01.聖女マリエ
ここ数週間、ハーヴェイはずっと不機嫌だった。原因はいつだって王宮内部、宮廷貴族共の下らない政治ゲームにある。
(……愚昧共め。僕たちスピアリング家の尽力を何だと思っている)
その不機嫌を他人に当たり散らさないことが、己の唯一の長所だと信じているハーヴェイは、だからこそその憤懣をどこにもぶつけることができなかった。ケイトは「たまには発散してもいいんすよ」と言ってくれるが、それこそ愛する従者にぶつけても意味がない。結局、信用するに値しない莫迦共の良心に期待するしかないという、無意味なフラストレーションに陥っていた。
そうして顔をしかめたまま廊下を歩くハーヴェイの背に、いやに上機嫌なアデルの声が掛かった。
「あら、ご機嫌斜めじゃない」
『そういうきみは、最近は景気がよさそうだな』
「まぁね~。お母様からお小遣いと、あと色々お土産を貰っちゃって。新しいものは心を豊かにするわね」
『賭け事ならほどほどにしたまえよ』
「私の事を何だと思ってるのかしら」
三白眼で忠告するハーヴェイに、アデルは不満げな言葉を返した。今も借金返済に喘いでいる連中に比べれば、自分などよほど節度を持っている。
「それで? ハーヴェイ坊ちゃんがおへそ曲げてる理由を聞いてあげましょうか?」
『……あれだよ』
「ヘルトルーデ公女サマです」
ハーヴェイが顎をしゃくった先には、監視の騎士をお付きのように連れ歩く黒髪の少女――ファンオース公国ヘルトルーデ公女がいた。
「あれがどうかしたの?」
『どうしたもこうしたもあるか。せっかく拘束した敵国の要人を、留学扱い? 王立学園に通わせる? 王宮はどういう神経をしているんだ』
「まぁ、舐めてるのは否めないわね」
『公国対策もそうだ。僕たちスピアリング家の尽力で勝利をもぎ取ったというのに、“
“我が国の強さを学園で学べば良い”? 寝言も大概にしろ、政治屋共が』
「……とまぁ、こういう感じなんす」
「あぁ……そういうところ、貴方の逆鱗だものねぇ」
不機嫌の正体に、アデルも嘆息するしかなかった。第一公女を奪われたはずの公国は、未だ動きを見せていない。それこそ、書面での宣戦布告さえ通達していないのだ。先日の戦闘で出鼻を挫かれたとはいえ、そのまま引っ込んでしまっては宣戦側の面目丸潰れだ。必ずもう一度仕掛けてくるはず――にも関わらず、仕掛けられた側の王国がこうも無防備では、「どうぞ攻め込んで下さい」と言っているも同然だ。父ダグラスから聞いたところによると、「公国軍恐るるに足らず、じきに自ら臣従を願い出るに違いない」という、耳を疑うほど楽観的な意見さえ出ているらしい。
「――でもまぁ、この状況が良くないのは確かね」
『何か知っているのか?』
「どうも、“王宮の油断”だけで片付く話じゃなさそうよ。公女殿下の待遇は、フランプトン派の意向があるみたい」
『その心は』
「ユリウス殿下がぶち壊したとはいえ、王家とレッドグレイブ家は未だ近すぎる。今後フランプトン侯が幅を利かせるには、双方の発言力を削ぐ必要があるわ。
例えば――王宮が油断している間に、いきなり公国軍が攻めてきたりとか、ね」
アデルの大胆な予測に、ハーヴェイは目を剥いた。確かにこうして油断している間に、公国は改めて軍を再編し攻め込んでくるだろう。その対策を怠り国土に被害が出れば、その責任追及は王宮に向く。問題は、
『それは――公女の謀略を助けるつもりか。外患誘致ではないか』
「フランプトン派が直接動く必要はない。ただ、あちこちを嗅ぎ回るであろう公女殿下の動きを隠蔽すれば、“愚かにも公国軍が再び攻めてきた”と偶然を装うことができるわ。
“公国軍恐るるに足らず”なんて考えてるなら尚更よ。自分たちに被害が出ない程度に、いい感じに王宮の力を削いで、その責任まで被せる。なかなか素敵なプランじゃない?」
『反吐が出るほどにな』
「問題は、公女殿下がどう動くかよ。表向き監視の目がある以上、大っぴらに動くことはできないはず。例の“魔笛”っていう
『今のところ、明確な陥穽があるわけではないが……公国から見た視点は、また違うかもしれないな』
