『魑魅魍魎が跋扈する』と噂の玄武宮でのんびり暮らしていたら、皇帝陛下が『後宮のお悩み相談係になれ』と無茶振りしてきた件 作:ケロ王
「どういうことですか?」
日記をわずか一ページ見ただけの昭が発した言葉に、月麗は非難めいた視線を浴びせながら尋ねる。昭は彼女の問いかけに一瞬だけ不思議そうに眉を顰めるも、理由を察したようで、すぐに表情を明るくして日記を開いて指を差す。
「これは一見すると何の変哲もない日記のように見えるのじゃが、文書官にしかわからぬ暗号になっておるのじゃ」
「……それは知ってますが」
「知っているなら、解読は容易いはず。内容から察して、この日が問題の日だろうが、天気が雨になっておるだろう。これで一目瞭然じゃな」
その答えを聞いて、今度は月麗の方が逆に眉を顰める。
「天気の雨、というのは、哀しみを表していると聞きましたが……」
「なんなのだ、その出まかせは。いったい誰が――お前か」
昭の話の途中で一斉に全員の視線が丹陽に向く。それで察したのか、昭が大きなため息を吐いた。
「本当に後宮で文書官をしていたことがあるのか?」
「後宮ではないが宮廷で文書官をしていたことがあるから、暗号のことは知っている!」
「分かっておらんな。後宮で使われる暗号は少し違う。特に天気は最たるものじゃ」
後宮には後宮独自の暗号の使い方がある、ということを聞いても、そこまで月麗に驚きはなかった。だが、詩塔は違ったようで、食い気味に訊ねる。
「ぐ、具体的に、どう違うんですか!」
「ふむ……。まず天気は感情ではなく不満のこと。哀しみや憂鬱といった不満は曇、怒りの不満は雷で表すのじゃ」
「では、雨は?」
「欲求不満じゃ。水気が身体の中に溜まっており、劣情の火気を押し流すようにあふれ出す様を表しておる」
「「「……」」」
昭が悪いわけではないのだが、あまりに酷いこじつけに全員がジト目で睨む。
「う、嘘ではないぞ! 傘もしかりだ。欲求不満を受け止める役目の侍女という意味を持っておる」
「無駄に筋が通っているのが余計に納得いかないわ」
「くそっ、なんでじゃ!」
「そんな役目の侍女がいるなんて聞いたことないわ」
「そりゃ、大っぴらにはしないからの」
言い合いを続ける二人に割って入るように、詩塔が申し訳なさそうに手を挙げた。少しだけ顔も赤くなっていて、まるで昭の言っていることが正しいかのように月麗には見えた。
「えっと、陽雅様には、たぶん、いらっしゃいます……お気に入りの侍女が」
「ほらほら、言った通りじゃろ?」
「ぐぬぬ、丹陽に似て態度が腹立たしいわね……」
月麗は顎に手を当てて、顎をわずかに引き、テーブルの上を見つめる。視線の先にはお茶と茶菓が置かれていたが、彼女の意識に上ることはない。
「やはり、琉花は香英に殺されたということで間違いないようね。理由は彼女の欲求不満のはけ口にされた結果か、あるいは、その要求を拒否して逆上されたか……」
「そんなことで琉花は殺されたんですか!」
「落ち着け。憤懣やるかたない気持ちはわかるが、今は真実の究明が先だろう。その拳を振るうのは全てが終わってからでも遅くはあるまい」
月麗の呟きに詩塔が激昂するも、慶佑が引き止めて落ち着かせる。
「それより、これからどうするんだ?」
「もちろん、琉花に事実を伝えるだけでしょ」
「それは……」
「迷っていても仕方ない。先に進まなきゃ、琉花も解放できないからね」
「そ、そうですね! 行きましょう!」
残酷な事実を伝えねばならないことに詩塔が躊躇うが、月麗の言葉によって覚悟を決め、詩塔を先頭に琉花の下へと向かう。
「ずいぶん立派な墓だな」
「当たり前でしょ。色々と尽くしてくれたんだから、これくらいしてあげなきゃ」
月麗たちの目の前にある大きな三つの墓。背後にはひと際高い山、前方には井戸、山の左右には連なるように小さい丘。
「これは、四神相応か?」
「道士なら当然でしょう。もちろん、方角も完全に南向きになっているわ」
彼女たちの墓の風水は完璧な優良地となっていた。玄武宮の限られた土地を使って人工的に作られた小規模なものなので、自然発生したものには及ばないが十分なものだ。
「その南に流れている小川も内側に大きく湾曲するように作ってあるわ」
「た、確かに……」
ダメ押しとばかりに墓に向かって気が流れ込むように川を引いている。月麗の言葉で気付いた丹陽も絶句していた。似非道士で術も一つしか習得していないとはいえ、座学における努力は行っていることがうかがえる。
