接戦を前に、炭治郎たちはじりじり押されていく。

 

玄弥が苦悶の息を吐いた瞬間、脳裏に荒々しい閃きが走った。

 

(だったら、もっと大きく、分厚く、重くすりゃあいい!)

 

足を踏み込み、血を沸騰させるように練り上げる。

 

荒魂血刀術・弐乃型──「紅蓮骨砕き!」

 

玄弥の背丈すら超える、異様なまでの重量を持つ血刀が生成された。

溶けた鉄を無理やり“刀の形”に押しつぶしたような、灼熱の赤黒い塊。

振り上げるだけで大地が唸り、風が裂ける。

 

千夜がすぐ横で深く息を吸う。

両足を地に根のように沈め、力を溜め込む姿は、まるで大地そのものが形を取ったかのようだった。

 

「玄弥、いくぞ……」

 

頷きが返ってくる。

 

荒魂血闘術・加具土命──「熔鉄の連槌!」

 

轟くような衝撃音が重なった。

玄弥の超重量刀が樹龍の装甲を骨ごと粉砕し、千夜の熔鉄血が内部へ流れ込み、熱膨張でさらに砕く。

二つの攻撃が完全に噛み合った瞬間、巨大な龍の肉体はひび割れ、赤い光を散らしながら破裂した。

 

舞い散る破片の先で、千夜と玄弥は並び立っていた。

 

熱気が二人の周囲を揺らし、砕けた樹龍の残滓が煙となって消えていく。

憎珀天が睨みつけるように威圧する。だがその前に立つ二人の怪物は、ひとつも怯んでいなかった。

 

 

 

砕け散った樹龍の残骸が煙となって消える中、風を裂く軽やかな足音が近づいてきた。

 

「みんな、無事!?」

 

明るい声とともに、恋柱・甘露寺蜜璃が戦場へ滑り込む。

桃色の髪がひらりと舞い、しなやかな緑の刃がしゅるりとたわむ。

特殊な日輪刀が描く軌道は“鞭”のようでいて、鋼の切れ味をまったく損なわない。

 

憎珀天の樹龍が唸りを上げて伸びる。

雷鳴を帯びた牙が迫るところを、蜜璃の一閃がいとも簡単に受け流した。

 

「っ、はぁッ!」

 

その一撃は柔らかでいて、常人離れした怪力の裏打ちがある。

憎珀天の咬撃をいなし、重い衝撃ごと弾き返す。

 

「炭治郎、禰豆子、玄弥! ここは俺と甘露寺さんで受け持つ! 本体の方を頼む!!」

 

千夜の声に三人が力強く頷く。

半天狗の本体──怯の鬼を追うため、すぐさま駆け出した。

 

憎珀天は逃がすまいと背中の太鼓を打ち鳴らす。

雷鳴と超音波が絡み合い、空気すら裂くほどの衝撃が奔った。

 

しかし蜜璃の瞳は揺るがなかった。

 

「恋の呼吸──参ノ型 恋猫しぐれ!」

 

舞うような斬撃が一瞬で雷と音波を細片に切り裂き、空間をまるごと浄化するように静めていく。

その刹那、千夜の影が消えた。

 

すでに憎珀天の懐へ潜り込んでいる。

 

荒魂血闘術・加具土命──「炎威の怒濤!」

 

千夜の踏み込みと同時に掌底が胸を突き、爆炎が憎珀天を飲み込んだ。灼熱の奔流が鬼の体躯を焼き裂き、皮膚も骨も灼けて軋む。

だが憎珀天は、一瞬で再生を始める。咆哮を上げ、反撃の構えに転じるその前に──千夜の足が淡光を描いて舞い上がった。

 

奇魂血闘術・志那都比古神──「空転の羅城!」

 

連脚が嵐のように繰り出される。放たれる足技はどれも精密な“風の牙”で、旋風となって憎珀天の身体を削り取っていく。

暴風が巻き起こり、刃のような風圧が鬼の肉を断ち、黒い血を散らせた。

憎珀天の咬撃を蛇のように伸びた刀で受け流しながら、蜜璃は胸の奥がじんわり熱くなるのを感じていた。

 

──千夜さん、やっぱりすごい。

 

温泉でばったり裸同士で出くわした、あの衝撃的な出会いが脳裏をかすめる。

恥ずかしいはずなのに、話してみると意外とユーモアがあって、気遣いも上手。

“悲鳴嶼さんに似た大きさで、でも穏やかな笑顔の人”という印象がすっかり定着してしまっていた。

 

(しかも……初対面だったのに、私の呼吸にすぐ合わせて動いてくれたんだよね……)

 

自分の動作のタイミング、足の間合い、呼吸の強弱。

わずかな癖まで乗せられて、ぴたりと同調してくれる心地よさが蜜璃の胸を甘く振るわせる。

 

(こんなに息が合うなんて……すっごく、キュンとする……!)

