精神共鳴装置で操られる傀儡闘士   作:里奈使徒

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第九話「F級訓練場での試練」

 昼下がりの訓練広場。

 

 砂埃の舞う岩地に、F級闘士たちの荒い息と足音が響いていた。

 

 僕は、遅れがちにその列の後方を走っていた。

 

 はあ……っ、もう……足が……

 

 呼吸はとっくに乱れ、喉は焼けるように乾いている。胸の奥に鉛のような圧迫感が広がり、脚は重く、まるで自分のものではないかのようだった。汗が目に入って視界がぼやけ、足元がふらつく。

 

「走れェェェ! てめぇの命が惜しいなら止まるなァ!」

 

 監督役の怒号が響く。その声は太く、野獣のような迫力がある。声の主は、元A級闘士だったという噂のガルバス。顔面に無数の傷痕があり、左目は眼帯で覆われている。

 

 僕の横を、がっしりとした体格の男たちが次々に追い越していく。誰もが無言で、ただひたすらに前を見て走っていた。彼らの足音は力強く、リズミカルで、長距離走に慣れ親しんだ者の動きだった。

 

 特に目立つのは、列の先頭を走る大柄な男だった。名前はブルート、F級でも古参の一人だという。筋骨隆々の体に無数の戦傷、そして何より、疲れを微塵も感じさせない軽やかな走りっぷり。まるで散歩でもしているかのような余裕だった。

 

 その後ろを走るのは、痩せ型だが持久力に長けたランス。元は山賊だったらしく、逃走技術に長けている。彼もまた、この距離では息一つ乱していない。

 

 そんな中で僕だけが、ひとり、みっともなく息を荒げていた。

 

 ……やっぱり僕は、身体を動かすのは……苦手なんだ。

 

 町にいた頃も、走るのが遅く、持久力もない。喧嘩も避けてきた。アヴェンハート商店の跡取り息子として、そんなことは必要ないと思っていた。帳簿の計算、取引先との交渉、商品の品質管理──頭を使う仕事こそが、自分の領分だと信じていた。

 

 だからこそ、今の現実が容赦なく牙をむく。

 

 この場所では、苦手など言い訳にもならない。できなければ、ただ「不要」とみなされ、潰される。それだけでなく、他の闘士たちからも見下され、いじめの対象にされる。

 

「止まるなァ! 死にてえのかッ!」

 

 その声に反応しようとした足が、もつれた。膝が崩れ、砂利の地面に倒れ込んだ。

 

「がっ……!」

 

 擦りむいた掌から血がにじむ。呼吸が整わず、視界が暗くなっていく。心臓が激しく打ち、まるで胸から飛び出してしまいそうだった。

 

 周囲を走っていた他の闘士たちが、僕を避けるように走り去っていく。誰も手を差し伸べない。それどころか、嘲笑を浮かべて通り過ぎていく者もいた。

 

「おい、魔狼殺しはどこ行った?」

「あんなザマで魔狼を倒せるわけねぇだろ」

「運が良かっただけの小僧が」

 

 心ない言葉が飛び交う。僕には反論する言葉もない。実際、魔狼をどうやって倒したのか、自分でも覚えていないのだから。

 

「甘えんなよ、雑魚! 次は腕立て伏せだ!」

 

 震える手で地面を押し、どうにか這うようにして立ち上がる。足がガクガクと震え、立っているのがやっとだった。

 

 腕立て伏せ。両腕がぷるぷると震える。他の闘士たちは既に開始しており、規則正しいリズムで体を上下させている。

 

 僕もなんとか腕立ての姿勢を取ろうとするが、腕に力が入らない。ようやく一度、体を持ち上げたが、次には腕が曲がらず、そのまま倒れた。顔が石に打ちつけられ、唇が裂けた。

 

「一回もできねぇのか! 情けねぇ!」

 

 ガルバスの罵声が飛ぶ。その声には、呆れと軽蔑が混じっていた。

 

 横目で見ると、他の闘士たちは涼しい顔で動きをこなしていた。音も立てず、息も切らさず、慣れた動きで黙々と数をこなしていく。ブルートなどは、片手での腕立て伏せを軽々とこなしていた。

 

 なんで……僕だけ……

 

 悔しさと情けなさが入り混じり、胸の奥がしびれるように痛んだ。

 

 次は懸垂だった。鉄棒にぶら下がるだけで精一杯。一回も体を引き上げることができない。腕の筋肉が震え、握力も持たない。やがて手が滑って地面に落下した。

 

「なんだこの軟弱野郎は! 魔狼殺し? 笑わせるな!」

 

 周囲から失笑が漏れる。その笑い声が、僕の心を深く傷つけた。

 

