衝角のような巨大な一本角を備えた、二百メートル級の艦船『アインホルン』。リオンら留学生組を乗せてきた艦船に、一同は移動していた。
ひとまずリオンの無事が判明したことで、ハーヴェイらとマリエは一休み。アンジェリカとオリヴィアはリオンに付きっきりで看病していたようだが、こうして明け方に限界を迎えて眠ってしまったらしい。それに前後して入室してきたハーヴェイの前で、寝室に横たわっていたリオンがゆっくりと瞼を開いた。
「ルクシオン、状況は――おっと」
『無事かい、Mr.』
上体を起こそうとした拍子に、眠る二人の婚約者に気付いたリオンは、二人を押し退けないように慎重に起き上がった。
【あいつなら忙しいから、私が代わりに側にいてあげたわよ。どう、嬉しい?】
「お前はともかく、この二人に関しては嬉しいな」
【酷いマスターね】
リオンの呼び声に応えたのは、ルクシオンではなくクレアーレの青い一つ目だった。起き抜けにこれだけ軽口が交わせる辺り、負傷も疲労もほぼ回復しているようだ。
【――朝方まで起きていたのだけど、色々とあったから疲れているみたいね。寝かせてあげましょう】
リオンは頷いた。大切な婚約者だ、無碍にはできない。あるいは先の公国戦でハーヴェイが怪我を負った時のアデルも、彼女たちと同じような心境だったのだろうか。
「それで、状況は?」
【もう最悪よ】
『どうやらラウルト家の――というより、セルジュの独断のようだ。六大貴族も大慌てらしい』
【詳しく調べたいところなんだけど、イデアルの奴、軍の諜報艦から部品を横取りしたみたいなのよ。おかげで警戒されて思うように調べられないわ】
クレアーレの言い訳を、リオンは糾弾しなかった。ルクシオンから事前に何かしら聞かされていたのだろうか?
「お前らでも無理なら相当だな。詳しい話を聞かせろ」
【――そこは、もう一人に聞いてみましょうか】
「マリエか?」
「――そうよ」
その言葉ととともに、寝室のドアがすいと開き、マリエが入室してきた。
【さて、マリエちゃん――聞かせて欲しいの。“ゲーム”では、イデアルの性能はどの程度のものだったのかしら?】
「課金しないと手に入らないから、詳しくは知らないわ。その時はゲームを買ったらお金がなくなったし。ただ、大きな箱型の青い飛行船みたい」
『具体的な性能は?』
「分からないわよ。そもそも、ステータスとか一作目と違うから比べられないわ。
でも――攻略サイトの書き込みには確か、“凄く
「便利?」
「本来の設定は補給艦だったみたいよ。というか、補給艦って何をするのか私は知らないのよね。補給するだけじゃないの?」
『概ね間違っていない。が、その補給を効率的にするために、いろいろと装置を積んでいるものだ』
『補給』といっても、その役割は広い。単なる燃料補給から武装・弾薬交換、果ては医療機能まで備えていることがある。攻撃艦さえとして運用しなければ、できることは実に幅広い。まして遺失文明で運用されてきたロストアイテムともなれば、まさに『
「――クレアーレ、セルジュの目的は何だ? ノエルと“苗木”を手に入れて、ラスボスへの備えにしたいのか? それとも、“聖樹”をさっさと伐採するつもりか?」
【私に聞かれても困るわね。ただ、ルクシオンが言っていたんだけど――イデアルって元は軍属なのよ】
「それはもう聞いてる。それで?」
【直接新人類と戦っていたイデアルが、あんなに穏便なはずがないって言っていたわ。私たちですら拒否反応があるのに、あいつが落ち着いているなんてあり得ないわ】
『なるほど。以前の対応は猫を被っていたということか』
道理で不自然な反応だったわけだ。あるいはルクシオンも、その違和に気付いていたのかも知れない。
「どうして言わなかった?」
【不確定情報だからね。それに、あいつ自身は戦闘経験がないと思っていたのよ。けど、あいつ実戦を経験していたらしいわ】
「実際に新人類と戦っていたのか」
「それが、どう関係するんです?」
【つまり、新人類殲滅に向けて動き出す可能性が高いのよ】
「えぇーっ!?」
クレアーレのほぼ断定した発言に、ケイトが思わず悲鳴を上げた。『新人類殲滅』ということは、もはや国家の枠組みを超えた絶滅戦争だ。ただでさえルクシオン一隻に手も足も出ない現生人類にとって、それと対等に戦えるイデアルに対抗など不可能だ。
「ま、待ってよ。なら、チート戦艦と戦うの?」
【一応は補給艦よ。武器とか積み込んでいると厄介だけどね】
「そんなことはどうでもいいのよ! 兄貴、本当にあいつに勝てるの? 無理なら今すぐにでも逃げないとまずいわよ!」
焦るマリエに対し、リオンはしかし無視を決め込んだ。何か違和感を残しているようだ。
「あいつら、俺を外道と呼んだ」
「兄貴の二つ名じゃない」
「大事なのはそこじゃない。俺は実際に外道だ。だけどな――あそこまで言われる筋合いはないぞ。俺が戦ったのは王国の防衛戦だ。それ以外は不殺を貫いていた」
『風聞とは往々にして、正確さを欠くものだよ、Mr.。きみがどう考えて振舞っていようと、外様がその通りに評価してくれることなどない。まして、物理的な距離のあるこのアルゼルともなれば』
「それでも、性急に過ぎませんか? “苗木”が欲しいなら、相談すればいいじゃないですか」
『ルクシオンから会話ログを共有させてもらった。
これは、僕の憶測にすぎないが――この事件自体、イデアルが煽動した可能性がある。僕たちを“対話の余地もない悪党”と見做して、武力行使で強奪するように』
「あいつら、いったい何をするつもりだ?」
リオンの疑問に、ハーヴェイもまた共感し始めていた。
行動が噛み合っていない。新人類殲滅を目論むイデアル。それに煽動されたセルジュ。奪われた“苗木”と“巫女”。それでいて、完全に殺されなかったリオン――彼らの目的は、一体どこにある?
