千紫進はまだ信じられなかった。
ペペロニアン王国を騙る謎のテロ組織如きに、あの中国やロシアが負けるとは……やはり信じられない。
でも、院長のあの目は嘘を言っている者の目ではなかった。
なら……
居ても立って居られず、千紫は病院の外に出た。
が、それがかえって千紫の混乱を助長した。
「……ここは……どこだ……」
千紫の目の前に広がるのは、マンションとショッピングモールと森林公園が合体したかの様な吹き抜けの建物内であった。
「この建物の名称は?」
「居住用アニアーラです」
「……この国の名称は?」
このやり取りで医師達は確信した。
千紫が西暦時代からやって来てしまった非現実的過ぎる迷子である事を。
「気が済んだら、1度病室に戻りましょうか」
謎の病院からの脱走を諦めた千紫は、医師達に促される様に病室に戻った。
千紫を病院に連れ戻した院長は、現状をどの様に説明すれば良いのかが解らなかった。
と言うか、千紫がどうやってここまで辿り着けたのかが全く解らなかった。
「改めて訊きますが……貴方の生年月日は本当に昭和63年1月1日……なんですね」
千紫もどう答えたら良いのか解らなかった。
「……そうですけど」
「で、貴方はまだ……令和の中にいる……んですよね?」
「……この国の年号は?」
「アニアーラ歴80年です」
「その『あにあーら』とは?」
「現在我々がいる……箱舟型巨大人工衛星です」
「人工衛星!?ここか!?」
だが、千紫は少し納得した。
「……だからか?この病院から見える夜景に違和感を感じたのは?」
つまり、千紫が見たのは夜景ではなく宇宙だったのだ。
「で、あんたらは何時地球に帰るんだ?」
院長は溜息を吐きながら答えた。
「それはありません。理論上は8000人が25年間暮らせるそうですから」
「25年後!?」
千紫は驚きを隠せなかった。
宇宙飛行士が25年間も人工衛星内で暮らすなんて聞いた事が無いからだ。
そして、医師達が千紫の正体を知って驚きを隠せない理由も判明した。
彼らの中では、西暦は既に終わって今はアニアーラ歴の中で生きているのだ。
「……そんなSF映画の世界になんで俺が?」
「それはこっちが訊きたいですよ!何時このアニアーラ0702号に移住したんですか!?」
「702号!?こんな巨大ショッピングモール風マンションみたいな人工衛星が700以上も在るって言うのか!?」
院長は、改めて千紫にこの世界の現状を説明する事の難しさを理解してしまった……
最早日本に戻る方法が無いと悟った千紫は、例の病院に戻ってこの時代の現状を訊ねた。
「で、中国とロシアが負けたと言ったな?」
「はい……どこからお話したら良いものか……」
院長は色々とまとめてからこの世界の歴史を話し始めた。
事の発端は、アインヘリヤルと言う宇宙開発用デザインベビーの開発に成功してしまった事であった。
宇宙開発促進を期待されたアインヘリヤルは、宇宙ステーションに酸素を安定的に供給する藻類農場システムを発達させ、まるで1つの街の様な箱舟型巨大人工衛星アニアーラの量産化に漕ぎ着けた。
だが、一般人の中にアインヘリヤルに逆恨み的な嫉妬の念を抱く者が現れ始め、国連、特に常任理事国への浸食は凄まじく、遂にはアインヘリヤルの駆除・掃討を目的に設立された国連軍の特殊部隊『多国籍連盟軍』の誕生を促してしまったのである。
千紫はこの時点で嫌な予感がした。
多国籍連盟軍がとんでもない間違いを犯したのではないかと。
「まさか……本来平和と秩序を護る為に存在する核兵器を!?」
