穏やかな日差し、平和そのものの陽だまりの中。
絶えず賑やかな人の声、たくさんの人間が行き交う。
今日は年に一度のサザンビーク・バザーの日だ。
商人たちがこの日のために一年かけて準備してくる日であり、わざわざこれ目当てにやって来る旅人もいるとかいう。
オレもわざわざトラペッタ近くから出張してきたんだから似たようなものか。
ま、オレにとっては大した距離じゃないが……。
地上に広く繁栄している人間たちの活気は、族滅からがら逃げ延びた斜陽の種族からすればひどく眩しい。
それもここ「サザンビーク」は我らの先祖が大敗を
苦い「歴史」を知っている者からすると良くもこんな不吉な場所に根付こうと思ったものだと感心するほどだ。
とはいえ、世代交代の早い人間たちからすれば「歴史」を超えて「伝説」級の昔の話。
オレだってこの世界の天地創造の時期に起きた不吉な何かを気にして生きているわけじゃねえ。
これはただ、時間に対する尺度の問題だろうさ。
さて、店番をしてしばらく。
少ないながらもお客が入れ代わり、立ち代わり。
様々な階級の大人も子どもも行き交う中で、最高級なぴったりの洋服を着せられた小さなお客さんのおでましだ。
ふたりは気づいちゃいないが、兵士やら女侍従の目やらがこっちに突き刺さる。
お忍び気分を害さないように監視されているんだろう。
「おっ! エイト、ここはチーズの店だぞ!」
「ほんとだね、いっぱいある。トーポが好きなのあるかなぁ」
「全部ちょっとずつ買えばいいだろ。さっき変な葉っぱ買ってたけど、まだおこづかいあるんだろ」
「うん。ねぇ、全部一個ずつ……えーっと、やっぱり二個ずつ! トーポが気に入ったら一個じゃきっと物足りたいものね。
ねぇおじさん、僕のために包んでよ。お会計はねぇ、ちょっと待ってね、僕が計算するから合ってるか教えてくれる? えっとねぇ、ふつうのチーズが七十五ゴールドだから……」
五歳の少年たちが手を繋いで仲良い様子は微笑ましい。
容姿は似てないが仲が良いので兄弟……の訳はない。
金髪の方はこの国の王子、茶髪の方はグルーノ老の孫。
このふたりが従兄弟同士だということは、この国の人間なら誰でも知っている。
「バザー」で毎年店をやるようになって、五年目。
ようやく本命たちのご来店だった。
ところで、グルーノ老はネズミの姿のまま孫に片手でむんずと鷲掴みされているがそれでいいのか。
おおかたオレたち竜神族の正体を人間たちにバラしてはいないのだろうが、孫を連れて里を逃亡した割には律儀に竜神族の掟を守っておられる。
ま、オレは「ヒトの世界」を監視するためにいるのであってグルーノ老を糾弾したり連れ帰ったりするためにいるわけじゃない。
問題の孫には竜神王様の「記憶封印」の処置が施されるはずだったが、それが決まったのはグルーノ老が里から飛び出してゆうに三年経ってからだ。
当然グルーノ老には知る由もないことだし、追いかけてまで伝えてこいと言われた覚えはない。
とはいえ、赤ん坊の時の出来事なんて誰も覚えていないさ。
わざわざ記憶の封印なんてしたってな?
