翌朝。
目を覚ますと、吹雪はすっかり止んでいた。
同室のみんなはまだ眠っているので、起こさないようにそっと階段を上る。
リビングはあたたかかったけれど、家主は不在だった。
結露に曇った窓に息を吹きかけ袖で擦ってのぞき穴を作ると、外は積もった雪が反射してキラキラ輝く銀世界。
すっかり天気が良くなっていることを確認すると、防具と外套を着込んで外に出て、僕は真っ先に納屋らしき場所に向かった。
新雪の上には既に納屋へ向かう小さな足跡がついていて、朝早くからトロデ王が娘を心配してやって来たらしいのがすぐにわかった。
扉をノックし、三拍くらいあけた後そっと扉を空けるとミーティアが扉の近くで待っていた。
「おはよう。朝ごはんはもう食べた?」
曖昧に頷く彼女に、そっとリブルアーチで買っていたリンゴを差し出す。
食べやすいようにぱかんと手で半分に割って差し出すと、ミーティアは目を丸くしてから微笑んだように思った。
その時、馬車の調整をしていらっしゃったのか、荷台の奥からトロデ王がひょっこりと顔を出した。
「良かったのうミーティア。殿下、お気遣い感謝いたしますぞ」
「いえ、喜んでいただけるなら何よりです」
ミーティアのことは心配だったけれど、親子の時間を邪魔したい訳じゃない。
元気そうな彼女を見れたらもう十分だ。
僕はもう片方のリンゴをミーティアが受け取ったのを確認するとすぐに母屋の方に戻った。
さらさらした雪に足を取られ、凍てつく寒さが肌を刺しているのは分かるのに、昨日の薬湯……ヌーク草というらしい……のお陰で寒さはちっとも感じない、不思議な心地だ。
ミーティアも納屋の中とはいえ寒そうな様子は見えなかったし、もしかしたらメディばあさんに相談の上、朝ごはんか飲み水にヌーク草を混ぜてもらったのかも。
トンネルを抜けてそうそう、雪崩に巻き込まれたのは不測の事態だったけれど。
慣れない雪国で寒さのせいで体力を削られたところに暗黒神に遭遇し、最悪の事態になってしまう可能性もあった。
そう考えると、初日に雪国の叡智で寒さを対策できたのは良かったのかもね。
メディばあさんには恩返しを是非ともしたいところだ。
母屋に戻るとみんなも起き出していて、ほどなくしてメディばあさんも戻ってこられた。
みんなの準備ができたころ、僕は代表してお礼を言うことにした。
「改めて。我々の命を救っていただきありがとうございました。なんとお礼をしたものか。僕にできることならなんでも言いつけてくだされば」
「あらあら。それじゃあみなさん、ひとつ頼まれごとを聞いてくれますかね」
「もちろん。なんなりと」
メディばあさんは小さな袋を取り出し、それを僕に渡した。
ほとんど袋の重量なんじゃないかと思うくらい軽いけれど、中には何か入っている。
「これをオークニスの薬師、グラッドという男に渡してほしいのですじゃ」
「承りました。その、他には?」
「他? ほほほ、雪山で困っている人を見つけたらお互い様じゃ。それなら、あんたさんがたも誰か凍えている人を見つけたらそうしてくれたらいいだけですぞ」
メディばあさんは柔和な笑みを浮かべ、僕たちから頑として何も受け取ろうとしなかった。
仕方なく、僕たちはそのまま出発することになった。
例えば金銭なんかの直接的なお礼を受け取ってくれるとは思っていなかったけれど、あまりにも恩に対してできることが小さい気がする……。
とにかく、せめて頼まれたことはきっちりこなさないとね。
◇
雪の中にも道がある。
一見すると一面真っ白とはいえども、人や馬車が通りやすいように道の両脇に雪を積み上げ、真ん中の道を確保している。
街道を進んでいくと、氷でできた見事なアーチと赤いレンガの大きな建物が見えてきた。
前に本で読んだことがある。
オークニスは寒さをしのぐために街が全部ひとつの建物で繋がっているらしい。
見えているだけの面積ではなくて、地下にも部屋があるんだとか。
それも僕らの常識の中にあるこじんまりとした「地下室」のレベルではなく、地下に張り巡らされた木の根のように、地下空間が繋がっているらしい。
