ロストメモリィ   作:Y.West

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想い

 夏休みを目前にした教室は、どこか浮ついた空気に包まれていた。

 高校生となって初めての中間考査の結果発表も終わり、それぞれの成績に一喜一憂しながらも、迫り来る長期休暇への期待に胸を膨らませているのだろう。夏休みに何をしようかと話す声があちこちで聞こえる。おれも例に漏れず、解放感に満たされていた。成績は可もなく不可もなくといったところで、特段喜ぶべき要素もなかったが。そんなことより、全く別のことで頭がいっぱいだった。

 

 おれの隣に、早苗が居る。彼女のことを想うだけで、他のことはすべて霞んでしまっていた。

 

 守矢神社で早苗に全てを打ち明けて、彼女がそれを受け入れてくれて。それから一ヶ月近くが経っていた。あれから、二人で過ごす時間が増えた。もちろん毎日というわけにはいかなかったが、それでも、ずっと近くに早苗を感じていた。晴れている日の朝は、早起きして守矢神社まで自転車を走らせ、そこから早苗と一緒に歩いて登校をした。下校時はちょっとした寄り道をしたり、陽が落ちるまで守矢神社の社務所で話したり。休日は、神社の裏を登った先にある湖――おれが早苗に“告白”をした場所だ――の畔を並んで散歩したり。ただ隣に早苗が居てくれるだけで幸せだった。些細な触れ合いが愛おしくて、それだけで心が満たされた。そして夜が更けたら、電話越しに早苗の声を聞いた。眠るまでの僅かな時間を共有するのが、日課になっていた。

 学校という場においては、おれたちは極力、以前と同じように接するようにしていた。早苗とおれが恋仲にあることは、誰にも教えていなかった。というより、教える必要がないと思っていた。わざわざ公言して注目を集めるのも憚られたし、そもそもおれ自身がそういうことを得意とする人間ではなかった。それに、周囲に知られることで早苗に迷惑がかかってしまったらどうしよう、という不安もあった。宮沢の言葉が耳に残っていたせいもあるだろう。ただ、秘密の関係が続くのもまた、どこかもどかしく思う自分が居たのも事実だった。

 

 そんな日々を送るうち、ふとした瞬間に、早苗との未来について考えるようになった。夏休みは何をしようか。どんな思い出を作りたいか。早苗の両親に会ったら、どうしようか。来年は、その先は――――。早苗と過ごすこれからの時間が、楽しみで仕方がなかった。同時に、早苗を失うことへの恐れも生まれていた。興味本位で調べてしまったことだが、初恋の人と結ばれる確率は極めて低く、それこそ奇跡と呼んでも差し支えないことらしい。それでも、早苗がおれの前から居なくなってしまうことを想像するだけで、胸が締め付けられるようだった。可能性すらも認めたくはない。だから、この時がずっと続けばいいのに、と心の底から願わずにはいられなかった。

 

 終業式を終え、担任の挨拶も済んだ放課後。待ちに待った夏休みを迎えて、帰り支度を始める生徒たちで賑わう教室の中。おれと早苗は人目を避けて話せる場所を探し、廊下の端に移動していた。おれは鞄からプリントを取り出して眺めてはいたものの、内容は頭に入ってこない。視界の隅で揺れる早苗の髪にばかり、気を取られていた。

 早苗もどこか落ち着かない様子で、ちらちらとおれの顔を窺っている。会話はなくとも、その空間に漂う空気は特別だった。お互いに何かを言い出すのを待っているような、そんな気配。

 そんな沈黙を破るようにして聞こえてきた足音が一つ。誰かが近付いてくる気配に顔を上げると、そこに立っていたのは宮沢だった。彼は一瞬だけおれと早苗の顔を見て視線を彷徨わせたあと、深呼吸を一つしてから口を開いた。その表情には僅かに緊張の色が見え隠れしている。

 

「ここに居たのか」

 

 宮沢はばつが悪そうな笑顔を浮かべている。その顔を見て思う。面と向かって言葉を交わすのは、あの日――彼から早苗に近付かない方がいいと忠告された日以来である。それ以降も宮沢がおれを避けるような態度を取るのもあり、話す機会がなかっただけだ。別に険悪な関係になっているわけでもなかったので、おれは特に気にすることもなく過ごしていたが……今になって改めて声をかけてくるなんて珍しいこともあるものだと思っていると、早苗が小さく会釈をした。それにつられておれも軽く頭を下げると、宮沢はどこか遠慮がちに言葉を続けた。

 

「急に声をかけてすまない」

「いや、別に。何か用か?」

「あぁ……お前ら、付き合ってたんだな」

「! ……まぁ、な」

 