 

千夜の怪物性を見ても、恐怖は不思議と湧かない。それよりも、隣で並び立てることが素直に嬉しかった。

 

(千夜さんと一緒なら……どんな強い鬼だって、きっと越えていける!)

 

蜜璃は恋の呼吸を整え、千夜の横顔へ柔らかく笑みを返した。

戦場の只中で、ふたりの間にわずかながら確かな“絆のリズム”が生まれていた。

 

 

 

 

 

半天狗本体を追っていた炭治郎は、何とか追い詰めることには成功したが、最後の力を振り絞った半天狗に道連れのごとく崖から共に落下した。

崖下に叩きつけられた衝撃は、身体から一瞬にして力を奪い去っていた。

夜はもう、端が白み始めている。地面に散った土砂の影が、淡く伸びてゆく。

 

半天狗の本体――怯えを凝らせたような鬼は、土煙の中でぐらつきながら身を起こした。

自分を追いつめた少年と鬼の少女は、まだ立ち上がれない。だが、その安堵は長く続かなかった。

 

「……っ、は……はぁ……」

 

憎珀天に吸われすぎた力は戻らず、再生もままならない。

指先は震え、皮膚はひび割れ、逃げなくては――と焦れば焦るほど、身体は言うことを聞かない。

それでも、太陽だけは確実に迫ってくる。とにかく血肉を、誰でもいい、人間を喰わねば。

 

半天狗は血走った目で周囲を見回した。里は、まだ完全には静まりきっていない。

逃げ遅れた気配が、みっつ。震える呼吸の音が、耳の奥を刺す。

 

「……み、見つけた……っ」

 

擦れた声を漏らしながら、それでも貪るような執念で半天狗は駆けだした。

夜明けの薄光に照らされたその影は、もはや“鬼”というより、恐怖に塗れた亡霊のようだった。

 

弱った足で追いすがる。ふらつき、倒れかけながら、また立ち上がる。

そのたびに皮膚が裂け、血が滲む。だが山頂から迫る太陽の気配の方が、何倍も恐ろしかった。

 

逃げ遅れた里人の悲鳴が弾ける。半天狗の伸ばした手は、必死さと醜悪さが混じりあい、まるで溺れる者が藁を掴むように震えていた――。

 

 

 

あと指先ひとつ分で、人間に触れられる――半天狗はそう確信していた。震える手は空を掻き、逃げ惑う里人の背に届こうと伸びきっている。

 

その瞬間だった。

 

胸の奥で、何かが「抜けた」。痛みより先に、風が通り抜けるような異様な感覚が走る。半天狗は目を落とし、自分の胴体を見た。

胸に、ぽっかりと穴が開いている。煙のように血飛沫が流れ出し、向こう側の風景が透けて揺れた。

 

「……な、に……?」

 

理解が追いつく前に、音が遅れて届いた。

乾いた破裂音――だが、鋭く、確信に満ちた一発。

 

崖上。

そこに立つ玄弥は、息ひとつ乱さず銃口をこちらへ向けていた。

散弾銃から放つ血の爆炎。広く拡散させず、針の穴へ通すように極限まで収束させた一撃。

意識を研ぎ澄まし、遠距離の小さな鬼を正確に視界へ刻みつけ、迷いなく引き金を引いた――。

 

その一瞬の集中が、今、半天狗の胸を貫いている。

 

よろめいた半天狗は、その場に崩れ落ちるように姿勢を低くした。動きはもう鈍く、逃げる力も残っていない。

 

そして、そこへ駆けつけた影がひとつ。

炭治郎だ。

 

夜明け前の淡い光を浴びて、刀身に炎が舞うように揺れる。息を吸い、踏み込み、円を描く。

 

美しい炎の弧――円舞。

 

斬り下ろされた刃は、確かな手応えとともに半天狗の頸を一息で断ち落とした。

 

転がった頸は土を跳ね、落ちた身体はぐにゃりと沈む。

ようやく、終わった――。

 

誰もがそう思った。

朝日はもうすぐそこ、鬼は斬られた。

これで、すべてが終わる……はずだった。

 

 

 

山頂から差しこんだ、ほんのわずかな陽光――。

だが、その一筋ですら禰豆子にとっては致命的だった。

 

じゅ、と肉の焼ける音がした。

禰豆子の肩が光を浴びた瞬間、白い煙が立ち昇り、肌がただれはじめる。

苦痛の声を上げることさえできず、ただ震える体が痙攣する。

 

「禰豆子!!」

 

炭治郎は反射より速く駆け寄り、全身を広げて妹を覆い隠すように抱きすくめた。

草原は開けており、影をつくるものがなにひとつない。

自分の身体で庇うしかない――それだけが即座に浮かんだ行動だった。

 

陽光の熱が背中に刺さる。

だが、禰豆子の焦げる匂いのほうが、何倍も胸を締め付けた。

 

そのとき、裂けるような声が響いた。

 

「まだだ!! まだあの鬼は死んでねぇ!!」

 

玄弥の叫び。

本能で振り返る炭治郎――。

 

そこには、日の光で肌が焼け崩れながらも、なお幽鬼のようによろよろと里人を追う半天狗の姿があった。

落ちた頸の舌には、黒々と「恨」の文字。

 

(ち、違う……! 本体の文字は“怯”だった!)