 訓練は他にもあった。重い石を持ち上げる筋力トレーニング、武器を使った素振り、仮想の敵を想定した動作練習。どれも僕には難しすぎた。

 

 石は重すぎて持ち上がらない。剣は重くて振り回せない。動作練習では、何度も転んでばかり。まるで赤子が大人の真似をしているかのような有様だった。

 

 

 

☆★

 

 

 

 そんな日々が続いた数日後。

 

 昼下がりの食堂で、僕は配膳台の前に並んでいた。今日の昼食は、いつものように筋張った肉と水っぽいスープ、それに硬いパンが一切れ。G級の食事よりはマシだが、それでも美味しいとは言えない代物だった。

 

 ようやく順番が来て、金属の器に盛られた食事を受け取る。重い器を両手で支えながら、空いているテーブルを探した。

 

 その時──背後から息がかかるほどの距離に、どす黒い気配を纏った声が落ちた。

 

「へっへ……運だけの雑魚がいるって聞いたけど、本当だったな」

 

 心臓が跳ね上がる。振り向くと、鼻を潰されたような顔の大男が、唇の端を歪めてこちらを見下ろしていた。身長は優に二メートルを超え、筋肉というより脂肪の鎧をまとったような巨体。

 

 男の名はボルカ。F級の中でも古参の一人で、新人いじめを生き甲斐にしているという噂があった。顔は醜く歪み、左の頬には大きな火傷の跡がある。腕には無数の刺青が彫られており、どれも禍々しいデザインだった。

 

 隣には取り巻きらしき連中が数人。皆してにやにやと薄気味悪い笑みを浮かべている。その中には、細身だが目つきの鋭いネズという男や、無表情で不気味なガーロという男の姿もあった。

 

「……あ、あの。すみません」

 

 受付にいた女性職員に声をかけると、彼女はピクリと体を震わせた。

 

「訓練でのざまはなんだよ。腕立てもできないのかよ。ひ弱すぎるな、ガキ」

 

 隣には取り巻きらしき連中が数人。皆してにやにやと薄気味悪い笑みを浮かべている。

 

 食堂にいた他の闘士たちも、この光景に気づいている。だが誰もが目を逸らし、自分の食事に集中するふりをしていた。関わりたくない──その気持ちが痛いほど伝わってくる。

 

 この場所では、弱い者を助ける者はいない。自分の身を守るので精一杯なのだ。下手に首を突っ込めば、自分も標的にされる。

 

「魔狼を殺したんだろ? それともたまたま魔狼が死にかけだったのかよ」

 

 ボルカの口調には明らかな嘲りが込められていた。その大きな体からは、汗と血の臭いが漂ってくる。

 

「……あ、あの……」

 

 何か言おうと口を開いたが、言葉は喉の奥で引っかかった。手に持った器が小刻みに震えているのが分かる。中のスープが波打ち、少しずつこぼれていく。

 

「ははっ、こいつ、声が裏返ってやがる。びびってんのか?」

 

 ドッと下品な笑いが起きる。屈辱と恐怖で胸の奥が締め付けられる。

 

 違う……でも、怖い。

 

 心の中で必死に否定するが、体は正直だった。膝はがくがくと震え、冷や汗が額に浮かんでいる。声も震えて、まともに喋ることができない。

 

 

 

☆★

 

 

 

 その日からだった。奴らは、食事のたびに現れた。

 

 最初の日は、ただ威圧するだけだった。僕の周りに座り、じっと見つめる。それだけで十分に恐ろしかった。まるで獲物を狙う肉食獣に囲まれているような感覚だった。

 

 ボルカたちの視線は、明らかに悪意に満ちていた。何かを企んでいる目つき。いつ牙をむいてくるか分からない危険な空気。食事の味なんて、まったく分からなくなった。

 

 二日目からは、言葉での嫌がらせが始まった。

 

「へえ、いいもん食ってんな」

「ちょっと味見させろよ。な?」

 

 言葉こそ柔らかいが、その指は容赦なく器へと伸びてきた。太い指が汚れた爪で僕の食事をつまみ上げ、躊躇なく自分の口に運ぶ。

 

「うまいじゃねぇか。もっと貰うぜ」

 

 抵抗すれば暴力が待っている。だが、従えば、貴重な食事は奪われる。

 

「おい、パンも寄こせよ」

「スープも残すなよ、もったいねえ」

 

 彼らの要求はエスカレートしていく。最初は食事の一部だったのが、やがて半分、そして大部分を持っていかれるようになった。僕に残されるのは、いつもほんの僅かな残りかすだけ。

 