「さて、この狭い入口ではどちらにせよわしらは入れぬのう。じゃが、薬湯のお陰で少しも寒くないわい。今回も街の外で待っておりますからな、エイト殿下」
「……お気をつけくださいませ」
「なぁに、最近は取り計らいによって街に入れることも多かったが、元々わしらは外で待っているのが普通じゃった。街の入口付近で聖水を撒き、じっとしておればわざわざ襲ってくる魔物なんていませんわい。気にする事はないですぞ」
「確かに今なら吹雪の中でハラを出したとしても寒くなさそうでげすなあ」
「確かに普段の格好でも寒くなさそうなくらいあったかいけれど……」
ゼシカの言う通り、実際には寒くない。
だけど、気持ちの問題というか。
でも、実際オークニスの入口のドアは人ひとりが通れるくらいの大きさであり、馬車なんて絶対通れないくらい小さい。
これも寒さ対策なんだろうけど、これでは貿易に不便だ。
まさかなにもかもすべてを街中で自給自足できているわけもないし、どこかに物資の搬入用の大きな扉があるんじゃないかって思うんだけど……どちらにせよ、呪われた容姿を気にされておふたりは断るに違いなかった。
うん、早いところレオパルドの目撃情報と、薬師のグラッド氏を探そう。
街へ入ると、入ってそうそう目に入ったのは街の地下に繋がっているらしい下への階段。
……その階段を塞ぐように寝転んだ、酔っ払いらしい体格のいい男、そしてそれをどかそうと必死になっている守衛の男。
守衛は可哀想に、それはもう必死に格闘していた。
それを見てククールはあちらに聞こえないような小声で言った。
「……こういうのに関わって変に絡まれるのは勘弁だな」
たしかにね。
彼らの邪魔にならないようにそっと横道の方へ進んでいくことにして……僕らはそこで二手に別れ、移動しながら情報を集めて再び落ち合うことにした。
この街が大きなひとつの建物でできていて円の形をしていること、地下空間があることは伝えておけば、あとは地下に潜らないようにすればいつかどこかで鉢合わせするはずだから。
当然といえば当然、僕のペアは一目散にやってきたヤンガスだ。
向こうではククールがおどけて胸に手を当て、ゼシカに向かって忠誠? それとも守護? を誓っている。
楽しそうでなにより。
「さぁ兄貴、行きやしょう!」
意気揚々と歩くヤンガスの後ろに着いて歩きながら、僕はリブルアーチ以上の異文化の空気を感じて密かにワクワクしていた。
それどころじゃないって分かっていても。
ミーティアを含めたみんなでのお茶会は穏やかで、……楽しかった。
呪われたゼシカを止めなきゃいけないという焦燥に駆られていても、自国とは異なるリブルアーチの街並みを見て胸が踊るのを止められなかった。
同じだ。
チェルスの殺害を目撃してなお、生き残った「賢者」があと二人だと分かっていても。
赤いレンガが積み上げられた街の、どこか湿っぽくて、街全体が屋根ひとつで繋がっているから様々な生活の匂いが混ざりあった不思議な香りを嗅ぎながら、知らない世界に肌で触れるとドキドキする。
立場上表に出してはならない様々な感情というものがこれまでついて回ってきた。
これも同じなんだけれど、やっぱり自分の心に嘘はつけなくて。
宿屋を抜け、道具屋で聞き込みし、酒場に着く。
情報といえば酒場、という本で見る冒険者らしい考え方はある程度本当らしく、ヤンガスは手馴れたようにバーテンに話しかけていた。
旅人って感じだ。
まだまだ感慨深いものを感じながら、僕も誰かに話しかけようと見回していると……僕らがやってきた方とは反対側からククールとゼシカがやってきた。
ククールは普段よりむしろにこやかな感じだけど、ゼシカは少し……機嫌が悪いような、ひどく呆れたような感じだ。
「どうだい、何か面白い情報でもあったかな?」
「面白い情報っていうか……まぁヤンガスなら面白がりそうなことならあったわよ」
「?」
ため息をついたゼシカは、ククールが教会でシスターに見惚れていた男に後ろから話しかけた話をしてくれた。
なんでも、シスターに夢中になっていた男は後ろから聞こえるククールの声を神様の声か何かだと勘違いしていたとか。
そんな非現実的なことってあるのかな?
