※雪菜視点のお話です。
入学式が終わり、夕方。
クラスが違うこともあり、有栖に声を掛けに行くのが少し気まずく思った私は「……もし方向が同じなら少し喋ったりしてもいいかな」と思って香澄に声をかけたのだけれど、彼女は何やら一言二言発したかと思えば、勢いよく、逃げ出すように行ってしまった。
──どうしたものか。
やはり有栖の様子を見に行こうか。
……けれど、気づけば、私は1人であてもなくふらふらと道を歩いていた。
まあ、ちょうどいいといえばちょうどいいのか。
入学する前に事前に来るようなことも無かったから。
この辺りはあまりよく知らないし、時間としても、高校入学を機に一人暮らしを始めることにしたので……つまり、余裕はある。
適当に散策して、この辺りのことを少し知っておくのは、無駄なことではないはずだ。
……来る時にも通った道ではあるけれど、改めて。
個人の家が並んで固まっている様が、いかにも『住宅街』と言ったような雰囲気を感じる。他にあるものはコンビニくらいのようで、もし遊びに行くのなら、少しばかり歩く必要はありそうだ。
さて。
校門から少し歩いたら、十字路に出た。
──右に曲がってしばらくすれば、最寄りの駅とアパートに着く。
──正面は、よく知らない。
しばらく住宅街は続きそうだけれど、その先は、それなりに長めの上り坂になっているようで、ここからではあまりよく見えない。
──左側には、平たい景色が広がっているように見える。
いまいちよくは見えないけれど、ああいった景色を、きっと田園風景と呼ぶのだろう。まあ、今はまだ稲が植っていない時期だと思うので、行っても本当に何もなさそうだ。
……少し迷って、私は坂を登ることにした。
あえて暗示的というか、比喩的に考えるのであれば、きっと、なんとなく新しい刺激に飢えていたのだろう。
世界が広がっていくような、たくさんの未知と出会いたいような……そんな浮ついた感覚に、私はただ、もう少しだけ浸っていたかったのかも知れない。
大分歩いて、上りの傾斜が終わる頃には、その先の景色が一望できそうなところに出た。
背の高い建物、面積の大きい建物。
ショッピングモール、ホームセンター、飲食店の大手チェーン店。
そこは、駅前のいかにも『遊ぶ場所や時間を潰す場所が揃っている』といった感じの雰囲気とはまた違う、生活感を感じる、そんな栄え方をしていた。
──実際、大量の住宅が密集したような大規模な住宅街、と言うほどではないけれど、しかし、そこかしこに住宅をよく見かけるようだ。
ただ、この辺りの住宅は、どこか……よりモダンな雰囲気というか、コンパクトにまとまったような雰囲気を強く感じるので、比較的新しい建物が多いように思えた。
……特に、遊びたい気分だったわけはなく、歩きたくて歩いて来ただけだったので、こういう場所に出たのは、ちょうどよかったと言えるのかも知れない。
強いて言うなら、まっすぐこちらに来たわけではなく、あっちへふらふら、こっちへふらふらとのんびり歩いて来たため、日が少し沈んできているのが気になる、か。
──もう少しだけ歩いたら、帰ろうかな。
そう思いながら、私はまだ、ぼんやりと歩くことにした。
そうして、あと少しで日が沈み切る、といった頃。
そろそろ切り上げて帰らないといけないなあ、と少しばかり面倒な思いに駆られるそんな時間に、それを見つけた。
『カードショップ・ミラージュ』と書いてある、建物。
窓から煌々とした灯りが漏れているので、おそらく営業しているのだろう。
駐車場に止まっている車の数を見るに、そこまで活気があるというわけではなさそうなのも、今の私には惹かれるところだ。
少々顔が知られているので──特に『ファントムビルド』に関連するような場所ならなおさらだけれど……人が多すぎるようなところには、あまり行きたくない。
……とは言いつつも、別に少しくらいならまあいいか、というくらいのものなので、そこまで強い拒否感があるというわけでもないのだけれど。
