結界の外がほのかに明るい。
結界に挑んでは散っていったオオカミたちの怨念と言うべき青い残滓が今も宙を漂っている。
長時間の「籠城」で体力が限界を迎えてしまった非戦闘員……グラッド氏、トロデ王、ミーティアは先程からうつらうつらとしている。
年の功かメディばあさんははっきりと目を覚まされているけれど、むしろ僕たちの方が先にへばってしまいそうなくらいだった。
戦っている訳でもなく、ただ立てこもっているだけなのに。
気疲れは思った以上に体力を削る。
剣を何時でも抜けるように鞘ごと抱えているのに、身体が妙に熱くて重だるい……いや、これは眠気の手前の段階だと思う。
目がしっかり開いているのは……ヤンガスだけだ。
よくないな……そう思いながらも、僕は緊張感を保てないままでいた。
その時、再び洞窟の入口から怪しく光る赤い瞳がこちらに近づいているのが見えた。
ゆっくり、ゆっくりと邪悪な気配が近づいてくる。
それによってようやくあるべき緊張感を取り戻した僕らはいつでも武器を抜けるように構え、レオパルドを待ち受けた。
レオパルドの身体は……前に見た時より何周りも大きく膨張していて、全身を覆う紫の毛の半分が青っぽい毛並みに……つまり、散っていったオオカミたちの色に変化していた。
そして何より、やつの口元にはべったりと血肉がこびり付き、口角の端からボタボタと肉と血の混ざったものが滴り落ちていた。
「……あいつ、仲間を食べたのね……」
「チカラをつけて結界を破ろうって魂胆なのかな。それなら……それまでにあれだけの数を犠牲にすることなんてなかったろうに」
「エイト、人ならざる者の思考回路がどうなっているかなんて考えない方がいい。先にこっちの頭がおかしくなる」
「なるほど、言えてるね」
僕の言葉が聞こえたのか聞こえていないのか、奴はニヤリと嫌な笑みを浮かべた。
アオォォォォォォオオン!!
大きく息を吸い込んだレオパルドは、結界が震えるほどの大きな遠吠えをした!
邪悪な魔力が作用しているのか、こちらに凄まじい突風が吹き付けるも結界がそれを阻んでいる!
ただ威圧しに来たわけがない。
何が目的なんだろう?
轟音に耳を塞ぎながらも目を凝らすと、レオパルドの周囲が淡く光っている。
それは……無為な突撃で死んでいったオオカミたちの魂だろうか。
レオパルドの遠吠えに反応し、吸い込まれるように地面から立ち上る青い光が奴の身体に集まっていく。
それを取り込む度に仲間を食って肥大化したレオパルドの身体はますます大きく、ますます邪悪な気配を纏っていく……。
変身したドルマゲスとも似通っていた翼はみるみるうちに羽根が抜け落ちてコウモリの翼のような見た目に。
辛うじて元の犬の面影を残していた顔はぶくぶくと肥大していき、犬というよりも太った人間のような顔つきに変わっていく。
頭に生えていた短い二本の角は青い光を纏いながらみるみる伸びていき、牡山羊のようにカーブを描いたものに変化する。
「モンスター」から「醜悪なモンスター」へ変貌していく様は……ドルマゲスの二番煎じをより酷くしたようだ。
犬の面影として四本足の姿だけれども、それ以外はレオパルドの面影はなくなっていく……。
「結界をもう一段階強化しましょう。あんたさんがた、真ん中の方に集まってくれるかね」
冷静なメディばあさんの言葉に従い、僕らは結界の中央に集まる。
メディばあさんが口の中でなにやら呟くと結界は眩しい光を帯びて輝き、レオパルドから発せられる邪気によって震えることもなくなった。
まるで堅牢なガラス窓越しに大雨を見ているかのように、目の前で繰り広げられている事が隔てた遠いところの出来事のように遠ざけられ、……内心、ホッとした。
賢者の知恵を受け継いできたメディばあさんは、底がしれない人だ。
暗黒神がやすやすと諦めるとは思えないけれど、メディばあさんも簡単に殺されるような人じゃない。
奴が卑怯な手を使おうにも人質になりそうなグラッド氏もこちらにいるし。
そんな、楽観的な考えが過ぎった。
対してレオパルドも負けじとおびただしい数の魂を吸収し続ける。
地面の下から引きずり出された魂のような光は、苦悶の声のようなものをあげながらレオパルドの身体に吸い込まれていく……。
生きたまま食らうよりも都合がいいのか?