 

全身がぞくりと粟立つ。

息を吸う間も惜しんで炭治郎は匂いを辿る。

血と怒りと恐怖――その奥に、かすかに震える怯えの匂い。

 

玄弥の放った一撃のすぐそば。

運命のいたずらのように、針の穴を通るように、ほんのわずか外れた場所に――まだ“怯”の本体が小さく潜んでいる。

 

見つけた。

けれど、動けない。

 

“今ここで禰豆子を置いて行けば――妹は陽に焼かれて、死ぬ。”

 

“しかし半天狗を逃せば――また人が喰われる。皆を傷つけたあの鬼が、また誰かを。”

 

どちらも捨てられない。

どちらも失いたくない。

 

呼吸が乱れ、胸が苦しくなる。

判断の鎖が首に食い込み、視界が揺らぐ。

呼吸が、呼吸が……形にならない。

 

「……どうすれば……どうすればいいんだ……っ……!」

 

背中に刺さる太陽の熱と、腕の中で震える禰豆子の温もり。

遠ざかっていく半天狗の足音。

全てが炭治郎の思考を乱し、心を千切っていく。

 

選べない。

選ばせないでくれ。

 

炭治郎の瞳に、絶望が滲みはじめていた――。

 

 

 

乱れた呼吸の奥で、炭治郎の耳にふわりと届いた。

 

「大丈夫。私たちが来ました」

 

その声は、日の光よりもやわらかく、夜の月が落とす影のように静かで穏やかだった。

次の瞬間、竈門兄妹の上に影が差す。しかしそれは恐怖を呼ぶものではなく、包み込むような温もりを持った影だった。

 

音もなく姿を現した零余子が影の傘を造り、陽光を遮り、禰豆子を優しく覆うように立っていた。

炎に焼かれていた苦痛がすっと静まり、禰豆子の震えが落ちついていく。

 

炭治郎は胸いっぱいに息を吸い込み、そして見上げた――。

 

半天狗の頭上、高く。

そこに立つ千夜の拳が、朝日に照らされながらも、それ以上の輝きを放っていた。

山吹色の光の中で、ゆっくりと紅が差し込むように、恒星のごとき気迫が揺らめく。

 

その信じられないほど力強い姿に、炭治郎は思わず安堵の笑みを零した。

 

千夜は拳を握りしめる。

全身の力を一点に集め、静かに、確かに、息を吐いた。

 

 

荒魂血闘術・加具土命――「七獄五劫!!」

 

 

振り抜かれた拳から迸ったのは、天をも貫く巨大な炎柱。

半天狗の逃げ場も、身体も、恨も怯えも、すべて包み込み――塵ひとつ残さず焼き尽くした。

 

炎が収まると同時に、千夜は軽やかな音と共に着地する。

朝焼けを背景に立つその姿は、ただ強いだけではなく、どこか儚いほど美しかった。

 

炭治郎の胸が熱くなる。

頬を伝う涙は、戦いの緊張がほどけたゆえか、それとも救われた安堵か――。

自分でも分からない。ただ自然に溢れた。

 

その時だった。

 

影の下にいた禰豆子が、すっと炭治郎の腕を抜け、ふらりと前へ進む。

止めるより早く、彼女は朝日の中へ出てしまった。

 

「禰豆子!!」

 

炭治郎の声が裏返る。

しかし、禰豆子は――燃えなかった。

 

淡い光に包まれ、笑うように瞬きをするだけ。

まるで初めからそこが自分の居場所であったかのように、自然に日光の中へ立っていた。

 

驚く炭治郎の横で、千夜も目を見開いていた。

そんな彼のもとへ、禰豆子はちょこちょことした足取りで歩み寄る。

 

そして、千夜がふわりと笑みを向けた。

 

「おかえり」

 

禰豆子は一瞬だけきょとんとした顔をして――

次の瞬間、その顔いっぱいに、太陽みたいな笑顔を咲かせた。

 

「……ただいま」

 

その声は、優しくて、暖かくて、朝焼けより美しかった。

 

こうして――

刀鍛冶の里を巡る、長く、痛く、激しい戦いは幕を閉じた。

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