……夢、のように感じていたの。
あたしがやったことすべて、やってしまったことすべてを。
夢の中にいるようなあたしは、ただぼんやりと目の前の出来事を眺めているだけ。
なにもかも実感なんてなくて、目の前で起きていることがどんなことでも「あぁ、そうなの」となんの感情を持たずに見ているだけ。
サザンビーク城の玉座の間でみんなに攻撃したのも、
関所を攻撃して、鉄の門を破壊したあたしを見て兵士たちが逃げたのを見ても、
身体の内側から湧き上がる声に従って「チェルス」を何度も狙っても、
追いついたみんなにまた攻撃したのも、
邪悪な魔力に突き動かされて……命中したら簡単に人が死んでしまうような呪文をたくさん使っても。
あたしは、ただそこにいて、ふわふわと心は宙を漂うだけ。
やることなすことなんにも怖くなんてない、少しも辛くなんてない、全く幸せなんてない、繰り返し言っているくせに悲しくなんてない、もちろん怒りなんてない、ただそこにいるだけ。
今思えば、同じように「杖」に操られていたドルマゲスもそうだったのだろうけど。
ただただそれが当然で、ただただ操られて動くだけ。
それが当たり前なのだから、そうあるべきなのだから……。
「杖」の正体も無感動なあたしに流れ込む。
あの「杖」には暗黒神ラプソーンが封印されていて、杖を手にした生き物を操って封印を破ろうとしていることも理解したの。
理解して、それで、当たり前のように「じゃあ、賢者の子孫のチェルスを殺さなきゃ」って思った。
その時のあたしにとって封印を解くのが当然だった。
兄さんが殺されたのもラプソーンのせいなのに、なんとも思わなかったの。
恐ろしい声がずっとずっと耳元で囁いていた気がした。
抵抗さえ思いつかずに、あたしが自分で行動しているかのようにラプソーンの思い通りに振舞って、執拗に罪のないチェルスを狙った。
みんな、あたしを止めようとしてくれた。
あたしはその時だってみんなが誰かわかっていたし、それでいて攻撃呪文を唱えることになんの罪の意識もなかった。
街中に影の魔物を放ち、さっさと邪魔なみんなを呪文で焼いて排除し、チェルスを杖で一突きにして命を奪ってやろうって、そればかり考えていた。
戦うと、みんな手加減しているのがすぐにわかった。
あたしは少しも良心の呵責なく攻撃していたのに、この期に及んで傷つけないようにって優しくて……でも、ハワードの屋敷まで攻撃するあたしを見て、このままじゃ駄目だって気づいてくれた。
そんなわけないわ。
だけど、不幸なことに暗黒の魔力を与えられたあたしは絶好調だった。
ただの呪文なんて跳ね返してしまえばいい、剣や斧の攻撃ならその場から瞬間移動でもしてしまえばいい。
彼らがどれだけ戦闘に優れていても、女のあたしがドルマゲスよりも脆い身体をしていても、当たらなければなんの意味もないのだから。
こちらの魔力は一向に尽きないのだから、合間に屋敷を蒸し焼きにでもしながら疲弊させ、ゆっくりとなぶり殺せばいい。
あたしの中に巣食う暗黒の神は笑っていて、あたしはそれを外へ映し出すだけのガラス窓のような存在で……。
でも、あたしは助かった。
みんなが時間を稼いでくれたから……そしてそれは、エイトがあたしを止めてくれたからで。
あの、人ならざる金の瞳に睨まれて、あたしの動きは……暗黒神の動きはようやく止まったの。
みんなに攻撃することなく、嘲笑うように避けることなく、屋敷に避難したチェルスを脅かすことなく……。
エイトの竜の瞳に射抜かれる!
「杖」は震え、あたしに動けと叱咤した。
だけどぼんやりとした脳みそは緩慢に頷くだけで、言われた通りに動くだけで、それでどうして竜の拘束から逃れられるのかしら。
両手に力が入らない。
眠っているように全身がだらりと脱力する。
邪悪な魔力を使うこともままならなくて、ようやくみんなの攻撃があたしに届く。
チカラの入らない指なのに、奇妙なことに「杖」は落ちない。
まるで手のひらに張り付いているみたいに……さっきまで殺意を込めて投げつけたり刺し殺そうとして手から離れていたのに!
