CINDERELLA GIRLS,ASSEMBLE!!   作:グレイソン

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文香さんはオラクル的な何かが似合う


プロンプター・チームアップ開始

 鷺沢文香は元々アイドルに興味があった訳ではなかったし、スターク・インダストリーズ日本支社の広報部がどう言った目的でアイドル事業課をおいているのかも知らなかった。彼女はただ本を読むのが好きで、大学で文学を学びながら叔父の古書店で働いているだけの女だったし、そうして過ごすのに不満は無かった。

 彼女がアイドルになったのは、特に自らが世に打って出たいだとか思ったからと言う訳ではなかった。ある時から店に出入りするようになった年若い少女が、たまたまアイドルとして活動をしていて、彼女から話を聞いたそのプロデューサーがスカウトにやってきたからだった。

 文香は自分が内向的で、運動も歌も得意ではない……おおよそアイドルには向いてはいないと自覚していた。確かに幼少期から白い肌の容姿と長い黒髪、そして声を褒められる事は多かったが、それだけで務まると言う訳でもあるまい。同じ年頃の子女が化粧やファッション、色恋に盛り上がり、磨きを掛ける中にも、文香はただ本を読んでいただけだったのだ。経験が何も無い状態だった。だが、友人も彼女のプロデューサーも、その文香の醸す空気感こそが最大の魅力だとして、熱心に勧誘を続けてきた。最後のほうには最早お願いとまでなっていたかも知れない。

 新しい世界を見られる、と言われたのが、文香が一歩を踏み出す切っ掛けと言えた。いつも次の本に手を出す時、その期待に胸を膨らませて開いているのだ。それを自分の日々にも当て嵌める事が出来ると言われたのには、少し興味が湧いたのだ。

 胸のうちには恐れや不安のほうが一杯あったが、友人もプロデューサーも全力で支えるし、最後まで付き合うと言ってくれたので、文香は彼らを信じる事にした。

 そうして鷺沢文香は、シンデレラガールズの門を潜ったのだった。

 

 その電話は、そろそろ床に就こうかと思っていた矢先に舞い込んできた。明日はレッスンも学業もない休日なので、少し遅くまで読み耽ってしまっていた文香は、やおらと寝間着に着替えるべく椅子から腰を上げていたのだが、再びそこに戻って携帯電話を確認する。表示された名前は橘ありす。シンデレラガールズの企画で彼女とは姉妹めいたユニット・BRIGHT:LIGHTSを組む、年若い友人だった。そして彼女をこの世界に誘った内の一人でもある。何か伝え忘れた事でもあるのだろうか。そう思い、文香は携帯電話を操作して応答した。

「はい、鷺沢です……。どうされましたか、ありすちゃん……?」

『あ、文香さん! ご、ごめんなさい、突然……でも頼れる人が他に思いつかなくて……!』

 スピーカーから聞こえる声は確かにありすのものだったが、普段とはまるで違い、落ち着きはどこにもなく、相当慌てている様子だった。何があったのだろうか? 文香は首を傾げ、マイクに問い返す。

「ありすちゃん……一体どうしたのですか……?」

『その、ちょっとディックさんが大変な事になってて……助けに行くのを手伝って欲しいんです!』

「プロデューサーさんが……? 一体何があったのですか……?」

『詳しくは後で話しますから……確か、免許を持ってるって言ってましたよね!? 今から場所を送りますので、車を出してもらえませんか!?』

「え、えぇ……」

 そうしてメッセージにて送られてきた住所を確認すると、文香は直ぐに上着を羽織って部屋を飛び出した。

 古書店の店舗部分で深夜まで掛かる作業の最中にいた叔父に、車を借りる事を告げると、店名ステッカーの削れて剥がれ掛けている古ぼけたバンに飛び乗って、暗い道を走り出す。普段余り運転をしない彼女だが、この瞬間だけは、両親に無理矢理取らされた運転免許証の存在と、降雪の激しい地域に産まれ育った事を感謝した。

