この終末世界の異譚秘話   作:十三

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スウェイン・ヤオ編
ディーヴァに捧ぐ唄  前篇


 

 

 

 

 

 

 

 ――歌を唄うという鳥を見たことがあった。

 

 幼い頃だったか、母に連れられて姉と共に繁華街を散歩していた時に、とあるペットショップの看板商品として展示されていたそれを、姉は目を輝かせて食い入るように見つめていた。

 無論、それは人間の歌手と同じような歌声を響かせるものではない。ただ単に特徴的な鳴き声が、どこかで聞いたことのあるような歌に似た何かに聞こえるだけという代物ではあった。

 だが、子供の好奇心というものは単純だ。自分も姉も、物珍しいその鳥が奏でる独唱に聞き惚れ――魅了された姉が母にその鳥を飼いたいとゴネて泣き、怒られていたことまで覚えている。

 

 結局のところ、その鳥も数か月も経たない内に店頭から姿を消してしまった。

 誰かに買われたのか、それとも寿命を迎えたのかも分からない。或いは飽きられて、店の奥に引っ込んでしまったのかどうかも。

 当初はその珍妙さや美しさから店頭に集まって聞き入ったり写真を撮っていたりしていた人たちも、その光景が当たり前になる頃には見向きもしなくなっていた。

 それでもただ一人、姉だけはその店の前を通りがかるたびに特等席に陣取って嬉しそうに笑っていた。パターンなどそれほど多くない、よく聞いてみれば鳴き声の延長線上でしかないはずのその歌を聞きながら。

 

 精神が少しばかり大人に近づいた頃に改めて考えてみたことがある。

 人を魅了する透き通った歌声で唄い続け、一時は観客の注目を集めながらも、それでも飽きられれば誰に思い出される事もなくひっそりと舞台から姿を消す籠の中の鳥。

 優雅に空を舞うこともできず、矜持を持てど結局は自らを縛るものからは逃れうることはできない。声が生きる限り唄い、歌い、しかし声が枯れれば終わってしまう。そんな儚い夢見鳥。

 

 

 ”まるで姉のようだ”――そう思ってしまった自分を叱りつけたのは、果たしていつの時だったか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 意識が覚醒する。

 

 脳が揺れたのだろう。僅かに起こる眩暈を振り払いながら、白けた視界が徐々に鮮明になっていく。

 お世辞にも綺麗とは呼べない場所であった。床は煤にまみれ、そこかしこにむき出しになった資材やダンボールなどが散乱している。視線を上にあげてみれば、崩壊しかかった鉄骨が屋根の役割を放棄して空模様を浮かび上がらせていた。

 

 その空模様は、”自分は一体どのくらい意識を飛ばしていたのか”という問いに雄弁に答えてくれた。記憶にある最後の景色が夕焼けであったはずなので、おおよそ数時間といったところであるのは理解できる。

 とはいうものの、手足を伸ばして詳細を確認するといった行動に移れないのには理由(わけ)があった。

 今自分が座らされている簡素なパイプ椅子に、手足がロープで固定されている。縛られている側が動いたところで解けないであろう強度で。

 

 有り体に言うのであれば、拘束されていた。誘拐、拉致と言い換えても良いかもしれない。

 とはいえ、人を監禁するにはお粗末な場所だ。ここで大声などを出してそれが外に漏れ出てしまえば、近場にいる人が訝しんで治安局に通報するリスクがある。

 だが、事ここに至ってそのリスクも無い。肌を僅かに撫でる不快感が、ここが外界ではなくホロウ内部であることを教えてくれている。

 

 

「目ぇ覚めたみてぇだな」

 

 粗暴な声が耳に入る。建物の入り口の方から、複数人の個性的なヘルメットをかぶった男たちが近づいてきた。

 その先頭に立つ筋骨隆々の大男は、ヘルメットを脱ぎ捨てて少年を見下ろすとニヤリと笑った。

 

「分かっているだろうが、テメェは”餌”だ。今を時めく歌姫様を誘き寄せる為のな」

 

 その言葉に、特に驚くこともない。元より自分という存在が攫われた理由など、一つしか有り得ないのだから。

 すると大男は、少年の足元に何かを投げ捨てた。片手より僅かに大きい程度のそれは、少しの間床を滑って足先に当たる。

 見覚えは勿論あった。貰ってから半年ほど所持し続けたその生徒手帳は、ご丁寧にも顔写真と名前が分かるように広げられていた。

 

