凍死寸前だった人間に対する反応ではないと重々承知しているけれど、グラッド氏が火を吹いた瞬間、僕らは飛び上がらんばかりに驚いたし……なんならちょっと後ずさりした。
「……粉になっていなくてよかった。あれが目や鼻に入ったら最悪だ……とにかく身体は温まった。ヌーク草は本来、薬湯にして飲むものだが……ありがとう。キミたちのおかげで助かったよ」
火を噴いた勢いそのままびょんと飛び上がって起き上がったグラッド氏だったけれども、すぐに顔色が良くなって普通に喋れるようになった。
元気そうでよかった。
それにしても生のヌーク草って本当にすごい薬草なんだね……。
薬草とはいいつつ、普通に武器か毒として使えると思う。
いやなんだってそうなんだけどさ。
「普段通り薬草園の世話をしていたら、突然、凶暴なオオカミたちに襲われてね。なんとか逃げているうちにつららが落ちてしまって閉じ込められてしまい……キミたちが来てくれなかったらあのまま凍死してしまうところだったよ」
「オオカミ……?
何はともあれ、ご無事でよかったです。僕たちは旅の人間ですが、慣れないオークニス地方に来て早々、雪崩に巻き込まれてしまい……メディばあさんに助けていただいたのです。そのお礼に何かできることはないかとお聞きしたところ、この袋をオークニスの薬師グラッドに届けてくれと仰られたのです」
「なるほど、あのひとのお陰か……まさかこのことを予見したわけじゃあるまいが。
とろろでキミたち。このままオークニスに戻るつもりなら私も一緒に連れて行ってくれないか?」
「もちろんですよ」
「ありがたい。それじゃあご一緒させてもらうよ」
それじゃあこのまま『
そのあとは『
送るのなんてまったく労力じゃないし。
命の恩人のお礼としては……結果的にたまたま時間がかかってしまったけれど、それはグラッド氏がオオカミに襲われるなんていうハプニングのせいで、そのこと自体は本当に大したことじゃなかった。
あとはこの地方を探索し終わったらメディばあさんに事の顛末とお礼を言いに行けたらいいな。
なんてことを考えながら快諾したのだけど。
洞窟の入り口近くまで呪文で戻り、途中でトロデ王とミーティアと合流。
無事な様子のグラッド氏を見てうんうんと頷くトロデ王と、呪われた容姿に少し驚くも特に騒いだりしないグラッド氏の理性的な様子に安心し。
そのまま空が見えるところまで僕たちは和やかな雰囲気で移動していた。
だけど、洞窟を出た瞬間、空気は一変する。
口元からぼたぼたと涎を垂らし、目を光らせ、尋常ではない様子で歩み寄ってくるオオカミの群れが、僕らを取り囲んでいたからだ!
「私が出てくるまで待ち伏せをしていたのか!? コイツら、ただの獣じゃない! 油断するなよ!」
グラッド氏を襲ったオオカミと同種なのか、まったく同じ奴らなのか。
どちらにせよ、彼はまだ狙われている!
「グラッドさん、馬車にぴったりくっついて。気を付けますが、そちらにも流れた呪文が飛んでくるかもしれないので注意して」
「あ、もうつららが落ちてこないように気を付けなくていいものね。よーし!」
「ゼシカ、くれぐれも前にいる兄貴やアッシを焼かないように頼むでがすよ!」
口々に言い合いながら、武器を構える。
強行突破して『
イメージが大事な呪文をちっとも集中できない環境で唱えて変な場所に吹っ飛んだり……最悪海上や空中なんかに落ちたら、と思うと。
「
飛びかかってくるオオカミたちに広範囲に展開した電撃をぶつけ、少しでもひるんで逃げていかないかと画策する。
けれど、まさか僕たちが美味しそうな獲物に見えているわけでもないのに、一匹もひるむ様子はない。
傷を負っても全く痛みを感じない様子でまた前へ前へと進んでくる。
僕らの攻撃を受けても狙いはずっとグラッド氏で、隙あらば僕たちをすり抜けてグラッド氏に噛みつきそうな勢いだ。
街の外で襲ってくる魔物たちとも様子が違うような……。
オオカミの魔物に心当たりはない。
だけど、何か引っかかる。
そんなオオカミたちは倒しても倒して次々と現れる。
戦いながら仲間を呼んでいるのか、どこからともなく同種のオオカミが現れる。
仲間の死体が青い光に溶けて消えるのも待たずに、足蹴にしながら狂ったように吠えたてる……。
一匹一匹は雑魚と言って差し支えない。
群れで来られてもどうとでもなる。
でもそれがキリがないとなると話はまた別だ。
魔物だってその要素はほぼ生き物だ。
特にけもの系の魔物なんて。
無尽蔵なんてことがありえるのだろうか?
エレメント系やゾンビ系ならまだしも、その肉体はどこから来た?
僕たちの知りえない外法によって奴らが召喚されていたのだとしても、温かい血が流れ、荒く息をするその身体をどこから調達したって言うんだ?
