しばらく興奮冷めやらぬ中、雪原に寝転がって僕たちはただ荒い呼吸を落ち着かせていた。
冷たい雪の上で空を見ているとだんだん落ち着いてきて……煮えたぎっていた脳みそも冷えて多少の冷静さを取り戻す。
「ミーティア。怪我はなかった?」
隣の優しげな眼差しが静かに横に振られる。
緑の瞳はハッとするほどの強い輝きはなりを潜め、落ち着きを取り戻していたけれど、その意志の強い眼差しは変わらない。
僕もミーティアの勇猛果敢な走りのお陰でみんなと合流してからは負傷することはなかった。
高貴な姫君に、それも戦闘訓練を受けたこともない深窓の姫君にとんでもない事をさせてしまった。
危険で野蛮な戦いに身を投じさせ、あまつさえその背中にまたがるなんていう……呪いのせいで不本意に馬の姿になっているミーティアを本物の馬のように扱った。
トロデ王はどんなに娘を心配され、僕の行動へ怒りを感じられたか。
そんなことを、冷静になるといくらでも思いつく。
だけど、だけど、あぁ……さっきまで僕らは一心同体だった。
言葉も要らず、眼差しさえ合わさずとも心がひとつだった。
互いの身体を意のままに使い、その結果ひとりでは成し得ない奇跡を引き出した。
互いに無傷で、暗黒神の脅威を退けることができた。
お叱りは受けよう。
だけど、ミーティアが叱られるようなことがあればそのお言葉を受けるのは僕でいい。
……まぁ、今はそれどころじゃないか。
ようやっと真の意味で冷静になったらしく、僕は立ち上がると周囲の様子を確認した。
ヤンガスは斧を横に投げ出したまま大の字になって寝転んでいて、ゼシカは息を切らしたまま座り込んでいる。
疲れた様子のククールはグラッドさんと話していて、多分怪我をしていないか確かめているんだろう。
トロデ王は馬車の中から出てこられたところらしい。
良かった。
全員無事みたいだ。
「怪我はないですか、グラッドさん」
「あ、あぁ。怪我はないよ。キミたちのお陰でまた助かったよ……それよりキミの怪我の方が深刻そうに見える」
「これでも回復呪文は得意ですのでご心配には及びません。この通り、戦闘訓練を受けている人間ですし。
……それでですね、『当事者』だった貴方には話しておくべきことがあります」
「それはあの狂ったオオカミたちのことかい?」
「えぇ。そしてあの翼の生えた黒犬レオパルド……もう犬には見えないかもしれませんけれど。あの犬は元はただの大きな犬でした。
詳細は省きますがあの犬は咥えていた大杖に操られているのです。犬を操っている邪悪は世界に散らばっている七賢者と呼ばれる偉人の子孫たちをひとりずつ殺してまわる、そんな危険な存在なのです。
グラッドさん、どうやらあなたは七賢者の子孫のひとりらしい。だけど、『賢者の継承者』ではないようだ。だからレオパルドに狙われたけれど命までは取られなかった。これは僕らの仲間であるゼシカも同じ立場の人間です。ゼシカの場合は兄が継承者でした。そしてご想像の通り……ゼシカの兄はあの杖を持った存在に殺されました。
個人的なことをお聞きして申し訳ありませんが、あなたの血縁者の居場所を教えてください。きっとその方こそが継承者です。今しがた追い払ったレオパルドは次の獲物を探し回っている。だから時間の問題です。でも、今ならまだ間に合うはずだ」
「な、なにがなんだか……賢者がナントカとか……確かに私の家系にはかつて暗黒神を封じた賢者の血が流れているとは聞いていたが……そんな大昔の話が今になって……。いやしかし、恐ろしい魔物どもに襲われたばかりなんだ。キミたちの話を信じよう。
私の血縁は、年老いた母だけだ。ちょうどキミたちも会ったばかりの、薬師のメディだよ」
「……道理で。それではグラッドさん。ここはオークニスに戻りたいところでしょうが、ご一緒していただけるでしょうか?」
「いやしかし、オオカミどものせいで私は街を長くあけてしまったんだ。薬師を待っている人間が街にいるかもしれないんだよ」
「それであれば、職業人として気に障られるかもしれませんがサザンビークから医者を派遣しましょう。グラッドさんの部屋に患者や薬を求める人間がいればその医者に対応させます。何、一時的なことですよ」