 おれの言葉に、宮沢は少し視線を落とし、ぽつりと呟いた。

 

「知ってたよ」

 

 その言葉に、おれは思わず眉をひそめる。早苗も驚いたように宮沢を見つめていた。

 宮沢は自嘲するように薄く笑うと、続けた。

 

「最近のお前らを見ていれば分かるさ。明らかに距離が縮まってた……何より、東風谷の表情が違う。あんなに生き生きしてるのは、初めて見た」

 

 早苗の頬が微かに赤らむ。おれはというと、何となく気恥ずかしいような、それでいて宮沢に見抜かれていたことに対する納得感もあった。

 宮沢は一度言葉を切り、深呼吸をしてからおれたちに向き直った。その瞳には、どこか吹っ切れたような……それでいて少しだけ寂しそうな光が宿っていた。

 

「前に、東風谷に近付かない方がいいって言ったこと、覚えてるか?」

「ああ」

 

 おれは頷く。忘れられるはずもない。あの言葉は、確かに早苗からおれを遠ざけようとしているように聞こえた。

 宮沢は、意を決したように口を開いた。

 

「いつだったかな。放課後、お前と東風谷が一緒に帰ってるところを見ちゃってさ。東風谷は楽しそうな顔してるし……何だか、羨ましくなっちゃって。だからつい、あんなことを」

 

 呆然と、宮沢の独白を聞いていた。宮沢はおれの反応を伺いながら話を続ける。

 

「“祟り”なんてのは、俺の出任せだ。昔、東風谷を苛めてた奴らが怪我したり体を壊したりした、ってのは本当。誰かが、東風谷の家が神社で、そこのカミサマにやられたんだ、って言いだして。最初は俺も信じてたんだけど……そんな訳ないよな。でも、過去を知らないお前なら、ちょっとは本気にしてくれると思った」

「……」

「つまり、俺は……俺はさ。ああ言えば、お前が東風谷と関わるのをやめるだろうって。……結局、ただの嫉妬だよ。馬鹿だよな」

 

 宮沢の顔には、苦悩の色が滲んでいるように見えた。

 おれはと言えば、言葉を探すのに精一杯だった。おれにとって早苗は、もう何よりも大切な人だ。実のところ、あの日の宮沢の言葉のお蔭で、今があると言ってもいいのだが――それはそれとして、やはり面白くはない。

 

「俺、東風谷のことが好きだったんだ。小学校の時からずっと。あいつに苛めっ子を近付けないようにとかしてたら、いつの間にか相談相手みたいになってさ。家が神社ってのも何か特別に感じて、それが嬉しかったっていうか。中学に上がってからは、苛めなんてガキみたいなことはなくなって……話す機会も減った。高校に入って……偶然一緒で、もしかしたら、って思ったんだ」

 

 宮沢はそこまで話すと苦笑いを浮かべた。そして再び真剣な眼差しになって言葉を続ける。

 

「そんな時だよ、お前が来たのは。最初は何とも思わなかったんだけど……東風谷がお前と一緒に居るのを見て。なんで俺じゃないんだよって」

 

 彼は大きく溜息をつくと頭を抱え込むようにして呟いた。

 それを聞いて、胸の中で黒いものが燻っているのに気付く。怒りにも似た感情。この期に及んで何を今さら言っているんだと詰ってやりたい衝動に駆られる。

 だが――ここで感情的になったところで意味がないことは明らかだった。おれは努めて平静を保とうとする。ここで声を荒げれば早苗に迷惑をかけることになってしまうかもしれない。それだけは避けなければならない。おれはゆっくりと息を吸ってから口を開いた。

 

「おれがどうこう言える話じゃないんだろうけど。でも――」

 

 言い淀むおれの言葉を引き継ぐようにして、早苗が口を開いた。

 

「宮沢くんが、私に好意を寄せてくれていたことは知っていました」

 

 意外な早苗の言葉に、宮沢は驚いた顔で彼女を見る。おれも同様に。早苗は静かに続けた。

 

「小学生の時、宮沢くんが守ってくれていたことも。そのことは、今でも感謝しています。でも……私が選んだのは、光くんなんです」

 

 早苗の言葉には迷いがなかった。揺るがない意思のようなものを感じた。彼女の真っ直ぐな眼差しを受け止めて、宮沢は諦めたように肩を落とした。

 

「……ああ分かってるよ。分かってるさ」

 

 彼は弱々しく笑ってみせる。

 

「秋津」

「何だ?」

「東風谷を泣かせてみろ。そん時は俺がお前をぶっ殺してやるから」

 