無限なんてありえない……。
駆け回りながら剣を振るい、すれ違いざまに斬り捨てながらも呪文を唱え、仲間への攻撃を食い止める。
集中的に狙われているグラッド氏……もとい馬車を取り囲むように
己が焼けるのも構わずに飛び込んでくる奴らを次々に斬り飛ばしながら、僕はどうにか「親玉」を探そうとしていた。
異常な状況には首謀者がいるはずだ。
その時、突如としてオオカミたちが後ずさっていく。
仲間を倒され続けたことで恐れをなして?
そうじゃない。
『その者ではない。確かに賢者の血を感じるが、違う……』
耳ではなく、頭の中に直接響くような不思議な声が聞こえた。
周囲を見回すと、切り立った崖の上に杖を咥えた黒犬の姿を見つけた!
こちらを睨みつけ、怒りのような表情が小さく見える。
黒犬のレオパルドもドルマゲスやゼシカと同じように操られ……本来の犬の性格はもはや分からないけれど、暗黒神にいいように使われている。
つまり暗黒神がオオカミたちを操っていたのか。
そして、賢者の血を感じる……ということは、グラッド氏は賢者の末裔……つまり、兄が賢者の継承者だったゼシカと同じ立場ということか。
彼の家族が危ない!
飛び去ろうとするのを見て落雷を浴びせる。
勢いをつけて切り立った岩を駆け上がるも、直接攻撃するには距離が足りないので、剣に
後ろから迫り来る火球……ゼシカの呪文……をかわし、勢いよく岩肌を蹴りながらレオパルドに迫った!
とはいえ向こうも黙って斬られてくれるわけじゃない。
巨大な異形の翼を広げ、羽ばたきが巻き起こした暴風が僕の身体を押し返して……なんのと迫ったものの、足場が不安定なのに踏ん張ることはできず、吹き飛ばされてしまう。
下に叩きつけられるどころか上へと身体が持ち上がる!
そして一瞬の沈黙ののち、急速に落下する!
内臓が浮遊するような嫌な感覚。
城の二階から抜け出して飛び降りた時でももう少し居心地が良かったな、なんて!
風の音ばかりが耳元で轟々と煩い。
仕方なく追撃を諦めて着地に体勢を変えたものの、レオパルドは更に翼を羽ばたかせて僕を吹っ飛ばした。
豪風に煽られて、僕は枯葉のようになすがまま。
竜に変身するだとか、「ルーラ」で脱出するだとか、一瞬脳裏によぎったけれど実行する時間なんて実際のところはまったくなかった。
仲間と分断されて少し遠く。
みるみるうちに視界からみんなの姿が遠くなる。
そして落下したのはどこかの木のてっぺんで、枝に引っかかったのもつかの間……すぐに雪深い地面へと僕は落ちていって、衝撃で意識が一瞬遠のいた。
気絶している場合か!
自分を奮い立たせて、暗転しかけた頭を強く振った。
当然、ぐわんぐわんと吐き気を伴う気持ちの悪い目眩が僕を襲うも、その不快さは意識をしっかりと繋ぎ止めてくれた。
極度の興奮でほとんど痛みを感じない!
吹き飛ばされた時に切れたのか頬を生温かな血が垂れていく。
ぼたぼたと垂れた鮮血が真っ白な雪を染めていくのが、まるで夢でも見ているかのように遠い出来事のように感じられる。
鎧の隙間に深々と突き刺さった枝を一思いに引き抜き、思ったほどの激痛ではなくてなんだか可笑しい。
痛くはなくても回復呪文で全身の傷を癒し、雪にはまった足を引き抜き、仲間たちの元に合流しようと立ち上がる。
だけど……気づくと、撤退していたはずのオオカミたちが僕の周囲を取り囲んでいた。
目の前のオオカミを右手の剣で斬り伏せる。
背後から迫る個体には雷撃をお見舞いし、左右から噛み付いてくるオオカミたちに回し蹴りを叩き込む。
振り払いながら前に進もうとするも、自然のまま降るに任せられた柔らかな雪は何度引き抜いても足を取られて仕方がない。
それでも一匹一匹は強くないのだから、冷静に対処しつつ戻れば……いや。
数がおかしい。
四人で戦っていた時よりもずっとオオカミの数が多い。
さっきまで執拗に狙われていたのはグラッド氏だったけれど、今は僕が一身に狙われていて……隙あらば喉笛を噛みちぎろうとしてくる狂ったオオカミの群れは、今もどんどん数を増やしている。
暗黒神は散々邪魔してきた僕のことを始末しようとしているらしい。
それも自ら戦うのではなく傀儡を使って、それも多くの犠牲を払って。
自分に傷がつかなきゃなんでもいいのか。
「神」を冠する存在のくせに。
いや、だからこそ?