目の前で変貌していく姿を見ながら、結界の中で護られているのは結構なことだけども……止めなくていいのか? という疑問も湧きあがる。
膨張した身体は狭い洞窟には収まりきらず、洞窟の壁や屋根に当たってそのまま破壊しながらも膨らんでいく……生き埋めにされるのは勘弁だったけれど、幸い降ってきた瓦礫も結界が弾き返している。
『もろともに死ぬがいい! 賢者の末裔ども!』
膨張の挙句、風船のようにパンパンに膨らんだレオパルドはこちらに向かって突進してくる!
結界はその破滅的な衝撃をやすやすと受け止め……いや!
ビシリ。
嫌な音とともに目の前に大きな亀裂が走る。
結界は瞬時にそれを修復し、暗黒神の激しい殴打の度に砕け散っては再生する。
まずいのでは……。
「心配しなさんな」
すべてを見透かしたような目でメディばあさんは僕らの顔をひとりずつ覗き込んでいく。
安心させるように微笑んで頷き、最後にグラッド氏の元へ向かった。
不安そうな顔をしていたグラッド氏だったけれど、年老いた母親が自分を見上げているのに気付くとその硬い表情は少し和らいだ。
「賢者の継承者としてこの祠を守り、伝承を受け継いでいくのが私たち一族の使命。だけど、知識を活かして人々を救う道を選ぶのもまた……人として正しい道だ。
結果的にあんたは多くの人を救った。『薬師グラッド』はオークニスの街の人々の心のよりどころになった。違うかい」
「……そうだったらいいと、思っているよ母さん」
「大喧嘩して出て行った割には煮え切らないこと。もっと大口叩いて、自分はオークニスに絶対になくてはならない存在だって言い切ってしまえばいい。『こんな人気のない辺境の地の守り人をやって知識を生かせないで老いていくより、みんなの為になる道を選ぶ』……だったね。
夢を叶えたのだから、胸を張りなさい」
「母さん……」
結界がひび割れるペースが上がっている。
亀裂から幾度も突風が忍び込み、結界の中の安息地を脅かしている。
レオパルドだったものは唸り、猛り、狂いに狂って攻撃を続けていた。
「さぁ、話はおしまい。グラッド、手を出しなさい」
反射的に従った、という様子で手を出したグラッド氏。
その手をそっと包み込むように握ったメディばあさんは、何かを呟き……その瞬間。
刹那、目の前で起きたことを理解できなかったのはこちらだけではなく、暗黒神の方も同じらしかった。
そのままいきり立って飛びかかってくるのではなく、僅かに沈黙した。
ただひとり、メディばあさんを除いて、その場の全ての存在にとって理解の向こう側にあった。
「やれやれ、まったく。手段を選ばない
そんな、自己犠牲をする気なのか!
悪辣な暗黒神が崇高な精神を理解するとは思えない!
メディばあさんがその身を差し出したとて、嫌がらせにそのままグラッド氏まで死地に送って笑いそうな存在なのに!
