「いやー、楽しみだよなぁ‼ 今夜のアストラ・ヤオのワンナイトコンサート‼」
いつもと同じような明るい口調で友人が口にする言葉に、スウェインは短い言葉で同意した。
周囲の色は既に橙色に染まりかけ、ルミナススクエアから橋を一つ隔てた遊歩道を歩く感覚も今や慣れたものだった。入学してから約半年、当初こそ奇異の目を向けられたり、妬み嫉み羨望やっかみその他諸々の感情が入り混じったトラブルこそ日常茶飯事であったが、それも大分落ち着いてきたように思える。
スウェインは、アストラ・ヤオの弟であるという事を殊更隠してはいない。どの道家族構成などの情報はいつかはバレるものであるし、隠して人間関係を構築した後に真相が明らかになってその関係そのものが壊れてしまうくらいならば、いっそ最初から
無論、友人などいらないなどと事も無げに言えるほど達観はしていなかったし、せめて一人か二人くらいは気の置けない関係が築ければいいと思っていた。そしてその内の一人が、たった今近くの自販機で買った炭酸飲料を飲みながら今夜のライブを心待ちにしている男子生徒であった。名前をミナギという。
明るく染めた髪に、校則の範囲内で気崩した制服。いかにも学生生活を謳歌しているといった風貌の彼は、熱狂的なアストラファンの一人でもあった。
入学時のクラス挨拶でスウェインの家族事情を知った際に心底驚いていた人物でもあったが、何だかんだ紆余曲折あって今ではアストラという存在抜きでも何気ないことを駄弁ったりできる関係になっていた。
「つーかよぉ、お前もお前で毎回律儀だよなぁ。家族ならアストラ様からVIP席の招待とかも受けられるだろうに。毎回俺らみてぇにチケット予約の時に全身全霊でボタンの早押しに挑んでんだからよ」
「少なくともコンサート会場では、僕は姉さんのファンの一人で在りたいんです。僕に回す分のチケットがあるのなら、それこそ姉さんの私的な友人とかに渡してもらった方が有意義でしょうし」
「そういうモンかぁ? アストラ様が
「だからですよ。身内贔屓は面倒なトラブルを起こしかねません。ミナギも、入学当初の僕の周りを見ていれば分かるでしょう?」
その的確な指摘に、ミナギは「あー……」とバツの悪そうな表情を浮かべた。
実際、ミナギが最初にスウェインに声をかけた理由はアストラとお近づきになれるかもしれないという俗物的なものであった。だからこそ当初は確たる溝があったりもした。
同じような理由でスウェインに近づこうとした人間は多くいた。それだけではない。アストラという存在を絶対化どころか神聖化する人間に心無い言葉を浴びせかけられたりもしていた。
それらの凄惨なやり取りを見て、彼をスウェイン・ヤオという個人として接しようとする生徒も案外少なくはなかった。少なくとも、今在籍しているクラスの中ではそういった不文律ができあがっている。
その提案を真っ先に口にしたミナギにとってみれば、今のスウェインの言葉に特別思うところもあったのだ。
「ステージで輝く歌姫アストラ・ヤオと僕との関係は、姉弟というただそれだけでなくてはなりません。贔屓も融通も許されはしない。僕は、あの人の瑕疵になってはならない」
「考えすぎ……ってのは他人からの言葉だよな。お前が学年テストで常に上位五人以内にいるのも、運動測定で好成績を維持し続けてんのも、全部そのためなんだもんな」
”アストラ・ヤオには出来の悪い弟がいる”。そんな話題が上れば、ゴシップ誌の連中などは肉を前にしたハゲタカのように一斉に群がってくるだろう。
いかに彼女自身が光り輝いていたとしても、そうなってしまえば凋落の一端にもなりかねない。可能性としては少ないだろうが、ゼロにしておくに越したことはない。
アストラの弟という事で今まで良い思いをしてきたのだろうなどと思っていた当初の自分を、ミナギは何度も恥じていた。「できる努力を積み重ねているだけ」と何の気無しに言ってみせるこの友人が、どれだけの重荷を背負ってその努力を怠らなかったのかも知らずに。
「――すみません。楽しみしているライブの前にこんな事を言うものではなかったですね。僕は一旦家に戻ってからコンサート会場に向かいますが、ミナギはどうしますか?」
「ん? あぁ、俺も一旦帰って着替えてからじゃねぇと帰る頃に治安官に補導されかねないからな。集合は会場入り口にしようぜ、親友」
「そうですね。じゃあB-5入り口付近で落ち合いましょうか。遅れないようにしてくださいよ、親友」
そう言い合い、軽く拳を合わせてから別れる二人。少しは淀んだ雰囲気を払拭できただろうかなどと考えながら、スウェインもまた帰路につく。
