「やっと着きましたね!」
「最新型とはいえ、やはり船旅は疲れるな」
飛行船に揺られて旅をすること、数日。第二使節団は、ようやくアルゼル共和国に辿り着いた。解放感に包まれて元気そうなオリヴィアとは裏腹に、アンジェリカは少し疲れた表情をしている。
遠近感が狂うほどの巨大な樹――“聖樹”に繋がれた七つの大陸。それが、アルゼル共和国だ。同国は“聖樹の加護”によって、その勢力圏内では莫大なエネルギー供給を受けることができる。これこそが防衛戦最強、『不敗神話』を嘯くほどの強大さを誇り、そうした外的脅威の小ささによって、国内技術はホルファート王国より発展している。
「隊長。我々は先に大使館に向かっておきます」
『頼む』
「いえ。ご友人との再会、ゆっくりお楽しみください」
同じように到着したハーヴェイは、大使館での受け入れを“
「リオンさんとノエルは元気にしているでしょうか?」
「だといいな。老犬だから、介護は大変だったろう」
どうやらリオンは、こちらで老犬を拾ったらしい。わざわざ介護を買って出たとは、何か事情があるのだろうか。王国に連れて帰るつもりなら、船旅は大変な気がするが……
ところで、リオンの邸宅に向かう一行には、彼の兄ニックスの他に、もう一人いた。
「いやーこうしてバルトファルト君に会う機会ができるとはね! よかったよかった!」
『そんなことを言って……ルクシオンが本命でしょう?』
「もちろんバルトファルト君の許可は取るとも!」
「ブレないっすねぇ、教授」
セレドニオ・アギラル教授である。かねてから古代文明の遺産ことルクシオンに興味を持ち、そのマスターであるリオンとの面会を熱望していたらしい。もはや誰にも止められない行動力の化身は、『“
やいのやいのと騒ぎながら、一行はリオンの邸宅に着いた。三階建ての、一人で住むには少し大きな邸宅だ。とんとんと玄関をノックすると、「はいは~い」と気の抜けたリオンの声とともにドアが開かれた。
「リオンさん!」
「久しぶりだな」
「リビア!? それにアンジェまで!」
言うが早く、オリヴィアとアンジェリカがリオンに飛びついた。相変わらずの熱々ぶりに、ハーヴェイとケイトはやれやれとかぶりを振った。
「第二陣の使節団と一緒に来たんです。お義兄さんやハーヴェイさんも一緒ですよ」
『あと、何故かアギラル教授が来ている。きみに会いたいそうだ』
「初めましてバルトファルト君! 君の活躍は聞いているよ!」
稀代のトラブルメーカー、もとい実弟の幸せそうな光景を煩わしそうに見やるニックスとは対照的に、アギラル教授は元気そうに挨拶した。よほどルクシオンの調査を楽しみにしているらしい。
「それはそうと、早く入れてくれよ。長旅で疲れたんだ」
「それと、ノエルは元気か? 少し気になっていたのだが――」
「――ああ、ノエルな……」
奥を覗き込むアンジェリカの言葉に、リオンは暗い表情を浮かべた。聞いていたところによると、すでに17歳らしい。この反応だと、残念ながら――
というところで、見知らぬ少女が現れた。どこか怯えたように、リオンの服の袖を摘まんで隠れている。オリヴィアとアンジェリカの瞳からハイライトが消えた。
「……リオンさん、その人は誰ですか?」
「説明して貰おうか、リオン。それと、ノエルはどこだ?」
「いや、この人は色々とあって。あとノエルは――」
何やら面倒臭い事情を抱えているらしい。弁解の言葉を紡ごうとしたリオンは、
「ノエルです」
「――えっ」
どこか恥ずかしげに頬を染める少女の告白に、目を点にした。
「私の名前……ノエルです」
「ウソでしょこのタイミングで!?」
何かの冗談だろう、と悲鳴を上げるリオンに対し、二人の視線がいよいよ昏いものを帯びてきた。恋愛経験の浅いリオンでも分かる、これは拙い。非常に拙い。何か今にも刃物を取り出しそうな雰囲気だ。
