[壱]
爺さんの案内で、俺とミネアは、ヒルタンホテルの客室廊下を暫く進む。
ロビーと違い、木の床板が剥き出しで、飾りっ気のない客室廊下であった。
そんな廊下を暫く進むと、爺さんはとある部屋の前で立ち止まった。
そして扉を開け、俺達を手招きしたのである。
扉の向こうに足を踏み入れると、そこは6畳ほどの狭い部屋があった。
室内には2つのシングルベッドがあり、その1つには、苦しそうに横たわる若い男がいた。
歳は10代後半から20代前半といったところだろう。
黒髪のオカッパ頭の青年で、裾の長い緑色の軍服みたいな衣服を着ていた。どこかの兵士なのかもしれない。
身長は俺くらいで、そこそこのイケメン君であった。が、鼻水垂らして辛そうにしてるので、今はあまりその面影はない。
まぁそれはさておき、俺達が部屋に入ったところで、爺さんは扉を閉めた。
その音で目が冷めたのか、男は薄目を開け、口をわずかに動かした。
「ブ……サ……ア……サマが……」
意識が朦朧としてるのか、
何を喋っているのかよくわからない。
この爺さんに、なにか伝えたいことがあるのだろう。
爺さんは若い男に言った。
「病人は己の心配をしておればよい。そんなことより、薬を持っている旅人を連れてきたぞ」
そこで爺さんは俺に視線を向けた。
「では、よろしくお願いしますぞ」
「わかりました。ではまず、状態の確認をしますね」
というわけで、真紋式心霊医療の開始である。
俺は若い男に近づき、まずは頸動脈と手首を触れ、体温と脈拍を触診した。
それから、瞼を指で開いて瞳孔の確認をした後、服のボタンを外し、胸と腹部を触診したのである。
まぁこの辺は、医者と同じような意味合いの触診であった。
(触った感じだと体温は39度前後で、脈拍も速い。熱の影響で瞳孔も白くなってるな。……鼻水が緑色っぽいからウイルス性か細菌性の風邪かもしれない。胸部の霊気の流れを見る限り、肺炎の類はないみたいだ。脈拍も速いとはいえ、規則正しいし、今すぐにヤバいという病状でもなさそうだな。とりあえず、腹部に霊命気の秘紋を描いて、解熱に効果がある霊薬を調合するとしよう。それで、多分、大丈夫だろう)
と、そこで、ミネアが訊いてきた。
「ジュライさん……この方は相当悪いのですか? 色々と触って確認しておりましたが……」
「どうだろうね……まぁ悪いとは思うけど、今すぐに危ないというわけではないかな。たぶん、たちの悪い風邪にでもかかったんだろうね。さて……」
俺はそこで爺さんにお願いをした。
「今から霊薬の調合するけど、爺さんは水を汲んで持ってきてくれるか? なんなら飲料用として水筒一杯分くらい。薬の影響で、喉が渇くだろうから」
「わかった。持ってこよう。他はなにかいるかの?」
「皿のような器ってあります?」
爺さんは壁際に置いてある道具袋から、木製の皿を持ってきた。
「これで良いかの?」
「ああ、それで構わない」
俺は皿を受け取った。
「では、儂は水を汲んで来よう」
そして爺さんは、外へと出て行ったのである。
俺はそこで調合に取り掛かった。
道具袋から、霊薬が入った小さい筒を3つ取りだし、もらった皿に少しづつ注いだ。
ちなみに霊薬は3つとも粉末状のモノである。
そして、それらをゆっくりと手で混ぜ合わせ、一通り調合したところで、俺は結界を施すときに使うインク状の霊薬をだしたのである。
俺はソレに筆を浸すと、若い男の腹に、霊命気の秘紋の呪術式を描いた。
「ジュライさん……これは、一体何をなさってるんですか? 初めてみます」
ミネアは興味津々であった。
この手の術に興味があるのかもしれない。
「ああ、これか? この紋様は魔法陣みたいなもんなんだけど、これで、この男の霊体を一時的に操作して、病に対する抵抗力をあげるんだよ」
「そんなことが可能なんですか?」
「まぁ一晩くらいしか効果はないけどね。さて、こんなもんか」
秘紋を描き終えた俺は、次の作業に取り掛かった。
俺はそこで霊圧を上げると、描いた秘紋の一部分に指を当て、霊力をそこに送り込んだのだ。
するとその直後、秘紋は淡く光を放ったのである。
「え? 今、何をしたんですか?」
ミネアは少し驚いたのか、目を丸くしている。
「この紋様の効力を発動させたんだよ。さて、後は爺さんが水を持ってきたら、薬を最終調合して、それをこの男に飲ませれば終わりかな」