◇ ◇ ◇
『……なるほど、僕たち転生者を人体実験のサンプルとし、科学的に分析しようという試みか』
すっかり日も登った頃。調査から戻り、甲板でリオンらと合流したルクシオンは、そんな分析結果をぶち上げた。
セルジュはあくまで傀儡。本命は新人類殲滅と同時に、旧人類の交配による血縁再興。その血を引く可能性の最も高いサンプルとして、リオンら転生者を『捕獲』しようという目論見らしい。
【特に、貴方はセルジュと同じ“ゲームを知らない転生者”です。特に希少なサンプルとして、今後狙われる可能性が高まりますね】
『厄介だな』
ルクシオンの補足に、背筋を凍らせたのはケイトのみであり、当のハーヴェイはやれやれと嘆息するだけだった。『転生者=旧人類』という論理もいささか以上に奇妙だが、当のロストアイテムたちが科学的にそう判断を下している以上、それを否定しても始まらない。あるいは、その論理の正当性を検証するために、ハーヴェイを捕獲する可能性が高まるか。
「ど……どうします?」
『最善手は、このまま逃走してしまうことだ。本国に戻りさえすれば、手出しは困難になる。ましてや、対外戦の経験に乏しいアルゼルだ。物理的な距離と国境防衛を合わせれば、そう簡単に攻め落とされることはない。
問題は、そうして時間稼ぎをしている間に、セルジュが――いや、イデアルが何をしでかすか』
狼狽えるケイトの言葉に答えつつ、しかしハーヴェイは苦々しい表情を隠せなかった。
アルゼル単体ならば、何とでもなるだろう。所詮は“聖樹の加護”ありきの軍備であり、“聖樹”の支配圏外への侵攻は一度たりとも成功したことがない弱兵だ。『不敗神話』などと嘯いたところで、所詮は『侵攻に負けたことがない』程度の話であり、そして決して崩し得ぬものではないことを、先日ルクシオンが証明した。こちらが余計な野心を抱かない限り、恐れるに足る脅威ではない。
問題は、“聖樹”に依存しない能力を有するイデアルだ。ただの補給艦以上の能力を有していることは、昨日の騒動で証明された。あるいはルクシオンに匹敵する生産/整備能力を獲得していれば、それはアルゼル本国以上の脅威となる。それを矛として向けられれば、ホルファートもただでは済まない。まして、内部粛清から持ち直し切っていない現在の王国では……
『それにしても、まんまと誘導されるとはな。厭な懸念ばかり的中する』
セルジュの醜態に、ハーヴェイは舌打ちした。案の定、『“チート”を手にしたマスター』と有頂天になっており、いいように使われている自覚がない。
【“淑女の森”という組織があったのを御存知ですか? あれの一部がアルゼルに流れ着いて、偏った情報を流していたようです。それをさらに捻じ曲げ、都合の良い情報として伝えていたものと思われます】
「何が“マスター”だ、笑わせる。完全に傀儡じゃないか」
「何ですか、その組織」
『貴族婦女の寄合いのようなものだったんだが……実態は立場の弱い貴族男性を“婿入り”と称して引きずり込み、奴隷扱いしていたという連中だよ。噂によると凌辱や拷問なども行っていたというが、先日の王国再編に伴って解散させられ、一部は国外追放処分を受けたらしい』
「ちなみに俺と弟も身売りさせられるところでした」
「何でそういう碌でもない話ばっかり出てくるんすか、あの国……」
もう何度目か分からない醜聞に、ケイトはまたしても閉口した。最近になって諸々の病巣にメスが入れられ、ようやく膿を排出している最中の王国だ。これまで散々苦しめてきた後ろ暗い側面が完全に影響喪失し、過去のものとして押し流されるには、まだまだ時間がかかることだろう。
「それより腹が減ったな。何か食い物をくれ」
【マスターは元気ですね。強敵が現れたのに緊張しないのですか?】
「生きていればお腹が空くんだよ」
よく言えば切り替えが早い、悪く言えば緊張感の足りないリオンに、ハーヴェイとケイトは嘆息した。ルクシオンに顔があれば、同じような表情をしていたことだろう。
【ノエルが連れ去られたのに呑気ですね。イデアルにとって、ノエルはレリアから信用を得るための道具です。重要度は低いのですが?】
