今日もまた、日差しが焼けつくように熱かった。
俺は審判として二十年、この血塗れの劇場に立ち続けている。今日で何千回目の「はじめ!」を叫ぶことになるのか、もはや数える気にもならない。
この仕事に誇りなんて無い。やりがいも無い。ただ、息子の学費のために続けているだけだ。あと三年我慢すれば、エドワードが大学を卒業する。「父さんのような仕事はしたくない」――息子にそう言われたときは、正直なところ安堵した。
だが、今日は最悪だ。
観客席の最上段、特等席に黒光りする礼服が整然と並んでいる。政府高官たちの視察――つまり、今日は"見せ物"の日ということだ。ヴォルデュス評議員議長まで来ている。
上司のクラウス主任は朝からぴりついていた。「やれ席を整えろ、歓声を盛り上げろ、血の演出を派手にしろ」――小言が耳にこびりつく。
午後の部――本日のメインイベント。最も胸糞の悪い見世物が始まる。
魔狼が解き放たれる。全長三メートルを超す異形。今日の個体は特に大きく、凶暴性も際立っている。
闘技場には、十数人のG級戦士が集められていた。皆、痩せこけ、絶望の色を目に宿している。とくに一人――十九番と呼ばれる少年の怯えようはひどかった。
小太りで筋肉質とは程遠い体型。丸い顔に人の良さそうな目。俺の息子と同じくらいの年頃だった。支給された剣を持つ手も震え、とうとう取り落としてしまう。
観客席から失笑と罵声が飛ぶ。
「十九番は一番に食われるな」
魔狼は鋭い嗅覚で、一瞬で十九番に狙いを定めた。恐怖の匂いを嗅ぎ取ったのだ。
「はじめ!」
その一言で、地獄が始まる。
魔狼が地を蹴って突進する――そう思った、その時だった。
――十九番が、変わった。
それは一瞬の出来事だった。さっきまで恐怖で震えていた少年の身体から、急に震えが止まる。まるでスイッチが入ったかのように、その瞳から怯えの色が消え失せた。
代わりに宿ったのは、氷のように冷たい計算の光。
そして――軽やかに、しなやかに、魔狼の突進を――かわした。
……なに!?
信じられなかった。
俺はこの仕事を二十年続けている。数千の戦士を見てきた。あの回避動作は、相当な訓練を積んだ者でなければできない。
いや、違う。もっと根本的に何かが違う。
あの動きには、人間離れした何かがある。まるで時間が止まったかのような、完璧すぎる動作。普通の人間なら、恐怖と興奮で動きが硬くなるはずなのに、彼の動作は機械のように正確だった。
魔狼は他の戦士たちに襲いかかる。少年たちが次々と喰われ、断末魔の叫びが空に消えていく。
十九番は、その間に死体から肋骨を抜き取り、即席の武器を作った。死んだ仲間の胸を切り開き、まだ温かい肋骨を引き抜く。その手際は慣れたもので、一切の躊躇がない。
あんな発想、普通の人間には思いつかない。
何より――心が動いていない。
仲間が殺されても、血を浴びても、死体を切り刻んでも、目の奥には一片の揺らぎも無い。まるで日常的な作業をこなすかのような、淡々とした表情。
人形のようだ。いや――処刑人だ。
感情を殺し、ただ効率的に敵を殺すことだけを考えている。そこにあるのは少年の顔をした何か別の存在。
背筋に寒気が走る。二十年間、数え切れない戦士を見てきたが、こんな恐怖を感じたことはない。強さへの畏敬ではない。これは、人間ではないものへの原始的な恐怖だった。
隣にいたマルクスも、同じことを感じているようだった。
「あれは……人間じゃない」
マルクスが小さく呟く。俺も同感だった。
十九番は骨剣で魔狼の右目を一突きした。さらに前足、背、脚へと次々に突き刺していく。一撃一撃が的確で、魔狼の急所を狙っている。その動きは、まるで戦場を百度踏み越えた老練の戦士のようだった。
魔狼が怯み、後退する。観客が総立ちになった。
なんだこれは。あのガキは、いったい何者だ?
やがて魔狼が咆哮しようとした瞬間、十九番は地面から石を掴み上げた。投石器のような正確な軌道で、魔狼の開かれた口腔へと投げ込む。
そして――
「くらいやがれぇえええっ!」
その叫びとともに、闘技場が震えた。
それは炎のような、雷のような、得体の知れないエネルギーの奔流だった。赤く、白く、青く輝く光の束が魔狼を包み、その皮膚を、筋肉を、内臓を、骨を、すべてを焼き尽くしていく。
気功……?
二十年、数え切れぬ自称"気功使い"を見てきた。詐欺師、山師、ペテン師……本物など一人もいなかった。
だが、今、俺の目の前で――本物の"気"が魔狼を焼き殺している。
轟音が、コロッセオを揺らす。まるで天変地異だ。
静まり返る観客席。十九番が、魔狼の焦げた骸を見下ろしていた。
勝者は、ただ一人。
彼の周囲には、仲間たちの死体が散らばっている。血の海の中に立つ少年の姿は、まるで死神のようだった。
それでも俺には仕事がある。深呼吸し、声を張り上げる。
「勝者――十九番、ティリオ!」
地鳴りのような歓声がコロッセオを包んだ。観客の興奮は最高潮に達し、高官たちも立ち上がり、拍手を送っている。
だが、俺の心の中には、底知れぬ不安が渦巻いていた。
あの少年は、この世界に何をもたらすのだろうか。
今夜は深酒になるだろう。できることなら、あの少年の記憶を酒で洗い流してしまいたい。
だが、忘れられるはずもない。
あの冷たい瞳を――俺は一生忘れることができないだろう。