「――それで? この私に、君たちの尻拭いをしろというのかね?」
「いやぁ、尻拭いなんてとてもとても。所詮は痴情のもつれが原因、若者同士のじゃれ合いでしょう」
レッドグレイブ公爵邸、その執務室。
館の主――ヴィンス・ラファ・レッドグレイブ。灰色の髪を後ろに撫でつけ、“灰鷹公”の異名をとる壮年の男は、押しかけてきた三人の若造をじろりと睨んだ。
それに正対するのは、クリフトン、ハーヴェイ、ケイト、そしてリオンだ。
「ただ、こんな
――なのでちょこーっとだけ、閣下のお口添えなどいただけないかなーと、お願いしに参上した次第です」
「それを、一般的に“尻拭い”というのではないかね」
「そうとも言いますね」
口を挟んだのは、レッドグレイブ家の長子ギルバート。父親譲りの力強い気迫にも、クリフトンは空とぼけた言葉で返した。
ヴィンスが咳払いを一つする。それだけで、全員がピタリと静止した。
「……まあ確かに、君たちの活躍で娘の、ひいては我がレッドグレイブ家の名誉が守られたとも言える。困りごとならば、手を差し伸べてやるのも
とはいえ、君たちが相手取ったのはユリウス王太子殿下だ。果たして言葉の一つ二つで丸く収まるかどうか……」
ヴィンスが勿体つけた言葉を述べる。遠回しに「できない」と言っているようなものだった。
悪趣味な冗談だ。ほぼ破棄されたも同然とはいえ、一度は娘を王太子の婚約者にあてがうことに成功した政治手腕の持ち主である。その手練手管を以てすれば、二人の罪を有耶無耶にすることなど造作もない。それでも躊躇うような言葉を並べるのは、「縁もゆかりもない小僧共のために、ただで動いてやる理由などない」といったところだろう。
「――ふ、こんなこともあろうかと。当然、ご用意しておりますとも」
当然、その用意はあった。クリフトンの言葉と共に、レッドグレイブ家の
さしもの公爵家でもそうそう見られない金額に、ギルバートが思わず目を見開く。一方のヴィンスは、積み上げられた白金貨を見、感心したような呟きを零すだけだった。
「なんと、バルトファルト君が用意してくれました。鑑定書はこちらに。お納めください」
「――ふむ。成り上がりの男爵にしては、よくかき集めたものだ」
クリフトンがすっと鑑定書を差し出した。王宮御用達の鑑定屋の刻印が押されたそれは、全てが本物の白金貨であることを証明する鑑定書である。周到に用意した代物だが、しかしヴィンスは「ふむ」と一瞥するだけだった。
「なるほど、道理を弁えているらしい。よろしい、面倒を見てやろう。
だが、あれもこれも守れと言われても困る。君たちは私の寄子ではないし、派閥を同じくする同志というわけでもない。確かに娘の短慮に付き合わせたのは事実だが、言い換えれば首を突っ込んだのは君たちの方だ」
「はい。分かっています。自分の命、そして家族に責任が及ばないようにしていただきたいのです」
『あれは家も派閥も関係なく、僕たちがそれぞれの意志で行動したこと。それだけご理解いただければ』
「……名誉は既に地に落ちた。次は地位を捨てると?」
「与えられるはずだった爵位と騎士の称号は返上します」
『僕も同じく』
「……ふむ。まぁ、落としどころとしては妥当だろう」
筋道通った道理があるとはいえ、王太子に敵対したのは事実だ。爵位剥奪まですれば、貴族としての再起は極めて難しくなる。処罰としては妥当だろうとヴィンスは判断した。
「ちなみに、リオン君の冒険者登録は?」
「それはない。冒険者の
ホルファート王国は、冒険者の開拓によって成立した国家だ。その功績は、ある意味貴族の地位よりも大きい。今後リオンの安泰に関わる大事は守られた。
「――一つ訊いておきたい。君たちの
ギルバートの言葉に、リオンは首を捻った。
「特に君だ、バルトファルト君。それだけの力があるのなら、あの場をやり過ごして立身出世も可能だったはずだ。一代で子爵家にまで上り詰めた可能性だってあるだろう。それを捨ててまで何がしたかったのか気になる」