 少しの間車を走らせ、ややあって小高い山の上にあるウェイン家の別荘まで到着すると、その門の前にありすの姿があるのが見えた。タブレット端末を抱えて駆け寄ってくる。こんな時間まで、ここで何をしていたのだろう? それに、上着の下には妙な服を着ているようにも見えたが、果たしてあれはなんなのだろう? だがそれを指摘する暇もなく、ありすが口を開いていた。

「ありがとうございます、文香さん! ディックさんが負傷して動けなくなっていて……すぐに行かないと!」

「あ、あの、どう言う事か分かりませんが、警察や救急には相談出来ないのですか……? それか、他のプロデューサーさん達には……?」

「駄目なんです、誰にも言えないんです! お願いします、助けて下さい……!」

 その表情からは、ただ事ではない様子が伝わってきた。ふざけている訳でも騙そうとしている訳でもない、ただ必死な様子だった。大切な妹分の目に涙が浮かんでいるのが見えた時、文香はとにかくこの非常事態に対処しなければならないと強く思った。 

「……取り敢えず乗って下さい、ありすちゃん。それで、どこへ行けばいいのですか?」

「はい、今位置を出します!」ありすは助手席に乗り込むと、抱えていた、やたらと無骨なタブレットを操作して位置情報を表示した。彼女のタブレットはそんな形をしていたっけ? いや、もっとスマートな見た目のはずだったが……。ともかく、文香は画面に映ったそれを確認して車を走らせた。

 ディックがいるとされる位置は歓楽街の裏手だった。灯台下暗しと言った感で、表通りと比べて治安が良くないからと、市井の人々はあまり近寄りたがらない地域の一つだった。文香は少し緊張感を抱いたが、同時に、そんな場所に何故と言った疑問も感じていた。もしやまたスカウトにでも行っていたのだろうか? 何の変哲もない小さな古書店の中にいただけの自分を連れ出しに来た時のように。そうして、治安の悪さから来るトラブルにでも巻き込まれたとでも言うのだろうか。まるで、ありすが好む推理小説に出てくる探偵になったような気分で、そうふと考えながら、文香は車を路地の奥へと向かわせた。示された地点の付近に到達すると、人気の無い路地に車を停める。

「この辺りのようですが……もう一度見せてもらえませんか……?」

「はい」ありすがタブレットを示す。

 細かく見ていくと、裏通りの更に奥まった所に反応が出ているようだ。文香はそろそろと車を進めた。やがて車両が入り込めないくらいに道幅が狭まった地点に行き当たり、文香は止むを得ず再び停車させた。

「もう少し先のようです、ここからは歩かないと」ありすが言い、車を降りる。文香も後に続いた。「どこにいるの……?」

「連絡は取れませんか? 向こうからもこちらに来ていただければ、分かりやすいのですが……」

「やってみます」それから、ありすはタブレットではなく、妙なマスクを取り出して身に着けると、それをに呼び掛けた。「ナイトウィング、こちらロビン。聞こえますか? こちらは表通りのほうからもう間近に迫っています。そちらも向かってくる事は出来ませんか?」

 少しの間静まり、二人は歩くだけとなる。

 ナイトウィング? それにロビンだって? 文香は唖然とした。それはどこぞのゴッサムで活動している犯罪狩人の名前ではないか。どうしてそんなものを使って……それにその格好は? 心のどこかでは馬鹿な遊びをしているようにしか思えなかった。しかしだとしたら、わざわざこんな手の込んだ小道具を使って、しかも他人を巻き込んでまで騒動を巻き起こすだろうか? まさか……?

