伽藍の刃   作:名無ッシング

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伽藍の刃

 深い海の底で揺蕩っている。溺れているわけではない。それどころか、ずっと前からそこにいたような安心感に少年は包まれていた。

 

 「母様……」

 

 ぽつりと呟いたその声は口の中だけで広がっていった。

 

 水面に近づくように辺りに光が差した。黒から紺へ、紺から蒼へ。同一化していた少年の姿が浮かび上がる。 ここは夢なのだ、自分はもうじき目覚めるのだ。

 

 ……母様。音は聞こえない。後ろを振り向くと、やはり、そこには何も無かった。辺りは青く照らされて、少年は夢から目覚めた。

 

***

 

 この世界には鬼と呼ばれる異形が存在する。その生態は西洋の小説に出てくる吸血鬼に酷似して太陽に弱く、夜に生き、人を食す。

 

 鬼は不死身だ。通常の攻撃では死ぬことは無い。しかし、対抗策はある。

 日輪刀と呼ばれるその刀で首を斬られた鬼は不死性を失い死ぬ。

 

 鬼を殺せる日輪刀。それを操り鬼を討伐する集団が鬼殺隊である。

 

***

 

 林の中を縫うようにして駆ける。呼吸を用いることで常人以上の速度で走れてはいるが、しかし、相手はそれ以上の速さで移動している。

 

 「このままだとジリ貧だな……!」

 

 互いの速度は5分が良いところだろう。直線距離なら追いつくことも容易い。そう判断は出来ながらもこのような体たらくなのは土地によるものが一番大きい。

 

 「gyagyagya!この地で儂に挑んだのは愚策だったな、童!だがしつこい、しつこいぞ。野犬のようなしつこさよのう!」

 「逃げている割に随分と偉そうな奴だッ」

 「戦略的撤退だ、馬鹿めッ」

 

 視線の先には一体の鬼。目に着くのはその長い腕と全身を覆う赤褐色の体毛。まさに猿。奴はその両椀を用いて木々を跳ねるようにして進んでいく。対してこちらは地上。長い草木と無数の木々。足場も視界も相当に悪い。

 先に一度切り捨ててしまったが倒れた木が進路の邪魔をするだけの結果に終わった。

 

 「無駄な体力を使いましたね七道。先程より速度が落ちていますよ七道。あ、こら、私に石を投げるんじゃありません七道」

 「名前を連呼するな嫌味か羽黒。アレを使えば容易い物を、型を使う事を強要したのはお前だろう。お陰でこうして追いかけをする羽目になっている」

 「責任転嫁はよしなさい七道。アレは身体共に悪影響を及ぼす、抑えが効かなくなっているのを自覚しなさい七道。貴方が追いすがっているのは只の鍛錬不足です七道。柱ならば一撃で仕留められた物を、首以外は効果が薄いと何故学ばないのですか七道。利便性ばかりに頼るからこういう事になるのです、反省しなさい七道。ほら、猿が逃げますよ、追いなさい七道」

 「……ッ明日の朝食が決まったな」

 

 空を飛びながら長々と嫌味を飛ばすのは鎹烏の羽黒。鎹烏というのは鬼殺隊士につけられる烏の事で主に伝令、索敵を担当するのだが、羽黒は故あってお目付けという形でお館様より渡された。只でさえ賢い鎹烏の中でも頭一つ抜けた知能を持つのだが、それを弁舌に割いているのはどうなのだろうか……

 

 大人しい妹の方への変更を真剣に考えながら、猿鬼を追跡し続ける。奴との距離は直線で凡そ300。開けた場所で再戦というのは難しいだろう。林を抜ける愚策を取るようには思えない、こちらが根を上げるのを狙っているのか。相手は完全に逃げに徹している。しかし、ここで逃がせば再度の発見は困難になる。

 依頼が来て既に10日。山に入ったものだけを狙っていたためか目撃者が少なく発見が遅れた。血鬼術は使わないようだが鉄のような体毛と流暢な言葉。既に多くの人間を食べているはずだ。

 この辺りは山が多く麓に根差した集落も同様だ。逃がせば他の集落での被害が出ることは目に見えている。

 ……ここで倒さねばならない。

 

 「羽黒、次で仕留める。どの地点なら跳べる。」

 「前方1km先に一点。そこでしたら。しかし、開けていると言っても高さはあります。おまけに飛び移れる枝など皆無。一度の跳躍で追いつく。貴方にいけますか、七道。」

 「問題ない」

 「……そうですか。あと念の為にいいますがアレは」

 「くどい。先の切込みでは浅かった。ならば次はより強くたたき切るだけのこと」

 「……相変わらずそればかりですね七道は。わかりました、タイミングはこちらに」

 

 今までより深く呼吸をする。心臓が強く脈打ち血が唸るように全身を回る。身体が置き換わっていく感覚。普通の呼吸とは異なる。鬼狩りが鬼を討つためのもう一つ。全集中と呼ばれるそれは肉体を活性化させ、異形を切り裂く膂力を手に入れる技だ。

 

 意識が沈む。標的を仕留めるための手順が脳裏に刻まれる。後は只それをなぞるだけだ。何も問題はない。焦点を合わせすぎないように気を付けながら、猿鬼の背を見てタイミングを測る。

 

 「全集中」

 「今ッ!!」

 「水の呼吸一の型水面切り」

 

 ***

 

 「……なんだこれは!」

 

 鬼は背後の気配が変わったことに気が付いた。だが振り向くことなど不可能だった。振り向いた時には斬られている。予感ではない、確実な未来が背後から近づいていることに恐怖した。

 

 恐怖。そう、恐怖はあったのだ始めから。奴に対面した時から。

 

