精神共鳴装置で操られる傀儡闘士   作:里奈使徒

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第一話「最底辺からの勝利」

 ──チュンチュン。

 

 耳元で雀の鳴き声。目を開けると、木造の天井が視界に入る。ところどころに染みがあり、節の部分が黒ずんで腐りかけている箇所もあった。

 小さな窓から朝の光が差し込み、埃が白く舞っている。背中の下には、薄い藁の敷布団があった。

 

 ……知らない天井。

 

 息を吸い込むと、肺がじわりと広がった。空気が冷たくて、喉が少し痛い。でも、その痛みがなんだか嬉しかった。

 生きてる。僕、まだ生きてるんだ。

 

 ゆっくりと身を起こすと、全身の関節がギシギシと音を立てた。左肩と右脇腹に鈍い痛み。右の拳は皮膚が剥がれ、赤く腫れ上がっている。

 

 ……あれ? 火傷?

 

 拳を見つめる。焦げたような臭いが漂っていた。

 なんでだろう。僕、何かしたっけ。

 

 記憶を辿ろうとするけれど、霧がかかったように何も思い出せない。魔狼が来て、目を閉じて、それから──真っ白だ。

 

 気がついたら魔狼は倒れていて、僕だけが立っていた。

 

 どうして僕だけ生き残れたんだろう。

 

 一緒に闘技場に立った人たちは、みんな僕よりずっと体が大きくて、強そうだった。それなのに、全員死んで、僕だけがこうして目を覚ましている。

 

 わからない。考えても、答えは出てこない。

 

 ……母さん、セリア。

 

 ふと、二人の顔が浮かんだ。

 元気でいてくれるだろうか。ちゃんと食べているだろうか。セリアは寒がりだったから、ちゃんと暖かい場所にいるといいな。

 

 会いたい。

 ただ、それだけが胸の中にあった。

 

「おい、聞いてるのか」

 

 鋼のように低い声。振り返ると、開け放たれた扉の前に看守らしき大男が腕を組んで立っていた。

 

「ぼけっとしてる暇はない。こっちだ」

「あ、はい!」

 

 慌てて藁の寝床から立ち上がり、看守の後を追って部屋を出た。石畳の廊下に響く重い足音が、どこか不穏だった。

 

 

 

☆★

 

 

 

 松明の煤で黒ずんだ石壁が左右に続く、薄暗い通路だ。湿った空気に、どこか錆びたような臭いが混じっている。

 事務棟へ向かうその廊下で、おかしなことに気がついた。

 

 すれ違う職員たちが、みんな僕を見て足を止めるのだ。慌てたように道を空け、目を逸らす。清掃夫の老人はモップを取り落とし、配膳係の女性は壁に背中を押し付けて固まった。

 

 昨日までは、透明人間みたいに扱われていたのに。

 

 一番驚いたのは、門番の衛兵だった。いつもは「奴隷風情が」と睨んでいた大男が、今日は背筋を伸ばしてこう言った。

 

「おはようございます、ティリオ様」

 

 ……様?

 

 何が起こっているのか、さっぱりわからない。

 

 

 

☆★

 

 

 

 事務棟の受付は、木製のカウンターが一つ置かれただけの狭い部屋だった。壁際に長椅子が並んでいる。

 カウンター越しに声をかけると、女性職員がピクリと体を震わせた。

 

「ひっ……すぐに、担当をお呼びしますっ!」

 

 まるで化け物でも見るような目で、慌てて奥へ消えていく。

 

 待っている間、職員たちのひそひそ話が聞こえた。

 

「本当にあの子が……」

「魔狼を一撃で……」

「三メートル超えてた……あんなのに一人で勝つなんて」

 

 ……え? 一人で?

 

 何のことだかわからなかった。

 

 数分後、ドスンドスンと重い足音が近づいてきた。

 

 長椅子で待っていた僕の横を、巨大な影が通り過ぎた。現れたのは、あの男──僕を奴隷として売った張本人、ガロンだった。

 

 二メートルを超える巨体。顔には無数の傷跡があり、鼻は曲がっている。移送中の馬車で、僕を散々殴りつけた男だ。

 

「お前、生きてたのか? もしかして……出場すらさせてもらえなかったか?」

 

 口元に浮かぶ残酷な笑み。きっと僕が惨めに逃げ出したとでも思っているんだろう。

 

「はは……」

 

 愛想笑いで返すしかなかった。自分でも昨夜のことがわからないのに、説明のしようがない。

 

「それより職長様はまだか? こっちは何時間も待ってんだぞ!」

 

 ガロンが受付のカウンターを拳で叩いた。木が軋む音が響く。

 

