サラの身体に入ってから、半年ほどが経った。
とりあえず僕は普通に歩けるようになった。何を当たり前のことを、と思われるかもしれない。だが自分よりずっと小さくて軽い身体というものは、意外に扱いが難しい。
歩幅は違うし、重心も違う。
少し勢いよく立ち上がっただけで身体が前に飛び出してしまう。
しかも髪が長い。だから踏む。
『踏んでるよ、イーノ』
「痛い?」
『ちょっと』
慌てて足をどける。
自分の髪を自分で踏む経験は四十年近く生きてきた僕にもなかった。
うーんゲームの美少女って本当にたいへんだ。
「もう少し切ったらどうかな」
『いや』
即答だった。
まあ、そうかな。
人の身体を借りておいて女の子の命である髪を変えるわけにもいかない。
『これではイーノとダンスはもう少しかかりそうね』
「がんばるよ」
『うん、えらいわ、がんばって』
サラちゃんに応援された。超うれしい。
『毎日いっしょだもの、すぐに上達するわ』
「まあ朝から夜まで一緒だね……」
とはいえこれは少々困ったこともある。
サラが動かしている間、僕の意識が眠るわけではない。
僕には外の様子が全部見えている。
これは少々困る。
なぜ困るかというと、えーとその、たとえば着替えである。
サラは鏡の前で着替えをするのだ。
だから生肌が見えちゃうのだ。
『イーノ、顔が赤いわ』
「ごめん」
『謝らなくていいわ。イーノなら肌を見られてもいいもの』
「その発言はとても危険だ!」
『なんで?』
「なんでも!」
『ふうん』
サラは着替え終わると鏡の前でくるりと一回転。
『似合う?』
「似合うよ。かわいいかわいい」
『ふふ』
満足したらしい。
お人形さんのような美少女が褒められて嬉しそうに笑っている。
やっぱりかわいいなあ、もう。
『そういうことは、もっと口に出して言っていいのよ』
「サラちゃんは遠慮がないね」
『イーノの心の声は聞こえているもの、遠慮しても意味がないわ』
――僕とサラは、こんな感じで半年間を過ごしていた。
原作の歴史には、なるべく触れないようにした。僕たちがやったのは僧院にあった杖を少しずつ集めることぐらいである。ワープ、リワープ、スリープ、サイレス、バサーク。などなど。
「うーん集まったね」
『あいてむこれくたーね』
ゲームなら一本手に入るだけで攻略方法が変わるような杖が、今ではサラの部屋に何本も転がっている。さすがマンフロイの孫娘。おねだりすると、だいたい何でももらえた。
これならリーフ軍も楽になるはず、なのだが。
「リーフ王子、遅いね」
原作通りなら、そろそろ彼がやってきていい時期だ。
『イーノ、日にちを間違えた?』
「細かく覚えてないんだよね、ていうかゲームで日付とか出ないし」
『そうなの。イーノの世界にはカレンダーがないのね』
「それもちがうんだけど……」
そんな会話をしていたある日のこと。
部屋の扉が叩かれた。
「サラ様。ベルド司祭がお見えになりました」
ベルド。
その名前を聞いた瞬間、嫌な予感。
ベルドはトラキア776における最後の敵だ。
マンフロイの命令を受けて、北トラキアを裏から支配している男。
『どうしたの、イーノ?』
「いや。ベルドがこの僧院に来るなんて、原作にあったかなと思って」
『会えばわかるわ』
「それはそうだけど」
サラは僕から身体の主導権を受け取ると、扉を開けた。
外には黒い服を着た僧兵が立っていた。
「ベルドはどこ?」
「地下の礼拝堂に。サラ様にお見せしたいものがあるとのことです」
「わかった」
地下の礼拝堂についた。
ベルドと数人の僧兵が待っていた。
礼拝堂の中央には布をかけられた大きな何かがある。
「おお、サラ様。ご機嫌うるわしゅう」
ベルドが深々と頭を下げた。ゲームではドット絵だったからよくわからなかったが、実際に見るとかなり怖い。身長は高く体格も良い。顔色は悪いし、目つきも悪い。
あと、なんだか全体的に湿っている。
暗黒司祭はどうしてみんな健康に悪そうな見た目なんだろう……。
「これ、なに?」
「マンスターより運ばせた、珍しい品にございます」
ベルドが布を取った。
人間の石像だった。
少年である。
剣を抜き、誰かをかばうように片手を広げている。
「!!」
がつん、と衝撃を受けた。
『え……イーノ、この人がそうなの?』
僕はその顔を知っていた。
何度もゲーム画面で見た顔だ。