まさか、「攻略キャラ共に苛立っていたので殴りました」「ついでに婚活地獄から逃げ出します」――などと言えたものではない。誰も知らない本音は、そのまま奥底に秘めることにした。
「あのまま女に騙される殿下を放置できませんでした。国のため、ですかね。誰かがやるべきだと思っただけです」
「……それが本心ならば、立派なことだ」
空とぼけたリオンの言葉に、ヴィンスは静かにうなずいた。建前であることは
「確かに、遊びならまだしも本気では困る。おかげで宮廷や名門貴族たちは大慌てだよ。レッドグレイブ家は、アンジェと殿下の婚約も正式に解消した。
――
「おや、お仕事が速くていらっしゃる。かの“灰鷹公”も、ご息女は可愛くて仕方ないご様子とお見受けしました」
「親心として当然だよ。クリフトン君、君も子を持てば分かる」
ぎろりと睨む“灰鷹公”ヴィンスの眼光が、リオンとハーヴェイを捉える。いくら私邸で余人が居ない中とはいえ、仮にも王太子を『あれ』呼ばわり。こちらの出方を試しているのだろうか。
「二人の関係は自分が口にすることではありません。個人的には学園でこれから学んで欲しいと思います」
『成果はともかく、ユリウス殿下の御意志は固いようです。あちら側が認めない以上、あとはご息女を慮るほかないかと』
二人は取り合わなかった。これから縁遠くなる貴族社会、腹の探り合いなどご勘弁だ。
空とぼける二人への追及を諦めたのか、ヴィンスは話題を変えた。
「……話は変わるが、一つ頼みがある。バルトファルト君」
「なんでしょう」
「
手頃な田舎に静養に出したかったが、家の事情で少々立て込んでいる。君たちの件もあることだしな」
え、とリオンは間抜けな声を上げた。話の流れからして、これは――
「確か、男爵領は東方だったな。夏でも穏やかで、過ごしやすい気候だとか。君のところで静養させてやりたいのだが、頼まれてくれるかね」
「……聞こえはいいですけど、ただの田舎ですよ」
「構わんさ。都会から離れ、心穏やかに過ごすのが静養だ」
「……はぁ、そう仰るのなら……」
「世話役を数人つける。帰り際に連れて行ってもらいたい」
半ば強引にリオンの了承を取り付けると、ヴィンスはそれきり話を終わらせた。
「よろしく頼むよ。話は以上だ、君たちは下がりなさい」
◇ ◇ ◇
執務室を退室し、客間に移動する道行きで、リオンはよしっ! と拳を握って歓喜した。
『……Mr.バルトファルト。まだ邸内なのだから、もう少し抑えたまえよ』
「あ、失礼」
それを、ハーヴェイが咎めた。客間へと案内する執事がいる以上、どこで無作法を知られるか分かったものではない。
『そんなに嬉しいものかね。一応父君の世話になれるとはいえ、身分としてはそこらのならず者と変わりないぞ』
「えぇ~、言い方ぁ……いやまぁ、事実ですけど」
「坊ちゃんはこういう方ですから~」
ハーヴェイの悪し様な物言いに、リオンは閉口しながらも肯定した。男爵位も騎士爵も返上になったのだ、父親の脛をかじる平民に堕するのは事実だろう。
ただ、その分領地開発には貢献する予定だ。主にルクシオンのマシンパワーによって。
「いやでも、上級クラスの婚活って本当にしんどくってぇ……一足先に抜けられただけラッキー! ってやつですよ」
『そんなものか。まあ、バルトファルト領は田舎だし、伝手もないから大変だろうな』
「いや言い方。ま、ぶっちゃけそういうことです。
ダニエルやレイモンドには悪いけど、二人のことは応援しているよ……」
『……友人を気遣っているつもりなのか? 高みの見物を決め込んで、愉悦を感じているようにしか見えないぞ』
「けっこう性悪っすね~」
ここにいない友人を想うような台詞を並べているが、その横顔には隠し切れない喜色が浮かんでいる。なかなかいい根性をしている輩だな、と二人は思った。