 儂は何に恐怖した。目だ。あの目だ。あの目は儂を見ていなかった。否、儂の何かを見ていた。ボウとした表情は普段なら阿呆のようだと感じたかもしれない。しかし、それが無かった。奴は意図してそれを見ないようにしていた。

 

 だから分からなかった。儂が何に怯えていたかに。鬼狩りと戦うことはこれまでもあった。熟練した奴らは木々を足場にして飛び回ることも出来た。だが、そもそも人が乗れるような枝が存在しない竹林では、その技は通用しない。奇襲をしかけ、仕留め損なえば撤退する。それを繰り返して儂は今まで生きてきた。

 

 恐怖心が無かったわけではない。むしろその恐怖心のお陰で儂は今まで生きてこられた。

 

 しかし、これは違う。この童の目は今までと違う。水底に沈むような根源的な恐怖。それは、殺される過程ではなく……死そのもの!

 

 「追いついた」

 

 後ろで声が聞こえ振り返る。この距離を跳躍した。そのことへの驚きは視界に広がる蒼に打ち消され、逆さの視界の中でようやっと斬られたことに気づいた。

 

 見るな、儂を見るな。その目で、忌々しいその瞳で!

 

 声にならない叫びの中、意識は灰のように燃え尽きていった。

 

***

 

 「人をバケモノのように見るな化物が」

 

 地面に降り立ち鞘へ刀をしまう。首を斬られた猿鬼は落下し、灰となって消えた。

 血も身体の一部ということだろうか。油が刀につかないのは手入れが楽で有難い。

 

 今回の戦いで随分と酷使してしまった。呼吸との相性が悪いせいか、どうしても力任せに振るってしまう。水の呼吸の利点をつぶしている気がする。

 別の呼吸に変えた方が良いのだろうか。でも、折角教わったものだし、あの人には感謝しているし……

 

 「ご苦労様です七道。私は報告に行きますので今日一日は休むように」

 「ああ、わかった。それと合図助かった。」

 「いえ、それが私の仕事ですので七道。貴方の視力が満足に使えないことをお館様は理解しておられます。しかし、やはり不便ですね。止まったものや遠くのものはさっぱりなのでしょう?いっそ目を瞑って戦ったらどうですか七道」

 「無茶を言うな。俺は岩柱ではないし、そもそも視覚を削って戦うのに慣れるまでどれほどかかる。」

 「そうですか……仕方ないですね。後、最後に目を使いかけましたね七道」

 

 ジト目、瞼は無いのだがそう感じる、を向ける羽黒に、う…、と唸る。いや仕方ないだろう。集中すると開きやすいのだ。しかし、そんなことを言ったところで言い負かされるだけだ。やれ鍛錬がならないとか、作ったものを壊したのだから相応の罰なのですだとか……

 

 こと舌戦で羽黒には勝てたためしが無い。鳥の癖に、鳥の癖に……

 

 「今、私を馬鹿にしまし「してないです」そうですか」

 

 随分と山の奥に来てしまった。あても無く走ったが帰れるだろうか。と、そういう時の羽黒さんである。

 

 「では羽黒、帰りを頼む」

 「いえ、私は報告がありますので」

 「……それはあんまりじゃないか」

 「これも訓練ですよ七道。それでは」

 「嘘だろッ!おい!煮込み鳥の事は無しにするから頼む!」

 「……何のことですか」

 

 墓穴掘ったか。

 

 「……はぁ。お喋りはこの辺にして、とりあえず麓まで戻りましょう」

 「案内してくれるのか?」

 「しなくてもいいのですか七道」

 「このとおりだ」

 「いや、頭下げられても困ります。しかし、治りませんね貴方の方向音痴。これだから帰巣本能が欠如した人間は駄目なんですよ」

 「そこまでいうか!?」

 「そこまで言います七道。いいですか七道。帝都から出られませんでしたなんてことにならないようにする為にもいい加減に治してくださらないと困りますよ七道。」

 「いや、流石にそんな事にはならないだろう」

 「いいえ、なります。建物に入って出たら自分がどちらから来たか分からなくなるのが貴方です。いい加減自覚してください。」

 「いや、自覚しているから頼っているんだろう?」

 「…………ゾーフィリア」

 「!?おい、なんだその不吉な単語は!?」

 「知らないです。早くついて来てください。おいていきますよ七道」

 

 羽黒と軽口を叩きながら下山する。ここ数日は仮眠ばかりで休息がとれていない。随分と身体が重く感じる。

 取りあえず集落に戻り、依頼主に報告して、食事をとって……

 

 次の依頼まで少しの余暇だ。少しでも体力を戻そう。そんなことを考えながら歩いていくと茅葺の屋根がポツリポツリと見え始めた。

 

***

 

 男が歩いていた。浴衣姿の青年は、けれど男にも女にも見えた。そしてその開かれた瞳は正に伽藍だった。

 

 「母様……」

 

 青年が呟く。ザリ、ザリ。草鞋が地面を擦る音だけが辺りに聞こえる

 

 「母様……」

 

 青年が呟く。ザリ、ザリ、ザリ、ザリ……

 

 風が吹き抜けて砂埃が舞う。そこに男はいなかった。ただ、赤く、赤い地面だけが広がっていた。

 

 何もいない、誰もいない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰も生きてはいなかった。

 「母様……なぜ居ないのですか。母様……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




猿鬼
長い四肢と赤い体毛が特徴。山間部を根城に活動していた。村などには出ないことや活動範囲が広い、目撃情報の少なさから報告が遅れていた鬼。
血鬼術は使えなかったが代わりに身体機能が高く体毛は鋼鉄のようであった。
一人称は儂。人の頃は山村の自衛団のようなものに携わっていた。
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