ハッと気づくと僕は
……どこに?
どこかなんて分からない。
見覚えのない場所にいた。
知らない景色だった。
涙に濡れた景色を見るように、滲んでいるくせに世界はキラキラ輝いていた。
目新しくて、物珍しくて、僕は夢中になっていた。
でも頭の半分は冷静でこれはまた夢だ、とすぐにわかった。
今回は明晰夢というやつらしい。
夢を正しく夢だと理解できる夢。
なら、夢に見るくらいなら……昔に見たことがある景色なんだろうか。
視界はいつまでも悪かった。
目が悪かったことなんてないのに。
霞む視界の中、そこは岩肌の見える洞窟のようで、そのくせ外のように明るく日が差し込んでいて、なんだか不思議だなと思った。
その上妙に視点が低かった。
覚えていないくらい子どもの頃の夢なんだろうか?
僕は一定のリズムで揺れながら、迷いなくどんどんと進んでいっていた……。
不意にぽつり、ぽつりと雨が降る。
顔を濡らすあたたかい雫が頬を伝う。
天井があるのにおかしいな。
その時、僕はふと気づいた。
慕わしい気配がすぐ側にある。
気づけば僕は小さな赤ん坊で、背の低い誰かの腕に抱かれているのに気づいた。
あぁ、そうか。
これは母が亡くなってすぐ、祖父が僕をサザンビークに連れて行った時の夢なのか。
すとんと腑に落ちて、雨は祖父の涙だとわかった。
祖父は娘……僕の母を亡くしてすぐに僕を生まれた場所から連れ出した、ということはおじ上から聞いていた。
「エイト、エイトや。泣かないお前はいい子じゃの……」
「赤ん坊にはここは寒いのう。しばらくの辛抱じゃ」
「おお、風が強い。じいじが守ってやるからの」
ぽつりぽつりと涙が降る。
同じだけの優しい言葉も降ってくる。
あぁ、
洞窟らしきところを抜け、眩しい外に出ると……僕は突然の浮遊感に目を回してしまって、真っ暗なところに落ちていく。
それっきり優しい夢は掻き消えてしまって、僕は真っ暗な中を闇雲に歩きながら「目を覚まさないと」と強く思った。
夢の中なのにとても寒かった。
きっと、祖父に連れられてきた日が寒かったから……。
「エイトにとって空は寒いかのう。どれ、少し眠っているといい。深き竜の眠りが覚める時にはきっと全部、終わっておるよ」
慕わしい気配に安心する。
慣れ親しんだ穏やかな心地。
僕は、そう、サザンビークに来た寒い日……深く眠っていたんだろう。
◇
「ワンッワンッ!」
俺たちを雪の下から掘り返してくれた犬がしきりに吠えている。
しまいにゃ、眠ったままのエイトに乗っかって頬をべろりと舐めるが、反応はない。
もしかして野生の勘で意識を呼び戻そうとするくらいまずいのか?
そう思ったが、エイトの顔色は悪くないし呼吸も落ち着いている。
誰だって雪崩の下敷きになれば昏倒するし、むしろ数時間で目覚めた俺たちが幸運なだけだと思っていたが……。
吹雪が止むまで時間がある。
だから無理に起こさないでいようと思っていたが、この判断も間違いってか?
もういい加減、自分の命も他人の命も判断ミスで失いそうになるのは御免なんだがな。
やれやれ、とはいえ外傷もない以上俺の出番はない。
睡眠状態でも麻痺状態でもなく、気絶している人間に
「エイト、起きねぇな?」
「つ、冷たいでがすよ! 兄貴の手が冷たいでがす!」
「え! それってまずいんじゃ……」
「……うわっ」
ヤンガスが騒ぐので触ってみると確かに氷のように冷たい。
手足の先が黒い鱗に覆われているせいで手先の肌の色が悪くなっているかどうか判別できなかったが、身体の末端はかなり冷えているのか?
