行きと同じく、数日を掛けた船旅の末。ハーヴェイは、スピアリング家本邸に戻ってきた。
『父上、クリフ兄上。“
数々の負傷と疲労を隠し、敬礼をしながら報告したハーヴェイに、当主ダグラスと長子クリフトンは静かに頷いた。
「色々とあるが、とりあえず無事でよかった」
「お前も疲れていることだろう。報告書は読んでおく。今はゆっくりと疲れを取り、学園復帰に備えろ」
『了解いたしました。ありがとうございます』
“
二人は、しばらく無言で報告書を読んだ。アルゼルとバルトファルト伯爵との戦争そのものは、王宮からの連絡であらましを聞いている。重要なのは、その当事者として参戦したハーヴェイらの視点だ。
「――しかし、不可解な箇所が多いな」
報告書を読み終えたダグラスは、そう切り出した。
「セルジュ・サラ・ラウルトの襲撃、ハーヴェイとオリヴィアの拉致監禁、そして“レッドガン”の独断専行、示し合わせたような“聖樹”の暴走……」
「渦中にあるのは、またしてもバルトファルトとハーヴェイ……」
苦々しげな表情を浮かべるクリフトンも、ほぼ同様の感想だった。これまでも、小規模な軍事衝突はいくらでもあったが――これだけ大きな政変に、ただの少年たちが続けざまに関与するのは、異常としか言いようがない。
「……父上。あまり言いたくありませんが、これは……」
「分かっている。奴らは――ハーヴェイは、我々に何かを隠している」
奇怪すぎる巡り合わせに、二人はそう結論付けるしかなかった。公国との戦争しかり、共和国との戦争しかり。何か、彼らしか知らないことが関与している。それが彼らを巻き込み、重大な事件に発展させている。
「問題は、それが何なのかだ。ただの学生の陰謀ごっこではない、この国の――あるいはこの世界の、根本にかかわる大きな問題だ」
「アギラル教授の報告は? 意図的に避けている様子が見られますが、教授も噛んでいる可能性があると?」
「教授はアテにならん。ことハーヴェイに関しては、静観している可能性が高い」
「そうですね……」
実の家族以上にハーヴェイを溺愛しているアギラル教授だ、ハーヴェイが何を企んでいようと「そんなこともあるさ」で流している可能性は高い。しかも大事なことに限って無駄に口が堅い人物なので、訊き出すのも一苦労だ。
「して、いかがしますか。護国の
「――事の次第によっては、そうせざるを得んな。
だが確証はない。その仔細が明確になってからでも、遅くはあるまい」
重苦しい表情で、ダグラスはそう言い切った。護国の
「……父上も甘いですね。教授を笑えませんよ」
「自覚はあるとも」
そう言いつつ、決して否定しないクリフトンも似たようなものだった。
◇ ◇ ◇
「ハーヴェイ! 無事!?」
「無事ですか、兄貴!」
スピアリング家で休息を取った後、学園に戻ってきたハーヴェイとケイトを出迎えたのは、憔悴したアデルとアーロンだった。
『どうしたんだい、きみたち』
「どうしたもこうしたもないわよ! 貴方とリビアちゃん、向こうで拉致監禁されたって!」
『この通り無事だよ。Mr.バルトファルトのお陰で、何事もなく済んだ』
「そう……なら、良かったけど……」
おどけたように言うハーヴェイに、アデルはようやく動揺を鎮めた。オリヴィアともども、こうして無事に戻ってきているわけだ。元気である以上、それ以上追及してもしょうがない。
「で、向こうで巨大な怪物を対峙してきたって本当ですか!? やっぱりすげぇや兄貴!」
『まあ、僕一人の働きではないが……それよりきみ、そういうキャラだったっけ?』
アーロンは興奮した様子でハーヴェイの話をせがんだ。英雄譚に憧れる辺りは、年頃の男児らしいというか何というか――が、当のハーヴェイがそういう嗜好に疎いせいで、何とも言い難い雰囲気が出来上がっている。
一方、ハーヴェイの受難を間近で見せつけられたケイトは、暗い表情を浮かべていた。
「これ以上坊ちゃんが危険な目に遭って欲しくないです」
「それは――そうね。貴方には、無事であってほしいわ」
『今回は特例だったが、危険からは逃れられないよ。それが僕たちスピアリング家の使命なのだから』
「困ります! 俺が兄貴を超えるまでは、死んでもらっちゃ困る!」
『……これも人徳と言っていいものかな……』
ケイトとアデルの心配はともかく、アーロンの慕いようにはいまひとつ付いていけないハーヴェイだった。
“戦争屋侯爵”スピアリング家は、その武威をもってホルファート王国の安泰を護るためにある。必然、その戦列に加わる戦士たちも、護国のために身を捨てる覚悟を持っている。彼のように英雄的野心を持っている者との付き合い方は、いまひとつ分からなかった。
『まあ、当分は安全だろう。少なくともMr.がやらかさない限り、当面僕たちの出番は回ってこない』
