『魑魅魍魎が跋扈する』と噂の玄武宮でのんびり暮らしていたら、皇帝陛下が『後宮のお悩み相談係になれ』と無茶振りしてきた件 作:ケロ王
「こちらでございます」
遠志に促されて入った部屋は香の煙が充満していて、息苦しさを感じるほどだ。
「ごほっ、ごほっ。何ですか、これは……」
「こちらは呪いを浄化すると言われている清浄香というお香でございます」
陽雅が横たわっている寝具の周りにはいくつもの香炉が置かれ、それら全てからモクモクと煙が立ち上っている。呪いということにするために香を焚いているのだろうけど、月麗から見てもさすがにやりすぎだと感じるほどだった。
「これでは良くなるものも悪くなりますよ……。ホントに最低の医者ですね。無能なんですか? それとも悪辣なんですか?」
喉の痛みを堪えながら、月麗は遠志を責め立てる。その声に気付いたのか、陽雅が横たわったまま視線を月麗の方へと向けた。
「これは陛下、お見苦しいところをお見せ……。あなたはッッ!」
慶佑が見舞いに来たと思って薄っすらと微笑みを浮かべる陽雅だったが、その隣にいた月麗に視線を移し、目を瞬かせる。すぐに状況を把握した彼女は、目を吊り上げて月麗を怒鳴りつけた。
「な、何しに来たのですか! 今朝、可也が戻って来るなり『逃げても逃げてもニワトリがいるんですぅぅぅ』って喚いていたのですよ!」
「ああ、やっぱり鶏舎に迷い込んだんですね。大丈夫です。あそこはニワトリを飼っているだけなので死ぬことはありません。ニワトリは卵や肉は食べられますし、骨はダシに使えますし、フンは肥料に使える優れものなんですよ!」
昨日、玄武宮にやってきた侍女の一人は青龍宮の侍女のようだったらしく、月麗の予想通り鶏舎に迷い込んでいた。安心させるために大丈夫であることを伝えてみたものの、陽雅の苛立ちは治まる気配がない。
「そもそも鶏舎に迷い込むなんて普通にありえません! 一体、何をしたんですか!」
「えっと、ニワトリが逃げないように陣を張ってるんですよ。鶏舎を建てるのは大変ですけど、陣なら石を並べるだけで作れますからね。彼女はニワトリ用の入口から入っちゃたんですよ」
道術が使える月麗にとっては、そちらの方が楽だからというだけの話なのだが、陽雅には通用しないようで、さらに目が吊り上がっていく。
「そんなわけないでしょう! どうせ私の侍女を酷い目に遭わせるための罠だったのでしょうが! 今度は私も酷い目に遭わせようって魂胆なんでしょう!」
「罠じゃないですけど、ニワトリいましたよね。それから今日は診察に来ただけです。陛下に頼まれてね」
信じられないような表情で月麗と慶佑を交互に見る。慶佑が頷いたことで、察したのかため息をついて渋々という様子で月麗を見つめる。
「わかりました。お願いします」
「では、始めますね」
月麗は陽雅の側で屈むと、脈を測ったり、手足を触診して、病状を特定していく。
「心拍が不安定なようです。おそらく動悸によるものでしょう。それから手足――特に足がむくんでいるようです。これが水毒――体の一部に不正に水気が蓄積された状態です」
「それでは……。最初の見立て通りということか?」
月麗の説明を聞いた慶佑の問いかけに、ゆっくりと頷く。しかし、その表情はこれまでになく固かった。
「はい、間違いなく脚気です」
「治療はできるのか?」
「はい、今なら投薬と食養法だけで、すぐに改善するでしょう」
「それだけでいいの?」
「はい、脚気は正しくない食事によって、体内の気のバランスが崩れることによる病です。投薬もありますが、食養法が重要になります。最初は投薬を併用して、一週間もすれば食養法だけで十分となるでしょう」
月麗の説明を聞いた陽雅は治療の目処が立ったことに安堵して胸を撫で下ろし、ニッコリと微笑んだ。月麗の笑顔が蒲公英のようなものだとすると、彼女の笑顔は蘭のような優雅さがある。
「ありがとうございます。助かりました。この御恩は忘れませんわ」
