3話 交錯あるいはただのすれ違い
積もっていた雪が溶け、路面の氷が姿を消した、春。
……桜はまだまだ蕾を開いてないけれど、雪解け水に反射する朝の日差しが、やたらと眩しい。
出会いと別れの季節と呼ばれる春の、きっと出会いに当たる部分。
入学式に出席するため、私……湖織雪菜は、真新しい制服を着て、これから3年間を過ごすことになるであろう校舎へと、足を運んでいた。
──『玄想学院高等学校』。
これが、今日から私の通う、新しい学校だった。
強いソーサラーが集まる、私立の強豪校として有名で、私も、この学校に通うことを目標にこれまで活動してきたといっても過言ではない。
……いや、どうだろう。
私はそんな風に何かを思い描きながら今日この日までを生きてきたのだろうか。
自信がなかった。確証もなくて、自分の中にあったはずの何かが、ぽっかりと抜け落ちてしまったかのような寒々しさだけが、そこにあった。
私は彼女の……有栖のライバルなんて名乗って、よく突っかかっていたっけ。
『全国大会』の決勝戦で決着を付けようなんて約束して、準決勝で無様を晒して、気まずくって顔を合わせてすらいません……なんて。
我がことながら、馬鹿みたいで笑える話だ。
そのくせ、この前こっそり様子を見に行って、それで姿すら見せずに帰ってきたのだから、きっともうどうしようもない。
……井の中の蛙大海を知らず、なんてよく言うけれど。
いざ海に放り出された蛙は、もがきながら沈んでいくのだろう。
もしそうであるのなら、ひっそりと静かにその生涯を終えるまでの間、井戸の中で微睡んでいた方が、幸せだとは言えないだろうか。
つい数ヶ月前の私が聞いたら迷いなく頬を張るであろう、軟弱な考えばかりが滔々と浮かんでくる。
わかっている。私は、きっと怖いのだ。
あの刺し穿つような、二つの鋭い赤色が、脳裏に焼き付いて離れない。
最初に見た時は、眉を顰めたのをよく覚えている。
ふざけたやつだと思ったし、どうせすぐに消えるだろうとか思ってた。
……けれど、そうはならなかった。
彼女はまるで、自分以外は全て『自分という主役の引き立て役』であるかのように、観衆へと見せ付けるかのように、次から次へと薙ぎ払っていった。
彼女にとっては楽しいショーだったのかもしれないけれど、それは紛れもない虐殺ショーの光景で、振り返ってみれば、それらはまるで公開処刑のようだった。
口の先では「盛り上げよう」だとか言っていた彼女だったけれど、その目はまるで何も映していないかのようで。
言ってしまえば、気味が悪かった。
……なんて。
けれど、仕方がない部分はあるのだろう。
彼女は周囲と隔絶していた。
対等なはずのバトルが、一方的なリンチになってしまうのであれば、それはきっと弱い方に責がある。
少なくとも、以前の私はそう言い切っていたはずだし、今の私もその考えは変わっていない。
ならば、1番に私が恐れているのは、自分自身の弱さなのだろう。
驕りがあったのは事実なのだ。胡座をかいていたのも、いい加減に認めざるを得ない。先があることが示されていると言うのに、虚構にしがみついて前に進まないなんて、度し難いまでの愚か者だ。
……だと言うのに。
私は結局、あの日から何も変われないままで、今日この日を迎えてしまった。
彼女──『マジカル☆スピカ』はこの学校にいるのだろうか。
あるいは、別な学校へ進学したのだろうか。それとも、まだ中学生なのか。
プロとして活動を始めたのなら……既にその情報は広まっているだろうから、きっとないだろう。
彼女の情報について、わかっていることは少ない。
きっと、知っている人は知っているのだろう。
少なくとも、あの大会はちゃんと個人情報と照らし合わせて、中学生であることを示さなければ参加資格は得られない。
であれば大会関係者の一部は間違いなく知っているはずだし、彼女自身の身近な人だって知っているだろう。
『本人が名前を隠したがっているのなら、過度にそれを暴こうとするべきではない』。