「ジュライさんは色んな知識を持っておいでなのですね……ちょっと私の中で整理が追い付かないです」
感心してそうな言い方だったので、俺は冗談ぽく訊いてみた。
「まぁね。もしかして、少し尊敬した?」
「ええ、まぁ……少しですけど」
ミネアはやや恥ずかしそうに、そう答えた。照れもあるのだろう。
どうやらミネアの中で、俺に対する評価は少し上がったのかもしれない。
エンドールでは、俺もきつく当たってしまった負い目があるので、良い兆候のようだ。
リバストの墓以降、ミネアも好意的に接してくれてるので、尚である。
「それはそうと、ジュライさん……今ちょっといいですか?」
「ン? 何?」
するとミネアは、壁際にある荷物を指さしたのである。
「あれ……あそこに置いてある帽子なんですけど」
「帽子?」
ミネアの指先を追うと、そこには緑色の長い帽子が置かれていた。
それはシェフの帽子並みに長く、正面には紋章と黒いつばがあった。
かなり珍しいタイプの帽子だが、同時に、どこかで見た事がある帽子でもあったのだ。
「あの帽子に描かれている紋章……あれ、サントハイム王家の紋章じゃないでしょうか。だとすると、この方はサントハイムに縁のある方なのかもしれません」
「あ!?……おいおい、マジかよ」
ミネアの指摘を聞き、俺は自分がとんでもない事をしてるのに気づいたのである。
(って事はコイツ……クリフトか? 帽子被ってないから全然わかんなかった。でも、今ので思い出したわ……クリフト発熱で、アリーナがパデキア取りに行くんだった。で、それをアリーナより先に、勇者が手に入れて、コイツ等が仲間になるんだ……ああ、俺、めっちゃ余計な事してるやん。今更、パデキアじゃないと治せないとは言いづらいしな……どうしよ。まぁでも、治療が奏効すれば、結果的には同じか。ただ単に、パデキアの必要性が薄れるというだけで……ン?)
などと考えていると、扉が開き、爺さんが姿を現した。
という事は、コイツがブライなのかもしれない。
どっちもゲームのイラストと違う格好なので、全然わからなかったところだ。
というか、手拭いを頭に巻いてなかったら、すぐにわかったろうに。
「水を汲んできたぞ。ン? こ、これは……」
爺さんはそこで男に駆け寄った。
そして俺が施した秘紋を凝視したのである。
程なくして、爺さんは俺に振り返る。
「これは……お主がやったのか?」
「ああ、そうだよ。今はこれで英気を養って、後は薬を調合して飲んでもらうだけだ。さ、始めるとしよう」――
その後、俺は調合した霊薬に水を入れてかき混ぜた後、この男の口に流し込んだ。
衣服を元に戻す頃には、男は静かに寝息を立て始めていた。
苦しそうな感じから、普通の呼吸に変わり始めたので、秘紋と薬が効いてきたのだろう。
というわけで、治療行為は終わったので、俺とミネアはお暇する事にした。
「さて、それじゃあ、霊薬治療は終わったので、これで俺達は失礼しますよ」
すると爺さんは呼び止めた。
「待たれよ。すまぬが……御仁は一体何者じゃ?」
「何者とは?」
爺さんは男をチラ見すると話を続けた。
「先程、この者の腹に何か魔法陣のようなモノを描いておったじゃろ。しかも、あれからは魔力を感じた。お主……ただの旅人ではあるまい」
「まぁそうかもしれませんね。ですが……貴方がたも、ただの旅人ではないのじゃないですか? そちらの壁にある帽子にはサントハイム王家の紋章が描かれてるみたいですけど」
すると爺さんは大きく息を吐き、頭から手拭いを取ったのである。
イラスト通りのヘアスタイルが姿を現した。
(つか、なんで手拭い取った? 三島○八風の禿頭晒す意味がわからん……)
とはいえ、この髪型を見るに、もうほぼ確定だろう。
「さよう……お主の言う通り、我等は共に、サントハイム王家に仕えし者じゃ。儂の名はブライと申す。そちらの者はクリフトと申す者じゃ」
俺とミネアは顔を見合わせた。
ミネアはそこで水晶玉を取り出し、何やら占いを始めた。
そして占い結果をブライに告げたのである。
「私は旅の占い師、ミネアと申します。私達は、天空の勇者に導かれた者達です。邪悪なるモノを倒すべく、旅をしております。そして……恐らく、貴方達も、導かれし者達だと思われます。貴方がた2人から、導きの光が見えますので……ですが、貴方がたの近くにもう1つの光が見えます」
ブライは大きく目を見開いた。
