『魑魅魍魎が跋扈する』と噂の玄武宮でのんびり暮らしていたら、皇帝陛下が『後宮のお悩み相談係になれ』と無茶振りしてきた件 作:ケロ王
月麗は慶佑に案内されて、青龍宮へと向かう。あらかじめ侍女の服に着替えてはいるものの、特徴的な銀色の髪と深紅の瞳は周囲の人間の目を引くには十分なものだった。
「あまり変装した意味がないのでは?」
周囲の奇異に満ちた視線を浴びながら、月麗は呆れて肩を竦める。建前としては侍女なので、敵意を向けられないことだけが唯一の救いだった。
「だからと言って、玄武妃として来れるわけないだろう。一応は正妃の座を競うライバルだからな」
「私は別に競っていないんですけど……」
暗に月麗も正妃候補だと慶佑は言ったつもりだったが、凋落して正妃になる可能性はないと思っている彼女にはまったく響いていなかった。
「競っても競わなくても関係ない。俺は実力で選ぶ男だからな」
「それは皇帝陛下ですからね。陛下が選ばれれば誰も文句は言いませんよ」
自分で決めるという慶佑の強い言葉にも、月麗はあっさりと首肯する。その様子はまるっきり他人事のようであった。しかし、『文句を言わない』対象に自分が含まれているとは、この時の彼女には知る由もなかった。
「ここから先が青龍宮だ。大丈夫だとは思うが油断するなよ」
「心配ご無用です」
慶佑が、門の近くに控えていた侍女に話しかける。皇帝が来たことに驚いていたが、青龍妃・王陽雅《ワン・ヤンヤー》の見舞いに来たことを伝えると、すぐに話を通しに行ってくれた。
「だ、大丈夫だそうです。こ、こちらへどうぞ!」
侍女に連れられて青龍宮の中心へと案内される。比較対象とするのはどうかと思うが、寂れ果てた玄武宮と比べると、比較にならないほど華美な光景だった。
「全体的に赤とか金で少し目が痛い……」
「このくらいなら抑え目だと思うがな」
「くっ、なんか格の差を見せつけられたようで腹が立つわ。侍女の数も比較にならないし……」
月麗としては僻んでいるつもりはないが、玄武宮とのあまりの差に打ちひしがれた気分になる。
「あまり気にするな。何とかするために、ここに来たのだろう?」
「そうは言いますけどね。実際に見せつけれられるとしんどいものがあるんですよ」
「月麗にも、対面を気にするだけの心は残っていたのだな」
「むむぅ、失礼な!」
他愛もない会話をしながら、歩いていくと陽雅の寝所へとたどり着いた。
「こちらでは青龍妃殿下がお休みになっております。立ち入りされませぬよう」
しかし、二人の前に彼女の侍医である臣遠志《チェン・ユアンチー》が立ち塞がった。
「臣先生、こちら皇帝陛下と、その従者の……」
「月《ユエ》と申します。多少、医術をたしなんでおります」
月麗はとっさに月という偽名を使った。その偽名に慶佑は目を丸くしながら、月麗に耳打ちをする。
「おい、そんな偽名でいいのか? ほとんど変わっていないじゃないか!」
「いいんですよ。逆にこういう偽名にしないと、名前呼ばれたときに反応できないかもしれないじゃないですか」
全く違う名前の方がバレにくいと思われがちだが、名前を不意に呼ばれたときに反応できなくて逆にバレる可能性がある。
「ふん、そんなガキに医術が分かるのか?」
「歳を重ねても分からない方もいらっしゃいますからね」
遠志の嫌味に月麗は皮肉を込めて返す。月麗の意図を理解して、こめかみに青筋を立てながら、彼は態度を頑なにしてしまった。
「皇帝陛下であろうとダメだ。感染症かもしれないからな」
「俺は構わない」
「そういう問題じゃねえよ。陛下にうつったら、俺たちの命がヤバいんだよ。わかるだろ?」
「お嬢――殿下のために命を落とすならまだしも、陛下のために命を落とすつもりはねえからな!」
頑なな遠志の態度に慶佑の目つきが鋭くなる。絶大な権力を持つ彼に逆らうことは命を捨てるようなもの。それでも彼は一歩も引く素振りを見せなかった。
「全然ダメだ!」
月麗は遠志を睨みつけながらはっきりと断ずる。
「何も知らないくせに、ガキが偉そうなことを言うな!」
「ふん、知ってるに決まっている。不忠を働くお前よりはな」
「なんだと! 俺の殿下への忠誠心を疑うつもりか?」
やはり分かっていない。そう思いながら、月麗は呆れと苛立ちの混ざった目で遠志を指差した。
「あなたは何も分かっていない。医を志す者なら、忠を尽くすのは主ではなく、命に対して尽くすべきでしょう!」
「そんな……俺は……」
心当たりがあるのか、月麗の言葉に遠志はあからさまに動揺する。しかし、彼女は手を緩めるどころか畳みかけるように追い詰める。
「普通の人間であれば、確かにあなたの行いは忠臣のものでしょう。ですが、自分であれ、他人であれ、命を蔑ろにすることは医者として不忠以外の何物でもありません!」
月麗の言葉が彼の心に届いたのだろう。地面に両手をついて、声を上げて泣き始めた。周りの人間は、そんな彼を憐れんだ目で見下ろしている――月麗以外だが。
「感傷に浸ってる暇があったら、さっさと私たちを中に案内しなさい!」
月麗は怒りの形相で彼の側に腰を下ろすと、彼の頭を掴んで強引に上向かせた。青龍妃は今も病に苦しんでいて、一刻も早く処置をしなければならない状況だと月麗は考えていた。
「こ、こちらでございます……」
「いくら何でも、扱いが酷いんじゃないか?」
「先ほども申し上げましたが、医者は命に忠誠を誓うんです。私がまだ診察していない状況を考えれば、暢気に感傷に浸っている暇などあるわけないでしょう? 場合によっては手遅れになる可能性だってあるんですからね」
非難するような慶佑の主張を、バッサリと切り捨てて、遠志の案内に従って奥へと進んでいく。
「だが、彼の様子から察するに、そこまで危機的状況ではないと思うのだが」
「信用できるわけないでしょう。病状を悪化させた挙句に診察妨害までしてきた医者の言うことなど、誰が信用するというのです」
月麗の強すぎる言葉に、遠志だけでなく慶佑まで押し黙る。普段であればフォローをするであろう彼女だが、一刻を争うかもしれない状況に、そんなことをしている余裕などなかった。