マリエがリオン以下親衛隊を連れて冒険から帰ってきた、その夜。廊下を歩いていたハーヴェイは、壁に身体を預けながら這うように歩く人影を見つけた。
『そこのきみ、どうした』
駆け寄ったハーヴェイが目撃したのは、小柄に明るい金髪に、あどけなさの残る顔、エルフ特有の長い耳――この姿には、見覚えがある。
『きみは――ラーファンの使用人だな? その怪我はどうした』
その顔を真っ赤に腫らし、青あざで汚した使用人ことカイルは、ハーヴェイの顔を見るなりちっと舌打ちをした。ハーヴェイの背後で、ケイトが額に青筋を浮かべた。
「……うるさいな。あんたには、関係ないよ」
「――おいクソガキ、トドメ刺してほしいのか」
『ケイト、抑えて』
仮にも上級貴族相手とは思えない口ぶりに、ケイトがぎりぎりと拳を握る。それを抑えつつ、ハーヴェイはやや強引にカイルの腕を引き、肩に担いだ。
『何か緊急の用事か? 肩を貸そう。どこに行けばいい』
有無を言わさぬ言いように、カイルが思わず瞠目した。
「……あんた、は……」
『行先は? 早く』
「……バルトファルト、子爵様のところだよ」
“スピアリングの殺戮人形”。血も涙もない恐るべき殺し屋――奴隷界隈でも黒い噂の絶えないこの男が、ただの使用人相手に対等に接し、その傷を慮っている。噂からは想像もつかない言動に、カイルは思わず絆された。
ともかく、今はカイルの目的を果たす時だ。男子寮の廊下を右に左に歩きつつ、三人はリオンの私室に辿り着いた。カイルを支えているハーヴェイに変わり、ケイトがこんこんとドアをノックする。
「Mr.バルトファルト、いらっしゃいます?」
「はーい」
ケイトの声に、リオンは呑気な様子でドアを開いた。カイルとハーヴェイたちという珍しい組み合わせに、目をぱちくりとさせている。
「喧嘩でもしたのか?」
「相変わらずのんきだね。誰のせいでこうなったと……」
上級クラスの学生たちの中でも特に重要人物と思えない呑気ぶりに、カイルは今度こそ大きな舌打ちをした。リオンとハーヴェイを両天秤にかけ、ぎりぎり上回っていたリオンの評価が一気に下落した。
「待っていろ。すぐに治療をする」
「怪我はご主人様に治して貰うからいいよ。それより大事な話だ。僕もさっき解放されたんだけどね。
この部屋にあったあの鎧の右腕を盗ませたのは、ヘルトルーデ殿下だよ」
その証言に、リオンはようやく目の色を変えた。下手人そのものは姉ジェナの専属使用人と割れたばかりだが、その裏側にヘルトルーデがいたとは。驚くリオンに対して、ルクシオンが報告してきた。
【マスター、この時刻に急遽出発した飛空船がありました】
『行先は』
【公国のようです】
「うぇっ!?」
『誰が許可を出した。講和もしていない敵国だぞ』
【そこまでは分かりません。今から調べても、握り潰されているかと】
ハーヴェイの鋭い声に、ルクシオンは端的に答えた。この流れで公国に飛行船を送る人物と、それを許可した人物――それぞれ、思い当たる候補は極めて限られている。
「ヘルトルーデさんはどうした?」
【女子寮にいます。我々からアレを奪って、そのまま飛行船に乗せた可能性が高いですね】
「あの人、何か企んでいるよ。とりあえず報告はしたからね」
それだけ言い残すと、カイルは身を庇いながら部屋を出ていった。残されたリオンたちは、さてどうしたものかと思考を整理し始めた。
【飛行船を手配するのは、ヘルトルーデでは難しいでしょう。専属使用人たちでもできません――関わっているのは、王宮の貴族になります】
「誰かが手助けをした? いったい誰が?」
『僕たちの予想が正しければ、フランプトン派が噛んでいる可能性が高い』
【具体的には?】
『公国軍とぶつけ、王宮の力を削ぐ目的がありそうだ、と。
それより、ここには何があったんだい? “鎧の右腕”と言っていたが、何故そんなものを?』
そして、ハーヴェイは先日の冒険の話を聞いた。エルフの里に秘匿されていた旧人類の遺構、そこで生産されていた生物兵器、それを管理していた人工知能と、保管されていた『新人類の兵器』――
『新人類の遺物、“魔装”か……
【間違いありません。私たちが製造されていたころの兵器、ロストテクノロジーです】
「ひぇぇ……」
『それを目撃され、本国に送るために盗んだということか……現生人類に扱える代物なのかい?』
