二学期の半ば、学園祭から少し経ったころに、修学旅行がある。
王都を遠く離れた辺境を視察し、その文化と歴史を学ぶ、という建前だが――『修学』旅行といっても、ほぼ観光だ。各生徒の希望に応じて三つの地域から選択できるようになっており、それぞれ南東、南西、北西にある浮島を視察する予定になっている。
ハーヴェイとアデルは、北西地域を選んだ。スピアリング家の領土の関係上、それなりに縁遠い地域であり、視察観光としてはちょうどいい。
「わー、キレイですねぇ」
豪華客船の甲板から空を眺める生徒たちの上空で、どどどん、大きな火花が咲いた。南東のとある地域、トヨハラなる浮島の独自文化を真似、『花火』という代物を再現した催し物らしい。
(なお
「そういえば、貴方もMr.バルトファルトと喧嘩してるの?」
『……何から問い質せばいい?』
それを眺めながら、まるで世間話のように切り出された問いに、ハーヴェイは閉口した。この娘の情報収集能力は、本当に恐ろしい。
『僕の方は――まぁ、大したことではないさ。とある案件に関して、“僕たちのなすべきこと”について思想信条の行き違いがあった、それだけのことだ。
それに、彼の立場を慮らず、言い過ぎた僕に非がある。無知とはまこと幸福であった――それを思い知らされているだけさ。いずれ折を見て和解するよ、気にしなくていい』
「ふぅん」
「……あれ、詳しく訊かないんですね」
「この子が自分から話さないんだもの、“少なくとも、今は話すべきではない”とでも思っているんでしょう?
蚊帳の外に放り出されるのは、確かに癪だけれど……この子の場合、私の協力が欲しい事柄だったら、遠慮なく巻き込んでくるでしょう? そうできない事情があるなら、我慢してあげてもいいかなって」
『……きみの配慮に感謝するべきなんだろうな。その利かん坊扱いも、甘んじて受け入れようじゃないか』
「やーい、おこちゃま扱いだ~」
アデルの言いようとケイトのからかいに、ハーヴェイはただ嘆息するばかりだった。普段は誰も彼も遠慮なく悪戯に巻き込む癖に、決定的な悩みに関しては踏み込まず、一歩離れて穏やかに見守る。そういう細やかな心配りも、多くの学友を惹きつける魅力のひとつなのだろう。
それはそれとして、彼女の言葉にはひとつの違和感があった。
『ところで、“貴方も”というのはどういう意味だ?』
「あら、聞いてないの? Mr.ったらオリヴィアちゃんと喧嘩したらしくって、ついでにアンジェともギクシャクしてるらしいのよ」
「え、Ms.レッドグレイブともですか?」
「そう。よく分からない間柄よね、あの子たちも」
オリヴィアについては、先日の対話で聞いている。アンジェリカとの間に起きた擦れ違いも、おそらくは同様、リオンの抱えている事情に端を発するものだろう。そしてオリヴィアとアンジェリカの溝についても、まさに学園祭で目撃した通りだ。つまり彼ら三人の友情は、現在進行形で崩壊しかかっているらしい。リオンの言う“ゲームシナリオ”とは関係なしに、友人として心配だ。
そんなやり取りを交わす三人の背後に、二つの人影が現れた。
「……む」
ユリウスとジルクである。振り返った三人の前で、二人は気まずそうに立ち尽くすばかりだった。
「あら、これはこれは、ユリウス殿下にMr.マーモリア。愛しのマリエ嬢と一緒でなくてよろしかったのです?」
「……マリエとて、旅行先ぐらい自由に選びたいだろう。それを押し退けてまで傍に置きたがるのは、愛ではない」
「ふふ、殿下も淑女の繊細さをお学びになられたのですね」
アデルのからかうような言葉にも、不服さを見せる様子はない。こうして立ち尽くし、何か話しかけようとする意図は何だろう。
そんなユリウスを、ジルクが「殿下」と静かに急かした。
「あ、あぁ。――その、スピアリング」
『何でしょうか。御身からお言葉を賜るような真似はしていないつもりですが』
「……貴方ねぇ……」
ハーヴェイのつっけんどんな物言いに、アデルは思わず閉口した。王太子の地位を剥奪されたとはいえ、ユリウスが第一王子であることは変わりない。ここまで不躾な態度を取れる胆力は、並みの人間では持てないだろう。