「心残りがあるとすれば、師匠にお茶を学べなかったことくらいかな~……あと、三年のルクル先輩はどうしているかな? 学生食堂の人気デザートを全部制覇していないのも残念だ」
『……なんだ、存外に心残りが多いじゃないか』
「何だかんだ、学園生活も楽しまれてたんじゃないっすか~?」
「……そうかも……」
ニヤつくケイトの物言いを、リオンは否定できなかった。本当に婚活さえなければ、相応に青春を楽しめていたかもしれない。
◇ ◇ ◇
「――さて、閣下。バルトファルト君のこと、どう思われます?」
三人がいなくなった後。詳細を詰めるべく残ったクリフトンは、まずそう切り出した。
「息子の言ったとおりだ。自分のことだけを考えている
ヴィンスの肯定を受けたギルバートが、リオンの持ち込んだ白金貨の山を見やる。
「……随分な大金を用意しましたね」
「地位も名誉も、財産すら捨てて殿下を諫めた。立派な覚悟ではないか。――それが本心ならばな」
当然、ただの建前だろう。寄子の学園教員に金を握らせ、決闘の様子を報告させていた両者は、そう結論付けていた。
「愚弟の見立てによると、“分相応の快適さを求めているだけ”とのことです。冒険者としても貴族としても、野心のようなものは見出せなかったとか」
「……それはそれで、末恐ろしいものがあるな……」
クリフトンの報告に、ヴィンスは思わず顔を蒼くしそうになった。最新鋭の鎧を駆る“剣豪”をはじめとした強者を捩じ伏せるほどの強力なロストアイテムを有していながら、野心がない小心者というのは、逆に思想が読めない脅威だ。
「――で、そういう君たちの三男坊は?」
「おや容赦ない。……バルトファルト君の心胆を勝手に明かしてしまった手前、我々も腹の内を明かさねばなりませんね。
ユリウス殿下とレッドグレイブ公爵閣下、その両者を天秤にかけた結果――閣下に賭けさせていただくことにしました」
「ほう、“戦争屋侯爵”ふぜいが大きく出たな」
クリフトンの挑戦的な言葉を、ヴィンスが嗤った。
「今後、あのラーファンとかいう小娘を中心に政争が起こることは想像に難くない。最悪、王国そのものが傾く危機にさえ発展する。しかしユリウス殿下に、それを乗り切る器量は見出せない――それが、愚弟の判断です。父も私も、スピアリング家全体として、その判断を支持することにいたしました。
我々が“戦争屋”と仇名されるのを良しとしているのは、“政治屋”たちが国内を盤石に固めていればこそです。それが崩れようとしている今、座して見守る理由はどこにもありません。大局としてどう動くべきか思案した結果――アンジェリカ様をお助けし、貴家と友好的な関係を構築しておくのが最適。そう判断した次第です」
「それは……」
「ははは、大それたことを考えるではないか。“レッドグレイブ公国”でも掲げさせるつもりかね?」
「そうならないことが最善ではありますがね。ファンオースの二の舞は避けたい」
ホルファート王国の第一仮想敵国、ファンオース公国。元は王国の有力貴族の一角だったのだが、独立の際に様々な係争が生じ、それを発端としてのべ百年以上の紛争を続けている。そんな悪い先例がある以上、同じ轍を踏むわけにはいかない――たとえ、王国の存続と天秤に掛けることになろうとも。
「――あと、これは私個人の感情ですが」
「うん?」
そこに、クリフトンがふと言葉を付け足した。
「愚弟は――ハーヴェイは、確かに酷薄な猟犬です。敵対者に一切容赦しない、冷徹無比の殺戮者です。
しかしそれでも、私たちの大切な家族です。家族のため、王国のため、民衆のために自ら血を被る、不器用で優しい、私の大切な弟です。
……それを“殺戮人形”などと侮蔑し、あまつさえ辱めた、
静かに、しかし確かなクリフトンの気迫に、ヴィンスもギルバートも思わず笑みを引っ込めた。
「――……謝罪しよう、クリフトン君。父君の武才を弟たちに取られた、文弱の徒と侮っていた。
ダグラス殿は、後継に恵まれた。君もまた、スピアリング家の立派な戦士だというわけだ」