リーガル・ハイ SS集   作:猫敷

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SS3

 

 

 

「あなたは被告人が被害者の局部を触ったところを確かに目撃したんですか?」

 

「ええ」

 

 古美門は痴漢裁判の真っ最中であった。というのも、もともとはこの裁判は古美門事務所に所属している黛がとってきた案件であり、古美門は最初、まったく弁護などする気はなかったのであるが相手が一流企業に勤めるやり手の商社マンであると知り、それまでの態度を一変させたのである。

 

 現在、被告人が痴漢をしているところを目撃したという証人の尋問を行っている。警察と検察はこの証言を決め手として被告人を起訴した。つまり、この証言を覆せば古美門の勝利が決まる重要な場面なのである。

 

「あなたは超能力者ですか?」

 

「は?」

 

 その言葉の意味が分からず思わず聞き返す証人。検察官はすぐに異議を唱えた。

 

「裁判長。質問の真意が分かりません」

 

「とても重要なことです」

 

 裁判長が言葉を発するより早く、古美門は尋問を進めてゆく。

 

「こちらをご覧ください」

 

 隅で待機していた黛はホワイトボードを法廷の中央に動かし、古美門はそれを指し示して、さらに話しを続ける。

 

「これは犯行時の電車内を簡単に表した図です。あなたが立っていたと証言した位置はここです。ここですよ? こぉこぉ! あれあれあれぇ、随分と離れてはいませんかぁ? 被告人が犯行を行っていたとされる場所から人、二人分も離れています。しかも電車内は朝ということもあり、かなりの混雑でした。真横にいたのならともかくこの場所から犯行をしっかりと目撃するのは、透視の超能力者でなければ不可能といえるでしょう」

 

「…………」

 

「もう一度質問します。あなたは透視の超能力者ですか?」

 

「そ、そんなわけないじゃありませんか」

 

「それはそうでしょうねぇ。そうだとすればあなたはすでに超有名人だ。がっぽり儲けて、あんなカビの生えた売ってるものも賞味期限ギリギリのようなボロく寂れた小さな商店なんかで働いてませんもんね。ではなぜ被告人が犯人だと断言できたのでしょうか?」

 

「う、う、腕時計だ! 金の腕時計が見えたんだ。後で彼の腕時計を警察の人に見せてもらったが、デザインまで確かに犯人のものと同じだった」

 

「腕時計ですかぁ。……そうですか、そうですか、あなた完全記憶能力者でしたか」

 

「は、はぁ? いい加減にしてくれ! ふざけるにも程があるぞ!」

 

「では、この中にその腕時計はありますかぁ?」

 

 数枚の写真が突き出された。

 写真にはメーカーの違う金時計が写っており、文字盤のデザインだけがローマ数字で統一されていた。

 

 証人の顔が引きつる。

 

「えっと……」

 

「どぉしたんですか?」

 

「少しど忘れをしただけだ。ちょっと待ってくれ」

 

「電車内で一瞬だけ見えた時計をデザインまでしっかりと記憶しておけるあなたです。何も難しいことではないはすだ。それともまさかお忘れになったわけではないでしょうねぇ?」

 

「こ、これだ!!」

 

 勝った。

 古美門の笑みがそう告げたのを黛は確かに見た。

 

「ぶー、不正解です。金時計=ロレックス、まさに貧乏人の発想ですねぇ。正解はこちらのオメガですよ。残念でしたまたどうぞぉ」

 

「っ……うぅ」

 

「裁判長、被告人が犯人であるという確たる証拠は何もありません。どおか賢明な判断を望みます。以上です!」

 

 自慢の横わけを左手でゆっくり整えると、ドヤ顔を検察官にしっかりと見せつけて古美門は席へと戻った。

 

「検察官。何かありますか?」

 

 裁判長の問いに、必死に資料を漁っていた検事が顔を上げる。何か反論しなければならないという気持ちに反して、何も言葉が出てこない。手元には役に立たない資料のみである。

 

「どうやらアタックチャンスはしないようでぇす」

 

 にんまりと笑みを浮かべた古美門は相手の検事を見下すようにして椅子の背もたれに体重を預けた。

 

 検事の富岡は血がにじまんばかりに拳に力を込めそれを睨みつけることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぽんっとシャンパンの栓を開ける音が響いた。

 服部がソムリエにも負けない手つきでグラスにキラキラと輝くそれをゆっくりと注ぎ、主である古美門に渡した。

 

「さすがは古美門先生。今回の裁判も見事に勝たれましたな」

 

「いやぁ、我ながら自分の才能に驚かされます。といっても今回はあの粗大ゴミ回収屋でも勝てたと思いますがねぇ。私が出るほどでもありませんでした」

 

 暖かな日差しが差し込む自宅兼事務所のダイニングで昼から優雅にシャンパンを傾ける古美門は、報酬が振り込まれた通帳をなんとも愛おしそうに眺めた。

 

「それはそれは。ところで黛先生の姿が見えないようですが」

 

 ふとそう思った服部が古美門に尋ねた。

 

「あぁ、あいつは外回りです。また、ゴミを拾ってこなければいいのですが」

 

「なになに? 何の話? あ、シャンパンいただきまーす」

 

 二人がそんなやり取りをしているそこへ、まるで風のように古美門お抱えの草の者である蘭丸が現れた。

 勝手にシャンパンをグラスに注ぐ蘭丸。

 

「うんめぇー。服部さん、これどこのやつ?」

 

「シャンパンの本場! フランスはシャンパーニュ産のものでございます」

 

「へー」

 

「相変わらず突然現れる奴だな君は。何しに来た? まだ仕事は無いぞ?」

 

「えぇ〜。いいじゃん。ちょっとそこまで来たから、服部さんお手製のご飯にあずかろうかと思ってさ」

 

「君はここを店か何かと勘違いしているようだが、服部さんの手料理はそう簡単に食べられるものではないのだよ。ねぇ服部さん」

 

「は、そうおっしゃっていだだけて光栄でございます。しかし、せっかく来たのですから何か簡単な物でもご用意しましょうか」

 

「さっすが服部さん! 分かってるね。ほら服部さんもああ言ってるしいいでしょ先生ぇ」

 

「服部さんの許可を取る前に、まずは主である私の許可を取りたまえ。服部さんの手料理は私のものだ。……服部さんこいつは今すぐ叩き出してもかまいません」

 

「もぉ、そんな冷たいこと言わないで先生も一緒に食べようよぉ」

 

 すがりつくような蘭丸を軽くあしらい古美門はテレビに目を向けた。そこに映るのは普段と変わらないニュース番組だ。内容も平凡なものばかりであり、最近起きた事件やら何やらをキャスターたちが面白くもない解説とともに紹介していた。

 

「また殺人事件か。最近多くない?」

 

