不思議な家族
「どうしよう……」
火が付いたように泣いている赤ん坊を抱えて、呆然と立ち尽くす。
声を掛けてあやしたり、ミルクをあげようとしたり、おむつが濡れていないかを確認したりはもうとっくに済んでいる。
ゆらゆら揺れながら歌ってみたり、反対にそっと寝かせてみたり、オモチャを見せてみたり、思いつく限りのことはしたけれど。
赤ん坊は、エイトさまは泣き止まない。
そもそも、乳母が足りないのであって。
「王子」の世話役もそもそも必要十分な人数しか雇っておらず、急遽下の兄弟がいる侍女であるわたしに世話役をあてがったとはいえ、子守のプロではない。
「エイトさま」は想定外の、お子だった。
サザンビークの人間は外からやってきたエルトリオさまの「遺児」をどう扱えばいいのか決めかねて、歓迎すべきか警戒すべきか様子を見ていた。
そういう訳で、チャゴス王子の乳母から直接指名された侍女が交代でエイトさまの面倒を見ていた。
もちろん、「あちら」が落ち着けば人員の合流はあるものの。
チャゴス王子はチャゴス王子でお妃さまの体調悪化に伴い、お母さまに会う時間が短くなって不安定になられている時期。
クラビウス陛下の唯一のお子である王子の方に人員が割かれるように「配慮」されてしまうのも無理はなく。
陛下は分け隔てなく接するよう命令されたけれど、お妃さまのご意向もあって実際はそうなっていない。
「どうしよう……お願い、泣き止んで……」
エイトさまを取り巻く事情を分かっていたから、助けを求めることはしなかった。
泣き疲れて、弱まったり。
反対になにかを訴える様に強まったり。
きっと「体力の限界」を知らない赤ん坊ゆえに、本当の限界を迎えてしまうまで泣き止まないんじゃないかって、不安になる。
あぁ、どうしよう。
泣き止んで、どうか眠って、どうか、多忙な陛下が不安になられないように穏やかであって……。
祈るようにうつむいた、その時。
足元になにか小さい生き物がいることに気づいた。
「きゃあ! ネズミ!」
掃除係は一体何をしているの!
抵抗力のない赤ん坊のいる部屋に不衛生なネズミが出たなんて、お城を一発で首になってしまってもおかしくない!
トサカ? の生えたネズミが、赤ん坊を抱いて両手のふさがっているわたしの足をするすると登ってきて……せめて、エイトさまが変な病気を貰わないように遠ざけようとおくるみを掲げようとしたのだけど、間に合わず。
ネズミは、エイトさまの方に真っ直ぐ向かって、それで。
ちいちゃな赤ん坊の手が、むんずとネズミの尻尾を掴んで、そのまま振り回された!
しかも、エイトさまは嘘みたいに泣き止まれて、笑顔で!
「チチチチチチチチ?!」
「わああ、ばっちいからお放しくださいませ! ネズミのぬいぐるみを手配いたしますぅぅ!」
「なぁにやっているんだい!」
哀れなネズミの悲鳴と、私の大声を聞きつけたのか、やっと王子の乳母が帰ってこられたものの。
小さな殿下は乳母の熟練の「あやし」も効かずにネズミの尻尾を握りしめて絶対に離されなかった。
「祖父」から「おじ」へ託されてからというもの、ずっとずっと肉親を恋しがって泣いておられたエイトさま。
当初小憎らしかったネズミはむしろ可哀そうだけど、エイトさまが笑ってくださるなら必要な犠牲なのかもしれない、と王子・殿下の世話役たちの間で意見が一致したのはすぐだった。
どうみても成体のネズミだし、そう長生きはしないかもしれないけれど少しでも小さなエイトさまの慰めになるのなら。
そのように判断され、また誰かのペットが逃げ出したのか、忌み嫌われるドブネズミとは違う種類なこともあって「毎日徹底的に洗浄する」ことでそのネズミはエイトさまのお友だち第一号として就任することになった。
不思議なことに、どんなに尻尾を掴まれて無茶苦茶に振り回されても。
毎日毎日しっかり洗われても、洗い担当から逃げるどころか近寄っていく賢さを見せて。
無邪気な殿下が頭から涎でべたべたにしてしまっても、逃げてしまうことはなく。
食料を食い漁ることなく、与えられた餌だけ食べる。
そんな特異な賢いネズミ。