「応答ありません……!」ロビンのマスクを付けたまま、ありすが泣きそうな声で言った。その声色に、ふざけている様子はまるで感じられない。

 いや、とにかく今は見付けて合流する事が重要だ。説明は後で二人からしてもらおう。文香は意識を引き戻して集中した。店舗や住居の入口が並ぶ場所から、その脇にある人が歩けるだけの通路までをも覗き込みながら、二人は歩く。表通りの喧騒が離れた事で静けさが漂ってきており、暗さと相まってジトリと重い空気に感じる。まるで犯罪小説に出てくる犯行現場を思わせる、そんな何かがあるような気がして、文香は少し恐れを抱いた。早い所ディックを見付けて帰らないと。

 ややあった後、脇道のほうから物音がして、何かが転げるようにして出てきた。

「ひっ」と息を呑んで文香は思わず後じさり、それを庇うようにしてありすが前に出る。彼女がその手を一振りすると、いつの間にか長い棒のような物が伸びて握られていた。

 姿を現したのは、青い鳥のようなマークの描かれたスーツを着込み、目元をありすの物と似たマスクで隠した男だった。よろよろと膝をつき、そのまま力無く地面に突っ伏してしまう。

「ナイトウィング!?」ありすが駆け寄った。抱き起こそうと必死になっている。

「本当に、バットファミリーの……?」文香は唖然と呟いた。以前、犯罪小説を読んだ際に、現実の探偵の小話として取り扱われていたのを覚えている。また、シンデレラガールズの企画にある、ヒーローに対する不信感を払拭すると言う目的を説明された時に、アベンジャーズやジャスティスリーグと言った大手のヒーローチームについてだけでなく、ゴッサム近郊のクライムファイター達についても軽く教わっていた。その中に、似たような特徴の男がいたのを覚えていた。

「ナイトウィング! ……ディックさん、大丈夫ですか!?」ありすが尋ねる。それを耳にして、文香は思考を現実に引き戻す。やはり、彼がディックだと言うのか。

「ありす……どうやってここに……?」ナイトウィングが息も絶え絶えな声を発した。

「すみません……文香さんに手伝ってもらいました」ありすが怖ず怖ずと告げる。ナイトウィングが白いレンズ越しに自身に目を向けるのに気付き、文香はその視線に向き合った。

「そうか……助かったが……いや、まぁ、後で話そう……」

「立てますか?」

「なんとか……」

 ナイトウィング、いやディックは、痛みを堪えながら浮かべたであろう皮肉げな笑みを彼女に見せると、なんとか立ち上がろうとした。だが端から見る以上に辛いのか、中々にその目論見が成功する兆しは見えなかった。支えるありすの手に、赤く光る水がベトリと纏わり付いているのが見えた。どこかから血が流れ続けていて、その黒い生地のスーツに滲んでいるのだ。このまま眺めていてはいけない。そう感じて、文香は急いで肩を貸して、バンのほうへと引き返した。

「あの、一体どうなってるんですか……? なんなのですかその格好は……? ナイトウィングって……それにその傷……」荷物を積む為に座席を折り畳まれているバンの後部に、ディックの体を押し込みながら、文香は混乱したままに尋ねる。

「お、落ち着いて下さい、文香さん」ありすが傍らから言った。「簡単に言うと、ディックさんは本物って事です」

「本物の……クライムファイター……?」

「はい」ありすは頷く。「それじゃあ、また屋敷にまでお願いします」

「え、あの、病院へは……?」

「行けませんよ、秘密裏に活動してますし、正体が露見する可能性は減らさないと。だから、治療は屋敷で行うしかないんです」

「なるほど……分かりました……」

 それから二人も車に乗り込んで、再びウェイン家の別荘まで引き返し始めた。

 揺れる車内で、ありすが静かに口を開く。

「最近この辺りを荒らしていた押し入り強盗団が、今夜また犯行に及ぶとの情報を入手したので、ナイトウィングはそのアジトに乗り込んでいたんです。敵は多くて八人ほどと見られていて、攻め方を間違えなければ簡単に捕らえられる相手だと言ってました。けど、突入してすぐに構成員の中にメタヒューマンがいると判明して、不意を突かれたディックさんは怪我をしてしまったようで……」