穏やかに眠っているように見えて静かに冷えていっていたっていうのか。
もう勘弁してくれよ。
「うわっじゃねぇ! ククール、どうにかできねぇのか?」
「どうにかつったってな……盛大にむせるかもしれないがあのヌーク草の薬湯でも飲ませてみるか? あたたまるのは間違いない。肺に向かって辛い汁をぶち込むことになるかもしれないが。あとは物理的に温めるくらいしか……あぁ待てゼシカ、窓のない地下室で火を焚くとだんだん空気が悪くなって最悪死人が出る。湯たんぽか
俺の言葉を聞くやいなや、どたどたと大きな足音を立ててヤンガスが部屋から飛び出していく。
犬は相変わらず吠え続けていたが、不意に吠えるのをやめた。
ぴたりと固まって……何か見ている?
視線の先を辿ると、掛布団がモコモコと動いて……。
「チュ」
ひょっこり。
顔を出したのは小さなネズミ。
何度か見たことがある、エイトのポケットだかポーチに大人しく収まっている小さな同行者だった。
「あ、トーポ。一緒にいたトーポが起きたならそろそろエイトも起きるんじゃない?」
「だといいが。おいおい、ご主人の顔には乗ってやるなよ」
布団の下から這い出してきたおなじみのネズミが顔に乗っかり、その小さな頬を何度も擦り付けている。
腹でも減ったのか、それとも目を覚まさないご主人を心配しているのか……。
ヤンガスの大きな足音が、さっきよりも慎重さを帯びて戻ってきた時、不意にエイトの目がパチリと開いた。
「……あれ」
「あ、あ、兄貴ぃ! 目を覚まされたんでがすね! うぅっよかったでげす!」
「え……? 何かな……どういう……えっと……ここは、どこ?」
そりゃ起きたら目の前に笑顔のくせにボロ泣きの、その上強面のおっさんがいたら困惑もするだろうが。
トーポをそっと手のひらに乗せ、そのままゆっくりと起き上がる。
この様子なら大丈夫そうか。
「まぁふたりとも落ち着けよ。エイト、まずはヤンガスの持ってきた薬湯を飲んでくれ。身体が冷えすぎててこっちの肝まで冷やしてたんだぜ? 話ならゆっくりできるし、ここは安全だ」
「そうよ、あたしたちを助けてくれた親切なおばあちゃまがいたの。とにかく吹雪が酷くて何をしたって今晩は動けないし、ゆっくりしていってって言ってくださったから」
「……ちょっと、思い出してきた。あれは雪崩だよね、よくみんな無事で……」
盛大に寝坊していたくせにちらりと俺たちの様子を伺ってくる。
こっちとしては最大戦力に何かあれば今後全滅しかねないのでとりあえずは自分の命の方を気遣って欲しいものだが。
「トロデ王たちは前に進んでいたおかげで巻き込まれず無事だったんでな。助けを呼んでくれたらしい」
「そう、この大きな犬が雪の下から掘り起こしてくれたんですって」
「そうなんだ。ありがとう……この子の名前はなんだろう」
「あー、なんだっけか。とりあえず動けるならもっと温かいところに行った方がいい。上の階にメディばあさんがいる」
「その前にあの薬湯を飲むべきじゃない?」
「そうでがす! 兄貴、こちらをぐいっと飲むでがす! あったまるでげす!」
ヤンガスがぐいぐいとカップを押し付けると、エイトはそれをおっかなびっくり受け取り、中を覗き込んだ。
◇
手渡されたあたたかいカップの中からは薬湯というだけあって独特の香りがするような……。
恩人の「メディばあさん」があたたまるハーブを煎じてくれたってことなんだろうか?
急かされるままに温かいそれを飲むと……身体の芯からカッと熱が宿り、指先まで一気に心地よい温度の温風を吹き付けられたように温まる!
目覚めた時は特に寒いとは思わなかったけれど、温まった今になると身体の深部の骨の髄まで凍えきって冬眠している動物さながらの低温状態だったんじゃないかという気がしてきた。
素晴らしい即効性だ。
身体が小さくて僕より寒かったはずのトーポにもあげたいけれど、これはネズミが飲んでも大丈夫なものなんだろうか?