「スウェイン・ヤオ。生贄にされる気分はどうだ? あァ?」

 

「最悪ですよ。反吐が出そうなほどにね」

 

 普段は出さない汚い言葉で喉を穢しながら、それでも動揺の素振りすら見せない少年に対し、大男は更に眉間の皴を深く歪ませた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――*―――*―――

 

 

 

 

 スウェイン・ヤオの朝は早い。

 

 AM5:00に設定したアラームより、必ず五分前に起きるのが彼の毎朝のルーティーンの一部である。カーテンを開け、未だ朝日が差し込まない窓の外を眺め、今日一日の天気模様を想像する。

 空に雲一つない。幸運にも今日は快晴だろうと予想を立てると、昨夜のうちにあらかじめハンガーにかけておいたスポーツウェアに手をかけ、手際よく着替え始めた。

 ”健全なる精神は健全なる肉体に宿る”という言葉に、スウェインは概ね同意していた。自分も居候同然に暮らしているこの高級タワーマンションには住人向けに二十四時間営業のスポーツジムがあるが、とはいえ流石に朝イチでそこを利用する気にはなれない。早朝は朝方の風を浴びながら軽く一走り、というのが日課の一つであった。

 

 静かに自室を出て、隣室の前を通過する。物音は僅かも聞こえなかった。家主の睡眠を邪魔しないよう、そのまま玄関に向かい、そこから数分をかけてエントランスロビーから外へと出る。

 いつもの決まったコースを軽く流そうと思いウォーミングアップ程度の動きで走っていると、マンションから少しばかり離れたところでとある人物と出会った。

 

「先生、今日は来ていたんですね」

 

「あぁ、おはようスウェイン君。……その、いつも言っているが、”先生”という呼び方は勘弁してもらえないか?」

 

「すみません。でも僕にとってはイヴリンさんは間違いなく先生ですから。ホラ、この前定期テストの勉強も見てもらいましたし」

 

「アレは面倒を見たと言えるほどのものなのか? 私が何か教えずとも君はスラスラと解けていたじゃないか」

 

「まぁ、いいじゃないですか。僕がそう呼びたいだけなんです。……もちろん、イヴリンさんが嫌なら呼びませんけど」

 

 若干からかうような声色でそう言うと、目の前にいる――自分より背の高い、女優顔負けの美貌を持つ金髪の女性は困ったような顔で溜息を一つ吐いた。

 

「……いや、好きにしてくれ。果たして私にそう呼ばれる資格があるのかどうかは定かではないが」

 

「それは、まぁ僕が決めます。それより、今日は一緒に走ってくれるんですか?」

 

 抜群のプロポーションの肢体を野暮ったいスポーツウェアで包んだ女性――イヴリン・シュヴァリエはその問いに首肯する。

 切れ目の薄紫色の双眸は、僅かに動揺に揺れていたが、すぐにいつもの冷静さを取り戻してスウェインを真正面から見据えた。

 

「君も律儀だな。学校もあるし、その前に色々と準備もあるというのに」

 

「こういうのは怠けるとズルズルと怠け続けますからね」

 

 そう声を交わすと、二人は並んで走り出す。

 (アストラ)のマネージャーとして膨大な量の仕事を捌きながら護衛として戦闘もこなす才女である。無論のこと基礎体力でもスウェインに勝るが、彼女はランニングの速度を極力合わせて走っていた。

 元々あのタワーマンション前まで数キロは走った後であったため、そこから先は流して走ったとしても彼女的に特に痛手になることはなく、自分より十は若い少年の日課に付き合うというのも、イヴリンにとっては苦ではなかった。

 

 イヴリンから見てもこの少年は努力家であった。血反吐を吐く、などといったような猛烈な努力をこなしているわけではないが、毎日日課と定めた事を休みなく行い、コツコツと地道に何かを積み上げることに長けた人物であった。

 それは誰にでもできることではない。周囲が目を見張るような圧倒的な才能と努力の質を見せながらも、一方で気を抜くときはとことん気を抜く彼の姉とはある意味で違う方向性と言えた。

 

 その日々の努力に付き合うというのは、ある意味でイヴリン自身の刺激にもなる。彼女とて今まで自己研鑽の類を欠かしたことはなかったが、多寡こそあれど日々それを続ける精神性は好ましいものであったからだ。