「警察への通報は……?」後部からディックが尋ねた。「奴ら、全員縛ってはあるけど……時間の問題だろう」

「大丈夫です、済ませてあります」ありすが振り向いて答え、タブレットを確認する。「もう付近のユニットが到着している頃ですから、心配しないで下さい」

「そうか……ありがとう」言って、再びディックは力を無くしたように黙った。

「あの……ありすちゃんは、いつからこう言う事を……?」文香はありすの姿を示して言った。「ロビンとして、活動しているのですか……?」

「事務所に入って少し経った頃からですから、もう何ヶ月か経ってます。まぁ、まだサイドキック候補生でしかありませんけど」

「私と組む前から……」文香は、妹分とも言える自身の相棒にそんな一面があったと知り、愕然とした。多少気が強い部分はあれど、大人しく真面目で、年齢よりも聡明な少女だと思っていたのだ。それがまさか、犯罪狩りに手を出すほど過激なものを持っていただなんて、全くもって知らなかった。いや、隠していたのだから気付けなくても当然なのだろうが、仮にも姉役として据えられているのに、妹分の事が理解が出来ていなかったと言う事が、酷く悔しく思えた。

「文香さん……もしかして、怒っていますか?」ふと、ありすが尋ねた。

「いえ……」文香は小さく首を振るが、それ以上に言葉が出てこなかった。ある意味では、それは正しいかも知れなかった。ありすに対してではなく、自分に対してではあるが。これでどうして姉貴分などと言えるだろうか。

 口をキツく結び、文香がそのまま黙ってしまうと、車内にはエンジンの音と呼吸以外には何も聞こえなくなった。

 しばらくの沈黙が続いた後、やがて屋敷が見えてくる。ありすがタブレットで門を開くと、文香は車を正面玄関の前につけた。二人で再びナイトウィングを起こすと、文香が彼を支える役目に回り、ありすは先導するのうに中へ入った。

「それで、どこに……?」文香は二人に向けて尋ねる。

「書斎に」ありすが素早く答えた。

「書斎、ですか……? そこに治療道具が……?」

「いえ、そうではないんですけど、とにかくお願いします」ありすもいよいよもって余裕が無さそうな表情を浮かべているのが見えた。

「……分かりました」問い掛けを続けていても酷だろうと思い、文香は先導に従い、ナイトウィングを連れて行った。

 書斎に入ると、ありすは本棚の本棚の間に飾られた額縁に向かい合った。フラインググレイソンズ、ディックと同じ苗字が入っているポスターが仕舞われている。だが、それが一体何になると言うのだろうか。文香が見やっていると、ありすは額縁の隅に隠されていたスイッチを押し込んだ。途端、全身を読み取るような光が走り、それから描かれている人物のシルエットが輝く。ありすは子供の影を押し、そしてその直後に、棚が開いて地下への階段が姿を現していた。

「これは……!?」

「行きましょう」

 ありすに促され、彼女達は地の底へと向かって行った。

 少しして、闇に慣れ始めていた文香の視界に、目映い照明の輝きが飛び込んできた。地下に広がる洞窟を元に作り上げられた、広大な指令室のような場所だった。幾つものモニターが光を放ち、様々な情報を映し出している。それは正しく……

「秘密基地……ですか……」

「ケイヴです」ありすが答えた。「世界中にあるバットケイヴの予備の一つ、だそうです」

「コウモリの洞窟……言い得て妙、ですね……」

 そう呆然としていると、ナイトウィングが再び苦悶の声を漏らしたのが聞こえ、文香は焦って辺りを見渡した。

「あぁ、すみません、ディックさん……! ありすちゃん、治療道具はどこに……!?」

「文香さん、こっちです!」ありすは駆け足で、作業スペースのような開けた場所へ向かった。診察台のようなベッドを用意し、手招きをする。文香は促されるままにそちらへ向かい、意識を朦朧とさせたナイトウィングをそこへ横たえた。