院長は辛そうに首を横に振った。
「その……まさかですよ」
多国籍連盟軍のアインヘリヤル駆除は過剰かつ陰惨で、優先特権を盾にした非人道的作戦を多数遂行していた。
その中でも特に有名なのが、『悪夢のホワイトデー』と呼ばれる核爆発である。
アニアーラ歴79年3月14日、菜園や養殖を目的に製造されたアニアーラ群『ヴィーンゴールヴ』に向けて核ミサイルを発射し壊滅させてしまったのである。
「いやあぁーーーーーー!」
千紫はこの事実が嘘であってくれと願った。
千紫は核武装こそが日本の防衛に必要不可欠だと過剰に過信していたからだ。
「核兵器は本来、国を、国民を、そして平和を護る為の盾の筈だ!それを何故!?」
多国籍連盟軍の逆恨み的兵糧攻めの為だけに邪な形に歪められた核抑止力の哀れな姿に泣き崩れそうになる千紫に対し、既に核抑止力に平和を生み出す力は無いと悟っていた医師達は、ボソッと小言を言ってしまった。
「核抑止力が吐いた嘘に未だに騙されているなんて……やはり貴方は未だに西暦の中なんですね……」
だが、千紫がこの世界で生きていく為にも、この世界の歴史を正しく伝える必要がある。
無情な話ではあるが……
多国籍連盟軍設立によりアニアーラ群の自治権が無力化するのではないかと恐れた政治学者のハーコン・エイリークソンは、アニアーラ群を国家として認めさせる為の組織『ペペロニアン合衆議会』を設立し国連との根気強い交渉を行い続けたが、その時点で既に国連上層部は多国籍連盟軍のシンパと化しており、ハーコンの訴えに耳を傾ける地球人は少なかった。
その後、ハーコンは志半ばで病死し、ハーコンが行っていた交渉はハーラル・ギッレが引き継ぐも多国籍連盟軍の頑迷な反アインヘリヤル主義を巧みな話術だけで崩すのは不可能と判断し、ハーラルはペペロニアン王国建国を強行して初代国王となったのである。
千紫の息は荒く肩で息をする状態だった。
「核抑止力を過信していた貴方には辛い事でしょうが、これが多国籍連盟軍の核攻撃が作ってしまった真実です」
本当に辛そうにしている千紫の様子を診て、院長は質問した。
「もし、これ以上聞きたくないのであれば、我々は口を閉じますが、いかがいたします?」
だが、千紫にはそれが出来ない切実な理由がある。
確かにペペロニアン王国が中国やロシアを敵に回す大義名分が十分にある事が解った。
だが……いや、だからこそこの先を知る必要があるのだ。
もしかしたら……日本も多国籍連盟軍の仲間と見做されてペペロニアン王国の攻撃を受けてる可能性だってあるのだから。
千紫は……覚悟を決めて質問する。
「で……そのペペロニアン王国がどうやって中国やロシアに勝ったんだ?そして、日本はどこまで攻め込まれている?」
その質問に対し、院長は少し無言になって考えてから、結果を後回しにして順序を追って説明した。
ペペロニアン王国建国を強行したまでは良かったが、国連、もとい多国籍連盟軍がそれを認める筈も無く、それに業を煮やしたペペロニアン王国第1王子『ファフニール・ギッレ』は多国籍連盟軍への宣戦布告ともとれる演説を行い……実際にペペロニアン王国軍はそれを実行した。
アニアーラ歴79年5月4日。月面都市ミェーシツに侵攻を開始したペペロニアン王国は様々な新兵器を投入して下馬評を完全に覆した。
その1つが、ペペロニアン王国が密かに開発・量産していた人型多目的戦車。通称モビルスーツの存在である。
ペペロニアン王国初の量産型MS『ベーオウルフ』は、多国籍連盟軍の主力戦闘機や主力艦艇を圧倒!