──私は思い切って、扉を開けてみることにした。
扉に触れ、軽く押すと、からん、と、軽やかな音を立てて、それは開いた。
外観上は、建てられてからそれなりに年月は経過していそうに見えるけれど、いざ開けてみれば、軋むような感じもなくて。
扉の開き方も、スムーズなものだった。
しっかりと手入れがされている、ということだろうか。
内装も、白い壁には目立った汚れはなく、清潔感がある。
「いらっしゃいませ」
物静かそうな雰囲気はありつつも、確かな歓迎の意を感じる、優しげな声が響いた。
「いい場所を見つけた」というのが、まず最初の第一印象だった。
……しかし、次の瞬間には、私の視線は一箇所に釘付けになっていた。
そこには、見覚えのある顔があった。
──ああ、バイトがあったから急いで帰ったのね……なんて、そんな呑気な考えが浮かんだ次の瞬間、私は驚くべきものを見た。
私の視線の先、そこにいる少女──香澄の、その周り。
宙に浮かび、彼女の体を、くるり、と回る2つの物体。
……あるいは、幻影。
なぜここに香澄が、そして、なぜ彼女が『それ』を……。
予想だにしていなかったその光景に、思考に空白が発生する。
後から、どうして2体もいるのか、という疑問も追加で湧いて来たけれど。
それは、間違いようもなく、『カードの精霊』と呼ばれるものだった。
『カードの精霊』というのは、一握りのソーサラーが生み出したカードに宿る、意思ある詳細不明の存在、とでも言うべきものだ。
意思はあるものの実体はないので、触れることはできないけれど、それは確かにそこにいる。
どういう条件で宿るのかはわかっていないが、傾向として、少なくとも、デッキに『レジェンダリー』と呼ばれるカードが含まれる場合にしかそれが宿った前例はない。
あとは、その姿形が、そのデッキの『レジェンダリー』のカードを思わせるものであること、『カードの精霊』を宿していると、いわゆる『引きが強くなる』ことが、今のところ報告されている。
しかし、具体的なところよりも、今最も大切なのは、香澄が『カードの精霊』を連れていることだ。
……つまりそれは、彼女がデッキを有している──つまりはソーサラーである証左と言える。
彼女はしかし、まるでそれらが見えていないかのように、迷いなく。
まっすぐと、こちらを、その漆のような真っ黒な目で見据えてきていた。
その真横で、燃える炎のような、見ているだけで焼け焦げそうな鮮烈な赤い目をした、ご機嫌そうな『精霊』が、口を動かした。
私は、特に読唇術みたいな技術は有していないけれど、それが何と言ってきていたかは、簡単に読み取ることができた。
それは、『は・じ・め・ま・し・て』という6文字、すなわち、「初めまして」とだけ私に伝えると、その場でくるりと一回転して、香澄の頭の後ろにその姿を隠してしまった。
ハッと息を呑んで、改めて彼女──香澄を見る。
……その頭の上には、深海を思わせるような、暗く底の見えない青い目をした『精霊』が、踊り疲れたとばかりにだらりと体を乗っけていたが、こちらに意識を向けているような様子もないので、それは、一旦無視をする。
香澄は、何も言わずに、試すようにただこちらを見ていた。
私も対抗して、さりげなく自分の肩の上辺りに、銀色の竜のような、私の『カードの精霊』を呼び出してみたけれど、まるで興味がないとばかりに、一切、反応を示さない。
その静かな気迫に、少しばかり気圧されるような感覚があったけれど、何故だか、ここで退いたらもう2度と前に進めないような気がしたので、足の震えを抑えつけて、無理やり前へと進んだ。
気を抜けば勝手に足が踵を返して逃げ出しそうな、そんなプレッシャーを感じながら、それでもどうにか進み続け、そして、ようやく彼女の目の前に立った。
彼女は、まるで彫刻のように微動だにせず。
何かを待っているように、沈黙を貫いている。
彼女が何を待っているのかは、分かりきっている。
……だから、そんな彼女に、私は、思い切って、声をかけた。