「共和国にしてみれば“苗木の巫女”様だ。手荒なことはされないだろうさ」
『きみがそれでいいなら、僕から言うことはないが……』
それともきみにとって、彼女はその程度の人物だったのか――そう問い質すのは、憚られた。糾弾したところで、現実的な手段は少ない。“苗木の巫女”という彼女の立場が、アルゼルからの被害を抑止することを信じて、彼女を手放すしかない。それを改めて突き付ける必要があるほど、ハーヴェイもリオンも愚鈍ではない。
『……それはそれとして、あれはどうする気だい』
ハーヴェイはタラップの下を指差しながら言った。
三人と一機の眼下では、がやがやとアルゼルの兵団が集い、アンジェリカが率いてきたメイド長と対峙している。どうやら、事前通知もなしに臨検に来たらしい。
「許可もなく急に来て横暴ではありませんか!」
「臨検だと言っている。そもそも、ここはアルゼル共和国だ。王国の弱者は相応の態度でいるべきではないのかね? それとも、我々に敗北したのを理解していないのかな?」
「――騙し討ちのような真似をしておいて……!」
メイド長と審査官が言い争いを繰り広げている。本来ならハーヴェイなりアンジェリカなりが応対するべき場面なのだが、一国の正規軍人にも怯まず対峙するとは、なかなか気丈な女傑だ。
それにしても、「弱者だから黙って従え」という論理を建前もなく振りかざすとは、何とも品のない連中だ。“聖樹の加護”に胡坐を掻いてきたアルゼルに、外交の礼節など望むべくもないというところなのだろうか? 王国とは別の腐臭を嗅ぎ取り、ハーヴェイは不快な表情を隠せなかった。
「あの隊長殿も元気だな」
【随分と嬉しそうですね。マスターが敗北したと聞いて、仕返しのつもりで来たのでしょうか?】
何やらリオン個人とも因縁のある人物らしい。リオンの姿を見つけるなり、隊長殿なる人物がにやりと笑みを深める。
「待っていましたよ、伯爵。さぁ、さっさとこの飛行船を臨検させてもらいましょうか。徹底的に調べ上げて――」
調べ上げて、どうするつもりなのか。たかだか審査官程度の彼に、他国籍の艦船の物資を押収する権限などない。しかもアインホルンに限って言えば、最初の入国審査から増えた物資などたかが知れている。その程度のことも理解できないほど、有頂天になっているのだろうか。
それを遮ったのは、リオンでもハーヴェイでもなく、まったくの第三者だった。
「退いてもらおうか」
背の高い紳士が、隊長の背に向けて言葉を放った。その背後には、複数人の部下を連れている。
「いったい誰だ! わしに指図を――す、するのはえっと、あの、その――」
「手を出すな。私はそう命令を出しているはずなのだがね?」
怒鳴るように振り返った隊長は、急速にその気勢を窄め、見る見るうちにその顔を青くさせた。それに構わず、紳士がさらに言い立てる。隊長はあっという間に泡を吹いて倒れると、部下に引き摺られて姿を消した。
仮にも審査官を相手に、たった一言で退けることができる人物など、候補は限られてくる。帽子を取って礼をするその人物は――
『あなたは――もしや、アルベルク・サラ・ラウルト氏?』
「失礼した。息子の件も含めて謝罪をしたい。少し話せないだろうか?」
「俺の飛行船に乗り込んでくるなんて、あんた良い度胸をしているね」
いきなりの
◇ ◇ ◇
そうしてアルベルクを受け入れ、一時間ほど経った後。
「まさか、本当に謝罪だけとはね」
『アルゼルも一枚岩ではないのだろう。が――まさか家族間対立を見せられるとはね』
アインホルンを降り、背を向けて立ち去っていくアルベルクらを見送りながら、リオンとハーヴェイは零した。
先の審査官の横暴に加え、昨夜のセルジュの暴挙に対する謝罪に来たのだ。冷たく応対する
とはいえ、『ラウルト家当主として』という立場でしか述べなかったのが肝だ。共和国議会議長代理、すなわちアルゼル共和国としての正式な謝罪はできないらしい。ごく私的な理由で他国の要人を襲撃し、あまつさえ負傷までさせたにも関わらず、正式な謝罪をしない――どう考えても国際問題を軽視しているとしか思えないが、『共和国』という体裁上、他貴族の賛同が得られない限り、正式な声明は出せないのだろう。