信じちゃったなんて面白い。
……いや、そもそも神を騙った……勘違いさせたままにしたのが聖職者なんだったね。
もしかしたら、厳しい修行と清らかな心をもってすれば本当に神の声が聞こえる、なんてこともあるのかもしれない。
神聖魔法が実際に発動するように、信徒の呼び声に応える「元締め」みたいな存在がいるというのはありえること。
なんてね……。
「それでククールは言ったのよ、『ならば
「呆れる? まさか。あの男は幸運だろ。結局伝えなきゃ気持ちは伝わらない。やるべきことを理解して一直線、いいじゃないか。
あの美人シスターだって愛の告白に応えてくれるかもしれないぜ? だが、惚けて見つめているうちはなーんにも変わりゃしないさ。ま、俺みたいな男だとレディの方が放っておいてくれない時もあるが……」
伝えなきゃ気持ちは伝わらない。
まさしくその通り、そしてだからこそ言えないし……。
いや、ククールはそんなことよくよくわかった上で背中を蹴飛ばしたんだろうけど。
「おーおー、よく舌が回る男でがすなぁ。どうせなら寒さで舌の根が凍っちまえばよかったのに……」
「辛辣ねぇ」
「げーすげすげす! ……おっと兄貴の前で失礼でやしたね。
兄貴! なんでも、薬師のグラッドは地下に住んでるらしいでがすよ。街の真ん中にある町長の家に下り階段があるらしいでげす。行ってみやしょう!」
「はーやれやれ、この一行の中に色恋に詳しいのはいないのか? ……愚問か」
「でもヤンガスにはゲルダさんがいたじゃないの」
「……」
「ゼシカ……もうククールに剣士像の洞窟のことを思い出させないでやりやしょうや。細けぇこと気にしすぎて、ちょっとでも近い事を言っただけでコレだぜ」
「あ、そうだったわね」
ピタッと固まって口を閉じたククールとまったく堪えずに大変だったはずの旅を思い出してケラケラ笑っているふたり。
うーん。
僕でさえ、既にもう何度もこの流れを見ているのにククールは律儀にも毎回血の気が引いている。
かなり哀れだ。
さて、雑談を切り上げて中庭から町長の家へ。
聞き込みの通り下り階段があり、他人の家の中が居住空間への通路になっている斬新な構造……いや、地下の住人たちにとっては町長は大家なのかな?
生存確認的な意味で顔を合わせるのも普通、みたいな。
詳しい事情までは分からないけれど、一目見て旅人とわかる姿の僕らを見ても別に咎められることはなかった。
大らかだね。
地下通路で住人にグラッド氏の部屋を尋ねると、場所が割れた。
だけど。
「あいにく留守か。誰かひとりここで彼を待って、他のみんなはレオパルドの聞き込みを続行した方がいいかな?」
「もう二手に分かれて街をぐるっと一周したんだ、ほとんどこの街の聞き込みは終わったようなもんだろ。あとは夜にでも酒場で聞き込みすりゃいい」
「そうね。雪の中で黒犬はすごく目立つでしょうし……闇雲に探すよりは目撃情報を探す方が早いかも。うーん、グラッドさんを待つよりこっちから出向いた方が早いかしら」
「それじゃ、グラッドの知り合いをあたって行きそうな場所を聞くでがすよ」
そういう訳で通路を引き返し、住人に聞いていく。
手際よく情報が集まり、薬師というだけあって「薬草」を育てるために外出していることがわかった。
そりゃ街の中じゃ栽培できないだろうけど。
仕事のためとはいえ魔物の闊歩する危険な外に出て、ひとりで寒い洞窟に入って、栽培のために種やら肥料やらを運び込み、定期的に世話をして……。
想像するだけで大変だ。
その薬草園の洞窟とやらが広かったらすれ違ってしまうかも。
というか、素人がなんの準備もせずに勝手に立ち入ってもいいんだろうか?
ほら、防疫とか……。
そこのところはぜんぜん詳しくないけど、恩人のメディばあさんに小さな荷物を頼まれていることだし、きっとこの凍てつく寒さがすべてを凍らせて無害化していると信じよう。
まだまだ日は高いので、僕たちはそのまま街を出てグラッド氏の薬草園に向かうことになった。
途中、迷路のような地下通路で迷子になって憔悴したサザンビーク兵と遭遇したけれど、特に彼も情報を持っていなかった。
街での更なる聞き込みは彼らに引き継いでおけばいいか。
その、複数の兵士がいるだろうにひとりにしか遭遇していないのだけれどね。
まずは頑張って情報共有して欲しい。
薬草園への道中、魔物と戦いつつも何度も周囲を見回し、一面の銀世界に黒いシミが見つからないか探したけれど……都合よく黒犬レオパルドが見つかることはなかった。
慣れないと激烈に迷う街
トラペッタ、パルミド、オークニス