「日本で一日に何人が死んでると思ってる」

 

「ん〜。さぁ?」

 

 服部の食事を待つ間、テーブルに置かれていたお菓子を頬張っていた蘭丸は古美門の問いに可愛らしく首を傾げた。これが子供であればまだ可愛げがあるが、いい大人がやればただのバカに見えるから不思議である。

 

「約三千人だ」

 

「えっ、そんなに?」

 

 もちろん本当に一日で三千人が死亡しているわけではない、年間を通した平均のデータなのだが、意外な数の多さに蘭丸は目を丸くした。

 

「この事件もまた、そのうちの単なる一つに過ぎないのだよ。まぁ私には関係のないことだがねぇ」

 

 まるで他人事のように傍観していた事件の当事者になろうとは、この時の古美門には知るよしもなかった。

 その足音はすぐ近くまで迫っていたのである。

 

 がちゃりと古美門邸の扉が開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今後も古美門法律事務所をよろしくお願いします」

 

 深く頭を下げた黛はそう言って扉を閉めると出口へと続く階段を下って外へと出た。

 

「はぁ」

 

 黛の口からため息が漏れ、彼女はがくんと肩を落とす。

 外回りも本日、五件目である。そうなると疲労もそれなりに溜まっているのだろう。弁護士の中で黛はまだまだ若手であり、古美門のような輝かしい実績も無い彼女にとって、これも修行の内なのであろう。

 

「……もうこんな時間か」

 

 腕時計を見ればすでに昼過ぎを指していた。朝食もそこそこに外回りをしていた黛は昼食を買うためにコンビニを探そうと思い歩き出した。

 そんな部下のことなど露知らず、上司である古美門は上機嫌にシャンパンを煽っているのだが。

 

「あの!」

 

 歩きはじめた刹那、黛は後ろから呼び止められた。振り向けばそこにはセーラー服を着た少女が一人、暗い面持ちで立っていた。高校生であろうか。

 だとすればなぜ彼女は自分を呼び止めたのか。黛は戸惑いながらも少女に声をかけた。

 

「えっと、どうしたの?」

 

「お姉さん弁護士の人ですよね。古美門法律事務所の」

 

 どうやら少女は黛のことを知っているようだった。だとすればますます分からない。

 なぜ彼女は自分を知っているのか?

 

「そうだけど、あなたは?」

 

「私は狭間美羽といいます。あなたにお願いがあって来ました!」

 

「お、お願い?」

 

「お母さんを助けてください!!」

 

「え?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黛は事務所の扉をくぐり中へと入った。そこでは嫌味な上司が、これまた嫌味なほど優雅にシャンパングラスを手にしてソファーに脚を組み座っていた。

 

「先生」

 

「なんだ粗大ゴミ回収屋、もう戻ってきたのか。またゴミのような案件を拾ってきてはいないだろうな」

 

 その言葉に黛はパチクリさせながら目を古美門からそらした。

 ずばり古美門は正解を言い当てたのである。

 

「おい! なんだその態度は? 今度はどんなゴミを回収してきた!?」

 

 ソファーから飛び上がった古美門は慌てて黛に詰め寄った。

 

「えっと……あれカナッ☆」

 

 ばっという音がする勢いで古美門は黛が指さした先を見た。そこにあったのはテレビであり、テレビそのものに意味はないが、問題はそこから流れている内容である。

 

 そう、そこには先ほど自分とは関係のない話と言い放った事件が今だに特集を組まれて放送されていたのだ。

 そのまさかだった。

 

「はっ!」

 

「ち、ちょっと、古美門先生!?」

 

 糸の切れた人形のように白目を向いて古美門は倒れてしまったのだった。

 

「ちょっと真知子ちゃん。少しは先生のこと気遣ってあげなよ」

 

「私!? え、いや。……すいません、ごめんなさい」

 

 見かねた蘭丸の言葉に、とりあえず黛はそう言いながら頭を下げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからしばらくして。

 額に水と氷の入った氷嚢を押し当てた古美門は、今までにないほど眉間にシワを寄せ応接間の一人かけのソファーに項垂れるように座っていた。

 

「なぁにが、あれカナッ☆だ。そんなにキラッ☆が好きなら、一度、本当に星と星の間を生身で飛行してくるといい、少しはマシになるだろう。そしてバジュラに食われてしまえ」

 

 たんたんと皮肉を言う古美門。

 

 古美門から向かって右隣の長ソファーに腰を下ろした黛はひたすら、渋々ながらではあるが、それに耐えていた。その横にはあの少女、狭間美羽の姿もあった。

 

「私だって難しい事件だとは分かってますよ! でも放ってはおけません!」

 

「まったくいつになったら君の、そのクソ正義の安売りは治るんだ」

 

「人を病気みたいに言わないでください。それに正義はクソではありません」

 

「いーや、君の正義はクソだねぇ。そんなものそこにいる蘭丸君でも食べない」

 

「私の正義がクソだって言うんですか!?」

 

「……俺、犬扱い?」

 

 熱く口論する二人に蘭丸のつぶやきなど聞こえているはずもなかった。

 

 

 

 

 口論も服部の仲介でひと段落し、黛は事件の概要を語り出した。

 

 依頼者である狭間美羽の母親、狭間美枝は蒸発した旦那に借金を押し付けられ、死に物狂いで娘を養いながら働いていた。だが、女一人に多額の借金が完済できるはずもなく、次第に追い込まれていった。

 それでもサラ金の借金取りは容赦のない取り立てを続けた。

 精神的にも肉体的にも美枝は追い詰められていた。そんな矢先、取り立て人のチンピラの一人が美枝に身体の関係を迫った。抱かせれば借金の取り立てを緩めてやると言って。

 そして美枝はホテルの一室でそのチンピラを刺し殺した。

 美枝はそのまま現場を後にしたが、後日すぐに殺人の容疑で逮捕され、起訴された現在は拘置所で裁判が開かれるのを待っている状態だ。

 

「被害者は計2ヶ所を刺されて死亡しました。死因は失血死。犯行に使われたナイフは被害者が所持していたと考えられているみたいです。……これが検察が主張している事件の内容です」

 

「当たり前だ。人を殺したら罪になるだろう」

 

「だけど殺人罪ですよ! 無理やり襲われたとすれば、これは正当防衛だって認められていいはずです。それがダメなら過剰防衛だって!」

 

「精神的に追い込まれていたのであれば、殺意を持って犯行に及んだとも考えられる。それにだ、2ヶ所も刺していれば立派な殺人だろう。どっちにしろ金にはならん! いいか、私はこんな量産型悲劇の母娘の相手をするほど暇ではないのだ。貧乏人は貧乏人らしく社会に虐げられながら、その片隅でほそぼそと暮らしていたまえ」

 

 美羽がそこにいることなどおかまいなしに暴言を乱発する古美門に黛は腸が煮えくり返る思いだった。

 