【不可能だと思われます。下手をしなくても、使うだけで死んでしまいますよ】
ルクシオンの否定に、しかしハーヴェイは考え込んだ。データ解析が済んでいるならば、その危険性は折り紙付きだろうが――
『――しかし公女はそう思わなかった。何かしら、確信があるはずだ』
もし“魔装”という兵器に関して、口伝なり文献なりでその存在が現生人類にも伝わっていれば。それを知っている人間にとっては、異なる利用価値を見出すかもしれない。
【具体的には?】
『例えば――“魔装”の完全体は不可能であっても、部品程度なら扱えるかもしれない。あるいは、その負荷に耐えうる戦士に心当たりがある』
ハーヴェイの仮説に、リオンはひとつの可能性を思い至った。“ゲーム”で――戦略
「……まさか、黒騎士……?」
『なるほど、公国の黒騎士か。今代の長は――バンデル・ヒム・ゼンデンだったか』
【可能性はありますね。アロガンツと“
その交戦記録は、ハーヴェイにも伝わっている。たった五機でアロガンツと第三隊“
『とにかく、公女をこれ以上野放しにしておくわけにはいかない。まずはMs.レッドグレイブに連携しよう。すぐにでも拘束しなければ』
「分かりました。すぐお伝えしてきます!」
そう言うと、ケイトは女子寮に向けて駆け出した。これ以上事態を悪化させるわけにはいかない。
◇ ◇ ◇
ケイトに連れられてハーヴェイの私室にやってきたアデルは、想像以上に悪い報告を持ってきた。
『Ms.レッドグレイブが逆に拘束された!?』
「失敗っすか!?」
ケイトの連絡にアンジェリカが動いた様子を、物陰からこっそりと見届けたアデルは、己も捕まえられる前にその場を逃げ出し、ハーヴェイの許を訪れたのだ。
「そう。かなり拙い事態よ、監視の騎士まで抱き込まれてる」
『そらこれだ……! 政治の道具に使うつもりが、逆に獅子身中の虫になっているじゃないか……!』
この分では、他の貴族子弟、いや宮廷貴族たちの当主さえ抱き込まれている可能性さえある。内政面の腐敗を、早速嗅ぎ付けられたわけだ。
「これからどうする?」
『僕は本邸に戻る。父上やクリフ兄上に連絡して、出撃準備を整えておかなければ。レッドグレイブから王宮の内情も流してもらいたい』
「分かりました。すぐに支度します」
ヘルトルーデの連絡を許してしまったということは、この機に乗じて公国軍が再度侵攻してくる可能性がある。ハーヴェイの言葉に、ケイトが荷物を整え始めた。
『君はどうする?』
「私はここに残るわ。実家に戻ったところで父上も動かないだろうし、ヘルトルーデの動向を監視しておくわ」
『分かった。何かあったら、すぐ避難してくれ。受け入れ態勢は整えておく』
ハーヴェイやアンジェリカとの距離が近いアデルも、決して安全ではない。いざという時のために、すぐに逃げられる体制を整えておかなければ。
――その翌日に待っていたのは、反逆罪の被疑者として逮捕連行されるリオンの姿だった。
◇ ◇ ◇
「それが、俺たちも分からないんです……」
その次の日、ようやくリオンの兄ニックスを捕まえることができたアデルは、しかし釈然としない答えを返されるばかりだった。
「弟君の独断ということ? それが明白にされている?」
「いや、あいつも反逆とか企てる性根じゃないと思うんですけど……とにかく、俺もジェナも連行される様子はありません。……今みたいに、陰口を叩かれることはありますけど……」
「放っておきなさいな。死肉に集る蛆虫のような連中よ」
「ひとを死肉みたいに……」
「ものの例えよ。大目に見てちょうだい」
周囲で二人を――正確にはニックスを見てひそひそ話をする群衆を、アデルは冷たく切って捨てた。ことここに至って、まともに動こうともしない有象無象など気にしている場合ではない。
しかし奇妙な話だ。身分としてはバルトファルト男爵家から独立した子爵位を与えられていたとはいえ、血縁関係や交流が断絶したわけではない。そのリオンが逮捕された以上、家族も重要参考人として連行する動きがあってもいいはずだ。
「私も弟君の罪状を信じるつもりはないわ。問題は、弟君本人はああして連行されていったというのに、貴方たちご家族には手出しする様子がないということ。……何か、もう一波乱ありそうね」
「って、言うと……?」
