俺は医者だ。
表向きは、闘士たちの健康診断を任されている。だが――医者という立場は、実に便利だ。闘技場に補充が入るたび、選別前の素体に真っ先に接触できる。
すなわち、"被検体"の中から、使える素材を嗅ぎ分けられるということだ。
今日も朝早くから、コロッセオの医療棟にやってきた。新しく搬入された奴隷たちの健康診断――表向きはそうだが、実際は俺の研究に適した被検体の選別作業だ。
扉を開けて診療室に入ると、助手のエリシアが既に準備を整えて待っていた。
「対象は?」
「はっ、こちらに」
重厚な鉄格子の窓がガシャリと開き、薄暗い部屋を見下ろす。十数人の若者がうずくまっていた。痩せこけた体躯、浮き出た肋骨――どれも使い物にならない、骨と皮の塊だ。
俺は一人一人を観察していく。大半が栄養失調で筋力不足。青晶核の埋め込み手術に耐えられる体力を持つ者は皆無に等しい。
だが、その中に一人――体格だけでいえばましな大男がいる。
「一番左、あの大男。素性は?」
「オプレッサー。貴族の屋敷を襲撃した罪でコロッセオ送りに」
筋肉はついているが、上半身ばかり鍛え下半身は細い。典型的な街の喧嘩屋だ。
「十把一絡げのゴロツキだな」
俺は鍵を受け取り、無言で鉄扉を開ける。むせ返るような汗臭さが流れ込んできた。
「健康診断だ。全員、腕を出せ」
「……けっ、俺は病気じゃねぇよ」
ゴロツキが吠えた。典型的な小物の威嚇行動だ。
「拒否か? 構わん。刑務官に報告するだけだ」
「舐めんな!」
腕を雑に突き出す。順に注射をしていく。
もちろん麻酔薬だ。俺が独自に調合した睡眠薬と筋弛緩剤の混合物。数分後には、全員が静かに眠りについた。
さて。ここからが本題だ。
俺は一人一人の身体を詳細に検査していく。脈拍、血圧、反射神経――すべてを数値化し、記録していく。
「こいつは……内臓に疾患あり。廃棄」
「こいつは……骨格に異常。論外」
次々に判定を下していく。残念ながら、今回の補充は"ハズレ"の部類だ。
「エリシア。あのゴロツキ、まぁマシだな。今回はこいつにするか」
「ゼイド様、お待ちください。こちらを」
エリシアが、別の一体を指さした。
俺は踵を返しかけて――ふと、目に止まる素体があった。
ひときわ肉付きのよい体格。他と比べて皮膚の色つやも悪くない。骨格も整っている。この劣悪な環境にいながら、これだけの体格を維持しているということは、元々の体質が優秀なのだろう。
「こいつは?」
「ティリオ・アヴェンハート。アヴェンハート家の長男です」
エリシアの視線が、ティリオの眠る姿をじっと見つめている。まるで慈しむような眼差しだ。単なる職業的関心を超えた、もっと個人的な感情が混じっている。
「……知り合いか?」
「は、はい。かつてお世話になった方の……ご子息です」
エリシアの声が、わずかに震える。
「アヴェンハート様には大変お世話になりました。私がまだ幼い頃、追っ手から守ってくださりました……」
なるほど、そういう繋がりか。
だが、それは研究には関係ない。
「情実で検体を選ぶ気はない。この研究には祖父の名誉がかかっている。わかっているな?」
「承知しております。ですが、私情をはさんでおりません。この素体には光るものがございます」
「理由を述べろ」
「他の検体と比較して、明らかに栄養が取れています。脂肪は多いですが、そこに潜在的な体力を感じます」
確かに――ただの肥満ではない。体幹に芯がある。骨格と筋肉の付着位置が理想的だ。
俺は彼の身体をより詳細に観察する。肩甲骨の動き、骨盤の安定性、脊椎のカーブ――すべてが教科書通りの理想的な構造をしている。
「……まぁ、いい。今回はお前の顔を立てよう」
どのみち他が駄目すぎる。ティリオが最も"マシ"だ。
俺は、ティリオの生体データを読み取る。専用の測定器具を彼の身体に当て、青晶核適合度を測定していく。
――そして、異常な数値が端末に現れた。
「……ん?」
画面に踊る数値を見て、俺は息を呑んだ。通常の被検体なら300-400の範囲で推移する青晶核適合値が、なんと1,200を超えている。
俺は測定器の故障を疑い、もう一度測定し直す。だが、結果は同じだった。いや、二回目の測定では1,250という、さらに高い数値を示した。
さらに波形を細かくチェックする。脳波パターンは異常に安定し、筋反応速度は平均値の三倍、神経電位の伝達効率は四倍以上。
これは何だ? 突然変異か? それとも特殊な血筋なのか?
「……おいおい、これは……!」
手が震える。二十年の研究生活で、こんな数値は見たことがない。現段階での最高値である被検体二百四十二号の適合値は780だった。それでも当時は「奇跡的」と評価したのに、この少年は1,200超え。
理論上、精神共鳴装置との同調率は90%以上に達する可能性がある。
これならば、完全制御も夢ではない。遠隔操作の精度も格段に向上するはずだ。何より、長期間の制御にも耐えられる可能性が高い。
俺の心臓が激しく打っている。血管を駆け巡る興奮で、手の震えが止まらない。
これこそ、俺が長年探し求めていた完璧な被検体だ。
祖父様、見ていてください。ついに――ついに見つけました。あなたの理論を完全に実証できる、究極の素材を。
「……エリシア」
「はい?」
「お前は正しかった。こいつを"被検体二百四十三号"に認定する」
「はっ!」
「残っている
プランBとは、俺が密かに準備していた最終計画だ。これまでの被検体は、あくまで予備実験に過ぎなかった。真の実験は、完璧な被検体を得てから始まる。
ティリオこそが、その完璧な被検体だ。
ついに最終段階か。
俺の計画は、ここからが本番となる。この少年を通して、俺は世界を変えてみせる。
天才ゼイドラク・ディ・ヴェルミュールの名が、歴史に永遠に刻まれる日が――ついに来た。