「先生がやらないんなら私がやります。殺人罪はどう考えても適切だとは思えません」

 

「また正義の安売りか。そうやって簡単に希望をもたせるほど残酷なものはないと思うがね。同情だけで何とかなると思うなよ朝ドラ。裁判はそんなに甘いゲームではない。仮に殺人罪が認められてしまったら君じゃ情状酌量の執行猶予すらつけられないね。とりあえず私の事務所の名に傷をつけたらクビだ」

 

「と、とってみせます!」

 

 これ以上は聞く耳持たぬと言った感じで古美門はどかりとソファーに身を沈めた。

 

「役立たず」

 

 その言葉に黛を含めその場にいた全員が振り返った。

 美羽は古美門をじっと冷たい目で見つめていた。

 

「何だと?」

 

「お金になればどんな裁判だって引き受ける。そして必ず勝つ。私はそう聞きました。だけど、実際はただ誰でも勝てそうな裁判を高いお金で引き受けてるペテン師だってことがよく分かりました」

 

「み、美羽さん」

 

「黛さん、この際だからはっきり言っておきます。私が望んでるのはお母さんを無罪にしてくれることだけです。それ以外にありえません。……お母さんが、あんな男のために刑務所に入るなんて、犯罪者になるなんて絶対におかしい!」

 

 胸元のペンダントを握りしめ、美羽はそう叫んだ。

 シルバーに光るそれを古美門は横目で流し見た。

 

「おかしくても、不条理でも罪は罪だ。法のもとで裁かれ、償わなければならない。それが法治国家というものだ。子供のわがままで世の中が動くと思ったら大間違いだ。自分がどれだけ特別だと思っても、傍から見ればなんてことはない、ただの凡人なのだよ」

 

「それでも、私は納得できません!」

 

 古美門の言っていることは最もだった。

 黛自身も彼女を助けたい気持ちはあれど、そんなことできるわけがないというのが正直な感想だった。

 だから、彼女の言葉を聞いた黛は目を見開き、その刹那、脱力感に襲われたのだ。この子供は本気ということを、目を見て理解してしまったからだった。

 

「お金ならどんな手を使っても作る覚悟でここに来ました。でもやっぱりここも他のところと変わらなかったんですね」

 

 軽く頭を下げ事務所の玄関へと向かおうとした美羽を古美門が呼び止めた。

 

「どんな覚悟だ?」

 

「えっ?」

 

「君は私の評判を聞いてここに来たのだろう? ならば私がどれだけの依頼料を取るのかも知っているはずだ。もちろん、こ生意気に賢明な君ならばその額がそこらの学生風情に支払えるわけがないことも理解しているだろう。どうやって金を工面しようとしたんだ? ぜひとも聞かせて欲しいものだね、その覚悟とやらを」

 

「…………」

 

「答えられないようならすぐに出て行け。そんな生半可な覚悟て来られても迷惑なだけだ」

 

「ちょっと先生!」

 

「うるさい君は黙ってろ。私は彼女に聞いてるんだ」

 

「は、働いて」

 

「寝言を言うな。私の報酬はバイト代と同じではない。そんな薄っぺらな覚悟なら、裁判などやめてしまえ。馬鹿らしい」

 

「先生!!」

 

「身体を売ってでもお金は作ります! 高校生にだってお金を借してくれるところは知ってます!」

 

「美羽さん!?」

 

「ほぉ」

 

「だ、ダメですよ! 先生、これはれっきとした買春強要です。弁護士が犯罪を犯してどうするんですか! 美羽さん絶対にそんなことダメ!」

 

「私は別に強要などしていないがねぇ。それに18歳だろう? 職業選択の自由は認められてる。借金だって自分の意思だろう」

 

「ふざけないでください! 美羽さん、絶対に手はあるから。早まらないで」

 

「こればかりは、この服部もお止めさせていただきます」

 

「俺も。さすがにそれはヤバイって」

 

「……私には将来の夢もないですから」

 

 古美門は美羽の言葉を聞いて、感心したように声を漏らしたが、黛は突然の宣言に慌てふためいて、何とか、その場を穏便に収めようと美羽を説得しはじめた。蘭丸と服部も同様である。

 

「とにかくだ。一度、帰りなさい」

 

「先生?」

 

「……でも」

 

「依頼は引き受けてやる。着手金もいらない。報酬については後々考える時間を与えてやる」

 

「っ! ありがとうございます」

 

 美羽を帰らせた事務所の空気は最悪だった。まだ大人でもない純情無垢な少女が体を売ってまでも借金をしてまでも母親を助けて欲しいと懇願している。どうすればいいのか黛には分からなかった。

 

「古美門先生。本当に引き受けるんですか?」

 

「あぁ」

 

「でも着手金すら要らないって。もしかして先生もやっぱり……」

 

「勘違いするな朝ドラ。この天下の古美門研介があんな小娘にコケにされたまま引き下がれるか。この裁判は私がやる。君の出る幕はない」

 

「…………」

 

「せいぜいリングの外で見ているがいい。本物の戦い方というものを。ふっふふぅわっはははははー!!」

 

 黛は古美門と知り合ってまだ日が浅い。彼女が出会う前、彼はずっと一人で勝ち続けてきたのである。

 その戦いを黛は見たことがなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「狭間美枝の職業は何だ?」

 

 夕食を終えデスクに座り紅茶を飲みながら古美門は黛に尋ねた。

 

「え? 確か、今は資産家の家政婦とスーパーのパートをしていたみたいですけど」

 

「資産家の家政婦ねぇ」

 

 質問の意図が分からず怪訝な表情で首を傾げる黛をよそに、古美門は立ち上がると後ろで手を組み黛の前に立った。

 

「公判が始まるまで後3週間しかない。それまでにほとんど片を付ける。君は私の質問にできるだけ正確に答えなさい」

 

「分かりました」

 

「検察は凶器を決定的な証拠として起訴に踏み切ったようだが、それ以外に証拠は無かったのか?」

 

「ホテルの防犯カメラは映像を記録する機材が随分と前に故障してそのままだったようです」

 

 古美門は応接間のテーブルに置かれていた資料の一つを手に取りパラパラとめくる。

 

「ロビーの映像も無し。エレベーター並びに廊下の映像も無しか。つまり、被害者と狭間美枝が一緒にホテルにいたことを証明することはできないわけだ。目撃証言はどうなってる?」

 

 慌てながらもう一つの資料をめくる黛。

 

「えっと、ありません。このホテル裏路地にあってかなり穴場なようで、知っている人間しか利用していなかったみたいですね。従業員は……まぁ、ああ言ったホテルは受付も精算も顔を合わせることはないようですし」

 

「室内からは毛髪その他、指紋などは発見されていないが、状況証拠だけは真っ黒か」

 