人間の尺度で誇り高いこと、人様に顔向けできるかどうか、正々堂々としていること……そんなこと、そもそもの尺度に含まれていない高位の存在だからその瞬間瞬間の最適解を選び取ってきたのかな。
己の封印を解いてくれたドルマゲスを操り、ある意味恩があるだろうにそんなことには報いもせずに使い潰し、異形の姿にして……最後は嫌がる彼を無理やり動かして殺した。
たまたま杖を拾ったゼシカに無理やり最上位の呪文を連発させ、どんな後遺症があるかも分からない状況で戦わせた。
レオパルドなんて、操ってすぐに異形に変身させた。
ドルマゲスよりもずっと早くに……大型の犬種とはいえ、その負担は計り知れない。
残りの賢者を殺し切る方がレオパルドの身体が限界を迎えるより早いと判断したんだろう。
「数がいれば雑魚どもで僕を殺せると思い上がるな」
前へ踏み込んで大きく横薙ぎ。
一閃で十匹を吹き飛ばし、自分の周囲に雷鳴を呼ぶ。
自分の身体に雷撃が直撃するも、関係ない。
自分に当たった呪文は魔力を還元して取り込むのだから、僕の身体に噛みついたオオカミが牙を立てる前に感電して倒れていくだけ都合がいい。
「
高火力で雪ごと地面を抉りとる!
ついでに射程上にいたオオカミたちも吹き飛ばし、僕は駆け出した。
定期的に『
少々噛みつかれるのはもう諦めつつ、魔力を惜しまず雷撃で攻撃の手を緩めずに。
少しずつ減っていく体力は
あっちはあっちで大変そうだ。
遠目からでも呪文による大爆発が定期的に発生し、竜巻と火柱があがり、剣戟のような音とうなり声が響いてくる。
おそらく三人でレオパルドを迎え撃っているんだろう。
わざわざ分断してくれたところ悪いけど、合流させてもらう!
ブーツをしこたま噛みつかれボロボロにされつつも振り払う。
眼前に迫る無数の牙を打ち払う。
捨て身で引き留めにかかる群れをもろとも巻き込む大落雷で吹き飛ばし、新雪につっこんで道なき道を戻る。
ああもう、本当に一匹一匹は大したことはないのに……まるで泥の海で溺れているみたいに煩わしい!
進もうとしても無尽蔵に湧いてくるオオカミどもに邪魔されて……流石に少し疲れてきた。
脂で剣が滑るのをしっかりと握りなおす。
刀身はとっくに血と肉でなまくらのようになり、斬るというよりも力任せに叩き切っているようだった。
捨て身の攻撃は僕に一撃で切り捨てられても構いやしないらしい。
僕にたった一度の体当たりをぶち当てる代わりに隙をさらして真っ二つにされて散っていくオオカミがいた。
僕はオオカミの体重をもろに受け止めたことでわずかな打撲を負い、口の中を切って鉄の味を吐き捨てた。
それを見て「これならば効く!」とでも思ったんだろうか。
オオカミたちはいっせいに……それこそ同士討ちするのも厭わずに……こちらに向かって突進してきた!
雪崩のような攻撃を迎え撃つ。
重い肉の質量を捌き続けて……腕が痺れて、息が切れて、魔力が減っていく。
まだ戦える、そう思っていたけれどゼイゼイと息を切らして……全身から湯気が立ち昇るほど体温がどんどん上がっているのに、寒い、と思った。
その時。
大きな、馬のいななきが聞こえた。
続いてドカッドカッと鈍い何かを蹴り飛ばす音。
狂った挙動をしていたオオカミたちがキャインキャインと情けない声をあげて散らされていく。
「……ミーティア」
白馬の君は、僕に群がっているオオカミたちをどんどん蹴り飛ばして僕の方に一直線にやってくる。
エメラルドみたいな緑の目が真っ直ぐに僕を見ていて、強い光を宿した彼女の目には少しの恐怖もなかった。
そして、僕のそばにやってくるとぐいっと頭を下げ、僕の身体をすくいあげるようにして背中に乗せると……猛然と駆け出した!
「ミーティア! 高貴な君に跨るなんてできない! おろしておくれ!」
振り落とされないように反射的に馬具を掴んでいるくせになんて説得力のない言葉だろうか。
聞こえているだろうにミーティアはすっかり無視して……いいや、小さくいなないた。
馬の言葉は分からない。
竜の姿じゃない中途半端な僕には心だけで話すこともできない。
だけど。
ミーティアの背中からは僕を乗せる強い意志と、どうか任せて欲しいという気持ちが伝わってきた。
そもそも、情けないことに僕がなかなか合流してこなかったから心配して飛び出してきてくれたんだろう……。
勇猛果敢な走りでオオカミたちをあっという間に引き離したミーティアは、仲間たちの元に戻ると……僕を下ろすことなく、そのまま果敢にレオパルドに向かって突進していき、僕は馬上から
気づくと雪の上でふたりして倒れ込んでいて。
その時にはオオカミの群れもレオパルドの姿もなく、奴らを追い払うことに成功していた。
間に合った!(間に合っていない)
書きたてをお届け!
馬上は槍の方がサマになりますが射程は割と長いのでどうにかなる