一方、ユリウスはそんなハーヴェイの無礼にも気にせず、何か言葉を選んでいるような様子だった。ややあって、ついに意を決したように口を開いた。
「――……その、謝罪をさせてほしい」
『……はい?』
「……先日の決闘で、お前を“殺戮人形”呼ばわりしたことを。侮辱して、すまなかった」
アデルとケイトは思わず顔を見合わせた。ほとんど反故にされているとはいえ、ユリウスとマリエの仲を引き裂いた当事者である。どういう風の吹き回しだろうか。
一方、ハーヴェイはしばらく沈黙していると、ふんと鼻を鳴らした。
『話になりませんね』
「なっ!?」
「ぼ、坊ちゃん」
無礼の極みのような言葉に、ジルクとケイトが慌てて止めに掛かる。しかし、ハーヴェイは一向に撤回する様子がなかった。
「スピアリング君、相手が誰だか分かって――」
『貴様に言われずともよくよく存じ上げている。下らない夢物語に耽溺して、王太子の座を放り出した
――ユリウス殿下。残念ながら、上っ面だけの言葉など拝領する気はありません。今のは聞かなかったことにいたしますので、御身も仰らなかったことにしてください。
「な……なんだと?」
『まあ、貴族政治に限って言えば、“謝罪した”という事実そのものが重要であったり、誠意の表し方を金銭や行動によって示すものですが……御身と僕の間柄で、そのような手間暇を費やす意味はありますまい。御身はあくまで、一般的な良識の範疇で謝罪なさればよろしい。
つまりその、“本当は悪いと思ってないけど不承不承”――などという顔を見せるくらいなら、謝罪する必要などないのですよ』
ハーヴェイの容赦ない物言いに心当たりがあったのか、ユリウスは思わず口ごもった。
「お、俺は、その……」
『先日の学園祭で、ミレーヌ王妃殿下がいらしていたことは、アデルから聞きました。大方その際に、僕へ謝罪するようにとでも言いつけられたのでしょう? 王妃殿下直々に、そのようなご配慮を賜るほどの身だとは思っていませんが……いずれにせよ、御身は今、“謝りなさいと親に叱られたから”謝っているに過ぎない。違いますか?』
「スピアリング君、それ以上は――」
「止めろ、ジルク。……お前の言う通りだ、スピアリング」
『承知いたしました、では御身から賜るお言葉は特にありませんね。僕はこれにて失礼いたします』
「いや、待ってくれ」
言いたい放題言った挙句、さっさと立ち去ろうとするハーヴェイを、改めてユリウスが引き留めた。
「もう一度、改めて謝罪させてほしい。――先日侮辱したこと、本当に済まなかった」
そう言って、ユリウスはばっと頭を下げた。仮にも王子と思えない行動に、ジルクは深く動揺し、ハーヴェイは眉をひそめた。
「で、殿下!?」
『……意図が分かりません。お尋ねしても?』
あくまでも不遜な態度を隠さないハーヴェイの問いに、ユリウスは顔を上げて語り始めた。
「先日、ブラッドとグレッグが、バルトファルトと共に空賊討伐に行った」
『存じております。Mr.バルトファルト本人から聞きましたから』
「……ああ、そういえば、何故か帰路で君と合流したと言っていましたね」
「二人は、懸賞金も掛かっている悪党を討伐しようという気持ちで臨んだらしいが……戻ってきたとき、“バルトファルトに負けた”と言っていた。
そして同時に、“勝ちたい”と言った。“バルトファルトを倒したい”ではなく、“男として勝ちたい”と。……きっと、ただの戦闘能力だけではない、バルトファルト自身の強さを見せつけられたんだろうな。同時に、自分たちの未熟を思い知ったんだ」
その感想は、果たして正当だろうか――ハーヴェイは失礼なことを考えた。二人が見せつけられたという“強さ”の正体は、果たしてリオンの思想信条に基づいた精強さなのか、それともロストアイテム任せの暴力なのか、あるいはオリヴィアと喧嘩したことへの八つ当たりなのか……ともかく、それを目の当たりにした彼らは、己を革新する必要性に駆られたということらしい。