「はい」

 

「朝ドラ、君ならどう攻める」

 

「過剰防衛か……いや、責任能力の有無で」

 

「どうやって?」

 

「心神喪失を理由にしますが」

 

「……無罪にするにはまだ弱いな。いいか、我々は絶対的な勝利しか道はないのだ。狭間美枝を責任能力無しとするのは難しいぞ」

 

「じゃあどうするんですか」

 

 古美門は持っていた資料を元の所に投げ捨てると、元いた場所に戻り、デスクに足をかけて紅茶を手に取った。

 

「凶器はどこから見つかったぁ?」

 

「福田雄一という男の部屋から」

 

「誰だそれは?」

 

 黛は何やら言いにくそうに口を開いた。

 

「その男は今は逮捕されてます」

 

「逮捕だぁ?」

 

「……女性に言い寄っては悪さを働いていたらしくて。警察は福田が狭間美枝に頻繁に会うようになったことを不審に思い彼の家を家宅捜索して」

 

「凶器のナイフを発見したと。つまり、こいつは報道か何かから狭間美枝が犯人だということに気づいていた。そして、近づいた。つくづく男運の無い女だ。ここまでくると同情してしまうね」

 

「先生!」

 

 証拠になりうる防犯カメラの映像も目撃証言も無く、状況証拠のみでも起訴はあまりにも裁判で証拠能力が低すぎだ。そこで警察は賭けに出たのである。

 

「以前からマークされていたようで。現在は別件でも取り調べが進んでいるみたいです」

 

 今回の家宅捜索では凶器以外にも福田の犯罪の証拠が発見されていた。警察としては一石二鳥だったのである。

 

「福田は凶器については拾ったと供述しているようです」

 

「……余罪になり得るからな。しらばっくれているんだろう。我々としては逆に好都合だ」

 

「…………」

 

「家宅捜索は手こずったみたいですよ」

 

「手こずった?」

 

「はい。福田が警官を見るなり抵抗して逃亡しようとしたみたいで。最初のうちは大騒ぎで彼を取り押さえたとかなんとか」

 

「ということは、ばれたのか」

 

「そうみたいですね。監視をしていた捜査員に気づいたみたいですよ」

 

「詳細に話せ」

 

「……資料には、被疑者が逃亡して取り押さえたとしか」

 

「いいから話せポンコツ!」

 

「私も人伝に聞いただけで詳しくは分かりませんよ!」

 

「……資料と食い違う目撃証言か」

 

 古美門はそのまま黙ったまま考え込み始めた。

 

「何かありました?」

 

「あぁ。サビだらけの剣だがね。磨けば光るかは運しだいだ」

 

「?」

 

 これだけで古美門の絶対的な不利が覆るわけではない。だが、そんな小さなことでも上手く使えば最強の剣になることを経験から彼は知っていた。

 

「仕事だ、草の者!」

 

 パンパンと手を叩き、先ほどまで服部の夕食を貪るように食していた蘭丸を呼ぶ。

 

 が、反応がまるでない。

 

「くーさーのーもーのー!!」

 

「あの、そこで寝てます」

 

 肩をすくめながら、そっと黛が指さした先にはソファーで気持ち良さそうに寝息をたてている蘭丸の姿があった。

 

「起きろ馬鹿もーん!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「三木先生。何やら古美門先生が新しい裁判を引き受けたそうですよ」

 

「ん? あぁ、あの殺人の。暇だなあいつは」

 

 ビルの最上階に位置する所長室のソファーに座りながら三木は沢地のマッサージを受けていた。

 

「相手の検事は富岡さんだとか」

 

「……誰だ?」

 

「三木先生がまだ検事時代に何度かお会いしているはずですが」

 

「あぁー! あの気色悪いナルシスト野郎か。はっ、思い出したら腹が立ってきた」

 

 マッサージがひと段落したところで沢値は三木の予定が書き込まれた手帳を開いた。

 

「先生、そろそろ裁判所へ行くお時間ですが」

 

「もうそんな時間か」

 

 ソファーから立ち上がりネクタイの歪みを正した三木は、ドアの近くで待機していた井出に指示を出す。

 

「おい斎田、車回せ」

 

「……井出です」

 

 そんな言葉を残しがっくりと肩を落とした井出は所長室を後にした。

 

 

 

 裁判所の廊下を富岡はにんまりとしたねちっこい笑みを浮かべて歩いていた。

 先ほどの別件の裁判が上手くいったからではなく、次の裁判が上手くいくと確信しているからである。

 すでに有罪が確定したも同然の裁判で、相手側の弁護士は前回煮え湯を飲まされたあの古美門である。まさに彼にとって完璧な復讐の舞台だった。鴨が葱を背負ってやってくのが楽しみでしょうがなかった。

 

 しかも相手側の狙いは無罪だと言う。まったくもっておかしい事このうえない。

 直接証拠の数こそ凶器一つであるものの、その他の状況証拠などすべてが狭間美枝が犯人であることを物語っているようにみえる。

 

「あ、これは三木先生」

 

 前から歩いてくる人物に富岡は頭を下げた。検事時代に三木は上司であったし、その仕事ぶりはとても優秀だったことを覚えている。そして、現在は日本有数の巨大法律事務所の所長を勤めている、まさに成功者だった。

 

「古美門と裁判をするようだね」

 

「えぇ。ですが、いくらなんでも今回は彼にもどうにもならないでしょう。無敗の弁護士もこれで終わりですよ。ははは」

 

「そりゃ頼もしいな。あ、そうだ。そろそろ我が事務所も刑事分野で優秀な人材を手に入れたいと考えていてね。どうだろうか?」

 

「……それはその」

 

「検事は辛いだろう? 仕事は多いし給料は安い。まぁ、今回の裁判、期待してるよ」

 

「はい!」

 

 仏のような表情を浮かべ富岡の肩に手を置く三木の後ろで、井出は一人不安げな顔をして、富岡を若干睨みながら、爪を噛んでいた。

 

 事務所へと戻る車中で沢地が三木に問いかけた。

 

「この裁判、やはり古美門先生の負けでしょうか」

 

「……並みの弁護士なら怖気ずくだろうが、相手はあの古美門だ」

 

 沢地からざっと古美門が受けた裁判の内容を聞いていた三木は裁判資料を読みながら眉を顰めていた。

 今回の裁判、検察側が圧倒的に有利と思えるが、少なからず穴がある。それを三木は見抜いていた。古美門がその小さな穴を力尽くでこじ開けにいくことも。

 まるで小さな蟻の穴から巨大なダムが決壊するように。

 

 古美門に連敗しているため忘れられがちであるが三木は弁護士としてはかなり優秀な人物なのである。

 

「あら、では今回も援護を?」

 

