鋼鉄の牙、乙女の幻想   作:竹河参号

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07.魔人と魔神

 ハーヴェイが意識を取り戻したのは、湖の水面に墜落する寸前だった。

 

 

(――っ……! 何をやっている!? このまま墜ちるつもりか!?)

 

 

 赦されるはずがない。諦められるはずがない。終われるはずがない――その使命感だけで、ハーヴェイは無理矢理アンタレスを持ち直させ、急上昇した。

 戦場を満たした、あの柔らかな光――その効果を受けたのか、“天の守護神”はすでに隠れ、跡形もなく消失している。本来の目的が達成された以上、最低限の役割を果たしたと言っていい。

 問題は、その光が途絶えているということだ。あらゆる戦意と敵意を喪失させ、戦いを終わらせる、清らかな思念の輝き――抗戦の意思さえ奪われる以上、妨害する手段はないはずだ。

 

 

(何があった)

 

 

 オリヴィアの力が尽きたというのなら、それはそれで納得できる。しかし頭上で響き渡る轟音が、そんな楽観視を許さなかった。ハーヴェイの脳裏には、厭な予感が走っていた。

 

 

(……Ms.オリヴィアの力さえ通用しない、何かによる攻撃があった……?)

 

 

 上昇していくハーヴェイの視界に、黒い煙を上げて墜落していくヴァイスが見えた。オリヴィアの力を増幅させ、広範囲に伝播させるはずの“王家の船”が、先程までの輝かしい姿など見る影もなく、今や重力に従ってゆっくりと高度を落としている。

 交戦が再開されている。その事実は、ハーヴェイの予感を的中させた。すぐさま小隊各員に通信を繋ぎ、状況を確認する。

 

 

『Z9総員、状況を報告せよ!』

『隊長! ご無事でしたか!』

『迷惑をかけてすまない!』

『Z9全機健在です! ですが、“魔装”に防衛ラインを破られました! 現在、友軍機と交戦中!』

『報告! 友軍機アロガンツが接近しています! “魔装”に対抗するには、アロガンツしかないかと!』

『了解! アロガンツの援護にはZ9-1が行く! 総員、ヴァイス乗員の保護と離脱支援に移れ!』

『了解!』

 

 

 ヴァイスはもう保たない。そう切り捨てたハーヴェイは、オリヴィアたちの救助を優先した。元より、然るべき搭乗者がいなければ力を発揮できない脆弱な船だ。友人たちの命には代えられない。

 アンタレスはそのまま高度を上げ、中空で睨み合う二つの黒機を捉えた。アロガンツが体を張って、何とかヴァイスから引き剥がすことに成功したようだ。

 

 

『待っていたぞ、外道騎士!』

『変な名前を付けやがって。俺が外道なら、お前らはそれ以上の屑だろうが!』

 

 

 何やら言い合っている。報告によると、セドリックとともに黒騎士隊長バンデルと交戦したらしいが――その時の屈辱が燻っている、という辺りだろうか。アンタレスはお構いなしに魔導ミサイルを発射し、黒騎士を襲った。

 

 

『うぉっ!?』

『済まない、Mr.バルトファルト。不覚を取った』

 

 

 下からの予想外の攻撃に、リオンが思わず驚愕する。そのまま高度を上げ、アンタレスはアロガンツと並び立った。

 

 

『邪魔をぉぉするなぁぁぁぁ!』

 

 

 バンデルの絶叫に対し、ハーヴェイは無言でライフルを撃ち放った。彼の執心など知ったことではない。斃すべき敵ならば、どんな手を使ってでも斃すだけだ。

 二機がかりの攻勢に対し、しかし黒騎士は俊敏に動き回りながら、執拗にアロガンツを狙った。ライフルを斬り裂き、ブレードを打ち払い、敢然と攻めていく。アンタレスなど文字通り眼中にない、リオンの命を執拗に狙ってくるその姿に、彼は苛立たしげに叫んだ。

 

 

『チート爺がチート兵器を使うな!』

『これで貴様との間に鎧の性能差はない。純粋な技量こそが問われる戦いを始めようではないか!』

 

 

 リオンの叫びに、バンデルが勝ち誇ったように笑う。確かに技量差なら、彼の方が一枚も二枚も上回っている。

 しかしハーヴェイは、そのバンデルの駆る黒騎士にこそ違和感を覚えた。

 

 

(……あの時より、パワーが落ちている……?)

