光の教室   作:漆黒のロボ

3 / 8
光の教室3

 

第三章 また、教室で

 

八月の終わり。蝉の声が少しずつ遠ざかり、夜には涼しい風が窓から吹き込んでくるようになっていた。

 

遥は、自分の中に起きた“変化”をまだうまく言葉にできずにいた。

けれど、佐伯先生との手紙のやりとりは、まるで繭のように彼女の心を包んでいた。

 

外の世界に出てもいいのかもしれない。

そう思えるようになったのは、ある一通の手紙のおかげだった。

 

 

---

 

> 遥さんへ

 

今日は、生徒たちに「自分にとって大切な言葉」をひとつずつ発表してもらいました。

 

ある生徒が言ったのは——「自分のペースでいいよ」という言葉でした。

 

僕も、君にその言葉を贈ります。

 

新学期が始まるけれど、君のペースで歩いてきてくれたら、それでいい。

 

君が歩き出したそのとき、僕は、ちゃんとそこにいます。

 

——佐伯

 

 

 

 

---

 

遥は、窓を少しだけ開けて、風を受けながら手紙を読み終えた。

 

「……自分の、ペースで……」

 

呟いてみると、その言葉はとても静かで、でも温かかった。

 

翌日、彼女は制服に袖を通した。

 

鏡の中の自分は、少し髪が伸びていて、少し大人びて見えた。

呼吸を整える。心臓の音を聞く。怖くないわけじゃない。でも、もう一度、歩き出したいと思った。

 

母の驚いた表情を横目に、遥は玄関のドアを開けた。

 

蝉の声の残り香の中、彼女の足音が、久しぶりにアスファルトを叩いた。

 

 

---

 

始業式の朝。佐伯は、いつも通り教室で生徒たちを迎えていた。

 

「おはようございまーす!」

 

「うわー、久しぶりに教室の匂い……くさっ!」

 

生徒たちの声が戻ってきていた。教室に、また日常が戻り始めていた。

 

そして——

 

扉が静かに開いた。

 

「……おはようございます」

 

その声に、佐伯は振り返った。

教室の後ろ、窓際の席。

そこに、遥が立っていた。

 

髪を短く切り揃えた彼女は、教科書を胸に抱えていた。顔は少しこわばっていたが、目はまっすぐ前を向いていた。

 

ざわ……と、教室の空気が一瞬だけ揺れた。

 

遥は、静かに席に向かって歩き始めた。

誰も何も言わない。けれど、その沈黙が彼女にはいちばん怖いものだった。

 

「……おかえり、工藤さん」

 

佐伯が言った。

 

その言葉が、まるで合図だったように、クラスの数人が顔を上げた。

 

「……あ、久しぶり」

 

「元気だった?」

 

男子生徒が、少し照れくさそうに声をかける。女子たちもちらちらと視線を送り、ある子が小さく笑った。

 

「席、ここだよ。机、ちゃんとあるから」

 

遥は、胸の中で何かがほどける音を聞いた。

 

怖さも、緊張も、全部なくなったわけじゃない。

でも、今この瞬間、少しだけ「戻ってきてよかった」と思えた。

 

座った自分の机の上には、夏休みの課題プリントと、折り紙で作られた小さな鶴が置かれていた。

 

そして、一枚のメモが添えられていた。

 

> 「がんばらなくていいから、また話そう」——佐伯

 

 

 

遥は、小さく笑った。

 

 

---

 

教室の窓の外では、季節がひとつ変わろうとしていた。

 

けれど、教室の中には、これから始まる小さな再出発が、静かに息づいていた。

 

 

---

 

→第四章へ続く

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。