 そして軽く手を挙げると踵を返した。

 

「邪魔して悪かった。……じゃあな」

 

 その背中を見送ることしかできなかった。宮沢の言葉が頭の中で渦巻いている。胸の奥に重い塊がつかえているようだった。

 早苗は何かを考え込むように俯いた後、隠すように、おれの手をそっと取った。その手は、微かに震えているように感じられた。――違う。震えているのは、おれの方だった。

 彼女は小さく微笑むと、口を開いた。

 

「帰りましょうか。これから、夏休みですよ」

「……そうだな」

 

 おれたちは黙ったまま歩き始めた。早苗の歩幅に合わせるようにして歩く道すがら、存在を確かめるように彼女の手を握る。早苗も同じように握り返してくる。胸の奥にはまだ形容しがたい感情が沈んでいるが、今はただ、この温もりを感じていればそれで良いと思った。

 最早いつもの帰り道。離れたくなかった。少しでも永く、早苗と一緒に居たかった。だからこそ、踏み出す足はいつもより遅くなりがちで。けれども彼女を困らせたくないからと、虚勢を張るように歩いてみせる。ほとんど会話はなく。時折視線が絡み合っては微笑み合う。その度に、胸の奥で疼く感情は言葉にならずに消えていった。早苗の手を引いて歩くだけで、どこか救われる気がした。

 

 神社に着く。着いてしまう。社務所の前で足を止めると、早苗がおれの方を振り返った。

 

「光くん」

 

 おれの名を呼ぶ声。彼女を抱きしめる。抵抗はなく、ただ静かに受け入れてくれた。胸の奥底から溢れてくる、愛情が抑えられなくなるような感覚。暫しの間、抱擁を交わす。互いの体温を感じ合い、呼吸の音すら聞こえるような距離で。

 ゆっくりと腕を解くと、早苗が顔を上げる。その瞳には様々な感情が入り混じっていて。でも一番強く感じられたのは、おれのことを想ってくれている気持ちだと思った。彼女は穏やかに微笑んで、おれの胸に顔を埋めた。

 

「もう少しだけ、このままでいさせてください」

 

 早苗の温もりを腕に感じながら、おれはそっと彼女の髪に頬を寄せた。夏の暑さとは異なる、穏やかで心地よい温度が肌を伝ってくる。

 蝉の声だけが響く境内。人気のない守矢神社の境内は、世界から隔絶されたような静寂に包まれていた。ここだけが、時がゆっくり流れているかのように錯覚する。

 早苗はおれの胸に顔を預けたまま、小さな声で囁いた。

 

「宮沢くんのこと……気にしてますか?」

「……ああ」

 

 誤魔化すこともできたが、早苗には全てお見通しなのだろう。

 正直に答えた。もし、ここに居るのがおれでなく――宮沢だったら。そう思ってしまう。

 彼女の指先が、おれの制服の袖をきゅっと掴んだ。

 

「大丈夫です。過去のこと、なので」

「でも――」

「あなたが居てくれるから。私は、幸せです」

 

 早苗の言葉が、胸の奥に沁み込んでいく。彼女は顔を上げると、柔らかく微笑んだ。その表情を見て、迷いや葛藤が解けていく。早苗の頬に手を添え、親指の腹でそっと撫ぜる。彼女は瞼を閉じて、おれの掌に擦り寄るようにして甘えてくれた。そんな仕草さえ、堪らなく愛おしい。この時間が、ずっと続けばいいのに――そんな願いを込めて彼女を抱きしめる腕に力を込める。早苗もまた、同じように、おれの背中に回した手を強く握った。

 どれくらいそうしていただろうか。腕の中で大人しくしていた早苗が、身じろぎをする。そろそろ帰らないと。そんなふうに訴えかけてくる。そっと早苗を解放すると、彼女はおれの腕の中から抜け出して数歩先を行った。それからくるりと振り返る。

 

「大好きです、光くん」

 

 早苗は満面の笑みで言う。それは今まで見た中で、一番眩しい笑顔だった。彼女の笑みに釣られて、おれの表情も自然と綻ぶ。

 

「おれも大好きだよ。早苗」

「ふふっ。あとで電話しますね!」

「ああ。待ってる」

 

 軽く手を振りあってから、彼女は社務所に向かっていく。その後ろ姿を見送る。

 早苗は一度だけ立ち止まり振り返ると、控えめに手を振ってきた。おれも同じように振り返すと、彼女はまた歩き出す。その姿が社務所の扉の向こうに消えてから、おれは家路へと急いだ。

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