「ん? しないよそんなもの。あいつ気持ち悪いし。だいたい、あんな若造に古美門が倒せるんなら私がとっくに倒してるよ」

 

 きっぱりと言い捨てた三木にハンドルを握る井出がバックミラーを見ながら尋ねる。

 

「じゃあ、なんであんなことを言ったんですか?」

 

 あんなこととは三木が富岡に言った激励だろう。

 

「若い奴をからかうのが面白いからに決まってんだろうが、石井!」

 

「い、井出です」

 

 三木の言葉が本意ではないと知った井出はさっきまでの表情が嘘のように明るくなった。沢地はそんな井出の耳元でそっとささやく。

 

「三木先生が優秀なルーキーを探しているのは本当ですよ」

 

 沢地のドS丸出しの言葉に再び井出の顔から血の気が引いた。

 哀れな井出であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつものように古美門はデスクに足をかけ、服部が用意した甘味に舌鼓を打っていた。

 今回に限っては古美門から手出し無用と明言されてしまった黛は特にすることもないまま、たんたんと流れる時間の中で、不安と戦うしかなかった。気を紛らわすための仕事が無いというのも辛いものがある。

 

「あの、古美門先生」

 

「なんだ?」

 

「そんな余裕で大丈夫なんですか?」

 

「……余裕でとは?」

 

「だから餡蜜食べてる場合かって話ですよ!」

 

「愚か者め。私はこうしながらも常に作戦を練っているのだ。ただボーッと惚けている君とは違うのだよ。君の食べた糖分は脂肪になるが、私は脳のエネルギーとなる」

 

「だったらもう少しそれなりの態度をしてくださいよ!」

 

「ふっ。嫌だねぇ。私は草の者の報告待ちなのだ」

 

 嫌みったらしく親指を立てる古美門に黛はため息をついた。一人、気を張っている自分が馬鹿らしく思えてくる。

 

「勝てそうなんですか?」

 

「勝てそうなのかではなく勝つのだよ。どんなに完璧に見えても必ず何処かに綻びがある。人間とはそういうものだ。そこが突破口となる」

 

「無かったらどうするんですか?」

 

「作るまでだ。どんな手を使ってでも」

 

 古美門の気迫に黛が押し黙った刹那、草の者である、蘭丸がテラスから姿を現した。その手にはいつものように大きめの茶封筒が握られている。

 

「ちーっす! 先生、ギリギリになってごめんね。その代わり良いネタ仕入れてきたからさ」

 

「ご苦労」

 

 自信満々と言った感じで蘭丸は古美門へと茶封筒を手渡し報酬をもらう。

 

「狭間美枝の身辺調査ですか?」

 

「いや、福田雄一を調査させた」

 

 えっ? と疑問符を浮かべる黛をよそに茶封筒から蘭丸お手製の資料を取り出した古美門はたんたんとそれを読みはじめ、その半ばでニヤリとその口元に弧を描いた。

 

「黛君、綻びどころかどでかい穴が空いていたようだよ」

 

「それはどういう……」

 

「私は出かける」

 

「え? ど、どこへ行くんですか?」

 

「会わなければいけない人間が二人ほどいる」

 

 先ほどの言葉の説明もないまま古美門は服部からコートを手渡されると足早に玄関へと向かう。

 

「あの古美門先生、どこへ!」

 

「拘置所だ」

 

 それだけ残して扉が閉まった。残された黛は一人ポツンと取り残されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 コツコツと薄暗い拘置所の廊下に革靴の音が響く。

 古美門がドアの前で立ち止まると刑務官がドアを開けた。中には、強化ガラスの向こうに無精髭を生やした男が一人、座って、こちらを怪訝そうに伺っている。それもそうだろう。自分が依頼した国選弁護人とは違う弁護士がわざわざ面会に訪れてきたのだから。

 古美門はスタスタと男へ歩み寄ると、置かれていた椅子に座ることなく、男を見下ろしながら言い放った。

 

「取引だ。私の言うとうりにすれば無罪にしてやる」

 

 ほんの数分という短い時間で福田雄一との面会を終えた古美門が、部屋の外へと出ると、そこには黛の姿があった。

 

「何しに来た」

 

「狭間美枝さんへ面会するんですよね。私も同席させてください」

 

「……ふんっ。勝手にしたまえ」

 

 

 しばらくして、刑務官に連れられた女性が面会室へと入ってきた。狭間美羽の母親である狭間美枝である。彼女からはまったく気力が感じ取れなかった。一言で言えば疲れ切っていた。

 

「あなたの弁護をすることになりました古美門と言います」

 

「黛です」

 

 美枝の表情が少し変化した。

 

「弁護? 私は何かを頼んだ覚えはありません。お断りします」

 

 彼女は諦めてしまっていた。佇まいがそのすべてを物語っている。だが、そんなことは構わず古美門は口を開いた。

 

「あなたの依頼ではなく、娘さんである狭間美羽さんから弁護を依頼されました」

 

「美羽が?」

 

 驚いたように俯いていた顔をあげる美枝。

 

「あの子が弁護士を。そんなお金どこから」

 

「まだ依頼料はもらっていません」

 

「なら、お断りします。娘にもそう伝えてください」

 

「待ってください、美枝さん! 娘さんはあなたを助けようとしてるんですよ!?」

 

「私はどうしようもない母親です。その方が良いんですよ。美羽は私なんかと離れて、自分の人生を歩いていけば……」

 

「まぁ、あなたが断ろうがそんなことは関係ない。私は伝えることがあってここへ来たまでだ」

 

「伝えること?」

 

「私は必ずあなたを無罪にする。そして娘へ成功報酬を請求する。請求額は5000万だ」

 

 美枝の目が見開かれた。後ろにいた黛さえも驚きを隠せない様子だ。

 

「ま、待ってください。そんなお金、あの子が払えるはずない!」

 

「古美門先生、それはいくらなんでも」

 

「黛君、君は黙っていろ」

 

 黛を一蹴した古美門は再び美枝に向き直る。この目線の鋭さに美枝は口をつぐんでしまった。

 

「どんなことをしてでも金は作る。それが、彼女があなたを自由にする覚悟だ」

 

「覚悟?」

 

「そうやっていつまで悲劇のヒロインを気取っているつもりだ。あんたの娘は必死に母親の無罪を勝ち取ろうとしている」

 

「…………」

 

「あんたが人生を諦めていようが、そんなことは私にはどうでもいい。私は依頼された通りに、どんな手を使っても無罪を勝ち取るだけだ。だが、覚えておけ、あんたがどれだけ自分の人生を諦めていようが、あんたを思う人間は、また母親と共に歩む人生を決して諦めてないということを」

 

 

 

 

 

 

 

 結果として美枝は古美門の弁護を受け入れ、協力することに約束した。

 拘置所からの帰り道で、黛は古美門へ頭を下げ、この裁判に自分も参加させてくれるように願い出た。

 