「治療キットはそこの棚です、銀色のケースの!」

「えぇと……これ、ですね……!」

 収納されていた重々しいケースを取り出して中を開くと、解毒や消毒用の薬品のみならず、止血や縫合用の器材、その他、幾つかの用途不明の品が詰め込まれていた。

 文香が呆気にとられている間に、ありすが次の行動に移っていた。手にしていたタブレットを叩き、口を開く。

「バットコンピュータ、起動!」

『音声を認識――橘ありす、サイドキック候補生。ご用件を』無機質な電子音声がどこからともなく聞こえてきた。

「ナイトウィングの傷をスキャンして、必要な治療を教えて!」

『診断を開始』診察台の上を光の筋が通り抜け、その後、再び電子音声が鳴り響いた。『前腕部と胸部に軽度の打撲を複数検知。腹部に中度の刺し傷を複数検知。内臓に損傷は無し。出血箇所には傷口の洗浄後、止血と縫合が、打撲箇所には固定と冷却が必要です』

「止血と冷却と固定……」ありすがタブレットを確認しながら言う。「でも、縫合なんてした事……どうすれば……」

 針と医療用糸を手に掴みながら、ありすは戸惑って見やるばかりになっていた。文香も、流石に小説の中で治療する場面を読んだ事があるからと言って、知識等一つも無い。どうすればいいのか分からないまま、オロオロと道具を見回していた。

「どうしよう……そうだ、アルフレッドさんに……!」ありすがタブレットを何度か叩いた。「バットケイヴ、応答を! こちらは日本ケイヴの橘です! ディックさんが負傷しました、至急救援を……!」

「ありすちゃん、これを見て下さい……!」文香はふと気付いて、治療キットの中から大小様々なパッチ型のアイテムを取り出して示した。英語の表記を読みながら続ける。「応急処置用だそうですが、説明には簡易的に止血と縫合を同時に行えるとあります……!」

「ホントですか!? でもどうやって……」

「傷口に強く押し当てて貼り付けるみたいです。そうすると……染み出した凝固剤の作用で出血を抑える、とありますから……」

「なるほど……じゃあ、早速やりましょう!」それから、ありすはナイトウィングのスーツに手を掛けた。「よし……じゃあ、文香さんはそっちからお願いします!」

「あ、はい……!」ありすと文香は懸命にナイトウィングの装備を脱がし始めた。

 マスクを外した時、ディックの顔が顕になって、文香は改めて彼がヒーローである事を理解した。確かに事務所には何人ものヒーロー職員が在籍しているとは言え、自身を担当している彼もまたそうだとは思ってもいなかったのだ。だがこうして目の当たりにして、ようやくそれが実感出来た。

 ポーチやガントレット、特殊繊維と装甲の織り成すバトルジャケットを取り去ると、ディックの上体が露になった。青くなった痣と赤い血を滴らす傷、そしてそれらに隠れるようにして存在している、過去に受けた複数の治療の痕が、痛ましさをより加速させた。一体どんな激しい死闘を繰り広げてきたのだろう。文香は言葉を失って、過去から今に渡って付けられてきた傷の数々を見詰めた。ナイトウィングを支えている内に分かった事だが、彼の装備はスマートな見た目とは裏腹に、頑強で堅牢な鎧のような物なのだ。しかし、それを着込んでいてもここまでの傷を負うとは。犯罪者の凶悪さと共に、クライムファイトに対する畏怖の心が芽生えつつあるのを、文香は感じた。それから、首を振って意識を引き戻し、ありすと共に必死に処置に勤しんだ。

「ありす……輸血セットを……」呻くような声で、ディックが棚を指を指した。

「でも、私使い方分かりませんよ!?」

「大丈夫……自分で、やれる……」

 ありすがケースと、伸縮式のスタンドを持ってくると、ディックは正に必死と言わんばかりの鈍い動作ながらも、慣れた手付きで血液バッグ――GRAYSONの字が示すように、恐らくこう言う場合に備えて事前に採血しておいたものだろう――の設定を行い、自らの血管を探り当て、輸血針を射し込んだ。