 

 

 思い起こされるのは、王宮奇襲部隊の迎撃の折。第一隊“蛇遣い(オピュクス)”でさえ捕捉できないスピードに加え、第五隊“(カンケル)”と第十二隊“水瓶(アクアリウス)”の包囲網を一瞬で破壊したパワー。それが、今のあの異形からは感じられない。

 力を抑えている? 余裕を見せている? それはない。仇敵の一角“黄道十四宮(ゾディアック)”には目もくれず、一直線にリオンに執着しその打倒を目的としているのなら、今こそ全力を見せる時だ。「性能差はない」どころか、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ――命と引き換えに、絶大な力をもたらす神話の兵器“魔装”。もしも、ハーヴェイの認識に誤りがなければ……

 

 

『落ち着け、Mr.』

『はいっ!?』

『奴のパワーは落ちている。おそらく、限界は近い』

『え、そうなんですか?』

『アデルから“魔装”についても聞いていてね。“命と引き換えに力を与える”――言い換えれば、()()()()に比例して力を発揮できなくなっていく。

 もはや僕たちの敵じゃない。焦らず、落ち着いて対処していこう』

『は、はいぃ!』

 

 

 そう言うと、アンタレスとアロガンツは再び動き出した。アロガンツを前衛に、黒騎士の死角をアンタレスのライフルが撃ち抜いていく。ハーヴェイの予想通り、黒騎士は少しずつ、しかし着実にその回避性能を低下させ、ライフルの命中率が上がっていく。

 全身に徹甲弾を浴び、その装甲を傷だらけにしながらも、黒騎士は一向にアロガンツへの攻勢を止めない。力任せに斬りかかり、ブーストを噴かせて距離を詰めていく。

 

 

『しつこいぞ、爺!』

『お前の首を取るまでは死ねんのだ!』

 

 

 機体性能が落ちつつあるとはいえ、絶対的な技量差は覆せない。苦悶の声を上げるリオンに対し、バンデルは食らいつくように叫んだ。

 ――しかし、世には『岡目八目』という言葉がある。死角からライフルを撃ちつつ二人の鍔迫り合いを俯瞰していたハーヴェイには、その技量差すら崩れ始めているように見えた。

 

 

(錯乱している。“純粋な技量こそが問われる戦い”どころか、どんどんキレが悪くなっていくじゃないか)

 

 

 例えばアンタレスの挟み撃ちを利用し、アロガンツとの同士討ちを狙うこともできるはずだ。それに近接格闘の駆け引きもなく、ただ突っ込んでブレードを振り回すだけ。王国辺境を幾度も危機に陥れてきた“黒騎士”の迫力が、あの黒機からはまるで感じられない。リオンがもう少し戦慣れしていれば、防戦しているだけで自滅を狙える状況だ。

 ただそこは本来の技量差というべきか、リオンはそこまで冷静でいられなかった。黒騎士の気迫に気後れしたアロガンツが、力ずくのブーストで逃げていく。

 

 

『落ちろぉぉぉ!』

 

 

 それを追うように、黒騎士の全身をぎょろりと多眼が這い回り、数十もの魔法陣を展開すると、それぞれに火炎弾を噴き出した。ぐるりとアロガンツを狙って殺到する誘導弾だ。

 アロガンツは咄嗟にドローンを展開し、アンタレスも銃口と魔導ミサイルを向けて火炎弾を撃った。中空で鉄と火炎が衝突し、ぼろぼろと轟音を立てながら相殺される。

 

 

『お前だけは――いや、違う。倒さなければならないのは、もっと別の……』

 

 

 ここに来て、初めて黒騎士が静止した。だがハーヴェイとリオンは、同時に厭な予感を覚えた。ぎょろぎょろと蠢く多眼が、二人の背筋をなぞり上げるように這いずっていた。

 やがてその多眼が、空の一ヶ所を捉えた。二人が咄嗟に視線を追った先には――“(スコーピオ)”が救助活動をしている真っ最中の、墜落しかけのヴァイス。

 

 

『――まさか』

『おい、ふざけるなよ!』

『そうだ。あの船だけは沈めなくては』

 

 

 まさに目の色を変えたように、多眼が魔法陣を展開した。

 

 

『Mr.、行け!』

 

 

 アンタレスは咄嗟に“赫薙ぎ”を噴き出し、真紅の奔流をバンデルに向けて真正面に突き出した。本来は膨大な魔力流の反動を受け流さなくてはならないのだが、悠長に構えている場合ではない。アンタレスは反動で押し流されながら、紅く燃える左腕を突き出した。

 黒騎士は背後から真紅の奔流を浴び、全身を砕かれながら、しかしなお変わらずヴァイスに向けて火炎弾を噴き出した。僅かに体勢を崩したその隙に、アロガンツが力任せのブーストで駆け抜け、黒騎士とヴァイスの間に立ち塞がる。

 無数の火炎弾をアロガンツのシールドで遮られながらも、相変わらずこちらを振り向く様子はない。絶好のチャンスに魔導ミサイルを放ちつつ、左手をバーストライフルに換装したハーヴェイだが、その脳裏は不可解で満ちていた。

 

 

(優先対象が変わった……? ただの錯乱じゃない、もっと別の要因……?)

 

 

 それこそ、協働して自分に攻撃してきたアンタレスにさえ目もくれず、ひたすらリオンの打倒に固執していたバンデルである。決定的な損壊を与えたわけでも受けたわけでもなし、パイロットともどもお互いに健在な状況で突然排除対象が変わったのは、バンデル本人の思考とは言い難い。それこそ黒騎士の機体を構成する“魔装”が、ヴァイスを脅威視したと考える方が妥当だ。だが、何故――? 何のために――?