「さて、ここで夜を待ちましょう。寝起きの彼女に事実を突きつけるのは気が引けるけど、ここなら逃げ場はないわ」
こうして、月麗たちは琉花が目覚める夜まで彼女の遺体の近くで待機することにした。
「ん……」
日が落ちてキョンシーたちが目覚める。琉花も同様に目覚めているが、その動きは普段に比べて鈍い。先日、月麗たちに暴言を放って逃げ帰ってきた負い目と自分らしくない言動に対する後悔から、彼女の身体は鎖で雁字搦めにされているようだった。
「今日は、どうしよう……行かないと、いけない、のに、身体が、重い……」
のそのそと立ち上がった彼女の前に、月麗を始めとした面々が立ち塞がるように囲んでいた。
「今日はお休みで構わないわよ。それより、ここでお話をしましょう」
「ん……わかった……」
話の内容については気付いているものの、琉花はイヤな予感に駆られ、さらに身体が重く感じて、その場にへたり込んだ。しかし、本当にわずかな時間のこと――。
「まず、琉花の死の原因は前玄武妃である劉香英よ」
「そ、そんなことない! あの方は私に良くして――」
先日の話の蒸し返しに琉花の心が騒めく。すでに死んでいる身にも関わらず、腸がひっくり返されるような例えようのない不快感に苛まれて、怒りで勢いよく立ち上がったものの、すぐに膝をついてしまった。
「あの方は、私たちに、良くしてくれた! 中でも、私には! 色々なものを、くれたし、強欲と、言われてたけど、実際は、そんな人じゃ、なかった!」
キョンシーとなって、言葉を発するのが難しくなっていた琉花だったが、身体の内から絞り出すように反論の言葉を紡いでいく。
「彼女は侍女に色々なものを与えていたことは知っているわ。でも、それは彼女にとって人形だからに過ぎないの。彼女は確かに強欲だった。でも、それが彼女の持ち物に適用されるはずはないわ」
「香英が与えていたのは、人形を飾り付けるため。どうせ、外の人間と会う時にはつけないように言われていたのよね?」
月麗に続いて、詩塔が人形であったという事実を補強する。詩塔は下賜していたことを外部の人間が知らなかったことから推理したものだが、琉花にとっては彼女の言葉が事実であると分かっている。
「普通の妃なら自己主張のために見せびらかすもの。だけど、そうしなかったのは琉花が彼女だけが愛でるための人形だったからよ」
「そんな、違う、違う……あの方は、私に、いつも、笑顔で……あの時も……」
さらに追い打ちをかける詩塔に、琉花は頭を抱えて悶え苦しむ。否定するための材料を頭の中から引きずり出すように、跪いて言葉を絞り出していく。
「あの時だって――」
「待って、詩塔。この先は私が言うわ」
止めとなる言葉を突きつけようとした詩塔を月麗が止める。親友である彼女は琉花に対する最後の拠り所となる人間。これ以上、彼女に琉花を追い詰めさせるわけにはいかない。もちろん、このような内容の話を慶佑が丹陽に言わせるのは論外だろう。
だからこそ、ここから先、彼女の心に止めを刺すのは月麗しかいない。
「あの時の笑顔、本当にいつもと同じだったのかしら?」
「それは、どういう……」
「その時の笑顔は欲望に歪んでいたのでしょう?」
「……ッッッ!」
突き付けられた事実に、琉花は頭を掻きむしりながら苦しそうに悶える。彼女の振る舞いが、突きつけられた事実が正しいことを物語っていた。
「琉花が殺された日、香英はあなたを欲望のはけ口にしようとした。そうでしょう?」
「ううっ、それは……私には詩塔が。でも、香英様は私に……応えなければ、だけど……」
琉花の口から出た『詩塔』の名前。それで月麗は全てを理解した。
「琉花、あなたは香英の要求を拒否した。それは詩塔に懸想していたからよ。でも、彼女は人形が逆らうのを絶対に許さない。役に立たない人形と断じられて、そのまま彼女の手によって殺された。違う?」
「ううう、うああああ!」
彼女は一層、苦しそうにのたうち回る。香英が侍女に施した洗脳は、まるで呪いのように死後も彼女を縛り付けていた。
「琉花……」
「ち、違う、違う、違う、違う! 私は、役立たず、なんかじゃない! 私を、惑わすのは、敵、敵、敵! そう、排除、しなければ!」
心配して見守る詩塔に気付かないほど、うわごとのように叫び声を上げる。立ち上がり、彼女を追い詰めた月麗に、その剛腕を振るった。