我に返ったレオパルドが唸り声を上げて飛び込んでくる。
だけど、その時には結界が復活していた。
レオパルドはまた結界に阻まれ……。
凶刃は届かない。
だというのに安全な場所にいるはずのメディばあさんは、静かに一歩ずつ前へ歩き出す。
結界の外へ向けて。
「母さん!」
「いいこと、グラッド。あんたの選んだ道は、先祖が定めた古い使命よりもこれからを生きる人間として正しい道だ。賢者の継承は終わりを迎え、賢者の必要のない新しい時代がやってくる。だけど心配はいらない、もう既にあんたはしっかりやっているのだから」
引き留めようと走るグラッド氏。
しかし、メディばあさんに届く前に新たに作られた結界に阻まれる。
その間にもメディばあさんの身体から鮮やかな赤い光が漏れるようにこぼれ落ち、結界を強化しているように見える……。
メディばあさんが合図するように腕を振ると、追従していた犬のバフが悲しそうな鳴き声をあげながらゆっくりと後ずさり、グラッド氏の横についた。
その間にも赤い光はどんどんこぼれ、結界に注がれていく。
僕らだって黙って見ていた訳じゃない。
グラッド氏と同じようにメディばあさんを止めようとするゼシカとククール、レオパルドの方に向かっていこうとした僕とヤンガス。
いずれも最初より狭くなっている結界に阻まれ、……気づけば身体の大きさギリギリの小さな結界に囚われて身動きできなくなっていた。
「私が死んでも息子には手を出させない。これでもくらいなさい!」
メディばあさんが結界に阻まれながらも迫ってくるレオパルドの顔に向かって何か赤いものをぶちまけた。
途端、奴は……噎せた。
そりゃあもう盛大に。
「あ……あれは……いや、こんな状況ではむしろ、さすがは的確な判断と言うべきか……」
赤い粉を引っ被せられたせいか、顔から出る液体を出し尽くしながらぐちゃぐちゃの顔になったレオパルドは怒り狂った。
『おのれ……! 鼻も目も効かぬ……』
しかし、目の前にいるメディばあさんを見失うほどではなかったのか、そのままめちゃくちゃに突っ込んできて……。
グラッド氏が拳でガンガンと結界を殴りつけている音が嫌に耳に残る。
そんな中、無情にもメディばあさんを守っていた結界が、目の前で砕け散る。
だけど、メディばあさんが僕らを個別に結界に入れたから、他の結界は無事で。
赤く優しい光が、目の前で溢れた。
「母さん……ッ!」
グラッド氏の悲鳴、目の前で杖に突き貫かれた小さな身体……。
嗚呼……。
杖から邪悪な魔力が解放されたように、魔物めいた姿のレオパルドがますます醜悪な姿に変わっていく……。
前脚は太った人間のように変貌し、しっぽは伸びて切っ先は槍のように尖り、閉じられた両目からは赤い涙を流している。
『あと、ひとりだ。老婆め、目が開かぬ……小癪なことをしおって……』
とはいえ、メディばあさんの大立ち回りが無意味だった訳ではなかったようで、レオパルドだったものはあちこちにぶつかりながらフラフラとしながら洞窟の外に向かっていく。
僕らは気づくと結界から解放されていて、洞窟の天井が崩れた瓦礫を無理やり呪文やら打撃やらで吹き飛ばしながら後を追う。
が、間に合わず。
僕らがなんとか崩れた洞窟から這い出た時には奴は空を飛んでいた。
気づくと周囲には一匹の魔物も残っていなくて、ただただおぞましい血痕だけが刻まれていた。
がくりとグラッド氏が膝を着き、涙を流す。
だけど彼はすぐに振り返って瓦礫を掻き分け、必死に埋まっていた母を掘り出すと縋り付いて動かなくなった。
悲しそうに寄り添う犬のバフは……一体どこから見つけてきたのか、大きな赤い石をくわえていた。
キラキラと輝く丸い石……まるで先程メディばあさんから発せられたあの光のよう……。
温かな光は、優しくともっている。
バフが石をグラッド氏に差し出すように置くと、グラッド氏も母に関わるものだと気づいたのか石を掴んだ。
「……母さん……」
いつの間にか、静かに雪が降り始めていた。
惨劇の痕も、焼けこげた山小屋も、すべてを白い雪が覆い隠していく。
僕らはグラッド氏が落ち着くのを待ってから、なんとか洞窟の瓦礫を退かし、メディばあさんが作った小さな薬草園に墓を立てるのを手伝った。
もう書けたら更新ということで金曜縛りにしなくていいかなになってきました(残業戦士より)
レッドオーブを所持している限りグラッド氏は暗黒神(及び操られた者たち)に自動結界状態になっている