自分には勿体ない友人だ、とは何度も思ったことがある。
少々不真面目そうな風体こそしているが、根は真面目で、律儀で、節介焼きである。少なくとも学校に行くのが苦になっていない要因の一つであることは間違いない。
こんな話をしてしまったお詫びに会場でドリンクの一杯でも奢ろうなどと思いながら歩いていると、どこからか微かに声が流れてくるのを聞き取った。
「―――ッ……ヒッ、ク……ひぃ」
少女の泣き声だった。大声で泣き叫ぶのではなく、どこか声を押し殺したようなそれ。
周囲を見渡してみると、少し離れた路地裏に差し掛かる場所で声の主を見つける。遠目にも腕や足などに怪我をしているのが確認でき、顔を覆い隠したまま裏路地の奥へと引っ込んでしまう。
見た感じでは年齢は二桁になるかどうかといった感じの少女であった。ただ親とはぐれて迷子になっているだけであればまだ良いが、怪我をしているとなれば放っておくわけにもいかない。
早めに保護して帰り際にルミナススクエアの治安局分署に預ければ良いだろうとアタリをつけて追いかける。幸いにも、その少女は狭い路地を少し進んだ辺りで足を止めていた。
「どうしましたか、お嬢さん。親御さんとはぐれてしまったのでしたら、僕と一緒にお巡りさんのところに行きましょう」
小声で泣きじゃくる少女の警戒心を刺激しないよう、出来うる限り優しい口調で話しかける。片膝を地面につき、視線を合わせて下から手を伸ばす。そうしてもらえることで小さい子供は少なからず安心感をよぎらせる。
その表情は、妙であった。確かにこのような小さい子供が迷子になってしまえば恐怖感も抱くだろう。自分がどこにいるのかも分からない不安感というものはどうあっても拭えはしない。
だがしかし、それを加味してもこの少女の表情は怯えに支配されていた。自分がこれからどうしたら良いか分からない漠然とした恐怖ではない。これは――。
「(直接的に加害されている恐怖?)」
その可能性に思い当たった直後、スウェインは背後から首筋に叩きつけられた高圧の電流によって一瞬で意識を刈り取られた。
瞼を閉じる前にその少女の顔を見た。怯え切った表情が更に振り切れ、絶望のそれに変わっていく。
「(まったく……僕も、まだまだ……)」
後悔の色を滲ませながら、スウェインはそのまま薄汚れたコンクリートの上に倒れ伏した。
―――*―――*―――
没収された自分のスマホを目の前に吊り下げられながら、何度目か分からない殴打を受ける。
結局のところスウェインを拉致した連中は、暴力をもって情報を聞き出すことに抵抗がない類のホロウレイダーであった。それでいて、こちらが意識を手放さないギリギリのラインで痛めつける技量もある。ただのチンピラ風情でないことも明白だった。
「弟クンよぉ、いい加減スマホの暗証番号ゲロってくれねぇかなぁ? 個人が持ってるとは思えねぇほどセキュリティが高ぇんだよコイツ」
「はは、良いでしょう。友人に頼んで改造してもらったんですよ。そんじょそこらのハッカーのハッキング程度なら弾けるほどの性能です」
「どうやらテメェの価値は理解してるみてぇだな。だがこっちも仕事なんでな」
首を揺らすと、大男の部下らしき男がスウェインの背中に角材を振り当てた。
だがスウェインの脳内は、それによって齎された痛みよりも思考によって支配されていた。
「(
帝高エンターテインメントグループの敵対企業として最も有名であったフーガ・ミュージック社は、以前起こったアストラ排除未遂事件の件もあり、現在帝高に対して目立った行動は見せていない。
「(いや、だからこそもあり得るか)」
今夜のワンナイトライブは帝高としてもかなり力を入れたイベントであるとイヴリンから知らされていた。それこそ、スターループタワーよりも収容人数が多いドームを用意するほどに。
”前回はしくじったが今回こそは”などと思っていたとしても不思議ではない。尋常な経営者であればこのようなリスクを短期間で二度も引き起こすなど正気の沙汰ではないが、企業としてどうしようもなく斜陽であるのであればその選択肢も出てくるのかもしれない。もしくは、功を焦った一部の役員の暴走という線も――。
「(まぁ、今は関係ないか)」
帝高を、ひいてはアストラを取り囲む陰謀について思考を巡らせるのは今ではない。目の前にいるホロウレイダーは視認できるだけでも十名と少し。廃倉庫の外にはそれ以上いるのだろう。そして何より――。
「ご、ごめ……ごめん、なさい、おにいちゃ……」