都合がよすぎることを怪しむ声は最初はあったけれど、ネズミを取り上げてしまうとチャゴス王子の「小さな癇癪」の数倍、エイト殿下が泣かれてしまうのでそういうわけにもいかず。
ネズミを洗うのだって殿下の見ているところでないと許してくれないのだ。
そうして一年、二年、三年、……十年、とんで十八年。
ネズミは……いいえ、「トーポ」はエイト殿下に寄り添い続けた。
驚くべきことに少しも老けた様子もなく、もちろん弱ることもなく。
流石に、長生きしすぎだと怪しく思って一度「本当にネズミなのか」と学者に調査されたけど、大事な「家族」を疑われることを滅茶苦茶に警戒し嫌がったエイト殿下の目の前で「間違いなくネズミである」と太鼓判が押された。
一応、見た目はネズミだけどネズミにしては信じられないくらい長生きしているから「どこかで魔物か妖精の血でも混ざった個体で、だから長生きで賢い。だけどかなり遠い祖先かなにかでトーポ自体にその要素は全然なく、本質的には賢いだけのネズミ」という扱いになっている。
そんな不思議なトーポは、成長して「温厚・破壊兵器」とかいう大きな矛盾を抱えることになったエイト殿下の胸ポケットに今日も入れられたり、肩に乗っけられたり、手のひらに乗せられておしゃべりをしたりと可愛がられている。
『兵器殿下』
兵士としての初勤務の日。
もろもろの挨拶を済ませて、今日は一日先輩兵士についていくらしい。
兵舎から順に歩きながら、着慣れない鎧に早く慣れなければと決意を新たにする。
小さい頃からの憧れだった兵士になれたんだ。
こういうのは最初が肝心って言うよな、うん。
先輩からの印象を良くして、早く兵団に馴染みたい。
いろんな訓練も楽しみだし、怖い気持ちもある。
仕事をするのも有事があったらどうしようという不安と、お役目としてしっかり国を守っていきたいという使命感の両方がせめぎ合う。
少し不真面目な気持ちでは、これまで雲の上だったお貴族さまや王族の方々の近くで働けるのってとてもワクワクする。
これまで遠くからしか見てこなかった人たちが目の前を歩くんだ。
恐れ多くてたまらない。
でもきっと慣れるだろうし、その日常を守れる人になりたい。
「いいか新入り。今日が初勤務、城中の案内をしてやるが……途中で陛下はもちろん、チャゴス王子やエイト殿下にお会いしたらどうする?」
「その場で敬礼します!」
「よし。あ、そうだ。もしエイト殿下に手合わせを挑まれたら断れよ。断って怒る方じゃないから。受けたら今日が案内どころじゃなくなる」
「は、はぁ、分かりました。エイト殿下って戦闘狂なんですか? バルコニーから手を振ってくださるお姿しか見たことなくって」
「戦闘狂かはともかく……とにかく腕試しがお好きな方でね、その上メチャクチャ強い。もし勝てたらあのカイ将軍より強いってことになるかもな。あのお二人の手合わせは見たことないけど」
「筋肉達磨なあの将軍より? いかにも物腰やわらかくて優しそうじゃないですか、殿下って。それでもって真面目そうだから……あのチャゴス王子よりは強いんだろうなぁ、きっと『王者の試練』もしっかり結果を残されるんだろうなぁ、と思っていたんですが」
「合ってる。実際お優しいし、目の前で素っ転んでもむしろ助け起こしてくださるようなお方だよ。誰にでもお優しくて、かつ、……ちょうど兵士の訓練場に差し掛かったな。ま、見たらわかるよ」
扉を開ける前から中からわぁわぁと声が漏れ出ているというか、正体不明のギャリギャリ、ガンガンとした金属音? 打撲音? らしい不快な音が聞こえているというか。
不安に思いつつ、先輩が扉を開けた瞬間、こっちに吹っ飛んできた兵士が扉の横の壁に叩きつけられて、ばたりと倒れた。
近くには刃こぼれした剣やへし折れた槍が転がっている。
良く見ればすでに死屍累々。
たくさんの兵士が倒れていて、槍や剣がそこら中に突き刺さっている。
どんな状態が普通なのかわからないけれど、大惨事なのはわかる。
「今日は『エイト殿下大立ち回り』の日か。いいか新入り、槍は背中に背負ったまま部屋に入らないと参加者と見なされる。武器には指一本も触れるなよ」