「ノエル……17歳の雌って。――あ、アンジェ! 部屋にベビーベッドが置いてあります!」
「――随分と懐いている様子じゃないか、リオン。可愛い雌犬といったところか? 私たちはてっきり、老いた犬を想像していたが、まさか人間だったとは思わなかったよ」
色々と符合しすぎている。もう言い逃れのしようがない。単身赴任先で不倫をしていたのが
「リオンさん!」
「リオン!」
「ち……違う、誤解だ! 誤解なんだ! 助けてルクシオォォン!」
詰め寄る二人に対し、リオンはルクシオンに助けを求めるという、およそ不誠実な悲鳴を上げるばかりだった。
その騒ぎを遠巻きに眺めながら、アギラル教授が首を捻った。
「……何が起きているんだね?」
『さあ……?』
◇ ◇ ◇
「ふむ。つまり君の話をまとめると――“犬のノエル”を先に預かっており、それについてはこの二人に報告していた。しかしごたごたの最中で死去してしまい、そこまでは報告できていなかった。
それとは別口で、“人間のノエル”を預かることになったが、その名前をつい先ほど知ったばかり……というところかね?」
「そう、そういうことなんです!」
「君、莫迦なんじゃないかね?」
「!?」
『教授、それを言ったらお終いです』
「そんなぁ!?」
「Mr.の自業自得だと思います」
「うちの愚弟がすみません……」
正座させられたリオンの自己防衛混じりの説明を聞き、一連の流れを理解したアギラル教授は、しかし冷たく切って捨てた。誰もがそれに同意した。
「どういう経緯で預かったにせよ、最初に名を訊くのがコミュニケーションの始まりだろう? こんな初歩的なことを私に指摘されている時点で、君だいぶ終わってるよ」
「自覚あるんすね、教授……」
自由奔放を絵に描いたような、対人コミュニケーションにおいていささか以上に難のあるアギラル教授がここまで言うのだ。リオンの非は明白だった。
『そもそも、何故きみがこの
「それが――その……」
【彼女の双子の妹、レリア・ベルトレから相談がありました。彼氏からDVを受けているので保護してほしいと】
「(な、ナイスフォローだルクシオン! 信じてたぞ!)」
【(マスターはどうせカバーストーリーを考えていないと推測していたので)】
「(おい!!)」
ハーヴェイの問いに対し、咄嗟に言い訳に窮したリオンに代わって、ルクシオンが説明を買って出た。裏の事情はともかく、事のあらましを説明してもらうには彼の方が手っ取り早い。ハーヴェイもそんな失礼な評価を抱いていた。
『それはそれで不可解だが。きみである必要は特にないのでは?』
【その彼氏がエリク・レタ・バリエル――六大貴族バリエル家の長男だったので、対抗できる強い権力をもつ者で保護する必要があったのです。
ちょうどこちらに交渉カードがあったので、その交換条件として引き取ることにしました】
『……その話は聞いてるよ。またやらかしたそうだね、Mr.』
「発端は俺じゃないのに……」
「どうせお前が余計な真似したんだろ」
「兄貴はどっちの味方だよ!?」
ジト目で睨むニックスは、とても血を分けた兄弟とは思えない冷たい表情でリオンを見下ろしていた。残念ながら、聞く限り事態を深刻化させたのはリオンとルクシオンの所業である。
ともあれ、誤解が解けたのならそれでいいだろう。リオンはようやく解放され、痺れた足でのろのろと立ち上がった。
「それで――ルクシオン、この女が?」
【はい。“聖樹の苗木の巫女”です】
ノエルに視線を向けるアンジェリカの問いを、ルクシオンが肯定した。