少し離れた場所では、あの時スウェインが話しかけた少女が声にならない声でうわ言のようにスウェインへの謝罪を口にしていた。
「……僕を拉致するために関係のない少女まで
「ほう? その口ぶりじゃあまるでテメェが狙われている事には気付いていたみてぇじゃねぇか」
「可能性としては常に考えていますよ。姉さんにダメージを与える方法としては有効的であることは否定しませんからね」
人気のないところで襲われる程度であるならば、時間稼ぎをして逃げおおせるくらいの事はできる。ただ、関係のない子供を釣り餌にしてというのは考え切れていなかったのが事実である。
芸能という、光も闇も濃い場所で戦う人間を姉に持っていながら
「しかし、姉さんを呼び出してどうするつもりですか? 身代金でも要求するんですか?」
「それもあるが、雇い主からはちっと痛めつけても構わねぇと言われててな。まぁあんな良い女だ、ちっとくらいは楽しんでも――ガッ⁉」
大男がその先を言い終わる前に、スウェインは眼前にあったその鼻っ柱に強烈な頭突きを叩きこんでいた。
「て、テメェ、なにしやが――」
「それ以上クソッタレな事をぬかすなら次は耳を嚙み千切りますよ」
昨今抱いたこともなかった憎悪を胸の内で燃やしながら、それでも努めて冷静な声色で告げる。
しかしながら制御しきれず溢れ出た怒気は、殴りかかろうとしていた下っ端を思わず怯えさせるほどの迫力に満ちていた。
「姉さんが辱められるくらいであれば、僕は何も話しません。たとえ姉さんがそれを望まなくとも、」
「ハッ‼」
乾いた笑いを漏らした大男は、そのまま大木のように太い腕でスウェインを殴り飛ばす。その衝撃で彼をパイプ椅子に縛り付けていた拘束が解かれたが、床に倒れ伏したまま立ち上がろうとはしなかった。
「健気じゃねぇか。テメェみたいな凡人にとっちゃあ、歌姫サマみてぇなのは目の上のたん瘤だろうによ」
「なに、を」
「とぼけんじゃねぇよ。片や新エリー都に君臨する歌手のトップランカー。片やただの学生だ。劣等感を抱かねぇ方が無理ってモンだろ? なぁ」
その言葉に、スウェインは反論しなかった。それを図星だと解釈した大男は、倒れ伏すその背中をグリグリと踏みにじる。
「哀れだよなぁ、歌姫サマもよぉ‼ テメェは煌びやかな世界で充実してるっつうのに、こんな足手纏いがいるんじゃいつ足を掬われるか分かったモンじゃねぇ。今みたいにな」
「いっそ、ここで死んじまった方が歌姫サマの為じゃねぇのか⁉ アァ⁉」
何度も踏みつける大男を、流石に情報を話す前に死なれてはマズいと部下が止めに入る。しかしスウェインはボロボロになりながらも、起き上がり、壁を背に座り込む。
「否定はしません。僕は確かに姉さんに対して劣等感を抱いています」
非凡な姉と比べて、どう足掻いても彼は秀才以上の存在には成り得なかった。
初等部の頃、学友に誘われて大人と共にカラオケに行ったことがあった。その頃はまだ自分が姉と並び立てるような才能があると信じて疑わず、それが歌であれば良いと思い披露した事がある。
『……なんかスウェインくん、お姉さんほどうまくないね』
それは、幼いが故の何気ない一言だったのだろう。しかしその後も、彼は同じようなことを言われ続けた。
そしていつか理解してしまうようになる。
気づけば、歌が歌えなくなっていた。歌おうとすると喉が枯れ、吐き気がこみ上げるようになった。大好きな姉の枷になるのならと一時は自分で喉を潰そうと考えた事すらあった。
『だいじょうぶ、だいじょうぶだよスフィー。ぜったい、おねえちゃんがまもってあげるからね』
しかしその度に、幼い頃の姉の声が頭をよぎった。あの時、ホロウ災害に巻きこまれて怯えながらただ死ぬのを待っていた時にかけてもらった言葉。
幼い頃の記憶などほぼ風化するのが常ではあるが、あの時の事だけは今でも鮮明に思い出せる。自分たちを助け出すために犠牲になったホロウ調査員の人たちの顔も、自分も震えながら勇気づけるように包んでくれた姉の声も。
「ですが、姉さんを羨んだ事はありません。妬んだ事もありません。僕が姉さんに対して劣等感を抱いていても、それは僕が死を選ぶ理由には成り得ません」
「僕は確かに凡人ですが、凡人には凡人なりの戦い方があります。才能に打ちのめされるなんていうのは日常茶飯事です。それは僕が努力するのを怠る理由には成り得ません」
「姉さんの枷になっているというのも事実かもしれません。ですがそれは、僕が姉さんと離れる理由には成り得ません」
地面に転がった割れた眼鏡をかけ直して不敵に笑う。