 

 そんなことを考えながら並走していると、いつの間にか再びタワーマンションの近くまで戻ってきていた。ふぅ、と乱れてきた呼吸を整えながらタオルで額の汗をぬぐったスウェインは、付き合ってくれたイヴリンの方に向き直る。

 

「イヴリンさん、よかったら朝食も食べていきませんか? 今日はお仕事も長丁場になるでしょうし」

 

「それは……君は迷惑ではないのか?」

 

「一人二人増えても用意の手間は変わりませんよ。それにイヴリンさんがいると姉さんの注目(タゲ)を預けられるので助かります」

 

「フッ、私は体の良い生贄という事か?」

 

「お仕事の一環だと思ってください」

 

 そんな軽口を叩きあいながら、自宅の鍵を開けると、スウェインは眉を顰めて「ん?」と漏らす。

 その様子を問おうとしたイヴリンの言葉も聞かず、靴を脱いでズンズン歩を進める。怪訝な表情をしながらその背に続くと、一つの部屋から廊下を辿り、一つずつ足跡を残すように落ちているものを見つけた。

 

「これは……お嬢様の衣服か?」

 

 普段自室で寝る際に使っているパジャマからナイトキャップ、下着に至るまで、点々と落ちている。その衣服の先には、広いリビングのソファーにもたれかかって盛大に全裸で二度寝を決め込んでいる正真正銘の歌姫(アストラ)がいた。

 

「姉さん姉さん、百歩譲ってソファーで二度寝するのは良いとして、何で全裸なんですか。映画なら猟奇殺人を疑われるパターンですよ」

 

「ふぁ……ぁぁスフィー……お姉ちゃんシャワー浴びようとしたのだけどぉ……やっぱり眠くてぇ……zzz」

 

「あぁ、もう。面倒なパターンですね……。イヴリンさんすみません、バスルーム使うついでに姉さんも放り込んでおいてもらっていいですか? 流石にシャワーを顔に浴びれば目が覚めると思うので」

 

「いつもながら、その、手慣れているな」

 

 あの新エリー都の歌姫にして人気女優であるアストラ・ヤオのヌードなど、そこいらの男であれば鼻血を吹いて気絶するレベルのインパクトだろう。しかし目の前の少年は、まるで工場作業を行うかのように脱ぎ捨てられた衣服を回収し、寝ぼけ眼のままのアストラを何とか立たせてバスルームへ向かうよう促している。もはや一種の悟りの境地に至っているかのようだった。

 

「何を想像していたんですかイヴリンさん。僕が姉さんの裸に照れて何もできないという事態を期待していたのでしたら、そんなものは幻想です。昨夜だってリビングでホットココアを飲んだ後寝落ちした姉さんをベッドまで運んだんですから」

 

「……すまない。事ここに至って私はまだ君を見くびっていたようだ。シャワーの件は任せてほしい」

 

「助かります。僕はもう一つのシャワールームで適当に汗を流しますので」

 

 そういって別れた後、スウェインは鴉の行水もかくやという速さでシャワーを済ませ、姉の自室からゆったりとしたサイズの普段着を二人分引っ張り出し、選択したばかりのフワフワのバスタオルと共にバスルーム脇のカゴに放り込む。

 バスルームの中では、ようやく覚醒したらしいアストラがイヴリンに甘えた声で絡むという、世の男性からすれば垂涎モノの光景が広がっていたようだが、スウェインはその声を聴いても真顔でスルーして脱衣所(サニタリールーム)を出る。

 

 ちなみにスウェインは、鋼の理性で美女二人に対しての欲情を抑え込んでいるのかと言われればそういうわけでもない。ただ単に幼い頃からずっと一緒にいる姉に対してそういう感情を向けたことがないというのもあるし、何より姉が歌手として大成し、親元を離れてから私生活のだらしなさを網膜の奥の奥まで焼き付けられたお陰でそれどころでは無くなっていたというのもある。

 

 ではイヴリンに対してはどうか。アストラとはまた異なるタイプの絶世の美女であり、実際アストラのオマケとしてではなく、彼女自身に固定にファンがつくほどの女性だ。

 彼女とは姉のマネージャー兼護衛として任に就いてからの付き合いでもあり、私生活のみならず仕事中であっても好奇心の名の下に奔放に動き回るアストラに振り回され続け、時に共に事態を収めることもあった、いわば戦友のようなものであり――己惚れて良いのであればもう一人の姉のような存在であった。