「天空の勇者じゃと……なんと、そうであったか。どおりで、只者ではない筈じゃ。しかし……という事は、もう1つの光とは、我等の主の事かもしれぬ」
ミネアは首を傾げた。
「どちらにおられるのですか?」
「それが実はの……儂等の制止も聞かずにソレッタへ向かったのは、サントハイムの姫君であるアリーナ様なのじゃ。なもんで、今はここにおらぬのじゃよ」――
[弐]
俺とミネアはフォルスの部屋に行き、ブライと話した内容を伝えた。
ちなみにフォルスの部屋にはシンシアもいた。
部屋の中で2人きりになって、一体何をしてたんだ、コイツ等! と思ったのは言うまでもない。
まぁとはいえ、フォルスは欲情剝き出しタイプじゃないから、たぶん、他愛無い会話をしていただけだろう。着衣の乱れもないから、そういう事はしてないはずだ。
逆に言えば、こういう事をすぐ考える俺の方がどうかしてるのかもしれない。
なれない土地で、だいぶ疲れが溜まってきてるみたいである。
荒んでゆく心が気になる今日この頃であった。
「――ということらしい。だから、そのアリーナ姫が帰ってきたら、旅に同行するかどうか決めるそうだ。で、ここからが問題なんだが……さっきブライという爺さんに、アリーナ姫を連れ戻してきてくれと言われたんだが、どうする?」
「え? 連れ戻すんですか?」
フォルスは少し嫌そうな表情になった。
まぁこれは仕方ない。
だが、お使いをこなしてこそのRPG主人公である。という観点から、俺はフォルスに告げたのである。
「この際だ。色々と見聞広める機会だし、アリーナ姫を連れ戻す為にソレッタに行ってみるのも良いかもしれないよ。ミネアも南に導きがあると言ってるし」
「それもそうですね。わかりました」――
その夜、俺は旅の仲間達と共に、ヒルタンホテルのバー兼レストランで食事をすることになった。
そこでホフマンとも合流し、まずは彼から一言挨拶があったのである。
「皆さん、今日はとても重大な発表があります。私は明日からヒルタン老人の元で修行を始める事になりました。これまで続けていた皆さんとの旅も、今日で最後になります。今までありがとうございました。それでなのですが、パトリシアと馬車は皆さんにお譲りしようと思います。これからもパトリシアをよろしくお願いしますね」
「え? それはありがたいのですが……良いのですか?」と、フォルス。
ホフマンは頷く。
「皆さんの事をパトリシアも気に入ってるんですよ。ですので、引き続きお使い頂けるなら、パトリシアも喜ぶと思います。馬車は自由にお使いください」
「そうですか。では大事に使わせていただきます」
なかなか太っ腹な決断である。
ホフマンは良い奴だ。
「俺は皆さんと出会う前、人を信じられず塞ぎ込む毎日でした。ですが、今は皆さんと旅をした事で、信じられる人も沢山いるんだという事がわかりました。これを糧に、今後は自分の夢を追いかけてみようと思います。今までありがとうございました」
皆、少し寂しそうな表情であった。
1週間程度の短い間だったが、心の通う旅の仲間だったようだ。
少し湿っぽい空気だったので、雰囲気を変えるとしよう。
というわけで、俺はそこで拍手をし、餞別の言葉を彼に贈る事にした。
「おめでとう、ホフマン君。これから先、君の未来は更に輝かしいモノとなると良いね。俺も陰ながら応援するよ。それにあたり、俺からも幾つか助言を君に贈りたいんだが、いいかな?」
「ありがとうございます、ジュライさん。貴方の言葉で夢を思い出したので、是非、助言を聞きたいです」
ホフマンはそう言って、人の良さそうな笑顔を俺に向けた。
少し罪悪感はあったが、俺は彼の為を思い、鬼に成ることにした。
「では、4つあるんだが、順番に行こうか。まず1つ目だが……人を安易に信じてはいけないという事だ。それと2つ目は……人は案外、簡単に裏切るという事だよ。今、2つを言ったが、とりあえず、これらはよく覚えておくようにね」
この場にいる全員が、【え?】って感じであった。
ホフマンは予想外の言葉だったのか、ちょっと困惑気味である。
「ジュライさん、えっと……それはどういう意味ですか」