それに、ノエルと“苗木”の返還も拒絶された。いずれ暴走する“聖樹”――アギラル教授の見立て通り、アルゼル側はすでに暴走が始まっているとは思っていない――の代替物として、その苗木を血眼で捜していたアルゼルとしては、是非もなく手元から離したくない。どんな手を使ってでも、彼女たちを手放すことはしないだろう。
「どう思います」
雑踏に消えていくアルベルクの背を見送りながら、リオンは口を開いた。
『今朝がた話した通り、セルジュが暴走しているのは明らかだ。アルベルク氏としては、何とか穏便なところで止めたいのだろう』
「部下があの様子だと、アルベルクさんだけが冷静っぽいですけどね」
『そこが引っかかるのは同意だ。きみ一人に勝った程度にしては――いや、きみたち、散々やらかした後だったね。鼻を明かせて有頂天、といったところかな』
「全部俺のせいですか!?」
『いや、これだけふんだくっておいて被害者面かい』
先のフェーヴェル家との騒動で、共和国の威信は大いに傷付けられた。国家としても正式に王国へ謝罪と賠償をさせられたのに、リオン個人にも多額の賠償金を払わされたのだ。これほど清々する雪辱もないだろう。わざわざ謝罪に来、フェーヴェル家の動きについて警告までしてくるアルベルクの方が異常と言ってもいい。
『とにかく、急いで動かないとね。僕は大使館に戻って、遊んでいる連中を呼び戻してくる』
「お願いします」
リオンらが調子に乗って暴れたツケを払わされる時が来た。フェーヴェル家が動くよりも早く使節団の連中を呼び集め、一刻も早く帰還しなければならない。
◇ ◇ ◇
「きょ、共和国と戦争ですか!?」
『しっ。大きな声を出さないで』
呑気に観光地を巡っていたリオンの級友たちへ、ハーヴェイは冷や水を浴びせるような言葉を言い放った。観光客向け価格のご当地商品を両手いっぱいに抱える生徒たちは、ハーヴェイの言葉に愕然とし、今にも荷物を取り落としそうになっている。
『とにかく、呑気に観光している場合じゃない。すぐに発てるよう、大使館に戻ってくれ』
「は、はい!」
『あと、他の連中がいそうな場所を教えてくれると助かる。一刻を争う事態だ、できるだけ早く集めたい』
「分かりました! 俺たちも言って回ります!」
ハーヴェイの指示に、生徒たちは憔悴を隠せないまま慌てて宿に戻っていった。
これで、ようやく六件目。名簿を確認する限り、あと少しで全員を探し出せるはずなのだが……
「もう二日がかりじゃないっすか……あっちこっち遊びすぎじゃないっすか?」
『しょうがない。ここまで事態が悪化するとは、僕たちも予想できていなかったのだから』
ほとんど歩き通しで、いささか疲労を覚えたケイトを宥めるハーヴェイも、その声には力がなかった。アルゼルという特異な国家――いやそれ以前に、根本的に他国に対する警戒心が薄過ぎる。いくら羽を伸ばしたいと言えど、そもそも賠償金をふんだくった他国で、呑気に観光に興じている場合ではないだろう。ある意味、これもリオンの友人らしい迂闊さというべきか。
そうして歩く二人の前に、ざっと集団が立ちはだかった。見れば、武装した兵士たちが二人の行く手を塞いでいる。
『……何か? 僕たちは、友人を探しているだけなんだが』
「ハーヴェイ・フィア・スピアリング。貴様をスパイ容疑で逮捕する」
『なに?』
一度だけすっとぼけようとしたハーヴェイは、返されたアルゼル兵の言葉に愕然とした。まさか、もうイデアルが――
「坊ちゃん! このっ――」
『ケイト、来ちゃだめ!』
「大人しくしろ。公務執行妨害を追加するぞ」
即座にハーヴェイを取り囲んだ兵士たちに、ケイトが毛を逆立てて立ちはだかる。とはいえ、形勢は圧倒的に不利だ。力ずくで取り押さえられる中、ハーヴェイにできることは、ケイトを逃がすことだけだった。
「坊ちゃん! いかないで、坊ちゃん!!」
押し退けられ、張り倒されたケイトの視線の先で、ハーヴェイは兵士たちに引き摺られるように連行されていった。ケイトの縋るような声は、どこにも届くことなく零れ落ちた。