それと同時に、にわかに廃倉庫の外が慌ただしくなった。
「? なんだ」
「ぼ、ボス‼ 来てください‼ ホロウの入り口から一直線にこの廃倉庫に向かって来てる奴らがいます‼」
「あァ⁉ ここはホロウだぞ‼ 迷わずに一直線に来れるはずが――」
そこで大男は、自分が握っていたスウェインのスマホを見下ろして歯ぎしりをした。
「テメェ……今までのは時間稼ぎか‼」
「だから言ったでしょう。
チッ‼ と強い舌打ちをかましてスマホを投げつけ、大男は部下の大半を引き連れて廃倉庫の外へと出ていく。残った下っ端たちはいざという時にスウェインと少女を人質に取るためか、動揺しながらも武装して残っていた。
「お、お兄ちゃん」
すると、少女がスウェインの下に駆け寄り、怪我をしていた箇所を優しくなぞる。目に大粒の涙を浮かべて、小声でひたすらに謝罪の言葉を繰り返していた。
何も悪くはない、むしろ巻き込まれた側だというのにどこまでも心優しい少女の頭を優しく撫で、耳元に顔を近づけて呟くように伝えた。
「泣かないでください、お嬢さん。僕の方こそ謝らなければなりませんね。僕のせいであなたに怖い思いをさせてしまった」
「で、でもわたしのせいでお兄ちゃんは……」
「あなたは悪くありません。むしろここまで良く頑張ってくれました。後は、僕に任せてください」
そう言うとスウェインは、傍らの壁に置いてあった自分の通学鞄から一枚の未使用のタオルを取り出し、少女の目を覆うように括り付ける。
「お嬢さん、僕がもう一度呼ぶまでここで待っていてください。あぁ、耳はこちらを。僕が選んだ曲が流れるので、大体アストラ・ヤオの曲になりますが」
高性能のノイズキャンセリング機能が付いたイヤホンを少女の両耳につけ、大男が投げ捨てたスマホを操作して曲を流す。これで、少女に
「さて――」
スウェインが次に鞄から出したのは黒色の手袋であった。両指の第一関節部分にそれぞれ一つずつ、十個のリングが付けられたそれを両手にかぶせると、先程までのボロボロ具合が嘘であったかのようにスッと立ち上がった。
腕を回す。筋肉と骨に僅かな違和感があるが動くので問題はなし。
両足を動かす。動く度に万力で圧迫されるような痛みがあるが、動くので問題なし。
胸を触る。肋骨辺りに息苦しさはあるが、体は動くので問題なし。
頭を揺する。やや頭痛はするが、思考は回るので問題なし。
つまるところ――
「……ん? オイ、テメェ‼ なに勝手に――――」
二人の見張りを任せられていた下っ端の一人がスウェインの動きに気付いて声を荒げたが、その言葉が終わる前に途切れる。
彼我の距離は約数メートル。それだけの距離があったというのに、下っ端の左腕の肘から先が
「う、うわあああああああッ‼」
「おい、どうし――――ぐあああッ⁉」
仲間の左腕から血が噴出する光景を目の当たりにして異常に気付いたもう一人の下っ端であったが、そちらは右足の膝から下が切り落とされていた。
その攻撃を仕掛けた張本人は、黒いグローブを着けた両腕を、まるでオーケストラの指揮者のように動かして
「おや、申しわけありません。切り口が荒かったようですね。当然ながら、まだまだ先生のようには行きませんか」
空中でまるで生き物のように舞っていたのは、青白い電光を纏いながら細長く伸びた鋼の糸。
それは、彼が先生と呼んで慕っている女性――イヴリン・シュヴァリエが操るそれとは少々異なっていた。
彼女の得物はナイフを先端に括り付けた
それまで戦闘経験が皆無であった学生が選ぶにしては異質すぎる武器であったが、スウェインが自衛のためにイヴリンに戦い方を師事した際、彼女が提案した武器の中で一番手に馴染んだのがコレであったのだ。
手先を器用に操り、それと連動する十本の鋼糸が下っ端二人を絡め取る。そして遠心力が最大になるまで振り回され、そのまま廃倉庫の扉を突き破って外へと勢いよく放り出された。
「なん――――ッ⁉」
廃倉庫の外で待機していた大男は、相当な速度で叩き出された部下二人の直撃を受けて十数メートルほど吹き飛ばされる。
そしてまさに今、大男らと交戦しようとしていた面々がその光景に呆気に取られていた。
『な、なんだ⁉ いきなりホロウレイダーが吹っ飛んできたのか?』
「あぁ。どうやら、間に合ったらしい」
「スフィー‼」
やや覚束ない足取りで廃倉庫から出てきたスウェインを、敵の一切を無視して駆けつけた最愛の姉が抱き締める。展開していた全ての鋼糸を引き戻して、スウェインも抱き締め返した。
「やっぱり、来てしまったんですね。姉さん」