「……お前の正義とはなんだ?」

 

「えっ?」

 

 古美門の問いに黛はとっさに答えることができなかった。彼女にとって正義とは真実を明らかにすることであり、助けを求める人を救うことだった。そこに疑問などはなかった。

 古美門研介という人間と出会うまでは。

 彼と出会い過ごすうちに彼女は気づいていたのだ。自分の正義感の矛盾に。真実を明らかにすることで、必ずしも助けを求める人間を救うことはできないのだ。真実はときに残酷である。

 正義という漠然とした存在に黛は戸惑いはじめていたのだった。

 人を助ければ正義なのか、真実を明らかにすれば正義なのか。

 彼女は今回の事件で今まで見ないように振舞っていた、正義とは何なのか、という課題を突きつけれたのである。確かに狭間三枝を無罪にすれば哀れな母娘を救える。だが、三枝は殺人という罪をまぬがれてしまう。三枝が有罪になれば罪を償うことにはなるが、哀れな母娘を救うことはできない。

 何が正解なのかなど黛には分からなかった。

 

「分かりません」

 

 だから彼女はそう答えた。

 

「分からない?」

 

「……はい。でも約束したんです」

 

 古美門は黙って彼女を見つめる。その顔にいつものおちゃらけた雰囲気はない。

 

「私は美羽さんと約束しました。必ずお母さんを助けるって。正直、私には、正義が何か、はっきり言って分からなくなりました。でも、その約束だけは、守りたいんです。人として、弁護士として」

 

 黛が顔を上げるとそこには口元にニヤリと笑みを浮かべた古美門の姿があった。

 

「ちょうちんパンツにしては及第点だ」

 

 茶封筒を投げ渡され、黛は慌てて受け取る。

 

「何ですかこれ」

 

「あの母娘が今後どうなるかは君にかかっている。まぁせいぜい頑張ることだ」

 

「えっ? 先生!?」

 

 そんな黛を置いて、古美門はすたすたと先に行ってしまったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 裁判当日。

 

「いよいよですね」

 

「……さぁ、一発かましに行こじゃないか」

 

 黛と古美門は裁判所の中へと歩んで行った。

 

 

 裁判開始時刻となり、被告人、弁護側、検察側が一堂に会した。傍聴席には記者の姿も見える。

 最後に、裁判官と裁判員が入廷し裁判は開始された。

 

 本人質問が終わり、罪状認否へと移る。

 

「被告人は5月16日、東京都内のホテルにおいて当時借金取りであった被害者の腹部を二度刺し、出血多量により死亡させたものであります」

 

 富岡は罪状を読み上げると席に座る。裁判官が美枝に対し黙秘権の説明を行う。

 美枝は否定も肯定もしたかった。つまり、黙秘である。裁判では黙りを決め込めという古美門の指示があったからだ。

 裁判は粛々と進んでゆくが、古美門は椅子にもたれたまま、ただ裁判が進むのを険しい顔で眺めているだけだ。富岡はそんな古美門を見て笑いを堪えた。自分は負けることはないと信じて。

 

「……以上の点から被告人が犯行を行った事実に間違いはありません」

 

 すでに検察側の立証が終わり、あとは弁護側の立証と最終弁論、被告人の意見陳述を残すのみとなった。弁護側からは、これといった反撃はされておらず、富岡は拍子抜けな展開につまらなそうに資料をめくっていた。

 

「弁護側、被告人質問はありますか?」

 

「ありましぇーん」

 

 武田鉄◯の僕は死にませんのモノマネだろうか。

 裁判長からの問いに古美門は素っ気なく不貞腐れたように返した。

 

「では、最終弁論に移りたいと」

 

「でぇすぅがぁ、福田雄一には少しばかり質問をしたいことが」

 

 不意を疲れる形となり富岡だけでなく裁判官や裁判員までもが驚きの表情を浮かべた。

 

「古美門弁護士、どの様な質問を?」

 

「凶器発見時の詳細な状況に着いて聞きたいことがあるので。極めて重要な質問です」

 

「分かりました。検察側、構いませんか?」

 

 富岡は古美門の浮かべているやたら挑戦的な自信に満ちた笑みが気に食わなかった。

 

「……えぇ」

 

 富岡は古美門の挑発に乗ってしまったのだった。

 

 こうして最強弁護士、古美門研介の番狂わせが始まる。

 

 

 

 

 

 

「無理を聞いてくださったことを感謝します」

 

 初めに古美門は壇上にいる裁判官と裁判員に礼を述べた。

 

「申請された書類が提出されてないようですが?」

 

「のろまなパートナー弁護士が資料の作成に時間がかかってしまい、当日となってしまいました。誠に申し訳ありません。さらに到着に少々時間がかかるようです。間抜けなパートナー弁護士が渋滞に捕まってしまったようで。まったくいつも5分前行動を心がけるように言っているんですが、どうも学習能力が欠如しているようでぇ。それも本人に変わって私が謝罪します。ですが、その書類を使うのは質疑の中盤です。なので、もう始めてもらってかまいません」

 

「はぁ、分かりました。では、開廷します」

 

 古美門の早口に裁判長は注意をする気が失せてしまったのか、ため息を一つすると、裁判を開始した。

 

 古美門が法廷の中央へ出て、福田が立つ証言台へと手をかけてもたれかかる。

 

「福田さん、あなたは現在、逮捕されていますね?」

 

「はい」

 

 古美門はいつもの通りに法廷内を自由に歩きながら、証人として出廷した福田に質問をしてゆく。

 

「今回、この場に呼ばれた理由は分かりますか?」

 

「説明はされました。確か、殺人事件の凶器がどうとかって話ですよね?」

 

「えぇ。それについていくつか質問をします」

 

 このタイミングで証人を申請するのも異例なことであるが、この質問の内容が被告人についてではなく、凶器についてということに、この場にいる法に関わる誰しもが疑問を浮かべていた。

 黛もその中の一人である。

 

「凶器は今年某日、あなたの家から発見されたした。間違いありませんか?」

 

「……はい」

 

「凶器はどうやってあなたの部屋に?」

 

「拾いました」

 

「分かりました。質問を戻します」

 

 そんな質疑応答に、富岡は痺れを切らし、挙手をして発言する。

 

「古美門弁護士、そのような質問に意味があるとは思えませんが? 私は重要な質問であるというから……」

 

 富岡の言葉に古美門は焦りもせずに、にんまりとした顔で答える。

 

「今のは、ちょっとした状況整理です。重要なのはここからですよー。では、福田さん!」

 

「は、はい」

 

 富岡は眉間にシワを寄せたまま座ることもなく古美門を見据え続けている。そんなことはお構いなしに質問を続ける古美門。

 

