まだ誰もいない早朝、兵士の訓練場にて。
僕はいつもの格好……つまり、「エイト殿下」の緑の衣装……でいつもの剣を手に、ただ素振りをすることに集中していた。
城の中では常に誰かが起きていて、見張りの兵士が交代制なのはもちろん知っている。
だけど、なんとなく「まだ眠っている城」という気がしていて、そんな時間が好きだった。
太陽が地表を温めきる前のひんやりとした空気、静寂だけがそこにある微睡みの時間。
静謐な中で、眠るわけでもなく目を閉じて剣を振っていると気のせいかな、だんだんと己が研ぎ澄まされているような感覚になる。
しばらくすると、扉が遠慮がちに開いたので目を開ける。
そこにいたのはきっちりと鎧を着こんだ将軍カイだった。
背が高く、いかにも強そうながっしりとした男。
兜を手に抱え、短く刈り込んだ黒い頭には包帯などは巻かれていない。
決闘の後にかけた僕の
「おはようございますエイト殿下! 今日もお早いですね。朝の鍛錬でございますか?」
「うん。習慣だから目が覚めちゃった」
「流石でございます」
「カイ将軍、元気そうでよかった。床に頭ぶつけさせちゃったから」
「問題ありません。王命を受けての決闘に遠慮などいりますまい。ただの一太刀も入れられなかったわたくしめでしたが良い体験を与えていただけました。
殿下が幼い頃から鍛錬するさまを見学させていただいておりましたが、完全に不意打ちをされてしまいましたな。剣にも呪文にも優れた強敵であることは認知しておりましたが、まさかあのような手を持っておられたとは」
「褒めてくれてありがとう。普段の鍛錬であんな人体破壊するわけにもいかないから、奥の手みたいになってたかも」
一撃で倒してしまったらこっちも鍛錬にならないし。
手加減しているわけじゃないけど、これはきっと禁じ手だなって思っていて出していないものはたくさんあった。
回復魔法をもってしても相手を壊してしまいそうなものとか、勝負が一瞬でつきかねないものとか、そういうもの。
「さようでございますか。しかし、あのような電撃の呪文を強力に使いこなし、なおかつ周囲に被害を出さずに鮮やかに一撃で沈める。まさしく理想の戦いぶりでございました。昨日は他の攻撃呪文で真似をしようとした者が次々に手を負傷してしまい、殿下の魔力コントロールの繊細さを思い知らされたところです」
「そうなんだ。ちょっとアドバイスをするならまず、手から離れる前の呪文はまだ自分の魔力だって認識することが大事だよ。手元にあるときはまだ自分に魔力を『還元』できるようにすれば怪我も減ると思う。慣れてくると触れていなくても威力を発揮する前なら自分にぶつけて使った魔力を吸収できるようになるし、そうすれば戦っている途中でも次に繰り出すものが読まれにくいし、効率的に戦える。そういう訓練をしたらいいかも」
「素晴らしいアドバイス、ありがとうございます。私が気絶している間に『雷の槍』を展開され、ご自身にぶつけられたとお聞きしていたのですがそのようなご意図があったのですね。次戦に備えられ、そして必要なくなれば魔力を還元する……理想的な効率。ぜひ取り入れされて頂きます」
メモを取り出してまで聞き入ってくれるのは「殿下」へのおべっか?
ううん、生真面目な将軍なら素かも。
これでサザンビーク兵団の戦力増強になればおじ上、喜ぶかな。
喜ばれなくても国益になるなら「兵器殿下」の面目躍如だよね。
「エイト殿下。改めまして、本日の旅立ちについて……恐れながら年長者として申し上げてもよろしいでしょうか」
神妙な顔でそう言われちゃね。
僕は改めて将軍に向き直った。
「もちろん。何でも言ってよ」
「では。
殿下はとても高潔なお方です。ですから、旅をすれば時に命を投げ出しても良いと思われる場面があるでしょう。何を差し出しても構わないと振り返らずに飛び出してしまう場面もあるかもしれません。騎士としての美点を持ち合わせた『勇気』の申し子こそサザンビークの誇るエイト殿下。
それが私たちの目指すべき目標であり、誇りであるのは間違いありませんが……」
見上げた男の目は真剣で、その色はおじ上やチャゴスから感じる「家族愛」に似たあたたかいもの。
ただ、若輩たる僕を想っている、と直感で分かった。
「うん、」
「私たちには、すでにこの先のエイト殿下は大いなる役目を背負う偉人になると分かっているのです。きっと、誰にも成し遂げられなかったことをなさるのです。それでも。
殿下、命だけは大切にしてください。何を犠牲にしても帰ってきてください。たとえ恥にまみれ、誰に後ろ指を指されても良いのです。殿下がご無事であるならば、それがサザンビークの人間にとって一番の幸福なのです。