「当たり前よ‼ スフィーが危ない目に遭っていたら、世界の裏側にだって駆けつけるわ‼」
「コンサート会場からは離れないって、約束したじゃあないですか」
「あなたの姉として恥ずかしくない行動を取るって言ったじゃない‼ あなたを見捨ててまで立つステージに、何の意味があるというの⁉」
アストラ・ヤオは叫ぶ。かけがえのない家族を、最愛の弟を失ってまで最高の歌姫でいたくはないと。
例えそれが敵の思う壺であったとしても、彼女は躊躇わず舞台から降りる選択をする。他ならぬ弟が、それを望まないとしても。
「は、ハハッ。結果オーライって奴か。呼ばなくても来てくれるたぁご苦労だな歌姫――」
「黙って」
アストラの声には、特殊な周波数が宿っている。感情を込めたそれにはステージマイクである《ヘミオラ》を介して戦闘に転用できるほどのポテンシャルがあった。
ただし今の彼女は、《ヘミオラ》無しで攻撃的な周波数を叩き出していた。いつもの天真爛漫な声はどこへやら、その破壊性を有した声は取り囲んでいた下っ端ホロウレイダーたちを吹き飛ばし、周囲のガラスを全壊させる。
至近にいた大男も、その攻勢周波数を食らい、脳震盪を起こして膝を折った。
その様子を見て、イヴリンの傍らに佇んでいた一体のボンプ――を遠隔から操作していた人物たちも戦慄する。
『あ、あんなアストラさん初めて見たかも……』
『あぁ。アストラさんもあんなに怒ることがあるんだな』
かく言うイヴリンも、これ程の怒気を露わにしたアストラを見るのは二度目であった。
以前、アストラの弟であるという事で普段からスウェインを付け回していた複数のメディアがあった。二十四時間常に付き纏っていたその強引な取材に辟易として彼は寝不足になり、ついにはメディアたちの前で足を踏み外して長い階段を転げ落ちてしまい、流血する重症を負ったことがあった。
その事件が耳に入った時、アストラは人目も憚らず激怒し、遂には一か月間もの間自主的に活動を停止し、無論メディアの前にも顔を出さないという大騒動に発展したのである。
それはアストラの勝手な行動であったが、彼女のメンタルを安定させたい帝高は、関係者への過度な取材を強行したとしてメディアらを提訴。
以降、スウェイン・ヤオに関わるのはご法度であるという暗黙の了解が大手メディアを中心に広まり、ようやくアストラの怒りは収まったのである。
彼女は己への非難や誹謗中傷などに怒りはしない。それは芸能界に身を置く者として当然の責務であると感じていたし、アストラ自身精神力が強いのもあってそこまで問題にはならない。
だが、その被害が弟にまで波及するのであれば話は別だ。ステージ上の”クールな女王”、普段の”天真爛漫な姫君”、それら全てのイメージを投げ捨て、本気の怒りを露にする。
勿論、スウェインとしては怒りに身を任せた姉など長くは見たくない。たとえ自分のために怒ってくれているのだとしても、優しい姉にそんな姿は似合わないのだから。
「姉さん」
だからスウェインは止める。エーテル属性の波動を振り撒かんばかりの姉の髪を撫で、落ち着かせる。
「大丈夫、僕は大丈夫です。倉庫の中に、僕のせいで傷つけてしまった女の子がいます。姉さんは、そちらに行ってください」
「でも――‼」
「歌姫アストラは新エリー都の皆に希望を届けるのが役目でしょう? 少なくとも今は。であれば、怒り顔はナンセンスです」
そう言ってスウェインは抱き着きを緩め、場所を入れ替えて軽く姉の背を押す。アストラは心底心配そうな表情をしていたが、弟が見せた笑みに逆らえず、少女の保護へと向かった。
「無事……ではなさそうだな、スウェイン君」
「どうも、イヴリン先生。予定よりだいぶ早かったですね。レインさんは良い仕事をしてくれたようです」
「それもある。が、早々に気付けたのは別の要因でな」
そう言うとイヴリンは、とあるものをスウェインに差し出す。それは、今回のコンサートの来場者記念で配布されていたアストラの限定ステッカーだった。
「会場周りを警備していた際、入り口付近で君の学友が立っていてな。聞けば、待ち合わせの時間になっても君が現れないという。彼は言っていたよ、『アイツが待ち合わせ時間に遅れるなんてあり得ない。何かあったのかもしれない』とな」
「ミナギ……そうか、悪いことをしてしまいましたね」
「その言葉を聞いて私が君を探しに行く前に、そのステッカーを渡されたんだ。もし君にあったら渡してほしいと」
スウェインはそれを受け取ると、学生服の胸ポケットにしまい込む。今度会ったらドリンクどころか、食事の一回は奢らなければいけないなと苦笑しながら。