「そのままの意味だよ。これは俺の経験から導き出した結論だ。さて、それじゃ続けるよ。次に3つ目だが……信じ、信じ合う心……つまり信頼関係だが、これは長い年月をかけて少しづつ築き上げるモノという事だ。ついでに言えば、長い年月かけても、できるかどうかすらわからない。そんなに簡単にできる関係じゃないんだよ。ましてや、君は今、俺達のように出会ったばかり者を信じられるといったが、それはかなり危うい考え方だと言わざるを得ないねぇ。他人は自分が思うより複雑だし、殆どの人は最終的に我が身が可愛いから、自分や身近な者を確実に優先する。そして……それを当人は裏切られたと感じるんだ。君が友人に対して信頼を失ったのも、恐らくそれだろう。でもな、それらは今後も起こり得る事なんだよ。あの洞窟に行ったから、とかではなくね。これは信じる心云々の問題じゃない。全ては君の、『これが人としての正しい振る舞い方だ』という独善的な思い込みから来ている事なんだよ」
ホフマンは不安げな表情で俺を見ている。
少し手も震えていた。
また、引きこもりに戻りそうな雰囲気であった。
他の者達は(そこまで言うか)とでも言いたげに俺を見ている。
ホフマンは絞り出すかのように声を震わせ、言葉を紡いだ。
「では……お、俺は……い、一体……どうすれば……」
「さて、それじゃあ解決編の4つ目だ。いいか、耳の穴をよくかっぽじって聞いとけよ。人間はね、明るい感情というのは単純だが、暗い負の感情というモノは複雑で幾つも持っている。怒り、憎しみ、嫉妬、不安、嘘偽り、まぁ上げたらキリないけど、人はそんな醜い感情を幾つも抱えてる生き物なんだよ。でも、それら良いも悪いも全てをひっくるめて人間なんだ。つまり、俺が何を言いたいかというとだな……綺麗な面ばかりでなく、醜い面もよく見ろということだ。まぁそういうわけで長くなったが、君の人間不信に一番必要な助言は、たったこれだけだよ……醜さを愛せ、だ」
某弁護士ドラマの受け売りだが、人間関係の問題における確信をついた言葉である。できるかどうかは、ともかくだが。
「醜さを愛せ……」
「そうだ。これから君が足を踏み入れる商売の世界は、欲に塗れた者達が沢山待っている。ある者は君を騙そうとし、ある者は君を利用しようとしてくるだろう。その時、君は信じる心なんて言っていられるだろうか。いいや、無理だね。信じる心が悪いとは言わないが、信じるだけではなんの解決にもならない。じゃあ、どうするといいか? それはもう醜さを愛せるようになるしかないんだよ。つまり……人を信じるのではなく、人を好きになるよう努力しろって事だ。そして、それがゆくゆくは、信じる心へと育っていくんだからな」
言い終えると、場はシーンと静まり返っていた。
ホフマンも譫言のように「醜さを愛せ……」と繰り返している。
そんな中、俺の背後から聞き覚えのある声が聞こえてきたのであった。
【ほう……醜さを愛せとな……お主、面白い事を言うのぅ】
後ろにいたのはヒルタン老人であった。
(喋ってる最中から気配は気づいていたが、まさかヒルタン老人だったとは……ここのオーナーだし、いても不思議じゃないけど)
ヒルタン老人は俺に微笑むと口を開いた。
「お主……名はなんと申す」
「ジュライですが」
「ジュライか……憶えておこう」
ヒルタン老人はそれだけ言うと、去って行った。
するとその直後、ホフマンが俺の前に来て、突然、跪いたのである。
ホフマンは神に祈りを捧げるかのように手を組み、大きな声を発した。
【ジュライさん! 俺……今ので、本当に目が覚めました! 醜さを愛せ……これを心に刻んで頑張っていきます。 貴方に出会えて本当に良かった! 貴方はまるで神様みたいな方だ!】
なんか知らんが、ホフマンは感動しているみたいだった。
だが、この行動のせいで、俺達のテーブル席は他の者達から注目の的になっていた。
かなり恥ずかしかったのは言うまでもない。
「ホ、ホフマン君。わかったから、一旦、席に戻ろうか。あんまり興奮しないようにね……みんな見てるから」
「あ、すいません。でも、本当に感謝してるんです」
「まぁそれはともかくだ。今、俺が言った事を君が実践できたなら、下手すると、歴史に名前を残せるほどの偉業を達成できるかもな。君はその内、自分の街を作りそうな気がするから」
「本当ですか? でも、できますかね」
「できるかもよ。まぁその時には自伝でも書いて、人生の求道者ジュライ様のお陰で私は成功しましたと、大々的に載せといてくれたまえ。俺からは以上だ」
と、そこで、隣にいるミネアが俺の脇腹を突き、耳打ちしてきたのである。
「ジュライさん……途中までは凄いカッコよく見えましたけど、今ので全部台無しです」
「これも醜さの1つってことさ」――