これは我らの願いです。エイト殿下、誰を愛しても良いのです、なにを望んでも良いのです、そしてどんな行動をしても良いのです。すべてが自由になる旅の中で大きく成長してください。そして、無事に帰ってきてくださいませ。
私の立場で申し上げるのは出過ぎたことですが、エイト殿下が選ぶ場所がもしサザンビークではなくなってしまったとしても。なんでも良いのです、生きて戻ってくださいませ」
「それは……」
「エルトリオ様が戻らなかったから、ではありませんよ。
私たちは、エイト殿下のお帰りをただお待ちしております。そのためならば偉大なる旅路を阻害する事になっても、申し上げさせてください。
貴方の帰りを待っております。私どもも、陛下も、王子も。ゆめゆめお忘れなきように」
泣きそうな顔だ。
でも泣きはしない。
その祈りは僕が「殿下」だからだって分かっていて、それでいて、僕をただ幼い頃から知っている「大人」の祈りなのも、同時にわかる。
ただ懇願して、ただずっと年下の人間に懇願して、カイ将軍は膝をついた。
「殿下に出過ぎたことを申し上げましたこと、お詫びいたします」
「ううん。許すよ。キミの、キミたちの想いは確かに受け取った。胸に刻むよ。そして生きて帰るさ。必ずね」
「殿下は真面目でいらっしゃるので仰る言葉に嘘はありますまい。このカイ、安心いたしました」
剣をおさめる。
僕は立ち上がった将軍に微笑みかけた。
「僕って思っていたよりもずっと、『エイト』として想われていたんだ。気づかなかったな……」
「昨日。殿下、泣いておられたのでしょう?」
「それも聞いていたんだね」
「えぇ。それで、近衛一同……もちろん侍従や学者も、貴族もです。ようやく思い知ったのですよ。エルトリオ様にそっくりで、同じように優秀で、真面目でお強い『エイト殿下』。その側面はあるでしょう、親子なのですから似ていて当然です。
でも、私たちの前にいらっしゃる若き殿下は王兄殿下とは別のお方。別の考えを持ち、別の道を歩まれる。当たり前のこととして分かっているつもりでしたが。エイト殿下が涙を流されるまで私どもの頭は『面影』を追うばかりだったのですよ」
規範であるべき王族としてあるまじき、感情をむき出しにした慟哭。
そんな姿をみっともないと思われずに、僕を見てくれていたのか。
ちょっと、いい気分かもしれなかった。
「エイト」を思う、「エルトリオ」という大きな影を通さない言葉。
素直に染み入る心配の声……。
「忘れないから。僕、キミたちの言葉、忘れないから」
生きて帰ろう。
僕の心はここで死んでもいいと思うかもしれない。
全部投げ出してもいいって思うかも。
飛び出して仲間の誰かを救おうとするかも。
ドルマゲスと刺し違えれば勝てると分かればやってしまうかもしれないね。
でも。
その予感は、裏切る心だ。
生きて帰ろう。
なんとしてでも。
みんなに報いなければ。
◇
昼前。
いつかの……今となってはかなり昔に感じる、エイト殿下の「王者の試練」と同じように城門の前にて。
「仰々しくしちゃってごめんね? それに勝手に仲間になってついていきたいなんて言い出してさ」
「ヤンガスが大喜び過ぎて落ち着いてもらうのが大変だったぜ、まったく」
「こっちからしてみれば大戦力が仲間になってくれて嬉しい限りよ。そろそろ気が逸れちゃったヤンガスがパーティを抜けちゃうんじゃないかってヒヤヒヤだったんだから」
「兄貴と一緒に旅ができると思っただけでワクワクが止まらなくなっちまって……光栄でがすよ! アッシはもう、兄貴がいる限りぜーったいに抜けないでがす! 何があっても兄貴に呪いをかけたドルマゲスの野郎をブッ飛ばしてやると誓いやすよ!」
「事後承諾だったのに歓迎ムードでよかった。ありがとう。
あ、トロチャン殿とミーティアは?」
「
「なるほど。あ、僕のことは今後も『エイト』でいいからね。同年代に敬語も使ってたら変だからナシで。ヤンガスは……好きなように話してくれたらいいけど……」
「おーい、エイト!」
大衆に向かって手を振りながら、仲間たちに話している途中、大きな声が聞こえて振り返る。
チャゴスが城から大慌てで走ってきたらしい。
時間が多少遅れてしまっても待っているつもりだったのに。
「ぼくが見送る前に行ってしまうかと思ったんだぞ!」
「ちゃんと待ってたさ。不安にさせてごめんね」
「まったく! まぁいい」
チャゴスはむんずと僕の腕を掴み、無理やりガントレットをすっぽぬくと僕の手になにか握らせた。
なにこれ。
硬い、石?