「後は……傷口を……塞が……」

 鎮痛剤と縫合用の針と糸へと手を伸ばしつつ、しかしそこまで言って力尽きたのか、ディックはパタリと台の上に伸びきってしまった。

「ディックさん!?」悲鳴じみた二人の声が重なる。

 慌ててバットコンピュータで確認すると、幸いにも疲労から眠っただけと分かり、二人はなんとか気を持ち直して再び治療に専念した。

 やがて、そうとは思えぬ程に長く感じられた数分の格闘の末、コンピュータやアイテムの手助けもあって、二人の仕事は無事に完遂出来た。

 文香は気疲れしてしまって、床にへたり込んでしまっていた。はぁと深い溜息をついていると、視界の端で台に手をついて項垂れていたありすが、タブレットを確認しながら口を開いた。

「どうやら、すぐに転送装置でアルフレッドさんが来てくれるそうです……」

「アルフレッド……?」

「ウェイン家の執事さんで、ディックさんの親代わりの一人です。元軍医だそうで、こう言うのには慣れてるらしいので、力を借りる事にしました。流石に私達の処置だけじゃ不安ですし、かと言って病院には担ぎ込めませんし……」

 心強い助っ人の存在に文香は安心して天を仰ぐ。だがすぐに、そのスーパー執事はまだこの場にはいない事を思い返して、首を振った。喉元まで出かかっていた嘆息は、安堵から参ったような吐息に変わって漏れ出た。

 その執事がいつ到着するかは分からないが、それまでは何かあれば自分達二人で対応せねばならない。

「こんな傷だらけになって……」文香は静かな呼吸を繰り返すディックを、複雑な気持ちの入り交じる表情で見詰めた。

「だから私も行くって言ったのに……!」独りごちた文香に続くように、憤るような声色でありすが呟いた。文香が目を向けると、ありすは怒りの色を露にした目で、眠るディックを睨み付けている。「私だってもう援護くらい出来るんですから……! 連れてってくれてれば、こんな酷い目には遭わなくて済んだはずです……!」

「ありすちゃん……何を言ってるの……?」文香は、思わず批難するような声で問い掛けた。ありすの呟きは、文香にしてみれば理解に苦しむ内容だった。文香は、違っていてほしいと僅かに思いながら、続けて口を開いた。「こんな危険な目に遭うのに、あなたも戦うつもりなの……?」

「その通りですよ。サイドキックは相棒なんですから。その為にこれまで訓練してきたんです」

「本気で……?」

「当然ですよ。でなければ、なんの為にここまで押し掛けたのか、意味が……」

「駄目よ……ッ!」自分でも驚く程に冷たい声で、文香は言い放っていた。きっと今鏡を覗けば、本当に自分かと一瞬疑いかねないくらいには、険しい表情を浮かべている事だろう。ありすを睨むように見詰めながら、文香は思った。「絶対に、駄目……! 危険な真似と分かってて、それをみすみす見過ごす訳には行きません……!」

 文香はただ妹分の身を案じていた。自警活動に走るにはまだまだ幼すぎる。命を散らしかねない危険の中に身を投じるなど、あってはならない。姉貴分としてはそう思ってやまなかった。

「止めると思ってましたよ、文香さん。あなたは優しい人ですから……本当に」ありすはやるせなく笑った。それから、普段の大人びようとしては空回る姿からは想像も出来ないほどに、静かに苛立ちを見せ、気付けば険しく猛々しい気配を纏って、文香へと返していた。「でも聞きませんよ。例えあなたの言葉であっても、です」

「どうして……? 今のディックさんの姿を見れば分かるでしょう……? こんなに傷だらけになって、血にまみれて……戦うだなんて、あなたにはさせられません……!」

「危険なのは重々承知です。でもだからこそ、立ち向かわなければいけないんです。これと渡り合って打ち倒せる力が手に入らなければ……一人前の姿には近付けないと思うから」ありすは眠るディックを見詰めて続ける。「そう……彼のように何事にも何者にも渡り合って打ち倒せるような力……それが手に入れば、立派な一人前になれる。誰に負い目を感じる事も、感じさせる事もなくいられる」