「二人は目に見えて変わった。変に気取ったり、実力をひけらかしたりすることなく――何というか、がむしゃらになっているんだ。
ブラッドは気品がなくなって、女子からの評判が悪くなったし、グレッグは威圧感がなくなって、格下の生徒から侮られるようになったし、二人ともひどく不格好なんだが――その姿が何だか、ひどく羨ましいんだ。前よりずっと、好ましく思えるんだ。
二人が変わろうとしているのなら、成長しようとしているのなら、その親友として、俺も負けたくない。……そう思ったとき、お前の件が頭に浮かんだ」
無軌道で、刹那的で、傲慢で、自己陶酔していた彼らが変わりつつある――その事実は、ハーヴェイをして瞠目に値させた。そんな彼に気付くことなく、ユリウスは言葉を探しながら続けた。
「最初は、母上に言われた通り謝ればいいと思った。お前に頭を下げれば、
だから、お前の評判を聞いて回った。王宮で噂を聞きかじっただけの“殺戮人形”が、真実何者なのか。それを知ろうと思ったんだ」
『それはお疲れ様でした。残念ながら、噂通りの内容だったことでしょう?』
「――ああ、
“スピアリングの殺戮人形”――残念ながら、その悪評が改まることはないし、ハーヴェイにもその気はない。ユリウスの行動は、徒労としか思えなかった。
だが意外にも、ユリウスは違う言葉を続けた。
「だが領主貴族の子弟からは、違うことを聞いた。
“戦争屋侯爵”のスピアリング家――その精鋭たる専属魔導鎧部隊、“
そしてその陰に、いつもお前への畏れがあった。第九隊“
その話を聞いた時、そして同じような情報を続々と聞かされた時――ユリウスは愕然とした。領主貴族たちなど、勝手に自衛しているものだと。民草など勝手に
「俺はそんなことも知らず、ただの風聞だけでお前を侮った。貴族たる資格もない、“汚らわしい殺戮者”だと辱めた。そうして忌み嫌われるお前こそが、誰よりもこの国を支えていたというのに――俺は今、自分自身が猛烈に恥ずかしい。ハーヴェイ・フィア・スピアリング、本当に済まなかった」
そう言って、ユリウスは改めて頭を下げた。今度は、ジルクも止めなかった。ケイトとアデルは、ただ顔を見合わせるばかりだった。
そして、肝心のハーヴェイはと言えば――
『――違います』
「え?」
ユリウスの言葉を、きっぱりと否定した。
北風に身を震わせるように、縮み上がる心胆を締め付けるように、ハーヴェイは自らを掻き抱いた。
『僕は殺戮者です。僕は破壊者です。僕は侵略者です。それを正当化できるのは、父上が、クリフ兄上が、セド兄上が、その戦場を整えてくれるからです。“殺していい”と大義名分を与えてくれるからです。正しく轡を外し、正しく轡を嵌めてくれる誰かがいるからです。
僕は血に飢えた猟犬です。僕は酷薄な殺戮者です。僕は大罪人です。僕は――だって、そうでなければ――』
「お、おい、スピアリング?」
困惑するユリウスにも構わず、ハーヴェイは何かに怯えるかのように、ぶつぶつと言葉を重ねた。その瞳から色を失い、青ざめた顔で、自らに言い聞かせるかのように呟き続けた。
「――すみません、ちょっと失礼」
「あ、ちょっと!」
その異様を見たケイトが、すぐさまハーヴェイを抱きかかえ、その場から立ち去る。ジルクの制止を聞く前に、ケイトはあっという間に船室に消えていった。
いきなり何だったんだ――と困惑する二人に向かって、アデルが口を開いた。
「……ユリウス殿下。ハーヴェイ本人に代わり、彼の非礼を謝罪申し上げますわ」
「あ、いや、構わない……だが、あれは一体……?」
「残念ながら、私はその答えを持ち合わせておりませんわ。――おそらくケイトも、彼の父親も、家族さえも」
「何だと……?」
「昔から、彼にはああいうところがありますの。自らを“殺戮人形”と、拭いようのない返り血に塗れた大罪人だと、ひたすらに責め苛むことが」
「……それは、いつから?」
「さぁ。少なくとも私と知り合った頃には、彼はもう“
ときに殿下、人が強い
「――聞いたことはある。まさか、あいつは……」
「彼が失くした声、その真実を暴くとすれば――自ずと、彼の“罪”の根源に触れることになるのでしょうね」