 その時──廊下の向こうから、複数の足音が聞こえてきた。軍靴の音だ。

 僕は長椅子から腰を浮かせた。

 

「ティリオ様、お待たせしました!」

 

 現れたのは、職長と呼ばれる男だった。五十代前半、高価そうな服を身に纏い、指には宝石のついた指輪を複数はめている。

 

 彼は息を切らせながら深々と頭を下げた。昨日までの横柄な態度は微塵もない。背後には、鎧に身を包んだ護衛の兵士たちが六人。

 

「昨日のご活躍、拝見いたしました。まさに……伝説級の一撃」

 

 職長の言葉に、ガロンが割って入った。

 

「は? ……こいつが、伝説?」

 

 嘲るような声だった。

 

 次の瞬間、職長の拳がガロンの顔面を打ち抜いた。

 

「へぶっ!?」

 

 鈍い音。ガロンの巨体がよろめき、鼻から血が流れ始めた。

 

「愚か者……ティリオ様に不敬な!」

 

 職長の声は氷のように冷たかった。

 

「この男の言は虚偽。我らを惑わせ、ティリオ様を侮らせた大罪人です」

 

 あっという間にガロンは兵士たちに取り押さえられ、地面に叩きつけられた。

 

「て、てめぇら、何を……! こいつはマジでただのガキだって!」

 

 ガロンが叫ぶ。

 

「『ただのガキ』がどうやって、あの巨大魔狼を素手で倒せるのか説明してもらおうか」

 

 ガロンが何か言い返そうとした。だけど、兵士の篭手をはめた拳が腹に沈んで、声は途切れた。

 

「うぐっ……!」

 

 僕は、目を逸らした。

 

 見ていられなかった。殴られるたびにガロンの体が跳ねて、血が床に飛び散る。あの大きな体が、どんどん小さくなっていく。

 

 ガロンは僕をひどく扱った。殴られたし、蹴られたし、ひどいことも言われた。だけど──。

 

 だけど、こんなの、見ていたくない。

 

 何か言わなきゃ、と思った。「やめてください」って、一言だけでいいから。でも、口が開かない。声が出てこない。兵士たちの目が怖くて、職長の冷たい顔が怖くて、結局、僕はうつむいたまま黙っていた。

 

 やがて、ガロンはうめき声すらあげられなくなった。兵士たちに引きずられるようにして姿を消す。床に血の跡だけが残された。

 

「ティリオ様、こやつは念入りに処罰いたします。どうか、お許しを」

 

 職長が深々と頭を下げる。

 

「あ、はい……」

 

 声が震えていた。足元の血の跡を見ないように、視線を上げた。

 

 

 

☆★

 

 

 

 受付の奥にある小部屋に通された。窓のない部屋で、机を挟んで職長と向かい合っている。

 

 職長が口を開いた。

 

「これからの予定を説明させていただきます」

 

「数日後、ティリオ様には《F級訓練施設》への入所が命じられております」

「F級訓練施設?」

「最下層の闘士階級です。まともな装備も与えられず、食事も粗末なものしか支給されません。多くの闘士がここで命を落としていきます」

 

 ……命を落とす。

 

 その言葉が、ずしりと重かった。

 

「ただし、月に一度の昇格試験に合格すれば、上の階級に進めます。F級からS級まで七つの階級があり、上がるほど待遇は改善されていきます。ティリオ様のご実力なら、いずれは頂点も──」

 

「あの」

 

 思わず口を挟んでいた。

 

「昇格試験に、失敗したらどうなるんですか」

 

 職長の顔が一瞬こわばった。

 

「……死、です」

 

 やっぱり、そうなんだ。

 

「ティリオ様のご実力なら、闘技王の座も夢ではありません。その際は、ぜひ私どもにもご配慮を」

 

 媚びた笑みの奥で、何かを計算している目をしていた。

 

 闘技王。そんな大層なもの、僕には想像もつかない。

 

 職長の話は続いた。昨夜の戦いについて、観客席からの目撃証言があるのだという。

 

「元軍人の証言によりますと、あなたの動きは『達人級の武術』だったそうです」

 

 達人級の武術……僕が?

 

 そんなわけない。走るのだって遅いし、腕相撲だって一度も勝ったことがないのに。

 

「あの巨大魔狼を素手で倒すなど、前代未聞です」

 

 職長がまだ何か言っていたけれど、頭に入ってこなかった。

 

 伝説だとか、達人だとか、言われるほどに怖くなる。あれが本当に僕なら、僕は一体何なんだろう。

 

 ただ、生きている。それだけは確かだ。

 

 これから何が待っているのかもわからない。F級訓練施設がどんな場所なのかも。

 

 でも、生きている限りは前に進むしかない。

 

 母さんとセリアに、もう一度会うために。

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