ファンオース公国は、元王国貴族が袂を分かつことで生まれた国家だ。当時と現在でどう変わったのかという視点で、この国の現状を測ることができるかもしれない。少なくとも内政面では、そこかしこで腐敗が生じている。あとはその腐臭が、どうやって外に漏れ出すか。
『頭が痛いな……ただでさえ、Ms.オリヴィアとラーファンの件もあるというのに……』
「本当よね……」
目下マリエに脅かされている最中の、聖女の地位。現状、何の伝手もないオリヴィアを、どうやってそこに据えるか。
――この計画は数ヶ月後、二学期を終えた冬休みの最中に破綻することになる。ついに“聖なる腕輪”を獲得したマリエは、あろうことかその足で神殿に赴き、そのまま聖女認定されてしまったのだ。
◇ ◇ ◇
三学期を迎えたころ、さらに意外な展開が待っていた。聖女マリエを護る親衛隊長として、リオンが選出されてしまったのだ。
「――Mr.バルトファルトが親衛隊長、ねぇ」
「何でですかねぇ」
『……宮廷貴族共の、下らない思惑が垣間見えるな』
無論、マリエを敵視しているリオンが立候補するはずがないし、マリエ側も指名するはずがない。必然的に、宮廷貴族の推薦によるものと考えるべきだろう。
「ほら、あのお莫迦さんたちが親衛隊やってるでしょう? 彼らは男爵位が与えられる予定だから、その上に立つには、子爵になったMr.がちょうどいいのよ」
「でも、子爵サマくらいなら他にもいません? なんでMr.なんすか?」
『その莫迦共のように、親衛隊長が篭絡される恐れがあるとでも考えたのだろうさ。それを防ぐには、一度明確に敵対したMr.が適任だ』
「……あれ? それなら、坊ちゃんも割と危なかったんじゃないです?」
『父上がそんな不始末をするはずがない。ただでさえ“
「本来なら、アンジェと懇意にしているMr.はレッドグレイブの子飼いも同然で、公爵様の許可がいるはずだったでしょうに……」
『レッドグレイブ家の権勢が、思った以上に削がれている可能性があるな』
つまり、フランプトン派に状況を握られていることになる。事態は思ったより拙い方向に進んでいるようだ。無論、これ自体が公国の利をもたらす直接の策とは考えられないが、自派閥の優位を裏付ける最大の根拠として、今後増長するのは目に見えている。つまり、この先ヘルトルーデによる謀略を隠蔽しやすくなるということだ。
「最大の問題は、Mr.の思惑が外れたことだけどねぇ……」
「案の定でしたね……」
さらに頭が痛いのは、マリエによって聖女の地位が簒奪されたことだ。そのせいで“聖なる首飾り”を所有していたリオンは神殿の覚えが悪くなり、今後巻き返すための工作が困難になる。
『しかし、まさかMr.の“首飾り”の件まで嗅ぎ付けられていたとはな。どこで情報が漏れたのやら……』
「状況的には、私たちが疑われても
『それこそ必要ない。Ms.オリヴィアが聖女認定される重要性は、彼自身から聞いたのだから。
可能性があるとすれば……何も知らずに現場を見た者、つまりセバーグとフィールドあたりの証言ということになるな』
「毎度いやなところで絡んでくるわねぇ、あのお莫迦さんたち」
考えられるとすれば、“首飾り”奪還を兼ねた空賊討伐の折だ。おそらくは、“首飾り”を奪うその瞬間を、グレッグとブラッドに目撃されていたのだろう。それがマリエに漏れ、神殿が動くことになったと思われる。
「でも、どうしてなのかしら。“ゲームシナリオ”だと、リビアちゃんが“主人公”で、聖女にならないと勝てないんでしょう? あの女、何を考えてるの?」
「実は“ゲーム”のことを知らない、とか?」
『そんなはずはない。あれだけ性格も嗜好も異なる五人を篭絡してみせるなんて、それこそ事前知識がなければ成せないはずだ』
「自分でもやれる、と思い込んでる可能性は?」
『……否めないな。“どうしてMs.オリヴィアでなければならないのか”という点については、Mr.も漠然とした認識だ。“自分なら成り代われる”と踏んでの行動だとすれば、辻褄が合うな』