 故に、いつの間にやらスウェインの中ではイヴリンの存在はアストラと同じような場所にカテゴライズされていた。

 

 決定打となったのは、そう。いつだったか、揃って泥酔して帰ってきた時に呂律の回っていない口調で色々とまくし立てる両名に水を飲ませて着替えさせ、リビングで寝息を立てて倒れこんでしまった二人を担いでおぶってベッドに放り込んだ時だっただろうか。あの後から、多少なりイヴリンに対して抱いていた感情もどこかに霧散してしまったのだ。

 

「(薄情だというのは理解しているんだけどなぁ)」

 

 衣服の準備を終わらせた後、スウェインは朝食の準備に着手する。

 とはいえ、ほぼ毎朝やっているのでこちらも手慣れたものであった。しかしながら、今朝はいつもとは違う点がいくつかあった。

 その差異を抜かりなく手配していると、バスルームの方からドタバタと音が近づいてきた。

 

「おっはよー、スフィー‼ あぁ、私の弟は今日も最高に可愛いわね‼」

 

 先程とは比べ物にならないほどのハイテンションでスウェインを抱きしめるアストラ。

 176cmとスタイル抜群の姉が、164cmというそれと比べれば小柄な弟を抱きしめると思っていた以上にジャストフィットするというのが(アストラ)の言である。

 姉の激しいスキンシップを鬱陶しがるほど思春期を拗らせているわけではない自覚があるスウェインは、「はいはい」と適当にあしらいながら朝食の準備を終わらせる。キッチンスペースの隣にある純白の高級テーブルの上に置かれた朝食の品々を見て、アストラは更に目を輝かせた。

 

「えっ⁉ 今日はパンにジャムとバターを好きなだけ塗っていいの⁉」

 

「普段は色々考えて低糖質シリアルとサラダとかだけですからね。でも今日は一日中頑張らなくてはいけない日でしょう? そういう時ぐらいは、ね」

 

「ありがとう‼ 大好きよスフィー‼」

 

 まるで無垢な少女のように声を弾ませるアストラの隣に座ったイヴリンは、少々遠慮がちになりながらも切り分けられていたパンをちぎり、口に運ぶ。

 

「ん――これは美味しいな。どこのベーカリーから買ったんだ?」

 

「そう言われると嬉しいですね。でもこれは昨日帰ってきてから僕が作ったやつですよ。この前新しく買ったオーブンと発酵器が良い仕事をしてくれましてね」

 

 事も無げにそう言うスウェインを見て驚愕の表情を浮かべるイヴリン。

 彼女も、人並み程度には料理ができる。元々は壊滅的な腕前だったのだが、スウェインがいつも勉強やら何やらの面倒を見てくれるお礼という名目でイヴリンに料理を教える運びとなり――今ではたまにアストラに乞われて振る舞える程度の腕前にはなった。

 

 だからこそ理解できる。昨今はホームベーカリーの普及などで以前よりパンやらケーキやらを作るという行為の難易度は下がったが、それでも専門店と見間違える程の出来の物を作り出すというのは難易度の桁が違うということを。

 元々はプライベートで食生活を疎かに、あるいは軽視しがちのアストラを見かねて料理を覚えるようになったというのは本人から聞いて知ってはいたが、必要性に駆られていたからか、最早趣味のレベルは逸脱していた。

 

 どことなく、女のプライドと呼べるようなものに罅が入ったように感じられたが、それは今に始まったことではない。イヴリン・シュヴァリエはアストラ・ヤオの歌手・女優業のほとんどを支えているという自負はあったが、プライベートの健康管理やメンタルケアなどの分野はスウェイン・ヤオが支えていると言っても過言ではない。

 

 『アストラが1なら、イヴリンはそれに続く全ての0だ』などと称した芸能記者がいたが、その評価にも苦言を呈さざるを得ない。過大評価云々は置いておいたとしても、それならばスウェインは0の後に続く乗数と言えるだろう。

 膨れ上がったアストラの魅力を更に際立たせる縁の下の力持ち。例え0である自分がいなくとも、彼がいるだけでアストラは倍以上に輝ける。

 ……などという事を面と向かって言えば、彼は間髪入れずに否定するであろうことも分かっていた。その程度の付き合いはあるという自負もあった。

 