「狭間美枝を犯人だと決定づけた凶器が発見された家宅捜索時、あなたはどうしましたか?」

 

「……それは」

 

「正直に答えろ。約束を忘れたわけではないだろ?」

 

「……ッ」

 

 古美門は言い渋った福田に、周りに聞こえないような小声で発破をかけた。

 

「に、逃げ出しました」

 

「逃げ出したあとどうなりましたか?」

 

「捕まって……、車に押し込まれました」

 

「時間は二時間ほどですか?」

 

「正確には分かりませんが、そのくらいだったと思います」

 

 まるでタイミングを計ったかのように黛が、弁護側の通路から現れ、手にしていた紙を配って歩く。

 

「あぁ、間に合ったか」

 

 裁判長がかけていたメガネをずらし文面を流しみてから古美門に問いかける。

 

「古美門弁護士、これがその資料ですか?」

 

「えぇ」

 

 富岡は抗議の声を上げようとしたが、すでに遅かった。

 

「検察が提出した警察の文書には詳細には書かれていませんでしたが、正確には、家宅捜索開始予定が午前8時。被疑者が逃走したのは午前6時。捜査員が被疑者を捜査車両に留め置いたのが6時から8時まで。令状が到着して、捜索が開始されたのが8時10分からです。裁判長! 令状のないこの2時間の拘束は実質的な逮捕であり、今回の警察の捜査は違法捜査であります! よってこの捜査過程で発見された証拠には証拠能力はないものと考えます!! 以上です」

 

 ついに古美門の剣が振り下ろされた。

 法廷内が一気にざわめき立つ。そんな中で富岡だけが、呆然としていた。

 

「ば、バカバカしい! 警察の捜査は適法に行われていた!!」

 

「ならば詳細な資料を提出し、それを証明しろ!」

 

 思考を再々した富岡が古美門を指差し怒鳴る。古美門もそれに応酬する。

 

 富岡は何とか状況を打破するために脳をフル回転させたが、すべては後の祭りだった。今、重要なのは、狭間美枝が本当に罪を犯したのかでも、それに対する量刑でもなく、警察の捜査は違法だったのかどうかなのである。

 古美門はたった一言で、すべてをぶち壊したのだ。

 

 凶器だけに頼り、状況証拠のみによって狭間美枝を起訴した警察と検察にとって、凶器が証拠採用されないということは、致命的だった。

 

 狭間美枝が殺人を行っていないことを証明するのではなく、狭間美枝を犯人だと決定づけた起訴理由を消滅させることこそが古美門の狙いだったのである。

 

「検察官、静粛に!」

 

 富岡は逆らうこともできず、先の裁判と同様に拳を握りしめ、古美門を睨んでいた。

 

 法廷のざわめきが収まり、狭間美枝の意見陳述が終わると古美門は再び法廷の中心に立った。

 

「裁判官並びに裁判員のみなさん、法とは何を守っているのでしょうか。何に味方し、何を裁くのでしょう。何を良しとし、何を良しとしないのでしょう。そもそも、法の目的とは何でしょうか。……それは人々の幸福を守ることです。犯罪を犯すことを法は許しません。そして、権力の暴走も法は許さないのです。狭間美枝は罪を犯したのかもしれない、しかし、それを認めるということは、違法捜査を正当化してしまうことに他ならないのです。ある日、道を歩いていたら警察に捕まり、連行され、あらぬ汚名を着せられ裁判にかけられ、牢屋にぶち込まれる、そんな世の中を法は良しとしないのです。もちろん法は万能ではありません。それでも、我々、国民が安心して暮らせる社会を作るために法は最善と思える選択肢を選ぶのです。それこそが法治国家なのではないでしょうか。……今までも、そして、これからもそうであると私は信じています。終わります」

 

 古美門は髪型を整えると席へと戻り、深く腰掛けた。

 そうして、裁判は閉廷となり、判決言い渡しを待つのみとなったが、古美門の予想通り、新聞各紙は、警察の違法捜査を前面に取り上げ批判し、それは世間にも広がっていた。

 もはや誰も一人の女が罪を犯したことなど忘れてしまっているようだった。

 

 

 判決言い渡し期日。

 

「主文、被告人は無罪」

 

 判決が言い渡された刹那、狭間美枝が泣き崩れた。傍聴席からは判決を聞いた記者達が走り出す。

 

「判決理由、被告人の犯行を立証するに足る証拠がなかったこと。検察の提出した証拠には不透明な点があり、また違法性を疑う点があったことなどを考慮して、これを採用せず……」

 

 こうして古美門の戦いは彼の勝利で幕を閉じた。これが黛の初めて見る圧倒的なまでの古美門の実力であった。

 

 裁判が終わり、富岡は死んだ目をして廊下を歩いていると、一人の人物を見つけた。

 三木である。三木は富岡に気づいたようで、笑顔で歩み寄って来た。その笑顔に富岡は少し希望を持った。

 

「……三木先生」

 

「やぁ、お疲れ様だったね。今回は相手が悪かったな。君は充分、健闘したよ」

 

「あ、ありがとございます。それで、例の話は?」

 

「例の話? さぁなんだったかな、沢地君?」

 

「私も存じ上げませんわ」

 

 三木は富岡の小さな希望さえも笑顔で打ち砕いた。そして、富岡は気づいたのだった。三木の笑顔の意味に。

 

「じゃあ、私はこれで。負けるはずのない裁判で叩きのめされた検事としてこれからも大いに頑張りたまえ」

 

 三木は富岡の肩に手を置くと、そのまま裁判所の玄関へと向かっていった。その後ろに、いつも通りの沢地と、何やら勝ち誇ったような表情の井出が続いた。

 

 

 

 

 

 

 富岡が膝をつき崩れ落ちていたころ、古美門と黛はすでに帰路へとついていた。

 

「これで良かったんでしょうか」

 

 黛が古美門に聞いた。確かに、狭間美枝は無罪となったが、彼女の罪や彼女に殺された被害者の件はうやむやになってしまったのだった。

 黛は自分の正義感から、それを聞かずにはいられなかった。

 

「また、ご自慢の正義感か?」

 

 あざ笑うかのような古美門の問いに黛は苦い顔をして答えない。

 

「我々の持つ正義など法の前では無意味だ。白い犬も法が黒だと言えば黒になる」

 

「でも、それは!」

 

「だからこうとも言える法こそが正義なのだと」

 

 古美門の言葉に黛は押し黙った。しかし、このままでは彼女も引き下がることなどできない。

 

「じゃあ私たちが持つ正義は無意味だってことですか!? それじゃあ、悪だって善に勝ててしまうことになります!」

 

「何が善で何が悪かなど我々人間に分かるわけがないだろ。……だが、それでも自分の正義を貫くのであれば強くなれ。法はすべてに平等だ。誰にでも味方し、誰をも裁く。法を知り尽くし理解しろ。もっともっと強くなれ。そうした者だけに法は微笑むのだよ」

