異邦の眷属   作:テクニクティクス

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第8話

 

蝶屋敷に滞在することになった千夜は治療のため運び込まれていた伊之助、炭治郎と初めて出会う彼らの仲間で友人の我妻善逸とも知り合った。

蜘蛛山で共闘した隊員の村田も交えて軽い世間話に花も咲いた……気はする。

 

(……変な音がする……)

 

善逸の千夜に対する感想はそのようなものだった。

 

(深い霧の奥から……鐘の音みたいな……すごく遠くて、でも耳元に張りつくような音だ……)

 

その音は、おそらく善逸にしか聴こえない。霧の奥深く、誰も踏み入れたことのない領域。

善逸の持つ"耳"が、自分の中にある「何か」を正確に捉えかけているのだろう。

 

千夜は炭治郎たちの機能回復訓練の補佐的な役割から、蝶屋敷内の雑務などを担当し始めた。

 

 

 

数週間が過ぎたころ――。

胡蝶しのぶは、ある確信を得つつあった。

 

(……やっぱり、この人……地味に騒動を起こすタイプですね)

 

千夜の穏やかな物腰は嘘ではない。嘘ではないのだが、妙に「事を大きくする」性質を持っている。

悪意がないぶん始末が悪い、とも言えた。

 

とある日、千夜は台所で内なる衝動と戦っていた。

 

(……ジャンクフードが、食べたい……!)

 

大正時代のあっさりした和食にもすっかり慣れたはずだった。

しかし、日々の雑務や訓練で身体を動かしているうちに、あの――塩と油が牙をむく瞬間が来てしまったのだ。

幸い、頭の中には現代で食べていたレシピがぼんやり残っている。

材料さえ揃えば、完璧とはいかずとも「それらしいもの」は作れるはず。

 

「……やってみるか」

 

その一言で、台所は戦場と化した。手に入る範囲で肉を叩き、玉ねぎを刻み、パン生地を練る。

チーズやマヨネーズは贅沢品で使えなかったが、代わりに甘辛いタレで仕上げた照り焼きソースを用意する。

牛肉は厚みを持たせ、焼き面は香ばしく、中央は肉汁が溢れるよう火加減を調整した。

 

やがて――。

 

「よし……!」

 

卓上には、山のように積み上げられたハンバーガーが鎮座していた。

ビーフバーガー、ダブルバーガー、そして照り焼きバーガー。

横には揚げたての黄金色のフライドポテトが、これでもかと盛られている。

 

満足げな顔をした千夜は、ふと前方の廊下に目をやった。

よろよろと歩く三つの影――機能回復訓練を終えたばかりの炭治郎、伊之助、善逸だ。

その足取りは、まるで全身の関節に鉛を詰められたかのように重い。

 

「おーい、君たち」

 

千夜が手を挙げる。

 

「間食を作ったんだ。結構量があるし……よかったら一緒にどう?」

 

三人は一瞬きょとんとしたが、次の瞬間、空腹でぐぅぅと鳴る腹の音が廊下に響いた。

断る理由は、どこにもなかった。台所の卓上に並んだ光景を見て、三人はさらに足を止めた。

――見たことのない食べ物。丸いパンに肉や野菜が挟まれ、横には黄金色の細長い何かが山盛りになっている。

 

「……これ、何だ……?」

 

伊之助が鼻をひくつかせる。

 

「食えるのか……?」

「洋食だよ。かぶりつけばいい」

 

千夜は席に着くと、迷いなくハンバーガーに手を伸ばし、大口を開けてかぶりついた。

肉汁がバンズの間から溢れ、頬を伝って滴る。その満足げな咀嚼を見た炭治郎たちは、顔を見合わせ――真似るように手を伸ばした。

 

次の瞬間、三人の頭に稲妻のような衝撃が走った。

 

(……なんだこれ……!?)

 

肉厚のパティから溢れる熱々の肉汁。

甘酸っぱいケチャップが舌を叩き、さらに照り焼きソースの甘じょっぱさが重なる。

それらを包むふわふわのバンズが全体を優しくまとめ、噛むたびに香ばしさが広がる。

 

横に添えられた黄金色のポテトは、外はカリッと中はほくほく。

良質な油で揚げられたそれに、ふわりと塩がまぶされているだけ――それだけなのに、手が止まらない。

 

「うまっ……! なんだこれ……!」

 

炭治郎が思わず声を上げる。

 

「やべぇ……これ、戦える……!」

 

伊之助はなぜか戦闘力の指標に変換していた。

 

「オ、オレ……もう一個食べていいッ!?」

 

善逸はすでに二つ目に手を伸ばしている。

三人は一心不乱に、ひたすら口へと運び続けた。

千夜もまた、その勢いに笑いながら、黙々と次のハンバーガーにかぶりつく。

 

 

 

「……で、何か申し開きは?」

 

台所の一角。青筋を浮かべたしのぶの前で、千夜はきっちり正座をしていた。

その背筋は伸びているのに、どこか小動物が捕まったような気配を漂わせている。

 

「わ、私の不徳の致すところ……」

 