「ねぇ、スフィー。やっぱり卒業したら私の二人目のマネージャーにならない? スフィーがいてくれたら私、もっともっと頑張れると思うの」

 

「いつも言っているけど、答えはNOですよ姉さん。僕なんかいなくても、イヴリンさんがいてくれたら姉さんは充分輝けます」

 

「もー。いつも思うけど、スフィーは自分のことを過小評価しすぎよ。イヴもそう思うわよね?」

 

「……まぁ、マネージャー云々はともかくとして、だ。確かに君は自信を卑下しすぎだとは思うぞ。炊事洗濯から始まり、買い出し、住民交流、家電修理、諸々の煩雑な手続きまで全て行っている。十五歳の学生でそこまでマルチにこなせる人間など、早々いないだろう」

 

 同調というよりは本音の割合が高い。イヴリンもこれまでアストラのマネージャーとして様々な仕事に従事してきたが、それでも”自分にはできない仕事”ができる人間には敬意を払う。

 弾丸日程でコンサートをこなし、着替えすらまともにできないほどに疲労困憊に陥っていても、オフを一日、否、半日挟んでスウェインの介護を受ければ、アストラは完全復活を遂げる。何も知らない人間からすれば底なしの体力と精神力を持っているように見えるが、その裏では彼の献身的支えがいつもあった。

 

 彼はアストラが万人を魅了するパフォーマンスを発揮する支えになることに協力を惜しんだことはなかった。彼女らが属する帝高エンターテインメントグループは当初こそ従業員でもない人物がしゃしゃり出てくるのを良く思っていなかったが、そこは流石に利潤を追求するTOPSの下部組織。彼の存在がアストラという唯一無二を完成させる重要ピースであると認めてからは行動を黙認し、アストラ本人が望めば関連施設への出入りも許可するという行動力の高さも見せた。

 

 ――再度念を押すが、スウェインは帝高に属する社会人でもなければ、外部組織の出向人でもない。

 彼は”家族”であり、それ以上でもそれ以下でもなかった。たとえアストラが歌手として、役者として落ちぶれて芸能界から追い出されようとも、彼がアストラに向ける感情も態度も一切合切変わりはしない。

 何故ならばそれが、()()()()()()()だ。

 

 

「できる人間がいるのであれば、僕がしているのはそう大したことでもないという事です。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。だって(凡人)にできているんですから」

 

 ――故に、彼の自己評価は徹底的に平行線だ。

 

 自己肯定感を高めた方がいい、という彼女らの提案をスウェインは受け入れた事はなかった。しかしそれで今まで対人関係のトラブルを引き起こしたことが無いために、本腰を入れて注意をするまでには至っていない。精々、二人で顔を見合わせて困ったような顔で肩を竦めるだけである。

 

 その後も二、三話題を変えながらスウェインの作った朝食を堪能した後、アストラは食後のコーヒーを楽しみつつイヴリンから本日のスケジュールについて報告を受けていた。

 その様子を横目で見ながら、姉用の昼食の用意に差し掛かる。

 多忙を極めるアストラは、昼食もロクに取れない事が多い。だから基本的に凝ったランチを作ることはない。

 時間的に余裕がないのであれば現地で適当に食べればいいのではと何度も姉に提案はしているのだが、アストラはその度に頑なに「スフィーの作ったランチが良いの‼」とゴネまくったため、結果的にスウェインの方が折れたという経緯がある。

 とはいえ、マネージャーのイヴリン的にも「栄養管理がしやすい」「突発的に高カロリーな食事をねだることが少なくなった」と概ね好評を貰っている状態なので引くに引けなくなり、今に至っている。

 

 ランチバックの中にサンドイッチとフルーツ、保温ポットにコーンポタージュスープを入れ、昼食まで保つように保冷剤を同封して準備は完了する。それを、()()()

 

「はい、姉さん。それと、イヴリンさんの分も作っておきました。食べられる余裕があるかどうかは分かりませんが、良ければ持って行ってください」

 

「ありがとうスフィー。イヴも良かったわね♪」

 

「わ、私の分まで用意してくれたのか。……すまない。ありがたく頂かせてもらおう」

 