紋章の発現はつい先ほどのことらしいが、リオンの右手にあるそれと類似したものを解析した結果、“巫女”の紋章であると判断したようだ。ちなみにリオンのそれは、“守護者”の証らしい。先ほどのアンジェリカとオリヴィアの剣幕を見せられていたノエルは、やや緊張しながら口を開いた。
「えっと、はじめまして。ノエル・ベルトレです」
「――レスピナス家の生き残りだそうだな。よく生きていたと言うべきか?」
『ああ、例の議長襲撃事件。ご家族のことは残念だったが、無事で何よりだ』
遡ること十年ほど前に起きた、共和国議会議長レスピナス家への襲撃事件。議長とその夫が殺害され、家族も消息不明となった痛ましい事件だが、その詳細は明らかになっていない。所詮はアルゼル内部の話であり、ホルファート王国が追及できるような話でもないのは事実だが――有耶無耶のままラウルト家が議長代理を務めるようになり、共和国議会が『七大貴族』から『六大貴族』に変わったという事実から、作為的なものであることは間違いない。容疑者も、自然と絞られる。
問題は、その生き残りであるノエルの存在だ。公になれば、当時の捜査が掘り返されることになり、共和国議会が大きく揺らぐことは想像に難くない。呑気にお家復興という訳にはいかず、また六大貴族関係者に知られるのも拙いだろう。結果として、リオンが預かることになったのは妥当と言える。
――と、そう冷淡に分析できるのは、ハーヴェイらが外野の人間だからだ。婚約者であるアンジェリカとオリヴィアにとっては、気が気でないことだろう。
「リオンさんが貴女を匿った理由は分かりました。でも、もう少しだけ考えてください。婚約者がいる男性の家に同棲するなんて――」
「そうだな。屋敷ならともかく、この家では問題がある」
毅然と言い放ったアンジェリカに、リオンとオリヴィアが唖然とした。
「アンジェ、屋敷でも駄目では?」
「屋敷なら許されたの?」
「何を言っている? 屋敷は自室以外なら公の場だぞ」
「そう……なんですか……?」
「いや、俺も知らない」
当然とばかりに言い放つ彼女に対し、二人は困惑の表情を浮かべる。ごく自然の流れとして、二人の視線は
『まあ、そういう側面はあるが……いやいや、愛人を囲うケースなんて』
「ダグラス閣下は奥方に頭が上がらないからねぇ」
「うちは貴族と言っても末端みたいな家だし、屋敷も小さかったからそういう意識はないんだよね」
「そ、そうか。それはすまなかった」
ニックスの補足に、ようやくアンジェリカも己の無理解を悟った。
公爵家と男爵家――価値観の差が如実に出た。リオン自身は今や伯爵とはいえ、今後擦り合わせていくのは大変だろう。
「だが、リオンは伯爵だ。共和国も、それに大使館も何を考えてこんな小さな家に押し込めているのか」
【用意された屋敷は、襲撃を受けて燃えてしまいましたからね。新たに用意するにも時間がかかるため、こちらに戻ってきたのです】
「……最初にここを選んだ大使館の役人共は馬鹿なのか?」
【仕方がありません。ユリウス一行を優先したのでしょう】
『最初はMr.一人の想定だったしね』
たった一人からいきなり九人、それも第一王子が含まれている。当時の大使館はさぞ慌てたことだろう。
そんなやり取りを聞きながら、ノエルが申し訳なさそうに俯いた。
「ごめん。あまりリオンを怒らないで。あたしがいけないのよ。優しくしてくれたリオンに甘えたから」
その言葉に、リオンが悲しげな表情を浮かべる。まるでノエルを庇護しなければ、という衝動に駆られたような――
【マスター、“苗木”から精神干渉を受けていますよ】
「何!?」
「ふむ?」
見れば、テーブルの上に置かれた苗木が煌々と光を放っている。これが、“聖樹の苗木”か。
「これがリオンを惑わせているのか」
「これさえなければ――」