特に後に『赤い高速』と呼ばれる事になるエースパイロット『ジョニー・トランボ』による護衛艦6隻沈没は、ミェーシツ攻防戦から9ヶ月が経過した今でも語り草となっている。
だが、多国籍連盟軍を最も驚かせ、そして困らせた新兵器はモビルスーツではなかった。
月面都市ミェーシツを奪取したペペロニアン王国は、悪夢のホワイトデーと呼ばれ語られたヴィーンゴールヴの核爆発への返礼とばかりに、ミェーシツに有ったマスドライバーを使って反核兵器兵器『AAE(Anti Atomkraft Enhet:アンチ アトムクラフト エンヘット)』を大量に地球に撃ち込んだのである。
これにより、核兵器を完全に失った多国籍連盟軍にペペロニアン王国の地球侵攻作戦を止める手立ては無く、現地に居た多国籍連盟軍地上部隊の抵抗虚しく、ペペロニアン王国軍地上部隊は中国全土、ロシア全土、ハワイ諸島全域に立て籠もり、国連に対して各アニアーラ群の自治権獲得を認める事を要求したのである。
「あのロシアはともかく……あの中国があんなヘンテコな名前の国に技術面で先を越される日が来ようとはな……慢心したか?」
「にもかかわらず、例の立て籠もりが9ヶ月目に突入してもなお、多国籍連盟軍はペペロニアン王国を国家扱いしないと頑迷に表明し続けてますよ」
千紫は……既に多国籍連盟軍の末路への興味を完全に失っており、千紫にとって最も重要な事を質問した。
「で、日本はどうなった?」
それに対する医師達の答えは、千紫にとって予想外過ぎるものだった。
「なにもされておりませんが。それが何か?」
疑り深い千紫は素直に喜べなかった。
(日本が無事?中国やロシアに勝利する程の軍事力を持つペペロニアン王国が今の日本如きすら侵攻出来ない?どう言う事だ?この時代の日本は遂に……いや、それでは中国やロシアがペペロニアン王国に負けた理由と矛盾する……意味が解らんぞ!?)
そんな千紫の考え込みを視て、医師達はペペロニアン王国の品性と民度を疑っていると感じた。
「つまり、貴方はペペロニアン王国を全く信用していないと?」
そして……
千紫は当ても無いのに病院から怒って出て行った。
その怒りは、その場に居合わせた通行人達を恐怖させる程であった。
その理由は、医師達が語った『日本がペペロニアン王国に侵攻されていない理由』であった。
「あいつらが保証した!?」
「はい。ペペロニアン王国は、月面都市ミェーシツ征圧の際、多国籍連盟軍に加盟していない国々に対し、秘密裏に密談交渉を行っており―――」
その言葉に千紫は激怒した!
「まさか……信じたのか!?侵略者共の口から出まかせな嘘を!」
千紫は本気でこの世界の日本の判断に落胆・幻滅した!
「あんな嘘に騙されて、侵略者の前で武器を捨てたと言うのか!?馬鹿なのかこの時代の日本人は!?」
そんな千紫の激怒を聴いた医師の1人がカチンときた。
「では何か……勝ち目の無い戦いを無理して行って、出さなくて良い重症患者を悪戯に激増させろと言うのか!?」
それに対し、千紫も反論する。
「ふざけるな!侵略者の前で武器を捨てると言う事は、全てを捨てる事と同義だ!」
「それは……そう……勝ち目だ。勝機を用意してから言え!」
「冗談じゃない!勝ち目が無いと言う理由だけで、祖国を捨てて敵国に頭を下げろって言うのか!」
「命が惜しくないのか!?死んだら―――」
「おい」
院長に服を引っ張られるが、やはり千紫の好戦的かつ主戦的な意見に対する怒りが収まらない。
「院長……やはり言わせてください。この脳外科や精神外科を受診すべきこの患者は、病院にとって戦争がどれだけ迷惑か、まるで解っていない」
対し、千紫は世間知らずの馬鹿だと判断した。
「何言ってるの?祖国を踏みつぶす事しか知らぬ侵略者に向かって、『ここは病院だから攻撃するな』と言うのか?おめでたい馬鹿も、ここまでくると重症を通り越して致命傷だな」