 先程まで全裸でウダウダとしていたとは思えないほどに”デキる芸能人”としての風貌になったアストラはスウェインからランチバックを受け取ると、再び弟の体を力強く抱きしめた。

 

「スフィーも今夜のコンサートに来てくれるんでしょう? 私、楽しみに待ってるわ‼」

 

「一般席ですから姉さんから見えるかどうかは分かりませんけどね。――それより姉さん、変な好奇心やらに駆られてコンサート会場を抜け出すようなことはしないでくださいね。()()()()()?」

 

「ちょっとスフィー、私だってやってしまったら取り返しのつかないことくらいは分かっているわ。新エリー都の歌手として、何よりあなたの姉として、恥ずかしくない行動はしているつもりよ?」

 

「この前TOPSの上層部の方との会食を抜け出して六分街でラーメン食べてた人が言って良いセリフではないと思うんですけど……」

 

 放っておいたらいつまでも抱きしめていそうな姉を優しく引きはがし、少しズレた眼鏡をかけ直す。

 

「今日がコンサートで、明日はラジオの生放送とCMの収録で、明後日はは確かオフでしたよね?」

 

「あぁ、久しぶりの完全オフだ。良い機会だからお嬢様にはゆっくりしてもらいたいところだな」

 

「では姉さん、明後日は姉さんの好きなものを作りましょうか。それか、どこか美味しい料理を出す店にでも――」

 

「スフィーの料理が食べたいわ‼」

 

 迷うことなど一切ない、とでも言いたげに即決するアストラ。

 彼女の地位や資産をもってすれば高級レストランを一晩貸し切りにすることすら可能であるというのに、それらと天秤にかけても彼女の中では迷うことなく弟の手料理の方に傾く。

 

「あぁ、今から楽しみになってきちゃった。後でノックノックでモニカに自慢しちゃおーっと」

 

「相変わらず表向きでは不仲を演じているとは思えないですね……。別にいいですけど限度を考えて煽ってくださいね。たまにモニカさん、僕のノックノックに愚痴りにくるんですから」

 

 帝高が主体となって売り上げを伸ばすために不仲説を捏造されている間柄ではあるが、歌姫アストラと人気女優モニカの仲は決して悪くはない。

 二人の動向を探って日夜血眼になっているパパラッチの目を完全に搔い潜って年に数回プライベートを共にすることもあり、以前にはアストラが自宅に招待したこともあった。

 新エリー都が誇る銀幕の人気女優に下手な夕食を出すことはできないと奮起したスウェインが学校の長期休みの一部を使って本気の上に全力を重ねてパーティーの準備をしたことがあり、その料理の味にいたく感激したモニカから個人的なノックノックのアカウントを教えてもらったときは少々生きた心地がしなかったのも事実である。

 この2人のプライベートなアカウントを知っている事が赤の他人に知られれば、それこそ嫉妬の念で呪い殺されてしまうのではないだろうかと懸念するくらいには。

 

「そうだ、イヴリンさんも何か食べたいものがあったらリクエストしてください。仕込みは早い内にやっておきたいので」

 

「待ってくれ。もしや私も招待されているのか?」

 

「? 当り前じゃないですか。まぁ、イヴリンさんの予定が合えばですが。ねぇ、姉さん」

 

「スフィーの言う通りよ。イヴももう家族みたいのものでしょう? スフィーと二人きりのパーティーも悪くないけれど、私はイヴにも一緒にいてほしいわ」

 

「……関係各所への予定等の擦り合わせがあるから、夕食までには間に合うよう調整する。それとスウェイン君、さっぱりとしたパスタ系の料理をリクエストしてもいいだろうか」

 

「分かりました。ではジェノベーゼと、良い海鮮が手に入りそうなのでペスカトーレあたりも作りましょうか」

 

「私はー……今は決められないから今夜にでもリクエストを送るわね」

 

 二日後の楽しみについて話していると、いつの間にやら芸能界に席を置く二人は家を出なくてはならない時間帯になっていた。最後にスウェインの頭をワシャワシャと撫でるなど、いつも通りやりたい放題やってエネルギーを充電したアストラとイヴリンは先にマンションを出る。それを見送ってから、スウェインは自分の通学準備を整えて数分後に同じように外出した。

 

 通学鞄に入れた、いつもの荷物とは一点だけ異なるもの。

 今日一日、()()を使うことが無いようにと祈りながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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