手のひらの中の石は青く、優しく輝いた。
「お守り、だ! いいか、肌身離さず持ってろよ! お前は勇敢で命知らずでうっかり死にそうだ! それを持っていれば一回は身代わりになって砕け散るらしい!」
「それって『命の石』じゃないか。そんな貴重なものを」
「王族の命を守るのに貴重も何もあるか! たったの一回で砕け散るなんて不完全にもほどがある! だけどこれしかなかったんだから仕方ないだろ! いいか、仲間に渡すとかそんな馬鹿な真似はするなよ! これはぼくがエイトにあげたんだからな!」
「分かってるよ。ありがとう、チャゴス」
貴重な、本の中でしか見ないような道具。
きっとチャゴスにとって切り札のような宝物だったんだと思う。
だってチャゴスは「正しい」臆病者だから。
それを手放してもいいって思うくらい、僕に生きて帰ってきて欲しいんだ。
チャゴスも。
「ぼくはまだ認めたくない! 外になんて行ったら死んでしまう! 王族だろうが死は平等なんだ、エルトリオ様も母上ももういない、アスカンタもトロデーンも王妃が亡くなった。なのに兵士を出すんじゃなくて自分が行くなんてエイトはおかしい!
でも!
エイトがそう決めたんなら頑固なエイトが止めても聞くわけないってぼくはいちばん、いちばん知っているからな!
いいか、エイトが死んでしまったらサザンビークの王様になるのは強制的にこのぼくだ! おじいさまたちの約束を果たすのもぼく、父上の慰めになるのもぼくだけになる! そんなの許さないからな! 荷が重すぎるだろ、何個か持っていってくれないと困るんだからな!」
「生きて帰るさ。チャゴスの想いが本物だって知っているもの。みんなの、民の気持ちが本当だって知ったんだもの」
「それならいいんだ」
チャゴスの手がもう一度伸びてきて、僕の手を掴んだ。
僕の鱗まみれの手を、恐れずに握ったチャゴスの行動は、国民たちの目にも届いたはずだった。
そして、無言のまま離れる手。
僕を見送る、家族の想いはそっと背中を押している。
ガントレットを装備し直し、小さくうなずいてみんなを促した。
行こう。
きっと城のバルコニーからおじ上も見守ってくれている。
僕らは手を振りながら城門をくぐった。
そして、門がゆっくり降りていって、すっかり見送りの声が聞こえなくなった。
恐る恐る踏み出した最初の一歩の、なんと重いことか。
でも、あぁ、僕は焦がれていた自由を手にしたんだろう。
みんなを振り返る。
僕が何か言うのを待っててくれているみたいだった。
「改めて、僕はエイト。見渡す限りの世界を見せて欲しいんだ。きっと役に立つから」
僕は弾ける心の赴くままに、その場でくるりと回って一礼した。
◇
サザンビーク城下町、某所。
「へ、へへ、王子サマ。何の御用でやしょう? あっしらの仲間にも話を聞いて欲しいとは……もしかしてお売りしたアルゴンハートになにか不具合が?」
「フン、アルゴンハートには何の問題もなかった。今日はお前たちにうまい話を持ってきたんだ。うまくいけばこのぼくも大儲けすることができ、お前たちは日向で堂々と稼いでいられる。まずはチャゴス様の話を聞くがいい!」
「へぇ……」
チャゴス王子は怪しげな商人とその仲間たちに向かって「なにか」を見せびらかした。
「それは、なにかのウロコ、ですかい? 小ぶりだが質は良さそうな……防具向けじゃねぇ、アクセサリーにするのがいいでしょうな」
「ぼくの手元にはこれがざっと数万枚はあるんだ。まったく正気の沙汰じゃない。
おっと口が滑った。とにかく! これを使ってぼくは大儲けしたいんだよ!
お前たちは手先が器用みたいだからな! それに父上との繋がりもない。まさしくうってつけの相手だ。
もちろん嫌とは言わないよな? あんなにアルゴンハートの出所を国に知られたくないだろ?」
「い、嫌じゃない。だけどよ、アルゴンハートの出所が知られて困るのは王子サマのほうなんじゃ」
「ぼくはあの大きなアルゴンハートを買って提出しようとしたが結局はちゃんと自分のアルゴンハートを提出して正直に言い、父上に謝ったぞ」
「そ、そんな……じゃ、じゃああっしらは王子サマのいうことを聞くしかないってわけですかい」
「そう言ってるだろ! いいから話を聞け、作戦会議だ。どんな細工を施したら見栄えが良くなる? 売れそうだ? どうすれば魅力的で国民どもが欲しがるような形状になるんだ? 加工にどれくらい時間がかかる、売値はどうすべきか、考えることは山ほどあるんだ!」
まくしたてたチャゴス王子は、にんまりと笑った。
「エイトをびっくりさせてやるんだよ。
仲間加入したらその場でくるっと回るのがお約束
近衛兵エイトに(呪われて意識があったか定かではないとはいえ)無事を祈ってくれそうなトロデーンの人々がいたように、エイト殿下の無事を祈るサザンビークの人々はいるはず
これにて第1部 漫遊王子の孫息子たち の本編終了です。
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