それもエイト坊やは母を亡くしたその日、ウィニア様が埋葬された数時間後には里から出ている。
それでなにか記憶があったら驚きだ。
沙汰が決まったからといってわざわざ連れ戻して「記憶封印」なんてするはずもない。
手遅れ、後出し、無意味な判決。
形だけ決めて、あとは
竜神王様もそれを分かっているからグルーノ老に対して処罰をくだされなかったし、追っ手もなかった。
混血の孫息子の寿命は普通の人間並みか、竜神族の半分か、あるいは異種族の血が上手く合わさらずに育たないか……天におわす神様にも分かったことじゃないが。
長老たるグルーノ老が儚くなる日ははてさて、これから何度季節が巡ったあとかなんて分かりはしないが……もしかすれば人間なら何十代か重ねるかもしれないな。
人の寿命なんて短い。
瞬きのような、短き命。
それに対する感慨はまだないが、監視者として少しずつ感覚を掴めてきそうではある。
とはいえ、エイト坊やの成長速度は今のところ人間並み。
竜神族らしい身体的特徴もなく、実際はあるのだとしても隠すためにグルーノ老がなにか幻術をかけているようにも見えない。
ま、聡明なる竜神王様が想定しているように愛娘が命懸けで遺した孫が成長し、人間の……あまりに短い命を全うして死んでいく様を目撃させるというのがお慈悲であり、ある意味里を出ていった罰なんだろう。
しきたりに則り、正しくウィニア様を連れ戻したグルーノ老に罪はなかったことだしな。
滅多に子どもが生まれない里で、生まれた孫が可愛いのは当然のことだった。
それが父親そっくりの孫だとしても、半分人間の血が流れているとしても。
そもそも子どもに親は選べない。
グルーノ老に罪がないなら、その孫にだってないはずだ。
ただ生まれてきただけの、母君に強く望まれた命……。
ならば、人間との混血だろうが仕事のついでに見守るくらいは情がある。
健やかに育ってほしいと願っている。
「ええっと、繰り上がるから、千と、二百五十……だよね? 合ってる?」
「おお、合ってるぞ。小さな殿下。その歳でもう計算が上手いんだな」
「えへへー。お勉強できるとおじ上が褒めてくれるんだもん、あとねー、計算が上手だとおこづかいくれるの」
「そうかそうか。じゃあ計算できたご褒美だ。オマケにふつうのチーズをもう一個いれておいたからな。来年もまた来てくれよ。あと……小さい殿下が来てくれたってことを張り紙してもいいか? いい宣伝になるからよ」
「わーい、それくらいいいよ! 良かったねぇトーポ。どれから食べよっか?」
随分と可愛がられている。
ネズ公の姿だが、あのグルーノ老が孫に溺愛されたペットの立場でえらく幸せそうにも見える。
それならば、この穏やかな瞬きの時間は、幸福な記憶なのだろうな。
「さぁ次行こうエイト!」
「僕知ってるよ、あのねあっちのお店がねぇ……」
子ども特有の高い笑い声が遠ざかっていく。
その背が見えなくなるまで、手を振った。
何も知らずに育ち、生き、そしていつか祖父に看取られるはずの小さな命。
できれば何も知らずに。
あぁ、健やかに育って欲しいものだと思う。
◇
坊やが小さな子どもだった頃から何年経っただろうか。
こっちの価値観からすれば時間経過は「ほんの少し」だが、人に近いところに生きていると、それなりに時間が経ったようにも思う。
人間たちに「竜骨の迷宮」と呼ばれている砂漠の竜骨は、我らが先祖の亡骸だ。
太古の昔、地上の覇者として君臨していた先祖が闇世界の神「暗黒神ラプソーン」との戦いで敗れた決戦の地。
そんな地に時折足を運ぶのは、名も知らない先祖への義理の墓参りのような気持ちだった。
そんな、「習慣」が役に立つ日が来るとは思っちゃいなかった。
「
なにか、近づくにつれて騒がしいとは感じていた。
姿を消して近寄っていくと、剣を手に走り回りながら砂漠の魔物共に閃光呪文をぶち当てているエイト坊やの姿が……。
バザーで見かけた時よりももう随分大きくなっている。
まだまだ幼く丸い頬をしているが。
「何やってるんだ……」
マドハンドを文字通り蹴散らし、サソリ共を上から叩き斬り、キラーアーマーと打ち合い、どんどんと走っていく。
戦い方に危なげはないものの、坊やのポケットにいるグルーノ老は今頃冷や汗……もはや滝汗ものだろうな。
知らないとはいえ溺愛する祖父に要らない心労をかけなくてもいいと思うが。
そもそも、人間の方の保護者は何をしているんだ。
血縁的には坊やの叔父だったはずだ。
城の中まで堂々と入るのは少し骨が折れたが、以前幻術で目くらましして見に行った時には息子同様の溺愛をしているように見えた。
竜神族でもそうだが、まだまだ柔らかい鱗の雛の段階でたったひとりで外に出すなんて真似はしないだろう。
まさか、あの子は無許可で勝手に街の外に出ているのか?