 

 古美門はそう言い放つと、うつむき立ち尽くす黛を置き去りにして歩いていったのだった。

 その顔には、小さな笑みが浮かんでいたが、その理由は彼にしか分からない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 福田雄一は検察が起訴を取り消したため、晴れて自由の身となった。

 

「はっ、二度と来るかこんなとこ」

 

 手渡された荷物を乱暴に奪いと拘置所の門をくぐったとき、スーツ姿の男が福田の前へと立ちはだかった。

 

「なんだよ!」

 

「福田雄一、この件について詳しく話を聞きたい」

 

 スーツ姿の男が取り出したのは、福田がマンションのポストへ何かを投函している写真だった。ちなみにこの写真は某草の者によって匿名で警察へと送られた物である。

 

「は、はぁ!? 知らねぇよどけよ」

 

「このポストから脅迫状が発見された。すでに令状もある。署まで同行してもらうぞ」

 

 こうして福田の自由はわずか5分で終わったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとございました!」

 

 後日、狭間美枝と美羽は古美門事務所を訪ねていた。だが、二人の横には男性の姿もあった。

 

「黛先生、本当にお世話になりました。これでようやく三人で新たな人生を歩めます」

 

「苦労することもあると思いますが、頑張ってください。あ、何かあればいつでも相談してくださいね」

 

「えぇ。彼女は私が辛い時、私の心を救ってくれました。……だからこそ私は彼女を幸せにしたいと思ったんです」

 

 男は古美門にも礼を述べると、一枚の紙を取り出した。小切手である。そこには古美門が指定した成功報酬が書き込まれていた。古美門も黛も男性がいることに特に違和感を抱いていないようだ。

 

「古美門先生、黛先生、お母さんを助けてくれて本当にありがとうございました。……いろいろと酷いことを言ってしまってごめんなさい」

 

 美羽が二人に頭を下げると黛は慌ててそれを制した。

 

「ううん、私は何もやってない。古美門先生が……」

 

「そーだ! 私が一人ですべてやったのだ! こんなポンコツがいたところで、役になど立たない」

 

「そんな言い方しなくたっていいじゃないですか!」

 

「私は真実を述べたまでだ」

 

 目の前で繰り広げられる古美門と黛の応酬に美羽は呆れたように、それでいてどこか楽しそうに笑みを浮かべた。それに、釣られるように、服部や蘭丸も笑だし、事務所内は和やかな雰囲気に包まれたのだった。

 

 

 

 

 美羽たちが帰った後、黛は裁判で使用した資料の片付けをし、古美門はいつもどうりデスクに足をかけクッキーと紅茶を楽しんでいた。

 

「美枝さんは幸せになれるんでしょうか」

 

「そんなこと私が知るか。まぁ、あの男の立場上、一度犯罪を犯した相手と一緒になることは、かなりの困難があると思うが。……後は彼ら次第だ」

 

「……そうですね。あ、ところで古美門先生、よく家政婦である美枝さんと雇い主の旦那さんが不倫の関係にあるって分かりましたね。しかも、旦那さんの心が奥さんでなく美枝さんにあることまで」

 

「ペンダントだよ」

 

「ペンダント?」

 

 古美門の答えに黛は首を傾げた。

 

「狭間美羽のペンダントは、ティファニー製の高級品だった。そんな高価な物を借金まみれの狭間美枝が買えるはずもない。……では、誰が買い与えたのか」

 

 狭間美枝の人間関係を考えれば、答えは一人しか浮かばなかった。

 黛は納得して感心したように首を縦に振った。

 

「そんな高価な物を娘に買い与えている時点で、普通の関係ではないと考えたまでだ」

 

 得意げに語る古美門。

 

「何だ結局、最後は勘だったんですね」

 

「勘ではない! すべての情報から緻密に導き出した推測だ!」

 

 一発勝負だったことにあまり変わりはないのだが。

 すると会話に蘭丸が乱入してきた。

 

「でも、真知子ちゃんの功績はでかいんじゃないの? 旦那と女房を慰謝料なしで上手く離婚させて、旦那の家から家系上も縁を切ってやる報酬の代わりが今回の裁判の代金だったんでしょ? さすが先生、やることがイケてるね」

 

 そう、古美門が黛に投げ渡した封筒の中には、狭間美枝の家政婦として勤める家の状況と夫婦関係を記した書類が入っていたのである。

 黛は必死に与えられたそれを処理していたのだ。離婚した妻は夫の財産には今後一切、手出しをさせないことを確約させた。相当な資産を有する家系であれば、それはかなり重要なことだろう。古美門の成功報酬を払うだけの価値のある。

 

 黛の働きによって結果的にあの母娘を救うことができたのは事実である。

 

「ふん、そのくらいは働いてもらわなければただの給料泥棒だ。まぁ、ちょうちんパンツにしては良くやった褒めてつかわす」

 

「どうしてそんな言い方しかできないですか! この捻くれ者!」

 

「ふはははは! 悔しかったら一度でも私を倒してみることだ。億が一にもあり得ないがねー」

 

 再び火種がくすぶり出したとき、服部が郵便物を手にやってきた。

 

「先生、こんな物が」

 

「……これは?」

 

 渡されたそれを開き、中身を見た古美門の表情が固まった。

 黛と蘭丸が裏から覗き込みとそれはかなりの額が記された古美門宛の請求書だった。

 

「うえっ!? ちょっと古美門先生、これなんですか!?」

 

「やんかヤバい額が書かれてるんだけど。……まさか、先生。女にはめられちゃった?」

 

 古美門は表情を固めたまま異様に瞬きを繰り返している。

 

「あ、古美門先生。この間の女性では?」

 

「服部さん、その女性って?」

 

「私も詳しくは存じ上げませんが、古美門先生がかなりお気に召されていたようでしたので」

 

「もう! 私、知りませんからね!!」

 

「……古美門先生も人のこと言えない位、女運が悪いんじゃないの?」

 

 散々な言われようにも関わらず古美門は何も反応をしなかったが、突如、請求書を破り捨てると、黛を指差し叫んだ。

 

「黛君、訴訟の用意だ! 断固、請求を無効にしてやる!!」

 

「お一人でやってください!!」

 

「黙れポンコツ。やらなければ首だ!!」

 

 そんな二人を眺めながら他人事のように蘭丸が服部に口を開いた。

 

「真知子ちゃんは対人運が悪いのかもね、服部さん」

 

「はは、すべての運がいい方はいらっしゃいませんからな。……ところで夕食は?」

 

「もちろんいただきまーす!」

 

 服部と蘭丸がリビングへと去ってからも黛と古美門の口論は続いていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




使っているパソコンが、文字化けしていたので、念のために載せ直しました汗
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