異邦の眷属   作:テクニクティクス

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第3話

 

その後、二人は東京界隈をぶらついていた。喧騒と人いきれの中を歩きながら、零余子はふと浅草へ足を延ばした。

昼の街並みをゆくのは、彼女にとってほんの少しだけ勇気の要ることだった。だが今は、陽を受けることも、人の目を避けることもない。

ただひたすらに、かつては眩しすぎて目を背けていた光景を確かめるように歩いていた。

 

「あの路地、昔はもう少し狭かった気がします」

「観光地って、変わっていくんですね」

 

零余子は懐かしそうに細い横丁を指さし、千夜は彼女の案内についていく。どこか浮世離れした零余子の横顔に、少しだけ血の気が戻っているように思えた。

やがて日も落ち、賑わいの残る夕暮れの街をあとにして帰路につこうかというそのときだった。

 

――ごうん、と低く腹に響くような振動。

 

ほんの一瞬の静寂の後、微かに空気がざわめいた。

 

「……どこかで誰かが戦ってる?」

「若干ですが、鬼の気配も」

 

互いに視線を合わせることなく、二人の足は自然と影へと滑り込み再び彼らは“あちら側”へと身を投じた。

 

 

 

珠世の隠れ家――その安寧を破ったのは、何の前触れもない襲撃だった。弾け飛ぶ壁、空気を切り裂く風圧。

竈門兄妹を襲ったのは、異様に自在な軌道を描く“鞠”と、幼子のような外見の鬼だった。

無数に跳ねるそれは明らかに常軌を逸した速度と威力を持ち、守りに入った愈史郎は、頸から上を吹き飛ばされ壁に叩きつけられていた。再生が追いつかず呻くことすらできない。

 

「動きを読む余裕も……!」

 

炭治郎の判断力をもってしても、鞠の軌道はまるで風のように読めず反応が一手遅れる。

六つの鞠が、同時に彼の胸を、顔を、命を狙って迫った――その瞬間だった。

ひとつ、ふたつ、みっつ――音を立てる間もなく、すべての鞠が砕け、灰となって舞った。

 

「……あ、あなたは……!?」

 

炭治郎が目を向けた先、そこには黒い影を身に纏うような青年がいた。

その姿は、まるで誰よりも自然な動きの中に在る“異物”だった。

 

「大丈夫か、少年」

 

言葉は静かで、どこか温かみすら帯びていたが、その背にまとった気配はまるで獣が牙をひそめるような鋭さを孕んでいた。

そして、その傍らに。影が揺れたかと思えば、音もなく、赤衣の少女がそこに立っていた。

 

「いろいろ聞きたいことはあるが、まずはアレを片付けてからにしよう」

 

二人は歩み寄るでもなく、ただその場に立つ。けれど、その場の空気は一変した。千夜が、ひとつ拳を握り込む。

 

その一呼吸で、室内の温度が一段階、確かに上がった。空気が乾き、肌に薄く痛みが走る。

 

灰の舞う室内に、熱が宿る。

 

千夜から、赫く光る翼のような気が放たれる。

 

「――荒魂血闘術(あらみたまけっとうじゅつ)加具土命(かぐつち)

 

その言葉とともに、彼の拳が熱を孕む。

 

「推して参る」

 

静かな声が放たれた瞬間、戦場が“こちら”に傾いた。

 

 

 

隠れている鬼を竈門兄妹と零余子に任せ、千夜は手毬を使う鬼と対峙する。

 

「何じゃ貴様……鬼ではなさそうだし、鬼狩りでもないようじゃの」

 

薄暗い庭先、手毬を手にした鬼はにたりと口元を歪めた。

瞳は愉悦に染まり、目の前の“人間ではない何か”をもただの遊び道具と見なしている。

 

「まあいいわ。皆、わしと遊んで死ぬがいいわ!」

 

甲高く狂気じみた声とともに、鬼の背から腕が増えた。

二本、四本、六本――異形の動きで空間を支配し、そのすべてが鞠を携えている。

 

次の瞬間、風を裂く轟音とともに、六つの鞠が一斉に放たれた。

質量と速度、軌道の複雑さ、その全てが常人の認識を越えている。

 

だが。

 

千夜はただ、歩いていた。肩を揺らすこともなく、ゆっくりと。

鞠がその周囲に迫るたび、何の前触れもなく燃え上がる。

まるで見えない業火が、彼の歩みに寄るものすべてを拒絶するかのように。

 

赤々と、けれど音もなく。

鞠は一瞬にして燃え尽き、灰と化して消えていった。

 

「……は?」

 

鬼が声を漏らす。

 

「な、なんじゃ、何が起こってる!?」

 

理解が追いつかない。弾いたはずの“死”が、届いていない。

どこかに防がれているのでも、避けられているのでもない。

 

確かに届いた――だが、届いた瞬間に、すべてが“無”に変わる。

 

「嘘……じゃろう……」

 

鬼の声は、もはや歓喜ではなかった。初めて知る“遊びにならぬ相手”への恐怖が、じわりと全身を侵し始める。

彼の背に護られるように立つ珠世と、彼女に抱えられながら意識を保つ愈史郎――そのどちらの目にも、驚愕の色は隠せなかった。

静かに、確かに目の前で起きているはずの現象を、思考が追いつかない。

 