「なんですか『エイト殿下大立ち回り』って!」
「エイト殿下VS他の兵士集団、だよ。ほら見てみろ」
「次はどんな手を見せてくれる? さぁこのエイトに勇気を示せ!」
「……あぁ、三人吹っ飛ばされた……今日も絶好調でいらっしゃる」
勇ましい声と共にただの剣のひと薙ぎにしか見えない攻撃が、大の大人三人を吹っ飛ばし、地面に叩きつけられて降参を叫ぶ。
そして、ちょうどそこに立っている人間がいなくなったらしい。
エイト殿下は全員が戦う意思がなくなっているのを確認すると剣をおさめ、こっちに向きなおられた。
ボクたちはそろって敬礼する。
こんなに至近距離で王族の方に会うのは初めてで、ひどく緊張した。
それを見透かすように優しい微笑みを浮かべてくださるエイト殿下は、さっきまでの勇猛な戦いぶりとは別人のようだった。
「やぁ、初めましてかな。兵に新人が入るって話は聞いていたよ。これからよく励んでね」
「は、はい!」
「キミも、新人の案内ご苦労。さて、せっかくだしどっちか僕にかかってくる?」
「恐れながら遠慮させていただきます! この後も後輩を城を案内しなくてはならないので!」
「そう? そうだよね。新人のキミ、訓練に慣れたらきっとよろしくね。新しい人間の相手をするのは面白いから期待してるよ。僕の見たことない呪文のひとつでも見せてくれたら嬉しいな」
爽やかにボクたちに手を振って、殿下は部屋に入ったときには既に倒れていた兵士をひとり助け起こして回復魔法をかけてやり、その兵に救護を呼ぶように言いつけてから立ち去られた。
後に残ったのはメチャクチャになった部屋と、ボロボロの兵士たち。
「な、分かったろ。殿下は間違いなく喜ばれるだろうが簡単に手合わせを引き受けるんじゃないぞ。一日二日は使いものにならなくなるからな」
「はい……でも、皆さん楽しそうですね。皆さんでなにか、話し合われていて」
「これから吹っ飛ばされたなりに今後の改善点の報告会をするんだよ。憧れの殿下直々の『お稽古』だ。一太刀入れられたら大金星、もしも勝てたら英雄だ。流石の殿下も複数人で怒涛のように襲い掛かれば一太刀くらいは入れられる……日もある。そんな日は今頃お祭り騒ぎだ。で、翌日もっとやる気漲る殿下にボコボコにされる」
「怒涛のようにって……それってもはやリンチじゃないですか。そこまでしないといけないんですか?」
「まぁ見てたろ。それに今日の殿下はご自身で『呪文縛り』していらっしゃった。物理攻撃だけだな。両方使ってくる殿下はすごいぞ。それでついたあだ名はご存じ『兵器殿下』」
「は、はぁ……想像を絶する強さなんでしょうね。もしかしなくてもじゃあもうボクたち兵士って要らないんじゃないです?」
「いくら殿下がお強くてもなにか起きた時に人手は必要だろうが。それに地震でも起きた時に殿下を動員するつもりか? ……さ、次行くか」
その後、クラビウス陛下やチャゴス王子とばったり会うことはなく、平穏無事? に案内は終わった。
そして、退勤の時間までに言いつけられたのは……メチャクチャになった訓練場の片付けの手伝いだった。
それにしても。
エイト殿下と会話した時、あまりにも緊張してしまったから記憶があやふやで自信がないけれど。
殿下、胸のポケットにネズミを入れていたような……そんなまさか。
あんな大立ち回りをしながら小動物を連れていたなんて現実的じゃない。
翌日以降、先輩方に話を聞くと「ネズミ」を連れていらっしゃるのは本当だったらしい……。
身体を張るじいちゃん
身体を張らされる兵士たち
「エイト」は善なる人であり、与えられた役目を(それが神殺しであろうと)遂行できてしまう人なので逆にお役目がなければあるいは狂いそうだよね、と
でも善なる人なので普通に狂いはせずに、ただ彼の中に煮えたぎる何かとなり、やりすぎの兵器になってしまった……
真面目なので遊び回らず、真面目なのでやれることを探すが先回りで封じられ続ける 出奔しないように
鍛錬すること自体は王子と殿下に与えられた役目であると解釈できるため、のめり込む