曰く「オリヴィアは初代聖女の血を引いている」とのことだが、肝心のオリヴィアはその自覚がなく、アデルが調査した通り家系図も失逸している状況だ。どこかで何かが掛け違え、ラーファン家にその血が流入している可能性もなくはない。そもそも存在が御伽噺に片足を突っ込んでいる聖女の血筋など、追おうと思って追えるものではない。
そもそも、『聖女の血筋だから不可欠』というロジック自体が不可解だ。『所詮
「じゃあ、どうすんです? このままMs.ラーファンに任せてみます?」
「……結構な博打よね。しくじったら王国が滅ぶわよ」
『ラーファンが通用しなかった場合、速やかにMs.オリヴィアに鞍替えする必要があるが――問題は、そこまで工作する手段がないことだな』
「今学園にいるのも、神殿騎士の家系ばかりだものねぇ。その程度じゃ門前払いがオチね」
聖女は、神殿が掲げる最上の神輿だ。伝手も根拠もないオリヴィアを後釜に据えるには、高位の僧官による後押しが必要不可欠になる。たかが神殿騎士が、たとえ何人集まって推薦しようと、「根拠がない」と一蹴されてお終いだろう。
「あ。それこそ、親衛隊長になったMr.に頼んでみるっていうのはどうです?」
『一番確度が高いが――やはり難しいな。ラーファンの親衛隊として指名された以上、Ms.オリヴィアを候補に押し上げる動機に乏しくなる。これまで繋がりがなかった神殿側としても、決してMr.の覚えは良くないはずだ。不可解な人選をごり押すには、やや力不足だろう』
「だめっすか……困りましたねぇ……」
『ひとまず、ラーファンの思惑を探る必要がある。Mr.の調査能力にかかっているな』
◇ ◇ ◇
『ラーファンが冒険に出る?』
数日後、三人でささやかなお茶会を開いていたハーヴェイは、アデルの言葉に首を傾げた。
「らしいの。取り巻き共に加えて、Mr.バルトファルト以下親衛隊をぞろぞろと引き連れて、エルフの里に行くらしいわ」
「エルフの里っすか?」
『ただの集落だろう。何かあったか?』
「それが分かんないのよ。最初から明確に、あそこに行くって決めたらしいわ」
あるいは、“ゲーム”に関する情報に基づくものなのかも知れない。それこそリオンがルクシオンの獲得に成功した前例があり、他にも『遺失文明の遺産』という名の“ゲームアイテム”が眠っている可能性は高い。その獲得を目論んで動いていると推測すれば、筋は通っている。
「それにしても、何で冒険なんか行くんですかねぇ」
「――聞いて驚きなさい、実家の借金よ」
『……は?』
アデルの言葉に、ハーヴェイとケイトは唖然とした。アデル自身、頭を抱えたい様子だった。
「どうもラーファン家って、元々あちこちに借金をしているらしいの。それが娘の聖女認定で気が大きくなって、さらに借金を増やしてるらしいわ。
その返済のために、お宝を探しに行くんですって」
『……すごい家庭だな……』
「なんか、こう……お貴族サマって、そういう変な人しかいないんすか?」
「私たちを巻き込むのは止めなさいよ、この子猫ちゃん」
ケイトの言葉は、しかしこれ以上なくホルファート貴族を象徴していた。賭博で借金を負う莫迦、取り返そうとしてさらに首が回らなくなる莫迦。ここに、『娘の威光を笠に着る恥知らず』が追加された。そもそも貴族子弟が、保身と自己評価のために奔走した経験しかないまま、長じて支配階級になった連中であり、婦女に至っては、旦那を顎で使って贅沢三昧するばかりの愚物だ。まともな人間性を期待する方が酷というものだろう。
『ともあれ、これはひとつのチャンスになるかも知れないな』
「Ms.ラーファンの思惑を探る、ってやつっすか?」
「そうね。上手いこと取り巻きを引き剥がして、ラーファンを孤立させることができれば、情報を聞き出すことができる可能性があるわ」
「……Mr.って、そういうの巧い人です?」
『……微妙だな……』
「……微妙ねぇ……」
三人は渋い顔をしたきり、誤魔化すように紅茶を飲んだ。結果としてその企てが成功した辺り、三人はリオンを侮っている節がある。