 その思考は、巨大な震動によって遮られた。一度墜落しかけたとはいえ、地表からは高く飛び上がっている。それなのに、まるで空全体を揺るがすような震動はいったい――

 咄嗟に地表を見下ろしたハーヴェイは、思わず己の目を疑った。

 山のごとき威容。ぎょろぎょろと蠢く無数の多眼。蠕動する夥しい数の触手。低く轟く唸り声。

 

 

『――冗談、だろう……』

 

 

 ――“大地の守護神”が、召喚されてしまった。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 ――時間を、少し遡る。

 

 

「ごめんね。駄目なお姉ちゃんでごめんね……どうしてこんなことになったの?」

 

 

 床に横たわり、冷たくなった妹の前で、ヘルトルーデはただ滂沱の涙を流すことしかできなかった。唯一の遺品――“魔笛”を握らせ、胸の前に掲げさせることしかできなかった。

 

 

「小娘共が。失敗するとは情けない!」

 

 

 そこに、息も荒々しく陪臣の一人が歩み寄ってきた。額から血を流すその男は、苛立たしげにヘルトラウダを蹴飛ばそうとする。咄嗟に庇ったヘルトルーデは、しかし諸共に蹴飛ばされるだけだった。

 

 

「止めて! ラウダは頑張ったわ!」

「それがどうした! 頑張りなど無意味なのだよ。結果を出せ、結果を!

 お前たち親子は本当に役に立たない! お前の父親も母親も、戦争に反対した。だから殺して、お前たちをいいようにこき使っていたというのに」

 

 

 その言葉に、ヘルトルーデの思考が止まった。そんな彼女に構わず、男はその場でぐるぐると回りながら頭を抱え始める。

 

 

「終わりだ。何もかもおしまいだ。ここまでされれば、王国は面子にかけて公国に攻め込んでくる。

 あの化物を使えば勝てると思ったのに。まさか、王国が無力化するとは!」

 

 

 地団駄を踏む男の言葉は、ヘルトルーデには半分も届いていなかった。彼女はただ、もう動かない妹の手を握りしめていた。

 

 

「貴方は――いったい、何を、言ってるの?」

「まだ分からないのか? 親子揃って間抜けだな。お前たちは我々に利用されていたのだよ」

 

 

 完全に箍が外れたのか、平然とヘルトルーデを嘲笑する男の言葉は、彼女をさらに混沌に陥れるだけだった。

 ――ころされた? このれんちゅうに? わたしたちは、りようされていたの?

 呆然とするヘルトルーデを見て、男の中に昏い企みが生まれた。

 

 

「……いや、まだだ。お前の首を王国に届ければ、わしだけは助かる。愚行を止めた英雄になれる――」

 

 

 そして拳銃を向けてくる男に対し、ヘルトルーデは何もできなかった。

 彼女を救ったのは、ぐらりと飛行船全体を揺らす重い衝撃だった。天地すらひっくり返そうという衝撃に、船室の床が大きく傾く。男が盛大に体勢を崩して転がっていくのと同時に、ヘルトルーデの手元に何かが転がってきた。

 それは“魔笛”だった。豪奢な金彫が施されたそれは、公爵家に伝わるロストアイテムの片割れ――最後の守護神を召喚する秘宝だ。

 

 

「く、くそっ!」

 

 

 水平を取り戻した床の上で、ようやく立ち上がった男が、再び拳銃を構えようとする。ヘルトルーデは“魔笛”を掴み、ほとんど反射的に吹き鳴らした。

 

 

(みんな――消えてなくなればいい!)

 

 

 ヘルトルーデの激情に応えるように、周囲に黒煙が噴き出し、ずるりとモンスターが這い出てくる。蜈蚣が、蜥蜴が、蜘蛛が、次々に男へと襲い掛かった。

 

 

「や、止めて! 助けて!」

 

 

 怪物の殺到に恐怖する男の悲鳴は、すぐに聞こえなくなった。代わりに、ぐちゃぐちゃと何かを貪るような気色悪い音が聞こえ始めたが、ヘルトルーデは構わず歩き出した。行く宛などなかった。

 やがて甲板に出た。眼下では、何事もなかったかのように戦闘が再開されている。広い空のそこかしこで、銃火が上がっていた。一度はそれを押し止めたはずのあの白船は、今やバンデルの駆る黒い影に襲われ、火炎を立ち上らせながら高度を落としつつある。

 両親の死。妹の犠牲。臣下たちの謀略――ヘルトルーデの脳内はぐちゃぐちゃだった。もう何も考えられない。正義も、大志も、憎悪さえも、何もかもが虚しく剥がれ落ちていった。

 もういい。何もかも、どうでもいい。――死んでしまえ。何もかも、滅茶苦茶になってしまえ。みんなみんな、泥の底で死んでしまえ。

 

 

「みんな、消えてしまえばいいのよ!」

 

 

 そしてヘルトルーデは、力いっぱい魔笛を吹いた。力任せに吹かれた“魔笛”は、悲鳴のような、金切声のような、不快な高音を響かせるばかりだったが、不思議とそれは、戦場の空に広く遠く響き渡った。

 そしてそれは――大地の底に沈む、穢れた守護神へと届いた。

 

 

 

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