「イヴリンさん、コンサート本番まであとどれくらいですか」
「四十分、といったところか」
「ならば手早く済ませてしまいましょうか。まぁ、そこのプロキシさんの力をお借りできれば会場に近いホロウ出口まで案内してくださるでしょうし」
そう言うと、スウェインは自分たちを見上げていたボンプに視線を向け、恭しく一礼をした。
「よろしくお願いします、プロキシさん。……いえ、『パエトーン』さんとお呼びした方が良いですか?」
『――驚いた。イヴリンさんに訊いたのかい?』
「いえ。ですがその答えに辿り着いた経緯は凡そ見当がつきます。姉さんとイヴリンさんが緊急時に頼りにして、なおかつボンプを遠距離操作して視界も共有できるなどという離れ業を行使できるプロキシなど、新エリー都広しといえど”伝説”の名を冠した者しかいないでしょうから」
ですから、と続ける。
「ここを切り抜けたら、姉さんとイヴリンさんをお願いします。これから駆けつけてくるであろう治安官さん方への対応は僕がやりますので」
『でも君は怪我をしているじゃないか。傍目から見ても無事であるとは思えない』
「だからですよ。治安官さんに保護してもらった方がスムーズに病院まで行けます。それまでは、まぁ気合で保たせます」
時間が経つごとに、無理矢理騙している肉体が軋みを挙げていく。指先の震えを誤魔化しながら、再び視線を前へと向けた。
「スウェイン君」
「言わないでください、イヴリンさん。できるだけ早く片付けるのであれば、僕でもいないよりはマシなはずです。それに何より――」
頬に汗を垂らしながら、擦れた傷の痛みを感じながら、それでも深緑色の髪を掻き上げて僅かに口角を吊り上げた。
「姉さんがコンサートを捨てる覚悟で駆けつけてくれたんです。僕が踏ん張らなくてどうするんですか」
饐えた空気を裂くように紅と蒼の線が宙を舞う。大男が頭を振りながら立ち上がり、下っ端たちが再び集まり始めた頃には、既に二色の蜘蛛の巣は完成していた。
「クソッタレが‼ テメェら、やっちまえ‼」
下っ端たちが各々の武器を手に二人に襲い掛かるも、その攻撃が辿り着く前に例外なく絡め捕られる。
ギチギチという鋼が擦れる音が鳴り響き、スウェインの指鳴りと共に雷撃がその全身を駆け巡った。
絶叫、断末魔。絡め捕られた腕、脚、胴から焦臭を放ちながら、役目を終えた
「
「……断言しよう。やはり君は、”平凡”などとは程遠い人間だ」
金の髪が舞うのと同時に、イヴリンは踏み込んだ。
激昂した大男が放った巨大な拳を最低限の動きで躱し、鳩尾に蹴撃を一発。間髪入れずに太腕を炎縄で縛りあげると、コンクリートの上に容赦なく叩きつける。
空気を吐く野太い声が聞こえたが、イヴリンはそこで止まらなかった。細い爪先で大男の顎を高く蹴り上げると、その体は空中で哀れな獲物のように雁字搦めにされた。
「理不尽だと思うかもしれないが――」
一切の抵抗力を奪われた大男はここに来てようやく己に待ち受ける運命を悟り、弱弱しい声で静止を呼び掛けるも、この上なく厳しい目つきをした紫色の双眸はその要求に応えるつもりは一切なかった。
「教え子を痛めつけてくれた礼は、きっちりと返さないと気が収まらないのでな」
腕を一直線に振り下ろす。
その軌跡をなぞるように、大男は地面へと落下し、轟音と共にコンクリートへと突き刺さった。
やがて一面に広がった白煙が晴れた頃、戦闘地域の向こうから少女を連れて走ってきたアストラを視界に収めてから、スウェインは大きく息を吐いた。
「流石に、少し、疲れました」
ずっと張りつめ続けていた緊張の糸をようやく幾らか解し、ホロウの空を見上げる。
長い一日はまだまだ終わらないことに辟易としながらも、姉の声を聴きながら、スウェインはゆっくりと膝から崩れ落ちた。
―――*―――*―――
「まさかよぉ、マジで何かあったとは思わなかったぜ親友。――怪我の方は大丈夫なのかよ」
「えぇ、心配要りません。あと数日ほどで退院できるとのことでした。気を使ってもらってすみませんね、ミナギ」
あの拉致事件があってから一週間後、スウェインはあてがわれた病院の個室を訪ねてきたミナギと落ち着いた様子で話し込んでいた。
腕やら脚やらにやや大げさ気味に包帯を巻かれてはいるが、実際のところそれほど重症というわけでもない。骨に罅が入りかけていた箇所はあったが、ほとんどは打撲や裂傷といった程度で済んでいた。
過度に動かすとまだ鈍い痛みこそ走るものの、普通にベッドの上で過ごす上では問題ない。運び込まれてから発症した発熱も、二日前にはすっかりと下がっていた。