「一介の旅人のキミが一体何を言っているんだい?」
性急すぎることを言っている自覚はあった。
だけど、今躊躇する暇はない。
本当ならもっと丁寧に説得するべきで、いや逆に有無を言わせず腕をひっつかんでメディばあさんの家まで連れて行き、七賢者の血を引くふたりともを保護することが最優先だって分かっている。
「僕たちは、つい先日リブルアーチであなたと同じ賢者の子孫が殺されるのを見たんです。ですから無理を言ってでもあなた方を保護しようとしています」
「……そうね。あなたは殺されないかもしれないわ。あたしが殺されなかったように。でも兄さんは殺されてしまったの」
「俺はマイエラ修道院で、賢者の継承者だった院長を目の前で刺し殺された。聖堂騎士団が揃って抵抗したが、蹴散らされただけだった。もし、もしもあいつの気が変わって、例えば……とっ捕まってしまったとしよう。ただの人間が杖の操り手から逃げられないのはもうわかっただろ? そうなったら……あんたは母を殺めるための道具として使われる可能性がある」
「……そうか。そんな卑劣な相手なのか。わかった」
ゼシカ、ククールも説得に手を貸してくれたおかげか、グラッド氏は着いてくる気になってくれたみたいだ。
じゃあ、憂いなく出発できるってものだ。
僕は急いでサザンビークから医者を派遣するよう手紙を書きつけると、適当な黒い鱗を一枚引っぺがし、それを手紙で包むように畳んで手のひらに乗せた。
強くイメージするのは石造りの城。
僕が育った場所をイメージして、手のひらの上だけに「
「
よし、成功だ。
翼が生えたみたいに手紙が空へ向かって吹っ飛んでいくのを見送る。
ちゃんと向かっている方向はサザンビークだ。
「エイト殿下」を証明する印章も何もないけれど、筆跡と竜の鱗できっと分かってくれるだろう。
「小細工は得意でね。さぁ、行こう!」
もう一度「
ほんの僅かな魔力しか消費していないのに、さっきの戦いで消耗しすぎてもう何も呪文を使えそうになかった。
とはいえ、おそらくレオパルドとの戦いが近い今、周囲を不安にさせるなんて愚行だと思うので……隙を見て魔力を回復させるアイテムを使おうと思う。
少なくともしっかり休んで気力体力全回復! なんて出来そうにない状況なんだから。
◇
一瞬の移動の後、目を開けるとあの温かい家は大きな炎に包まれていた。
「先を越されたか!」
僕は申し訳ないと思いつつも扉に体当たりして、自分まで焼かれる前に飛び退いた。
破壊した扉から様子を伺ったけれど炎がすっかり回っている室内に人気はない。
「一階にはいないみたいだ。なら地下室に……? いや、ここからだと部屋が特別荒らされている感じは見当たらない……」
「きっとこっちだ! こっちに洞窟がある! きっと母ならそっちに逃げたはずだ!」
グラッド氏の導きに従って僕らは走った。
言われた通り、家の裏手には洞窟があった。
火の手はこっちまで迫っていない。
賢明なメディばあさんが異変に気付いてこっちに避難されていたらいいのだけど!
洞窟の入口に差し掛かったその時、大きな音を立てて背後で家が倒壊していった。
焼かれたせいで?
いや……レオパルドたちが戻ってきたからだ!
後ろから邪悪な気配。
そして吹き荒れる突風。
うなり声が四方八方から聞こえ、一面の雪に染められた銀世界にいるはずなのに……なんだかその場が生温かくなっていく。
まさかすぐ背後にいるわけでもあるまいに、じっとりとした湿度のある熱と舌なめずりでもするような不快な音が耳元で聞こえる。
奴はすぐそこまで来ていて、僕たちのことをもう捕捉している!
振り返ると狂ったオオカミたちが何匹も何匹もいて、既に洞窟の入口は塞がれている!
「早く! こっちに来なされ!」
その時メディばあさんの大声が聞こえてきた!
僕たちは走って走って、奥の部屋に向かう。
そこには無事な様子のメディばあさんと犬のバフがいて……まずいな、あっちは行き止まりみたいだ。
彼女たちを背にして戦えば、背中を気にしないだけマシかな。
そう思いつつ部屋に駆け込む。
そして剣を抜いてオオカミたちを迎え打とうと勢いよく振り返って……。
狂ったオオカミたちがいきり立って部屋に飛び込んでくるも、目の前で強固な結界に弾き返された!