「負い目を……?」文香は尋ねた。彼女はよく一人前になりたいと言っているが、それが何を指すのかは余り分からなかった。しかしこれが重要なポイントなのかも知れない。ありすは頷き返して、答えた。

「周りの誰もが私を案じるのは……両親が私に謝るのは……私が弱いからです。強くなってなんでも一人でこなせるようになれば、心配するような思いをさせなくて済む……」

「それは……違うのに……」文香は首を振るが、ありすはそれに見向きもしなかったので、気付く様子が無かった。

「だから強くなる為に、私は彼の元で学ぶんです。いずれ一人でも生き抜いていけるように。そして、私を守ってくれた人々を、共に並び立って支えられるように」

「だからって、その為に命を危険に晒すだなんて……私には……」

「これが私の求める理想なんです。私を守ってくれる人達を守り返して、支え返せる、それが……。ディックさんからならもっと学べると思ったんです」

 譲る気は無いと打ち出してくるありすに、文香は言葉を返せなくなった。盲目的なまでの執着とも言える姿に圧倒されていたのだ。確かに普段も気負い過ぎて空回りするような場面は多々見受けられる娘ではあったが、今の姿はそんな微笑ましいものとは全く違っていて、到底受け流す事など出来ないでいた。

 ありすは険しい視線をふと伏せて、呟くように口を開いた。

「それに、こう言う事態が起こりうるのなら、彼には仲間の……サイドキックの支援が必要なんです。だから私がなるんです」

 その盲目的なまでの意思を目の当たりにして、文香はどうにかしてそれを止めるか変えられないかと必死に思考を巡らせた。だが、焦りに掻き乱されて混乱する頭は上手く纏まらなかった。元より、自分の意思を相手に伝えるのが苦手な性分なのだ。そんな彼女にとって、更に難しい域にある、相手の意思を変えさせられる程の言葉を紡ぎ出す事など、到底容易な事ではない。小説の主人公のように、言葉巧みに相手の心に渦巻く激情を和らげられれば良いのに、と文香は悔し気に眉をひそめた。読み上げる事は得意なのに、自分の言葉で紡ぐ事はどうにも上手く行かない。なんとも歯痒い気分になった。

 やや間を置いて、ようやく文香は口を開いた。

「では……私もやります」

「え?」

「私も、一緒に戦います」

「な、何を言ってるんですか、文香さん!?」驚きに裏返るような声を出して、ありすが返した。

 文香は目を丸くした彼女を真っ直ぐ見詰め返して続ける。

「止められないのなら、せめてあなたを危険から守れる立場で在りたいんです。だから、一緒に……」

「文香さんこそ考え直して下さいよ! 護身術のレッスン、成績あんまり良くないじゃないですか!」

「赤点では無いので問題ありません」

「ここでは満点以上の技術が必要なんです!」

 慌てふためいた心を顔に表しながら、ありすは文香をじっと見詰め返した。その不安げで相手を案じる視線が、先程まで自らに向けられていたものと同じだと気付くのは、一体いつの事だろうか。まだ幼い相手に意趣返しとなった事を情けなく感じながらも、文香は心のどこか少し冷めた部分でそう思った。

 ありすは困惑した表情のまま、文香に詰め寄って言葉を紡いだ。

「私、文香さんの事尊敬してて、憧れてて……友達としてだけでなく、本当の姉みたいに思ってるんです。そんな大切な人を、みすみすこんな危険な世界へなんか飛び込ませるなんて……!」

「ありすちゃん、その想いは私も全く同じです……あなたを友人と思い、そして妹のように感じています。だからこそ、危険な真似なんかさせられる訳……」

「で、でも……ッ!」

「どうして……?」

 互いに互いを案じているはずなのに、いがみ合っているように、怒りと悲しみの混ざった眼差しで相手を睨む。二人は互いに、幾つかの言葉を、激しい感情の波に乗せた声色で紡ぎ、ぶつけた。