ホロウ内でスウェインが膝から崩れ落ち、気を失いかけた直後、治安官が駆けつける方向を感知した『パエトーン』に道案内を預ける形で、すぐ近くに開いたホロウの裂け目に半ば強引にアストラとイヴリンを押し込んだ。
スウェインを置いては行けないと当然の主張をするアストラに対し、スウェインは言った。「待っているファンをないがしろにするならば、いくら僕でも怒りますよ」と。
ドームに駆け付けた数万人のファンは、今か今かとアストラ・ヤオのオンステージを心待ちにしている。それを中止にしてはならない。自分がその姿を見れないのは少々心残りではあるが、その二つを天秤にかけた時にどちらに傾くかなど自明の理である。
結果的に、そのドームコンサートは大成功で幕を閉じたらしい。見舞いに来たイヴリン曰く、ステージに立つ直前と直後は酷く狼狽していたようだったが、スポットライトを浴びている間はそのような心情をおくびにも出さない形でファンからの完成に応えながら見事に歌い切ったのだとか。これには流石のスウェインも感服したらしく、誇らしげに笑っていた。
コンサート後、アストラは疲労した身の上であるのにも関わらず、仕事に出るとき以外はずっと弟が眠る傍らで過ごしていた。
姉として、最愛の弟が無茶な行動に出たのを少しは咎めようと気を窺っていたらしいのだが、目を覚ました瞬間、その逡巡はどこかに消え失せてしまったらしい。約束していた食事がお流れになってしまった事にはいたく残念がっていたが、次の休みには一日中付き合うという言質を取ってからは機嫌を取り戻していた。
拗れるかと思っていた治安局からの事情聴取も気の抜けるほど呆気なく終わった。どうやら現地で確保したホロウレイダーたちが、徹底的に痛い目に遭わされた恐怖心から話せることは粗方吐き出したらしい。彼らを雇った人物、あるいは組織が何であるのかは現在調査中であるらしいが、そこまでいくとわざわざスウェインに聴取を取ることでもなくなっていく。
従って、スウェインが訊かれたのは当日どのような経緯で拉致され、現場で何があったのかという事だけだった。
最終的に自分だけでホロウレイダーたちをボコボコにして力尽きたとかいう、何とも嘘くさい流れを話すことになってしまったが、個室を訪れた治安官はやや怪訝そうな顔をしながらもひとまず事実として受け取ったらしい。
あるいは帝高辺りがあらかじめ根回しをしていたのかもしれないが、そこいらはスウェインが与り知らないところであった。
最後に担当した治安官に「一緒に拉致されてしまった女の子は」と訊くと、彼女は怪我の手当てと念のための検査をした後、酷く心配した様子で迎えに来た両親に連れられて無事に帰宅したという。
それを聞き、スウェインはほっと胸を撫で下ろした。表向きには面倒ごとを避けるため”偶然にも同じ連中に拉致されてしまった”人物が助けてくれたという話になったらしく、少女の両親は「せめて一言だけでもお礼を」と食い下がったらしいが、病院側が面会謝絶という事で気持ちだけ受け取っておくという事になったとか。
真実としてはむしろこちらが誠心誠意謝らなければならないのにな、と思いながらも、大前提の話として少女がまた無事に日常に戻れたのならばそれに越したことはなかった。
「とはいえ、ここからが大変なんだって?」
「えぇ。嫌な
拉致事件そのものは積極的に口外されていないとはいえ、SNS全盛期の昨今では昔よりもなお”人の口に戸は立てられぬ”という言葉が際立っている。
目の前にいる親友も、ノックノックでの匿名のスレッドを見てDMで直接真相を聞きに来た口である。対外的には不慮の事故で大怪我を負ったという事にはなっているが、”アストラ・ヤオの弟が大怪我を負った”という事実だけでも邪推をしてしまう人間は一定数いるものだ。
そうなるとより直接的な害が出てくる可能性もあり、周囲への影響などを鑑みて、しばらくは自宅学習という提案で折り合いがついたというわけである。
「まぁ、いいや。復帰ができるんなら大した問題でも無ぇわな。安心しろ、お前は事故って怪我してるって事でクラスの連中には言い含めておくからよ」
「ありがとうございます。持つべきものは友ですね。お礼は焼き肉の奢りでいいですか?」
「おいおいマジかよ。食べ盛りの男子学生に焼き肉の奢りとか聖人超えて神じゃねぇかよ。残念ながら俺は受け取り拒否とかはしねぇタチだぞ」
「上等です。僕も久々にカルビとかを爆食いしたくなっていたところですよ」