そんなところがウィニア様にそっくりなのか。
容姿はウィニア様に似ていないと思っていたが、もしや好奇心旺盛で人間の世界に飛び出しては叱られを繰り返していたあのお転婆娘に中身が似てしまったのか。
娘を奪った男にそっくりな孫が娘そっくりの心を持っているとは……グルーノ老の心中は如何に……。
元気に魔物を撃退しながら走り回っていた坊やは、砂漠の真ん中の竜骨の前でようやく立ち止まったようだ。
「わぁっ! すごく大きい! なにこれ! もしかしてこの辺りって、この竜の仲間とかいるのかな?」
興味深そうにくるくると周りを見回したものの、その時ではない今、竜骨の口は固く閉ざされていて「迷宮」に入ることもできず、すぐに飽きてしまったようだ。
「何にもないや。つまんないの。あーあ、うちの大陸の端から端まで見て回ったけど不思議なものなんて……あの不思議な高台くらいじゃないか。いっそベルガラックで道具を揃えて登山してみるかなあ」
独り言を呟きながら、振り仰いだのは天の祭壇の方角。
いくら年齢の割に戦えるとはいえ身体の出来上がっていない十三歳の子どもにそんなことはできないだろうと思うが、坊やの父親は空を飛べないならば竜にもやれそうにないことをやってのけたんだよな。
さて、偶然にも仕事しなきゃならなくなった。
どちらにせよあの入口は封印されていてたどり着いたとしても徒労に終わるのは分かっているが、何をどうやったのか突破した人間の子どもであり、半分竜神族の血を引いているなら……もしかすると、もしかするかもしれねぇ。
とはいえオレに竜神王様のような奇跡の術を器用に使いこなすことはできない。
記憶封印、竜神の封印、空間転移、使えそうなものは何もないが。
幸いにして相手は生まれたて同然の雛。
本来なら母親の傍から離れているのはありえない年齢。
人間の尺度ならそろそろ家の中くらいなら目を離されてくる時期かもしれないが、それでもまだまだ子どもの年齢。
竜気で威圧すればこれくらいの年齢の雛なら記憶を気持ちよくぶっ飛ばしてそのうち「お昼寝」から目覚めることだろうさ。
姿を隠す術を展開したまま近寄っていくと、突然坊やはコロリと倒れて気絶した。
……誓って、まだ何もしていない。
見れば、坊やの腹の上には頭にトサカのような毛が生えた小さなネズミが乗っかっている。
驚いた。
孫に直接、「グルーノ老」としてなにかするのは赤ん坊の時以来じゃないのか。
グルーノ老はネズミの姿のままこちらを見上げ、心話で話しかけてきた。
『心配ご無用。わしが高台の祭壇のことは忘れさせておくでな』
「グルーノ老、いいのですかい。今まで黙って見守っておられたのでは?」
『なぁに。このくらいならまじないというほど大袈裟なものは必要ないしの。丁度先人の墓に来たのじゃから、砂漠で大きな竜の骨を見かけてそれで頭がいっぱいになった……という暗示をかけておけばよい。そのうち暗示は解けようが、その頃には別のものに夢中になっておろう。エイトに余計な火の粉がかかるのは望まぬこと。少しばかりは仕方あるまい』
孫の額に乗ったグルーノ老がなにやら呟き、暗示がかけられたようだ。
そして程なくしてエイト坊やは起き上がった。
「やだな、転んじゃった……」
見事な手腕だ。
「そういうこと」になったんだろう。
砂を払い落としながら、坊やの目は竜骨に釘付けになっていた。
その後、心なしかふらついた足取りで帰っていく姿に不安になり、きちんと城門の中に入るまで着いて行ったのだがそこはグルーノ老も抜かりなく、時折魔物が飛び出してきたものの竜神族ふたりぶんの気配に圧倒されて戦う前に逃げていく。
暗示のせいでぼんやりとした坊やは違和感に気づかず、無事に城にたどり着き。
勝手な外出をこっぴどく叱られた上に暗示の後遺症か単に外ではしゃぎすぎたせいなのか、高熱を出したエイト坊やは以降城門の外を散歩するどころか毎年のバザーに姿を現すことすらなくなった。
少年は青年になり、青年はようやく幼い竜として羽化をしかけ。
しかし、出自を知らない坊やは竜の鱗を暗黒神の呪いによるものだと勘違いして数奇な旅に出る。
そして、誰にも成せなかった先祖の悲願を果たすことになるのだが……いやはや、運命とは数奇なものよ。
我らの誰にも成せなかったことを、かつて我らが支配してきた人間の子こそが成し遂げたのだから……。
外出黙認→禁止になった感じ