 無言で見て見ぬふりをする他の闘士たち。彼らの視線は冷たく、まるで僕が存在しないかのように扱われた。誰もが自分の身を守ることで精一杯なのだ。

 

 中には同情的な視線を向ける者もいた。だが、それは一瞬のことで、すぐに目を逸らしてしまう。同情はしても、助けるつもりはない。それがここの現実だった。

 

 誰も助けてくれない世界──それが"ここ"だった。

 

 三日目の夕食時、ついに僕の器は完全に空っぽにされた。スープの最後の一滴まで、パンくずの一つまで、すべてが奪い去られる。

 

「ごちそうさん!」

 

 大男は満足そうにげっぷをしながら立ち去っていく。その後ろ姿を見ながら、僕は空の器を握りしめていた。

 

 ……まずい、これ。

 

 胃袋は空っぽなのに、食べ物を見ると吐き気すらした。空腹と恐怖、そして屈辱が入り混じって、頭がうまく回らない。このままでは訓練についていけなくなる。そして訓練についていけなくなれば──。

 

 考えるだけで恐ろしかった。ここでは、使えない人間に価値はない。戦えない闘士は、処分されるだけの存在なのだ。

 

 

 

☆★

 

 

 

 四日目の朝。

 

 僕は鏡に映る自分の顔を見つめていた。頬はこけ、目の下には隈ができている。たった数日で、ここまで変わってしまうものなのか。

 

 体重も明らかに減っている。元々ぽっちゃりしていた体型が、今では骨ばって見える。筋肉が落ち、体力も大幅に低下していた。

 

 この日の昼食でも、同じことが起きた。ボルカたちが現れ、僕の食事を根こそぎ奪っていく。

 

「ごちそうさん!」

 

 満足そうにげっぷをしながら、ボルカたちは立ち去っていく。僕はまた、空の器だけを握り締めていた。

 

 もはや抵抗する気力すら残っていなかった。体力もないし、勇気もない。何より、この状況を変える手段が思いつかない。

 

 その時──食堂の入り口に、聞き覚えのある声が響いた。

 

「あら、ティリオくん!」

 

 振り返ると、アセビが立っていた。いつものように可憐な笑顔を浮かべながら、軽やかな足取りで近づいてくる。

 

 ボルカたちは彼女の存在に気づくと、慌てたように立ち去っていく。明らかに彼女を恐れているようだった。そのあまりの変わりように、僕は驚いてしまった。

 

 あの凶暴なボルカが、なぜこんな小さな女の子を恐れるのか。一体何があったというのか。

 

「お疲れ様っす」

 

 アセビは僕の隣に座ると、空になった器を一瞥した。その表情には、特に驚きの色はない。まるで予想していたかのような、冷静な反応だった。

 

「F級は厳しいっすね。でも、これが現実っす。強くならないと生き残れないっすよ」

 

 その言葉は事実を述べているだけで、同情も励ましもなかった。ただの観察者として、僕を見ているのだ。まるで実験動物でも観察しているかのような、客観的な視線だった。

 

「ところで、例の魔狼の件、本当にすごいっすね。どうやって倒したんっすか?」

 

 アセビの瞳が、一瞬だけ鋭く光った。これが彼女の本当の目的のようだ。可愛らしい外見とは裏腹に、その瞳の奥には冷徹な知性が宿っている。

 

「覚えてないんです……気がついたら……」

 

 僕は曖昧に答えるしかなかった。本当に覚えていないのだから、嘘をついているわけではない。

 

「覚えてない……興味深いっすね」

 

 アセビはにこりと笑うと、立ち上がった。その笑顔は美しいが、どこか底知れない怖さがある。

 

「また色々お話聞かせてくださいっす。楽しみにしてるっすよ」

 

 そう言って、彼女は去っていく。最後まで、僕を助けるそぶりは見せなかった。

 

 僕は完全に一人だった。

 

 アセビも、他の誰も、僕を助けてはくれない。この屈辱を終わらせることができるのは、僕自身だけなのだ。

 

 でも、どうやって? 力もない、技術もない、勇気もない。こんな僕が、どうやってボルカたちに立ち向かえばいいのか。

 

 答えは見つからないまま、僕はただ空の器を見つめ続けていた。

 

 夜が更けていく中、F級の宿舎は薄暗い明かりに包まれていた。他の闘士たちはそれぞれの時間を過ごしているが、僕だけが一人、孤独感に包まれていた。

 

 この状況は、いつまで続くのだろうか。いつか、この地獄から抜け出せる日が来るのだろうか。

 

 変わらなければならない。二度と、誰にも屈服しないために。

 

 でも、どうやって変わればいいのか、まだ分からずにいた。答えを求めて、僕は暗い天井を見上げ続けた。

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