「リーフ王子……」
思わず、サラの口から声(僕の)が漏れた。
「なんと。ご存じだったのですか」
ベルドが目を細めた。
しまった。
『大丈夫。あたしが話すわ』
サラがすぐに身体を引き受ける。
「おじいさまから聞いたことがあるの。レンスターの王子でしょう?」
「左様でございます」
「どうして石になってるの?」
「マンスターで捕らえたのです。本来は別の女を石にするはずでしたが、この者が飛び出してまいりましてな」
歴史が変わっている。
原作で石にされるのは、エーヴェルだった。
リーフはそれを目の前で見て、仲間たちとマンスターを脱出する。
それなのに。
リーフが、エーヴェルをかばった。
そして代わりに石にされた。
『イーノの話と違うね』
「……うん」
『どうする?』
「ちょっと待って。今考えている」
リーフが石になった。
では仲間たちはどうなった。フィンは。ナンナは。マリータは。
そもそも主人公が石像になってトラキア776の物語はどうなるのだ。
頭の中に、最悪の展開が次々と浮かんでくる。
『イーノ』
「なんだい」
『この人、もらいましょう』
「えっ」
サラは石像に近づいた。
そして、ぺたぺたとリーフの頬に触った。
「これ、ほしい」
ベルドが鳩が豆鉄砲を食らったような顔。
「……この石像を、でございますか?」
「うん。きれいだから」
ベルドは困った顔をした。
「大変申し訳ございませんが、これは反逆者への見せしめとして――」
「ベルドは、あたしにくれないの?」
サラが首をかしげて不機嫌そう。
一瞬でベルドの表情が青くなる。
「い、いえいえ! もちろんサラ様に献上いたしますぞ!」
「そう。ありがとう」
そんなにサラのじいさん兼上司のマンフロイが怖いのか。
このベルド、庶民的だ。
「わーい。リーフ王子、あたしのね」
こうして僕たちはリーフ王子を手に入れた(なんでだよ)。
「あら、この剣は石化していないのね」
石像のそばに一振りの剣が置かれていた。
細身の美しい剣だ。
それはリーフの母、エスリンから受け継がれた光の剣。
「これもほしい」
「は。もちろん、どうぞお持ちくださいませ!」
ベルドはもはや逆らう気はみじんもないようだ。
中間管理職の悲しさである。
「サラ様。石像は僧兵どもに部屋まで運ばせましょう」
「ううん、あたしのだから、あたしが運ぶわ」
サラが石像を両手で持とうとした。
そして動かない。
「とても重いわ」
『サラ、ワープ、ワープとリワープ』
「あ、それもそうね。さすがイーノ」
サラはリワープの杖を取り出した。
「お待ちください、ワープでは失敗すると石像が壊れてしまう――」
ベルドが止めるより早くサラは杖を振った。
光が礼拝堂を包む。
次の瞬間、僕たちはリーフの石像と一緒に、とある部屋に立っていた。
「おお……」
『ふふ、リーフ王子、ちゃんと救えたわ』
「えらいえらい」
なんかベルドが不吉なこと言ってたけど。
とりあえず失敗しなくてよかった。
『えへへ』
サラは得意そうに杖を抱えた。
部屋の中央には、石になったリーフ王子がいる。
その横にはワープやらバサークやら各種の危険な杖が山積みになっている。
とんでもない絵面だった。
「しかし、どうしようか」
『治してあげればいいんでしょう?』
「そうだけど、石化を治せるのはキアの杖だけなんだ」
『キアの杖なら、マンスターにあるわ』
「えっ」
『誰かに持ってきてもらえばいいんじゃない?』
「そんなあっさりと……いや待てよ」
リーフの石像がおねだりひとつでもらえたのである。
マンフロイの孫娘であるサラが頼めば、キアの杖も手に入るのか。
すごいや、ロプトの姫の権力。
『リーフ王子を治したら、あたし褒めてもらえるかしら』
「それはもう、ものすごく感謝されると思うよ」
『たのしみ』
サラは石像になったリーフの手を握った。
『ねえ、イーノ』
「なんだい」
『イーノの知ってる物語と違っても、二人ならなんとかできる?』
僕は少し考えた。
正直なところ、できるとは言い切れない。
主人公は石像になり、原作の物語は始まる前から壊れてしまった。
でも……
「なんとかしよう。サラちゃんと僕で」
『うん』
サラはくすくすと笑った。
とりあえず、次の目的は決まった。
石になったリーフ王子を治すため、キアの杖を手に入れるのだ。
……おねだりして。