「お気になさらず。それはそうと、あなたにはもう少し詳しく話を聞かないといけませんね」
月麗は部屋の隅の方でじっとしている遠志を見やると、ビクッと震えて唇を震わせた。
「普通、侍医がついていて脚気に掛かることなんてないはずなんですよ。なのに、彼女は脚気に掛かっていた。なぜですか?」
「そ、それは……」
「ま、待ってください!」
月麗が遠志を問い詰めていると、一人の侍女が飛び込んできた。
「臣先生は悪くありません。本来なら、私たちがお諫めするべきだったのです!」
彼女の言葉を聞いた月麗は、頭のなかで状況を組み立てていく。まず、陽雅が食事について強く注文を付けた。それを侍女は断れずに注文通りに出した。侍医の遠志は侍女を庇うために彼女の容態を隠した。そんなところだろう。
「そうね。だけど、一番の原因は自分の我儘を押し通した陽雅じゃないの?」
「わが、まま……?」
我儘という言葉に、陽雅が首を傾げながらつぶやく。月麗の言葉が陽雅を責めているように感じたのか、侍女が月麗の前に立ち塞がる。
「お、お嬢様は悪くありません!」
「でも、私の言ったことは事実でしょう?」
「……ですが、それでもお嬢様は悪くありません!」
遠志に続いて侍女の頑なな態度には月麗も驚きを隠せない。ここまで身を挺して庇うということは、陽雅が彼女たちの信頼を得ているということ。逆に陽雅は我儘を言うような傲慢な人間ではないことでもある。
「わかったわ。安心して、別に責めているわけじゃないの。私は事実が知りたいだけよ。ちゃんと話してもらえるかしら?」
「……わかりました」
陽雅を責めているわけではないことを強調しつつ説得すると、意外にもあっさりと話すことを受け入れてくれた。
「お嬢様の様子が時々おかしくなるようになったのは、ちょうど一年ほど前です。特に食事に関して、甘いものを好むようになりました」
「一年前……」
侍女の言葉に心当たりがあるのか、陽雅は反芻するようにつぶやく。
「最初は一週間に一度くらいだったのが、徐々に短くなっていきました。いつ、おかしくなるか分からないため、おかしくなってもいいようなメニューが中心になっていきました」
「それで、最近はあんな食事ばかりだったのですね」
「はい、俺も何とかしようとしたのですが、解決の目処が立つより先に侍女が危険にさらされることが多くなって……。それで俺がお嬢様を最後まで看取って、全ての罪を被ろうと……」
遠志の言い分は分からなくもない。だが、それは医者でなければの話。医者ならば主人に叱られようとも正しさを貫くべきだった。
しかし、それ以上に月麗の心に引っかかったのが彼女の急変についてだった。この急変に関しては呪いの可能性も十分に考えられる。一方で、ストレスによる可能性を否定することも現状では難しい。
「仕方ありません。これを差し上げます」
左腕に掛けていた五色の糸で編まれた腕輪を外して、陽雅の目の前に差し出す。五色の糸は木火土金水の五行を表している。
「こちらは呪いを一度だけ防ぐお守りでございます。呪いを受けると腕輪が切れるようになっておりますので、常に身に着けておいてください」
「こんなものまで頂いてもよろしいのですか?」
「呪いと決まったわけではありません。そもそも呪いは簡単に掛けられるものではありませんから」
陽雅が腕輪を付けて嬉しそうにしている。その姿が微笑ましく見えるのも彼女の人徳のなす業だろう。月麗だけでなく侍女や遠志も彼女に見惚れていた。
「ここまでしていただけるなんて、感謝に堪えません。この借りはいつかお返しいたしますわ」
「気にしなくていいですよ。どうせ呪いなんて迷信ですから。その腕輪もそうそう切れないでしょう」
「たとえ効果が無かったとしても、その心遣いだけでありがたいですわ。陛下が心を奪われるのも納得ですね」
「むっ……それは!」
陽雅がクスクスと笑いながら慶佑を揶揄うと、彼は顔を真っ赤にしてジト目で睨みつける。その様子を見て、陽雅はさらにクスクスと笑うのだった。