更に口論はヒートアップする。
「ふざけるな!戦火に焼かれ、銃撃に斬り裂かれた重症患者が、次々と湯水の様に病院に雪崩れ込むんだぞ!その面倒を診るのは、誰だと思っている!?」
「敵国から祖国を護る為の必要悪だ。その程度の傷くらい、名誉の勲章だと思え」
「そんな戯言はまだ生きている連中の特権だ!病院に雪崩れ込む事すら叶わず、戦場に捨てられた遺体に対して、同じ事が言えるかぁー!?」
「その言葉、そっくりそのまま貴様に還すよ馬鹿者が。今の台詞、祖国を護って名誉の戦死を遂げた英霊達のへの……侮辱の言葉だ」
そう言い切ると、千紫は立ち上がり、
「どこへ行く?」
「これ以上話しても無駄だ。特に……そこの戦争の必要性がまるで解っていない馬鹿とはな」
千紫と激しく口論した医師が悔しそうに歯噛みした。
「後、これだけはハッキリ言っておく」
「ん?」
「敵国に日本を滅ぼせと命令する為に偽りの降伏をした今の日本人達を……好かぬ」
そう言って、千紫はこの病院から立ち去ったのであった。
設定紹介
●アニアーラ
宇宙での居住区や養殖所の役目を担う箱舟型巨大人工衛星。
船内の酸素は藻類農場システムにより安定的に供給。8000人が25年間生活出来るとされており、大量生産に成功した事で宇宙に居住区を生成出来る様になった。だが、量産化成功の経緯が新たな戦争の火種となってしまった……
●アニアーラ歴
アニアーラの量産化に成功してから何年後かを表す数字。この数字を頻繁に数えられる事になった事で、徐々に西暦が廃れる事になってしまった。
●アインヘリヤル
宇宙開発用デザインベビー。
宇宙開発用を想定して心身改良されて生み出された故に、それ以外からの嫉妬の念を抱かれ、その事が多国籍連盟軍設立の原因になってしまう。
●悪夢のホワイトデー
多国籍連盟軍が行ったアニアーラへの核攻撃。
牧場アニアーラ群『ヴィーンゴールヴ』が、多国籍連盟軍が発射した核ミサイルにより多数大破した事件。アニアーラ歴79年3月14日の出来事であった。
●ペペロニアン王国
多国籍連盟軍と対立しているアニアーラ群の総称。
元々はハーコン・エイリークソンが自治権を求めて樹立した合衆議会だったが、多国籍連盟軍の許可を得られず、ハーコンが急死してハーラル・ギッレが国王に即位する。それ以降も多国籍連盟軍に自治権を認められなかった為、各アニアーラ群の自治権獲得とアインヘリヤルの人権保護を訴える事を目的とした軍事衝突を実行した。ただ、条約や中立などについては律儀で馬鹿真面目であり、それを利用して戦火から逃れようとした国家が多発し、多国籍連盟軍の悩みの種となった。
●史上最悪のゴールデンウィーク
アニアーラ歴79年5月4日、ペペロニアン王国が多国籍連盟軍に宣戦布告した。
宣戦布告演説終了直後、ペペロニアン王国軍は月面都市ミェーシツに侵攻しつつ、軌道衛星上からの砲撃によって地球内の核兵器無力化を図った。その結果、地球上の全原子力発電所は使用不能となり、深刻なエネルギー危機が発生した。
●AAE
ペペロニアン王国が開発した核兵器対抗措置(Anti Atomkraft Enhet:アンチ アトムクラフト エンヘット)の略。人工的に強力なデジタル電波を発生させて原子力を無効化する装置。これにより、多国籍連盟軍は核兵器使用不可能となり、ペペロニアン王国軍の量産型MSが地上を蹂躙する事態を許し、地上でのミリタリーバランスが一変してしまった。
●ポッ・ション
性別:男性。
千紫進が異世界転移直後に入院した病院に勤務する医師。熱血漢な激情家で、重症患者を意図的に激増させる戦争を迷惑視している事もあってか、軍隊や軍事基地の必要性には懐疑的かつ猜疑的。