下を見れば僕たちの足元に大きく円形の何かが刻まれている。
見ただけでは詳しく分からないけれど、古代の魔法陣だろうか。
「ここまで来ればもう安心ですじゃ、旅の方々。……そして、グラッドや」
「……母さん。無事でよかったよ」
「ほほほ、そう簡単にくたばるものかね」
オオカミたちは何度も何度も体当たりを繰り返し、その度に電撃のようなものが奴らを傷つけ、焼け焦げる。
埒が明かないと思ったのかボロボロになった姿で足を引きずり洞窟から出ていった。
「一先ずは安心かね。バフが騒ぐものだから、念の為結界の方に来てみたら『犬』が来たのですじゃ。あれがゼシカさんたちが言っていた黒犬ですかのう」
「えぇ、そうだと思います。こうなるんだったらあたしたちの旅の目的を……そもそも、七賢者の末裔が狙われているっていう話もしておくべきだったんだわ……」
「賢者の
参ったな、メディばあさんには何もかも見透かされているのかも。
なんて思っているうちにさっきの倍ではきかない数のオオカミたちが戻ってきて、性懲りもなく突進してくるとまた結界の餌食になって……何匹かがその場で青い光となって消滅した。
「ここの結界は別に消えたりせんよ。安心してここにいたらいい。あんたさんがた、ずいぶん疲れた様子だからねえ」
「そうじゃ、さっきまで酷い戦いじゃった。おおわしの可愛い姫や、もうわしの肝がつぶれるような真似はよしておくれ。急に走ってどこぞへと言ったと思えば血まみれの殿下を乗せて戻ってきて大立ち回りなどと……」
「……ま、とにかくここで休ませてもらおうぜ」
「そうだね。少し座らせてもらうよ」
そう言っている間にもひっきりなしにオオカミたちがやってきては結界に阻まれて消える。
オオカミたちの悲鳴と死体が地面に倒れる鈍い音が繰り返される。
そんなこんなでまったく落ち着ける場所ではないけれど、この場所に満ちた不思議な空気……結界に守られているからか、妙なことだけど安全な街の中にいるときのような安心感があった。
あるいは、年の功というべきか。
メディばあさんが安心するように言ったから、だろうか。
二本の剣を鞘ごと外して前に抱える。
普段は抜かない父の剣と、背中に背負ったおじ上が用意してくださった剣。
せっかくおじ上が用意してくださったものだけど、ドルマゲスとの死闘、リブルアーチでの戦い、もちろん数えきれない魔物と戦闘し……そしてさっき剣のコンディションが悪くなっているのを理解しながら無茶苦茶な戦いをしたせいで酷い有様になっている。
いくらか刃が欠け、ギトギトに脂にまみれ、目視では分からないものの切れ味からして刃も丸くなっている。
もうしばらく頑張ってほしい。
それにしても名匠ならともかく、素人目にはもうどうしようもないように見えるので別の剣を用意すべきかな……送ってもらうか、オークニスで調達するか。
もちろんいい剣であることには越したことがないので、オークニスで探してダメそうなら送ってもらった方がいいのかも。
とりあえずできることは……布で脂を拭うくらいだった。
結界の目の前に陣取っているヤンガスの方を見れば、懲りずに弾き返されているオオカミたちを観察しているようだった。
あるいは万が一の時のために見張りをしてくれているのか。
ゼシカとククールはそれぞれ別の場所にいるけれど、黙ってじっとしている。
……こちらからわざわざ打って出る必要はない。
多少の食料や水なら馬車に積んでいるはずだし、それぞれの荷物にも少しはある。
それにメディばあさんの落ち着きぶりを見るとまだ奥の手を隠しているんじゃないと思うくらいだ。
だから、まだ焦る必要はないし……哀れなオオカミたちの悲鳴を意識の外に締め出すくらいしかやれることはない。
それにしても。
レオパルドは、暗黒神は何を思ってしもべたちを使い潰しているのだろうか……。
次回 七賢者の継承者側から暗黒神への最高打点
プロットには「プチルーラ」と命名してあった(作中ではルーラ呼び)