辛うじて視認できたのは飛来する鞠に対し、千夜が正確無比な軌道で拳を叩き込んでいるということ。

それもただ防ぐのではない。背後にいる珠世と愈史郎を傷つけぬよう、飛翔する鞠を寸分違わず砕き落とす――その“無駄のなさ”が、むしろ異常だった。

鬼の視力をもってして、ようやく追えるかどうか。

それでも霞むようにしか見えぬその動きは、もはや速度ではなく“瞬間”そのものだった。

 

「く、来るな、来るな……来るな、来るなぁぁぁ!!」

 

もはや狂乱と化した鬼は、焦点の定まらない目で千夜を睨み、喉の奥から叫びを上げる。

そこにはもはや遊びの余裕も、血への渇きもなく、ただ本能的な恐怖があった。

それに対し、千夜は何ひとつ意に介す様子もなく、ふわりと自然に一歩、前へ。

 

その踏み込みに、音が置き去りにされた。

赫き粒子が拳に集い、何もかもを焼き尽くす灼熱の焔が顕現する。

 

「――七獄五劫(しちごくごこう)

 

静かに告げられたその技名とともに、撃ち込まれた正拳は――

 

鬼の胴を真っ直ぐに貫いた。

 

その熱は、焼き焦がすだけでなく、骨の芯までもを揺るがす衝撃を伴い、周囲の空気を一気に爆ぜさせた。

 

残響すら残さぬ一撃。

 

煙と灰の中、鬼は何が起きたのかも理解できぬまま、地へ落ちる前に灰燼に帰った。

 

そして。

 

「お待たせしました」

 

やわらかな声とともに、零余子がその場へと戻ってくる。

薄く汚れた袖を払いつつ、竈門兄妹と並んで千夜の傍へ歩み寄る姿は戦場でありながらどこか静謐さすら帯びていた。

どうやら、向こうの鬼も片付いたらしい。

千夜は肩の力を抜き、拳を静かに下ろした。

 

こうして、今宵の襲撃は――終わりを迎えた。

 

 

 

戦いが終わった後、それぞれが呼吸を整えながら、改めて言葉を交わした。

鬼の襲撃という非常事態の中で、無言で連携し、背中を預け合った相手とはいえ――互いの素性を明かすには、いささか不安と戸惑いが残っていた。

 

「……いろいろ、驚くような話です」

 

そう口を開いたのは、珠世だった。

表情は崩さぬまま、千夜の隣に控える零余子へと一瞬だけ視線を向ける。

 

「何より、元とはいえ……十二鬼月がここに居るとは」

 

その声に、かすかに警戒と、別の何か――かつての記憶に触れるような陰影がにじむ。

零余子はそれを受け止めるように、ただ静かに目を伏せていた。

 

千夜は肩を竦めた。

 

「……俺としても、無惨がいなくなってくれた方が、生活はしやすい」

 

軽くそう言って、ふっと苦笑する。

 

「だが、鬼殺隊に入れは……しないだろうしなぁ」

 

転化したとはいえ、元鬼である自分たちが、鬼を狩る組織に所属するなど――

常識的に考えれば頭のネジが何本も抜けている。

それに、彼らは“信頼される”立場を求めているわけではない。

 

だからこそ、千夜は別の手を取った。

 

荷物から、手のひらに収まる程度の薄い鉄板――小さな装置を取り出すと、指で表面をなぞるように何か操作を加えた。

 

それを一つずつ、珠世と炭治郎に手渡す。

 

「俺と零余子の間ではすでに使えるものだ。それを使って、伝えたいことを考えてみてくれ」

 

言われるがまま、二人がその端末を握り、意識を向けた瞬間。

 

――音が、脳に直接響いた。

 

『ん、大丈夫みたいだな』

 

千夜の声だ。確かに“頭の中”に届いている。

 

『うわ、うわわわ! 何ですかコレ、頭に声が響きますよ!?』

 

炭治郎は慌てて手を離しそうになりながらも、目を丸くする。

 

『まるで……電話のようですね』

 

珠世の静かな声に、炭治郎が「電話……?」と呟いた。

この時代にしてはありえない仕組み――だが、あの“異邦人たち”ならばありえる、とすでに受け入れ始めていた。

 

伝達の手段はできた。

言葉を介さず、距離に縛られず、想いだけを届ける術。

 

それだけでも、協力の第一歩としては十分すぎる。

 

そして千夜は、ふと思い立ったように口を開いた。

 

「……何か、血を入れられる瓶、ないですか?」

 

珠世は一瞬怪訝な顔をしたが、すぐに手元の薬瓶の空き容器を差し出した。

 

千夜はそれを受け取ると、何のためらいもなく自身の指先を裂き、瓶の八分目ほどまでをその血で満たす。

 

「禰豆子を戻すきっかけや、無惨への手立てになるかもしれない。役に立てて欲しい」

 

瓶を差し出すその手は静かで、ただ一縷の希望だけを託すように澄んでいた。

 

珠世は、深く頷いた。愈史郎も、不承不承ながらも礼を述べる。

それに対し千夜は何も返さず、零余子と目を合わせて小さく合図する。

やがて、日が中点に登る。彼らは誰に告げるでもなく、また当てのない旅路へと歩き出した。

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