あとから思い出せば奇妙なこと。
だけどその時のあたしは「まるでチカラが入らないのに手から杖が離れないなんて不思議だわ」なんて他人事みたいな気持ちでぼんやり考えていた。
その「杖」があたしの身体を介すことさえなく、何をしていたかも知らずに。
気付けばあたしの意識は「ぼんやり」でさえなく、ただ何もない白に包まれていた。
ここではないどこか、真っ白の世界。
そこで目を開けたあたしの前には殺されたはずの兄さんがいて……。
あたしは、兄さんと昔した会話を思い出した。
懐かしい、穏やかな会話と……あの笑顔も。
あたしは思い出せた。
◇
ハワード邸の脇に小さな仮設のテントが建てられ、そこに今回の怪我人たちが並べて適当な椅子に座らされている。
とはいえ、自力で歩けないほどの大怪我をしているような人間はいないのでこれは寝るところがないために用意された仮設病院ではなく、仮設診療所とでも言うべきか。
そこに神父や医術の心得がある人間が集まり、怪我人……主に火傷……を順番に診ているわけだ。
主に呪われたゼシカが屋敷の壁に火球を当て続けたせいで屋敷の中で蒸し焼きにされかかった使用人だ。
先の戦いで行動不能になったゼシカといつの間にか瀕死になっていたエイトは呪文で傷を癒して、これ以上は俺に手の施しようがなくなったので宿で寝かせている。
あっちにはヤンガスやトロデ王、それからサザンビーク兵なんかがついているから俺までいなくても大丈夫だろう。
そういうわけで、手持ち無沙汰になった俺はトロデ王に部屋から追い出されて診療所の方に合流することになったわけだが……。
「ったく、俺は医者でも神父でもねえってのに……よりにもよって怪我人は野郎ばかりかよ」
「そうですよね、すみません……旅の方のお世話になってしまって」
「ま、あのハワードが火傷した使用人たちに手ずから手当するなんて想像もできないからな……とにかく『杖』が行方不明な以上、ターゲットのお前はフラフラあんまり無警戒で出歩くんじゃないぞ」
「は、はい。まだあんまり自覚はありませんが……」
「俺たちがこれまで見てきた被害者たちも別に共通点はなかった。出身もてんでバラバラ、しいて言うならここまでの四人の中に女性はいなかったくらいか。ま、警戒するに越したことはないさ。人のいないところにはいかない、外をふらふら出歩かない。俺はもう杖に刺殺された人間を見るのはごめんだ」
「ありがとうございます、気を付けます……」
屋敷の壁越しに火傷したチェルスに
チェルスは解放されてもすぐに屋敷に戻らず、なぜかきょろきょろと庭を見まわしてから戻っていく。
ま、大人しくしていてくれたらいい。
忠告を無視してわざわざ外を出歩くタイプには見えないから安心だがね。
が、予想に反してすぐに屋敷の中から大きな怒鳴り声が聞こえてチェルスが駆け出してきた。
……ま、あの声はハワードのおっさんだよな。
これまでの状況からして人の話なんて聞きやしねえ、殊勝な態度なんて死ぬまで見せなさそうな高慢さ。
俺の兄貴が相手によっては
おおかた、また何かが気に食わずにチェルスに無茶苦茶言ったんだろうが……。
さて。
正義感の強いエイトも、ああいうことに黙っていなそうなゼシカも、人情にあつく一度同情しちまえばチェルスの味方になりそうなヤンガスもここにはいない。
「杖」の行方が分からない以上、俺たちはリブルアーチの権力者であるハワードの厄介になる必要がまだあるかもしれない今、俺はどうすべきだろうな?
そもそも怪我人は多くない。
あとは任せてもいいだろ。
血相を変えて庭に走ってきたチェルスは犬小屋の前で立ち止まったので後ろから声をかける。
「よう、さっきの今だがどうした?」
「あ、ククールさん。レオパルド……さまがいないと、ハワードさまが心配されていまして。本当にいない。あの騒動で逃げてしまったんですね……探さないと!」
「おいおい、命を狙われている張本人がわざわざでかい隙を作ってどうするんだよ」
「しかし、ハワードさまはレオパルドさましか心を開いておられないんです。僕は屋敷もハワードさまも大好きだから、少しでもお役に立ちたい。故郷から出てきてすぐ、屋敷に拾われた恩があるんです……」
「そうかよ。だけどな、ここであの呪いの杖を持った奴が襲ってきたらどうするんだ? サザンビークの兵士にでも頼めば探してくれるだろ。ちょっくら許可を取ってきてやるから、今はハワードから何言われても屋敷の中で大人しくしてろよ」
エイトが目を覚ましていれば指揮を執ってくれるだろう。
そう判断して、俺は怪我人を心配して街の人間が集まってきた庭を見た。
仮設診療所、使用人たち、傭兵。
これだけのひと目もあれば流石に大丈夫か。
戦いのどさくさ紛れに杖を拾った誰かがいるのは恐ろしいことだが、ゼシカレベルの魔法使いなんてそうそういないだろうし、唯一危険そうなハワードが自ら杖を拾うことはないだろう。
あのおっさんなら誰かに
そう判断して、一応チェルスを屋敷の中に押し込んでから俺は宿に向かった。
サザンビーク兵たちがいるからといって原作と展開は変わらない
エイトが起きていたら「チェルスを警護して!」と命令したけれど、兵士視点からすれば自国の王族が瀕死で昏倒していたらそっちを警護するに決まっている
今回やや短めなので次回はやや長めです