声は殊勝だが、視線は泳ぎっぱなしだ。

衝動のまま作り上げた山盛りのハンバーガーとポテトは、かまぼこ隊の三人にとってまさに暴力的な美味さだったらしい。

結果――炭治郎、伊之助、善逸は揃って床に転がり、見事な太鼓腹を晒していた。呼吸すら重そうで、まるで動けない。

 

(……怪我は回復してきてるとはいえ、ちゃんと計算して献立を組んでいるのに……)

 

しのぶの口元は笑っているが、その目は笑っていない。

それは、鬼との戦いで見せる鋭さとは別種の、別方向に恐ろしい光だった。

 

「もう少しお説教がいりますかね?」

 

満面の笑顔でそう告げると、彼女はすっと千夜の腕を取った。

 

「あっ……ちょっと……!」

 

小声で抗議しかけた千夜は、そのまま引きずられて廊下の奥へ消えていく。

炭治郎たちは、ぼんやりとその背中を見送った。

口元にはまだ照り焼きソースの名残がついている。

 

「……なんか、凄い罪悪感が……」

 

炭治郎が呟く。

 

「オレら……食っただけなのにな……」

 

伊之助は腹をさすりながら目を閉じる。

 

「でも……うまかった……」

 

善逸は幸せそうに息を吐き、そのまま眠りに落ちた。

その場には、油の香りと、しのぶの足音だけが残っていた。

 

 

 

またある日のことだった。

千夜が、どこか思いつめた面持ちでしのぶの前に立った。

 

「蝶屋敷の一角を……少し、貸していただけませんか」

 

頼みの理由は単純明快。薬師としても、ようやく端下と呼べるほどの腕を得た今、薬草を自ら育てたいという。

その声音に下心めいたものはなく、純粋な志だけが透けて見える。しのぶは、まあそれくらいなら――と、軽く頷いた。

 

しかし、その翌日。

 

蝶屋敷の裏庭は、もはや見知った景色ではなかった。

わずかな区画だったはずの土地が、まるで生命の鼓動そのものを湛えたように瑞々しく輝き、濃緑の葉は風に揺れ、花々は朝露を抱いて煌めいていた。

踏み込めば、ひそやかに香り立つ薬草の息吹が鼻をくすぐる。それは庭というより、まるでどこに出しても恥じぬ薬草園――いや、ひとつの森のようだった。

 

「……今度は何をやらかしました?」

 

笑顔のまま、しかしこめかみに淡く青筋を刻んだしのぶが、するりと千夜の襟首をつかむ。

軽く絞め上げながら、その口から真実を引き出そうとする。

 

白状させれば、千夜のやったことは「少し」どころではなかった。

昔観たアニメ映画を思い出し、土地を活性化させれば植物もすくすく育つのではと考えたらしい。

そして脳裏の叡智を総動員し、土地の龍脈のようなものを整え、精製した御神酒を地に注ぎ、さらには土地神めいた妖精・聖霊のような存在に許しを乞う――

と、薬草を育てるためだけにしては、あまりにも仰々しく、そして確実にやりすぎだった。

 

完全に納得はできなかったが、事実としてそこには生命力に満ちあふれた薬草があった。

日常的によく使うものは青々と茂り、希少な品までが健康に葉を広げている。

 

「……管理はしっかり。こちらでも必要に応じて使わせてもらいますからね」

 

最終的にそう告げ、しのぶは折れることにした。

千夜の手腕を警戒しつつも、その成果を無視できない――薬草園は、そうして蝶屋敷の一部として息づきはじめた。

 

 

 

数々の騒動を巻き起こす千夜ではあるが、しのぶの目には、どうしても根の部分が善良な青年と映る。

鬼殺隊として幾度も目にしてきた、本性を巧みに隠した残忍な鬼とは、似ても似つかぬ素朴さ。

そのまっすぐさは、時に危うく、しかし憎めない。

 

ふと、庭先を通りかかると、炭治郎が木刀を握り、黙々と素振りをしていた。

千夜はそれを見て、迷いなく組手を申し出たのだろう。

回復度合いを見極めた上で、やや厳しめの負荷を与える――しかし決して無理はさせない。

 

「ほら、全集中の呼吸、忘れてる!」

「は、はいっ!」

 

その瞬間、千夜の動きが鋭くなる。

虚を突かれた炭治郎は、手首を取られ、軽々と宙に舞う。

咄嗟に水の呼吸の型で体勢を整えるも、着地を狙う千夜の追撃に姿勢をわずかに崩され、それでも必死に受け流す。

 

「頑張ってますね、炭治郎くん」

「あ、しのぶさん」

 

短い攻防の合間に、二人は呼吸を整えつつ軽口を交わす。

しかしその時、炭治郎が鼻をひくつかせ、ふと問いかけた。

 

「……しのぶさん、今……楽しんでますか?」

 

刹那、しのぶの心が小さく揺れた。

姉を鬼に殺され、憎悪に心を沈め、幾度となくその怒りを糧に刀を振るってきた自分。

戦いの中で、笑みは仮面であり、心を守るための装いでしかなかった。

 

けれど――今、この庭先に吹く風は、どこかやわらかい。

剣戟の音すら、遠い春の祭囃子のように軽やかに耳へ届く。

 

気づけば、自分はほんの僅かに、しかし確かに、口元を緩めていた。

 

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