「──うん、退却。いや俺が退却っつったら退却。向こうもただの様子見だろ、少しは情報を持って帰ってくれた方が俺としても戦況を読みやすいから──ああ、大将首を引きずり出すためだよ。そのときはちゃんと任せるから、今は我慢してくれ」
大丈夫だよっと文机の上に備え付けられたモニターから愛らしい声が返る。その声の主、乱藤四郎の左手は、今の今まで戦に猛り進軍を訴えた御手杵の耳をしっかりと引っ張っている。身長差をものともしない部隊長直々のオシオキにさすがの戦好きも頭が冷えたらしい。痛い痛いと涙目で唸り、すっかり情けない顔を晒している。
ちなみにそれを目の当たりにしている審神者は「乱は頼りになるなぁ」と呑気に褒めているし、同じモニターの中で粟田口の長兄も微笑ましそうに頷いていた。それでいいんかという心の声を、豊前はそっと胸の奥にしまう。
「じゃあ、気を付けて帰っておいで」
そう言って審神者は通信を切る。モニターに映っていた男士たちの顔がかき消えた。
ふう、と息をついた主の横顔を何となく見つめていると、ふと視線が絡む。
「今日の出陣は以上だな。見てるだけは退屈か、豊前」
「そりゃあな。俺としてはそろそろ見学は終わりにしてほしーんだが」
それを決めるのはお前だよ、と審神者は座布団の上で豊前の方へ向き直る。
顕現して少し時間が経ったが、豊前はまだ初陣を飾っていない。遠征は経験したが、審神者の指揮の下で刀を振るったことはなかった。
豊前としてはすぐにでも戦場で自身を振るいたかったのだが、これが審神者の方針であるらしい。
『自分より無能な指揮官の言うこと聞くのって嫌だろ?』
だからお前もまずは見極めろ、と顕現したばかりの豊前を前に審神者はあっけらかんと言った。
考える頭と動かせる身体を得た以上、道具が主を選べない時代は終わったのだと。顕現させた審神者が己の「持ち主」たるに相応しいか、戦場に臨む前にちゃんと見ろ、と。
『俺は戦を知らない時代の生まれだし、初戦では加州に重傷を負わせてる』
新人審神者の登竜門、はじまりの刀の単騎出陣は重傷を前提としたものなのだが、この審神者はそれに納得していない。ひとの形をしたものが、己の指揮のせいで血塗れで帰ってきたとなれば責任を感じるのが人情というものだろう。今でもそれを引きずっているのだと、軽傷すらも嫌がる審神者は苦笑して言った。
ゆえに審神者は、刀剣男士を戦場に送り出す前に必ず見学期間を設けることとした。審神者の指揮能力を認め、その命令に従う価値があると判断するまで、戦場には出さない。とにもかくにも戦場に出たがる男士とは一悶着あったようだが、それでも審神者は譲らなかった。
このルールはもちろん豊前にも適用されている。
「主の指揮は的確だ。文句なんかねえよ」
「適当言ってないな?」
「言ってねえって」
実際、審神者の指揮能力は豊前の想像より遙かに優れていた。
血を嫌う傾向こそあるものの、傷を負ったから即座に退却と言うこともなければ、無傷だから深追いしろと言うこともなく。戦の流れと空気を読み切り、大将首のみを追い求めた。その手腕はこの本丸に仕える刀剣男士の誰もが一目置き、認めるほどの。豊前もまた「戦を知らない時代の生まれって嘘だろ」と思ったというのが本音だ。
素直にそう口に出せば、何だよそれ、と審神者はぴんと伸ばしていた背筋を少し緩めた。
「俺は武器を持つことすら制限される時代の生まれだよ。何なら取り締まる側だった」
「取り締まる側?」
「ああ、そういう仕事をしてたんだ。警察」
「けいさつ」
「悪いことしたやつを捕まえる仕事だな」
じゃあこれからは豊前にも出陣してもらうよ、と審神者は改めて文机に身体を向ける。何やら書き付け始めたのは出陣のスケジュールの組み直しだろうか。デジタルが発達した時代でも、審神者は変なところでアナログを好んでいた。
深い青のペンがさらさらと動くのを眺めながら、豊前は深い意味なく口を開く。
「主はずっと審神者だったわけじゃねーんだな」
「そうだな。俺が審神者になったのはわりと最近」
「そうなん? もう長いことやってるもんだと思ってたわ」
「まだまだ新米だよ」
たぶん新米って実力じゃねーよな、と豊前はこっそりと思う。が、口にはしない。この審神者はいたずらに持ち上げられることを好まない。
それにしても、と豊前はまた迷いなく動くペンの先をじっと見つめた。
「主は、……」
この審神者の意志の強さは生半可なものではない。縁の浅い豊前とて、それくらいは理解していた。
そんな主だからこそ、豊前の胸に浮かんだ疑問。
「何で、審神者になったんだ?」
豊前は「けいさつ」がどんなものなのか上手く想像できていないが、この真面目な頑固者のこと、おそらく相応の覚悟をもって職務に励んでいたことだろう。そんな彼が、容易く生き方を変える選択をするとは思えなかった。
ぴた、と青いペンが動きを止める。
「……そうだな、」
へにゃりと下がった眉。どこか情けなく笑った横顔。
審神者は、豊前の方を見ることなく口を開いた。
「宝物をなくしたくなかったんだ」
そんだけだよ、と青いペンが再び動く。
今は単騎出陣じゃなくなったんだっけ。良い事だと思います。