とんでもなく長生きしているように、どこか普通のネズミじゃないトーポはとっても辛いチーズでも平気で食べるけれど……初見のハーブを与えるのは怖いな。
でも、手のひらの中のトーポは身体が温まった今でも、やわらかくてほんのりとしたやわらかい体温を伝えてきて、小さい身体なのに寒そうだとは思わなかった。
案外、服の下で僕にぴったりくっついていれば温かかったのかもしれない。
「じゃ、行こうぜ」
ベッドのある部屋を出て、地下室から一階へ。
そこはあたたかなリビングで、優しそうな顔をしたお婆さんが僕たちを出迎えてくれた。
「おや、あんた起きたのか。身体の調子はもうよいのかい?」
「はい。先程薬湯を頂きました。今はもうすっかり温かいです」
「雪崩から助けてもらい、一夜の宿を貸してもらい、何から何まで世話になりますのう」
トロデ王が感謝のこもった口ぶりで仰った。
そういえば、メディばあさんはトロデ王の姿を見ても、露出した手が鱗まみれの僕の姿を見ても動じない。
とても懐が深い人なんだろうか、あるいはあちらの価値観で僕らに害がないと判断して貰えたんだろうか。
なんにせよ有難いことだった。
「雪崩に巻き込まれた僕たちを助けてくださったと聞きました。なんとお礼をしたものか」
「こんな人のいない雪山で困った人がいれば相手が誰でも助けますわい。さ、そこに座りなされ。薬湯を飲んで寒さを飛ばしても休息は必要ですじゃ」
ありがたく席につく。
僕たちを助けてくれたという大きな犬が暖炉の近くにやってきて丸くなった。
外からはごうごうと、吹雪の音がとめどなく聞こえてくるけれど……ここはあたたかくて、穏やかで、心の底から安心できるところだった。
メディばあさんは僕たちにあの薬湯を配ってくれ、自身も席についてにこやかに笑った。
その辺で僕ははたと思い出す。
ミーティアはどこ?
さすがに大型犬を飼っているひとだとしても馬を室内に入れることはしないだろう、というのは分かる。
焦りかけたけれど、父君であるトロデ王がここで平然としているのだから、彼女の場所は分かっているんだろうとすぐに気づいた。
さっき、人のいない雪山……とメディばあさんは仰ったのだから、この家以外の建物も保有しているのだろう。
それこそ、倉庫だとか納屋だとか。
とはいえどれだけそこがあたたかく安全な場所だとしても、僕は心配な気持ちを抑えることはできなかった。
今すぐ外に飛び出して、彼女のところに向かうことが非現実的なことだとしても……。
「リオ殿、ミーティアを心配してくれておるようじゃな」
「……はい」
「そうしきりに窓の方を見ておれば気づきますわい。メディ殿は納屋を貸してくださったのじゃ。わしもあの場所で一緒に眠っても凍えることのない、藁を敷き詰めた頑丈な納屋じゃった。だから大丈夫じゃ」
「そうでございますか……それなら良いのです」
「むしろ、雪に埋まって意識を失っているお主たちを見てミーティアは酷く心配しておったくらいですぞ。明日の朝、吹雪がやんだ頃に元気な姿を見せてやってくだされ」
「はい。痛み入ります」
なんとなくトロデ王の視線が生ぬるい。
雪崩という自然現象に打ち勝つのは人間の身でできることじゃないと思うし、例えあの時竜の姿になったとしても結果は変わらなかったと思う。
だけど、それでも、気絶したみっともない姿……いや、情けないと言うべき姿を見せたのは恥ずかしいような気持ちだった。
旅の仲間となっているとはいえ、他国の国王に手助けされ、気を遣わせるだとか……さ。
誤魔化すように薬湯に手を伸ばす。
ピリピリとした刺激が舌を刺激して、カッと身体が温かくなる。
こんなに温かく感じられるなら、吹雪の中でも、ミーティアの無事を確認しても平気かもしれない……なんて馬鹿な考えがよぎるも、気付かないふりをする。
さすがに起きたばかりのさっきの今で外に飛び出していくなんてことはできない。
いつの間にかトーポが膝の上に乗っていて、僕は小さな家族と目を合わせた。
トーポはしばらく僕のことを見上げていたけれど、すっかりあたたまった手で頭を撫でてあげると、安心したように丸くなって眠ってしまった。
竜は冬眠してもいいし、冬眠しなくてもいいけれど身体機能的に冬眠が可能であって欲しい、本当は人間の姿でも体温が低いとか人と違うところがあって……とか人外伏線があって欲しかったものの、多分原作エイトには竜としてなんの兆候もないためエイト殿下は普通に恒温動物(夢の赤ん坊エイトは空が寒すぎて冬眠している)