アンジェリカとオリヴィアの瞳が再び昏いものを帯び、二人の手に炎と雷電を現出させた。今にも焼き滅ぼしそうな二人から庇うように、ノエルが咄嗟に立ちはだかった。
「ま、待って! この子に酷いことをしないで。この子、あたしが悲しんでいるのをリオンに伝えたかっただけよ。あたしが“巫女”で、リオンはこの子の“守護者”だから守って欲しいって」
「それを“精神干渉”というのだよ、お嬢さん。悪意の有無ではない」
必死に懇願するノエルに対し、アギラル教授が冷たい言葉を放った。悪意がなければ、他者の脳味噌を弄くり回してもいい――などという論理は成立しない。
ともあれ、意図を理解した二人は魔法を消失させた。代わりに浮かべたのは、迷惑そうな困惑の色だ。
「厄介なものを手に入れてしまったな」
「えっと、アルゼルの人たちに返せばいいんでしょうか?」
オリヴィアの提案は、残念ながら却下せざるを得ない。共和国との溝を深めたリオンと、今や腫れ物であるレスピナス家の生き残りに連なる存在だ。返還したところで意味がない――というより、むしろ新しい波乱を起こしかねない劇物だ。
【ホルファート王国へ持ち帰るのがよろしいかと】
「そうだな。それが私たちにとっての最善だ。
それから――リオン、お前はこの女を娶るつもりがあるか?」
「ふぇ!?」
アンジェリカの予想外の提案に、せっかく椅子に座り直したリオンはずっこけそうになった。オリヴィアも同じように愕然としている。
「な、何でいきなり? いいんですか?」
「国益のためだ。この苗木にはそれだけの価値がある」
「でも、ノエルさんと何の関係が――」
困惑するリオンたちと、何かを押し殺すように硬い表情を保つアンジェリカ。ハーヴェイやニックスも口を挟むことができない。
「――はい、全員注目!」
見かねたアギラル教授がぱんぱんと手を叩き、全員の注目を集めた。
「とにかく、全員が疲労しているこの状況では、何を判断するのもよろしくない! 苗木の件も、お嬢さんの件も、一旦保留!
君たち二人は流石に不安だろうから、今日はここで休みたまえ! ルクシオン君、部屋の空きはあるよね?」
【はい。今日を凌ぐ分には問題ないかと】
「であれば、私たちは大使館へ移動しよう! 情報の整理も今後の方針も、明日しっかりとした状態で集まって話す! これでいいね!」
「は、はい」
有無を言わさぬ大人の言葉に、全員が呑まれて頷いた。そうなる程度には、全員が疲労していることを自覚した。
一方、ハーヴェイとケイトはそんなアギラル教授を見て驚愕していた。
「……すっご……教授がまともなこと言ってる……」
「驚くのそこ!?」
王立魔導研究所きっての“変人”セレドニオ・アギラル教授。幼児よりも自由奔放な氏が初めて見せる大人らしい姿に、二人はただただ驚愕するしかなかった。
『(――Mr.、最後に)』
ともかく、今日のところはリオンたちとお別れだ。去り際に、ハーヴェイはリオンの袖を引いた。
「(な、なんです?)」
『(彼女の妹とやら――まさか“転生者”かい?)』
「(ど、どうしてそれを!?)」
ハーヴェイの短い問いに、リオンは度肝を抜かれた。
ノエルの妹、レリア・ベルトレ。たった一度しか出されなかった名前から、どうしてそこまで行き着くことができたのか。この人の洞察力どうなってんだ。
『(とにかく、詳細は改めて。僕たちだけで集まれる状況を作ろう)』
「(は、はい)」
それだけ言い残すと、ハーヴェイはリオンから離れ、大使館に向かうアギラル教授に合流した。
「――やだねぇ。私たちのいとし子が、下らない政治ごっこに毒されるのは」
『はて、何のことだか』
アギラル教授は聡明だが、同時に賢明でもあった。空とぼけるハーヴェイに対し、それ以上追及しなかった。