ケラケラと学生らしく笑いながら話していると、検診の時間がやってきたのか、隣の病室に看護師が入室した音が聞こえた。
それを区切りにして、ミナギは別れを告げると荷物を持って退室していった。
そうして静かになった病室で待つこと数分、十数分。いくら待っても検診担当の看護師がやってこない事に疑問を持ち始めた頃、不意に扉が開く。
「失礼する。起きていたか」
「イヴリンさん。今日姉さんは歌番組の収録のはずでは?」
「予定より早く上がりになったので、ここに来たんだ。その、肝心のお嬢様なんだが……」
ふと注意をやってみると、廊下の方から甲高い黄色い声が飛び交っているのが聞こえた。静謐が大原則の病院内ではあり得ない事ではあったが、イヴリンから聞く限り患者と一緒に看護師まで一緒になって握手やサインを求めているのだという。
「大丈夫ですかね、この病院」
「後で看護師長殿には一言入れておくとしよう。先に行っておいてと頼まれたから来てはみたが、君が変わりないようで安心した」
「消化器系には問題ないので、そろそろガッツリ食べたいところではあります。退院したらローストビーフでも作りましょうか」
「それは、お嬢様も喜ぶだろう。実際のところ、君が入院してからは私が料理などをしているのだが、やはり君ほど上手くはいかなくてな。退院を心待ちにしているよ、
そんな他愛のない話をしていると、滑り込むようにして病室に入ってきたアストラが流れる動作で閉めた扉にロックをかけた。
未だに廊下ではファンが歓声を挙げていたが、騒ぎを聞きつけた責任者らによってその声は次第に遠くなっていく。
するとようやく安心したのか、アストラはかけていたサングラスを外してふぅと一息を吐いた。
「ファンに囲まれるのは慣れっこだけど、この場所では流石にちょっと尻込みしちゃうわね」
「前々から思っていたんですけど、サングラスをかけただけで”変装”と言い切る姉さんは少しおかしいと思うんですよね」
「言葉を濁す必要はないぞ。私も前々からかなりおかしいとは思っているが、本人はそれで十分だと思っているんだ。十分なはずはないが」
「案外堂々としていれば気付かれないものよ。街中でトレンチコートとマスクをしているより余程自然だと思わない?」
「精神強者の言い分だとしても無理がありますね。隣にイヴリンさんがいる時点でバレバレだという点はこの際無視しますが」
「……私はそんなに目立つか?」
「雑誌のトップモデルも霞むレベルのスタイルしておいてその認識は無理がありますね(二度目)」
「聞いてよスフィー。最近私じゃなくてイヴにカメラを向けるファンや記者もいるくらいなのよ? やっと世間もイヴの魅力に気付き始めたんだわ‼」
「それ多分聞くの五回目くらいじゃないですかね。嫉妬の感情とか一切感じさせない姉さんが僕は好きですよ」
「ありがとスフィー。私もあなたの事大好きよ♪」
恒例になりつつあるやり取りをしながらスウェインを抱きしめるアストラを見て、イヴリンはクスリと笑った。
幾度も幾度も名を変えた先に辿り着いた先がこの光景であるのならば、まぁそう悪いものではないだろうと思いつつ、彼女もまたスウェインの頭に手を乗せる。
「今回の一件で、君を取り巻く環境は変わるだろう。それが良いものか悪いものであるのかはまだ分からないが、少なくともここに、君の味方が二人いることだけは覚えておいてくれ」
「――そうね。弟離れは正直できそうにないけれど、もしあなたが色々な意味で強くなりたいと願うのなら、私はそれを全力でサポートするわ。だって私は、あなたのお姉ちゃんなんだもの」
――ふとした時に気付いたことがあった。
姉は決して、籠の中でただ歌っている鳥などではないことを。
美しく大きな翼を広げ、雄大な大空を舞う日の事を、今か今かと待ちわびている。
たとえいつの日か歌うことができなくなったとしても、その在り方の美しさは永劫不変のものであると。
そうであるならば、凡人の身であったとしても、自分だけが籠の中で餌を食べるのを良しとするわけにもいかない。
姉ほど美しくはなくとも、姉ほど真っすぐには生きられずとも、姉ほど強く在れずとも。
人生を諦観して腐り果てるほど、自分は諦めは良くないのだと。
変われる先の自分を想像しながら、スウェインは穏やかな表情で柔和にほほ笑むのだった。
■スウェイン・ヤオ
容姿
【挿絵表示】
所属:スターズ・オブ・リラ(仮)
性別:男性
誕生日:2月23日
身長:164cm
髪色:深緑
瞳色:薄紫
使用武装:天駆の糸・白夜(鋼糸)
属性/タイプ:雷/支援
※協力者ファイルは次話にて解禁