「お願い……お願いだからやめて……!」文香は思わず、ありすを抱き締めた。大事な相棒で、大切な妹分だ。失いたくない……。

 ハッとして驚いたように身を固くさせていたありすも、ややあってから文香を抱きしめ返す。

「聞けません……文香さんこそ……」

 本当の家族のように互いを想っていながら、本当の家族のように対立して擦れ違ってしまう。二人は互いの意思を受け入れられないまま、じっとしばらく黙りこくった。

 そうして長い時間が経ったように思えた頃、どこからか電子音が響いて、二人の空間に割り込んだ。音の元を辿ると、モニターの一つが反応を示している。バイクが映っているようだ。

「あ、ナイトサイクルが……」

 ありすは名残惜しそうに文香から離れると、コンソールに向かい、幾つかのキーを操作した。ややあってから、ケイヴの中にある暗い洞窟が照らされて、無人走行のバイクが入ってきた。どうやら外に置き去りになっていたマシンが自動操縦で戻ってきたようだ。

 文香は操作をしているありすの姿を眺め、そして一つ思い付いた。直接戦えないのなら、それを支えられる立場になればどうだろう。

「オペレーターなら……」

「え?」

 ありすに歩み寄りながら、文香は言う。

「せめて、オペレーターとしてなら……それなら、ある意味あなたを守り、同時に私を守っているとも言えますよね……?」

「それは……」少し考えるように口ごもりながら、ありすは文香を見詰めた。

 一瞬、ならばあなたが、と口を突いて出そうにもなったが、あれだけ戦う力を欲していた相手に対してそれは、更に逆上させるだけだと思い直し、文香はやめた。

「……分かりました」ありすが頷く。

「……よかった」文香も安堵するように言った。二人はようやくの折衷案に、思わず溜息を漏らした。

 ありすはキツく睨んでいたような顔を、いつものように戻すと、文香を見上げた。しかしすぐさまハッとして、再び鋭く見詰め返す。

「あ、でも、情報操作とかして私だけ遠ざけたりはしないで下さいね? そんな事したら、例え文香さんと言えど……私、絶対に許しませんから」

「……そんな事は……しませんよ」内心を見透かされて、文香は思わず焦ったが、なんとか無表情に徹してそれを隠した。年不相応に鋭く聡明な面もあるこの少女には、下手に嘘を吐いてはいけないのかも知れない。文香は悩ましげに小さく声を漏らした。

「……ね、ねぇ、誰か……鎮痛剤取ってくれない……? 体中が、馬鹿みたいに痛くってさ……」

 呻きのような声を漏らして目を覚ましたディックに、ありすと文香は駆け寄って、薬の入ったパッケージを探し出して手渡す。ディックがそこから幾つかの錠剤を取り出して口に放り込もうとすると、奇しくも同じタイミングで、文香は彼に向けて言葉を投げ掛けた。

「ディックさん……これからは私も加わりますので」

「……え?」

「私がオペレーターに……通信手になります」

 固まった彼の手から転げ落ちた錠剤を拾い上げるように受け止めて、ありすが続ける。

「だから、コードネームは二人分を考えて下さいね?」

「い、いや、君達、僕が寝てる間に何を……」困惑と痛みに顔をしかめながらディックは問うが、文香はありすから受け取った薬を彼の口に入れて塞ぎ、それを無理矢理止めた。

「よろしくお願いします……ナイトウィング」

 ディックは何も言えず、ただ文香とありすを交互に見つめていた。口を塞がれていたのもあったろうが、何より文香とありすの顔に何かを見たかのように目を逸らさないでいたのだ。文香としては微笑んでいたつもりだが、恐らく瞳の奥にはまだ燃える激情が残っていたのかも知れない。もしくは顔にもまだ残っていたのかも。そしてそれは、きっとありすも同様だろう。

 だが例え反論するつもりがあったとしても、文香は聴くつもりなど無かった。その証拠に、彼女は錠剤を押し込んだその手を無意識に強めて押し当て、決して開けぬようにしていたのだ。その力強さは、彼女の意思を表すように固いものだった。

 

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