「どんな罪状であれ、正式な令状で連行された以上、被疑者の勾留は刑事訴訟法に則って扱われるわ。当然、その監視も尋問も同法に則った人員と手段に限定される。つまり弟君への接触手段が、極端に制限されるということよ。
貴方たちが放置されているということは、黒幕はあくまでも弟君個人を拘束したいと思っている……」
つまり、真っ当な根拠に基づく逮捕ではないということ。家族には目もくれず、リオンのみを拘束したい理由としては――正直なところ、一つしかない。
「そういえば、貴方たちご家族は、弟君のロストアイテムについてどこまでご存知?」
「いや……でっかい飛行船が二つあって、でも人の手が要らなくて……あと、決闘で見せたどでかい魔導鎧も管理してるってことくらいしか……」
「先日の修学旅行の折、公国軍を退けたという話は?」
「聞いてます。なんかリオンの奴が大活躍した、ってことまで」
「スピアリング家の“
「そ、そうなんですか?」
つまり、詳細を知らない人間にはその程度という認識だ。いや実情を知っている人間であろうと、ロストアイテムで敵艦隊を蹂躙し、“
「――いよいよなりふり構わなくなってきた、というところかしら」
「え?」
「おそらく黒幕は、弟君のロストアイテムを欲しがっているのよ。そのために、嘘の罪状をでっち上げて弟君を拘束している。脅迫して強引に譲渡させるか――あるいは、殺して奪うか」
「そ、そんな……!」
「仮にも公国正規軍を相手に、死者を一人も出さず、対等以上に戦い、挙句飛行船を接収してしまうほどの強力なアイテム。それさえ手中にしてしまえば、公国なんて相手じゃない。
今後実際に起こるであろう戦闘では、上手いこと苦戦しているように見せかけて、他派閥の勢力を削る……そんなところかしら」
アデルの仮説に、ニックスは顔面蒼白になった。弟のロストアイテムがすごい価値なのは分かる。その力さえあれば、多少無茶しても何とかなると思っていたのに――まさかそのアイテムのせいで、弟が窮地に陥っているなんて。
「お、俺たちはどうすれば……」
「……残念ながら手立てはないわ。一応独立していた弟君個人はともかく、貴方たちご家族はレッドグレイブ公と縁があるわけじゃない。
そのレッドグレイブ公でも、弟君を解放するのが精一杯でしょう。ロストアイテムは取り上げられてしまう。そこまでして救い出す価値は――弟君本人には、ない」
「で、でも……」
つまり、弟はこのまま見殺しにされる、ということだ。いよいよ青ざめるニックスをよそに、アデルは思考を巡らせた。
冒険者を重視するこのホルファートに当たって、国是に反しない形でロストアイテムを簒奪するには、本人が重大な犯罪者でなければならない。しかしそれにしては、あまりに動きが速すぎる。嘘の罪状を捏造するにしても、準備期間が必要だったはずだ。
加えて、そうして取り上げたロストアイテムについても、その所有権が取り沙汰されるはずだ。誰が継承するか、誰が管理するか、誰が軍権を握るか――今頃、王宮内では様々な思惑が錯綜していることだろう。
「……ちがう――これが狙いか!」
「え……な、何です?」
「ヘルトルーデ公女よ! あの女は、こうして王国が分断される状況を作り上げた……! 数少ない反撃手段、Mr.のロストアイテムを拘束させて! その隙を突いて、本国が攻めてくるように――!」
「ま、さか……!?」
いよいよ飛び出してきたアデルの説明に、ニックスは度肝を抜かれた。つまり公国軍を退けた強力なアイテムが使えない状況に乗じて、公国軍が攻めてくるということだ。加えて貴族たちが内紛に躍起になっている状況を突かれては、まともに応戦できない可能性が高い。
おろおろとし始めるニックスをよそに、アデルはさらに思考を重ねた。
「でも、まだ足りない……決定的な隙には遠い――“
ルクシオンの補助があったとはいえ、“
アデルははっと顔を上げ、ニックスを見た。
「――お兄様、お姉様も呼んできてちょうだい! 人手が要るわ!」
「な、何ですか!?」
「公国についての資料を漁るわよ! 連中が有している
そして、ニックスとジェナを強引に伴い図書館を漁ったアデルは、一つの事実を見つけ出した。
ファンオース公爵家で代々継承される秘宝、“魔笛”。その真価は、遥か古代に世界を蹂躙した“守護神”を呼び出す権能。
――その“魔笛”は、