これはソーサラーがどうこうとかカードが云々以前に、人としてそうあるべきだと言う道徳であり、きっと最も普遍的な価値観として根付いている考え方の一つである。
とは言え気になるものは気になるから、それとなく誘惑に駆られて軽く調べてしまう者はいる……というか私もその1人だけれど、現状まだ情報が広まっていないのだから、大したものだ。
もっとも、あの大会での優勝を狙っていた1人としては、ポッと出に横から掻っ攫われたようで気に入らない気持ちがないわけではないけれど、それこそお門違いと言うべきだ。
……教室に腰をかけ、ぼんやりと辺りを見渡す。
私と同じように、1人でいる者もいれば、既に友達を作ったのか、あるいは同じ学校の出身か何かなのか、親しげに話している塊もちらほらと見かける。
もしも有栖が同じクラスであったなら、自分もああして話していたのだろうか。
あるいは……いや、それはないか。
あいつは、こっちが距離を取ろうとしてもあえて強引に距離を詰めてくるようなタイプだから。
結局なし崩し的に、また元の関係に引き戻されていたことだろう。
「あ、あの……」
不意に隣から声をかけられた。
隣にいたのは、いかにも気が弱そうで卑屈そうな子だった。
「……何かしら?」
私の口から、無愛想な、冷たい棘のある言葉が飛び出る。
私は、昔からこうだった。
常に刺々しくて、無意味といえるほどにいつも肩から力が抜けない、私のこの態度は、今にして思えば臆病さの証だったのかもしれない。
「えっと、あの、全国大会に出てた……湖織さん、ですか?」
いかにも勇気を出して声をかけてみました、とばかりの彼女の弱々しい黒い瞳が、私を見つめている。
あの大会は、それなりに知名度のある大会だった。
それに、ここは『ファントムビルド』で有名な学校である。
ともなれば、ここにいる彼女が、当時3位と言う成績を残した私のことを知っているのは、何も不思議なことはなかった。
改めて周りを見渡せば、確かにチラチラとこちらへと向けられる視線が、幾つも目につく。……注目を浴びるのは慣れているつもりだったけれど、今はどうにも、鬱陶しくて、居心地が悪い。
「そうよ」
私は、肯定の意を返す。
黒い瞳が、気圧されたかのように、ふいっと逸れる。
「……えっと、その」
どうにか会話を続けようとしているらしく、意味のない言葉、あるいは音が、零れ落ちる。
「すごく、強くて、かっこよかった……です。冷静で、静かで、それでいて……その……最後まで、勝ち筋を追っていて」
続いて聞こえてきたのは、彼女の……観客視点の言葉だった。
観客の声に耳を傾けたことはなかったので、少しばかり面食らったが、すぐに持ち直した。
「──結果としては、負けた。そう言う言葉は、勝者にかけてくれないかしら」
持ち直したと思ったのは錯覚だったらしく、自分で思っていた数倍、冷たい言葉が飛び出していってしまった。
吐いた言葉を掴んで捨てることができたなら、きっとすぐにでも握りしめてなかったことにしただろうけれど、そうはいかない。
八つ当たりにも限度があるだろう。
「……あぅ」
隣の席の彼女は、すっかり萎縮してしまっていた。
見ていられなくて周りを見渡してみれば、周りからも目を逸らされた。
……やっぱりダメだ。
ここのところ、何をやってもうまくいかない。
改めて、縮こまっている彼女へと視線を向け直す。
「……あんた、名前なんて言うの?」
実際に言葉にしてみると、まるで気まずさという感情が沈み込んだ水底に、頼りない、弱々しい紙切れか何かが投げ入れられたかのようにすら思えた。
「……香澄、って言います。苗字は、雲田、で……雲田香澄、です」
しかし、存外にもそれは向こう岸へと届いていたようで、より一層、弱々しい言葉が返ってきた。
……ふと、隣に座っていたのが、こういうやつでよかった、なんて思ってしまった。
少なくとも、あの『スピカ』みたいなやつじゃなくて、本当に良かった、と。
そんな私の、弱気な心の声から目を背けながら。
「そ、まあ……これからよろしくね」
私はどうにか、私自身の時計の針を進めていくことができそうな、そんな気がしていたのだった。