「――……そうでもないわよ」
一安心したようなハーヴェイの言葉に対し、硬い表情で返答するアデルに、彼はケイトとともに顔を見合わせた。
「何かあったんです?」
「正確には、
ただ――これまでの反動というべきかしら? 各地の領主貴族が、王宮に強い反感を持っているみたい。手綱を取るのに必死みたいよ。
何とか収める方法を見つけ出さないと、大きな勢力として起爆するかも知れないわ」
『それはまた……厄介な話だな』
厳しい表情で語るアデルの説明に、ハーヴェイは眉をひそめた。元々、それぞれに領地を経営する領主貴族たちを半ば無理矢理にまとめてきたホルファート王国だ。その威信が揺らいでしまえば、あっという間に瓦解する危うさを抱えている。そしてその兆候は、公国戦の時点ですでに現れている。
「そ、それってどうなっちゃうんです? セルジュがやったみたいに、“くーでたー”ってのが起きちゃうとか?」
「――その可能性は否めないわ。
問題は、その時の立ち回りね。どんなきっかけで爆発するか分からない現状、最悪だと各領主貴族がいがみ合いを起こして、空中分解する可能性が高いわ」
「どこに付くのが正しいんですか? やっぱスピアリング家?」
『莫迦者、そう簡単に行くか。
そもそも僕たちは、あくまで国外の敵を排除するために戦っている家系だ。今更内政に口出しをして、それで貴族や民衆が着いてくるものか』
「最有力は、やはりレッドグレイブ家かしら。Mr.を子飼いにしている以上、その軍事力は強大よ」
『ただ、Mr.自身が積極的に動くかと言われると、怪しいところではあるな……ヴィンス氏に命じられれば、という性格でもない』
「そうね……各地に目立った動きがない以上、現時点では棚上げするしかないわね」
またしても、リオンが鍵を握っている――事情を理解していないアーロンを除き、三人は頭が痛くなる思いだった。よく言えば慎重、悪く言えば優柔不断なリオンは、とにかく扱いづらい。どう動くのが適切なのか、どう動かすのが適切なのか、本人の自己認識以上に難しいのだ。そうしてリオン一人に手を拱いている間に、反抗心の強い貴族が軍備を整えてしまっては元も子もない。
『それよりもアーロン。補習はちゃんと受けただろうな?』
「きっちり受けさせたわよ、椅子に縛り付けて。物理的に」
「椅子に縛り付けられたまま受けました。物理的に」
『何をしているんだきみたちは!?』
◇ ◇ ◇
数日後、王宮にて。
「糞ガキ、暴れ回ってくれたな。おかげで使者を何度も出す羽目になった。この糞忙しい時期に仕事を増やした言い訳を聞こうか」
執務室で鼻をほじりながら語る国王ローランドに、リオンはいかにもしおらしげな表情を浮かべた。
「陛下には大変申し訳なく思っています。優雅な一時も、ナンパをする時間も、女性と愛を語る時間も奪ってしまい心苦しい毎日です」
「白々しいぞ、糞ガキが」
「とんでもない。本心です」
「嘘だな」
「――ええ、嘘ですよ。それが何か? 少しは真面目に働けてよかったな」
「侮辱罪で処刑してやる」
「侮辱? 事実は侮辱と言わないんだ。知らなかったの? でも、よかったな。今日は一つ賢くなれたぞ」
青筋を立てるローランドに対し、リオンはせせら笑った。実は王国法において、『侮辱罪』は事実の真偽を問わない。つまり事実であろうとなかろうと侮辱には変わりないのだが、それをこの場で指摘するのも無粋だろう。
「さて、いつもの会話も終わったところで本題に入ろうか」
『あの……その前に、よろしいですか』
「何だね? これくらいは、いつものじゃれ合いだよ」
『いえ、“いつもの”で流されるのも気がかりですが』
それをさらりと流すアトリー大臣の言葉に、ハーヴェイがおずおずと割り込んだ。
そう、ハーヴェイ。本来は騎士爵と六位上の階位しか持たず、容易に謁見を許されるはずのないハーヴェイが同席させられているのだ。
『どうして、僕まで謁見の機会を賜ることが? 報告だけなら、Mr.バルトファルトだけで済むと思いますが……』
「それはまぁ、順番に」
ハーヴェイの問いを、アトリー大臣はやんわりと却下した。
「今回の件は殿下たちから事情を聞いている。君に落ち度がないとは言わないが、よくぞ王国の意地を見せてくれた。個人としては実に面白い話だ」
話を進めるのはギルバート・ラファ・レッドグレイブ。過去二度に渡って敗戦した事実を知る者として、アルゼルには思うところがあったらしい。
「だが、王国は魔石の購入先を一つ失ってしまった。そればかりか、周辺国の一つが不安定になっている。楽観視は出来ない状況だね」
「いやー、やり過ぎちゃいましたねー」
「将来的に共和国が王国を侵攻する芽を摘んだ。そこは評価をするけどね」
「お前の責任だ。よって、死刑!」
「さて、君たちの処遇だが――」
「おい、聞け!」
ギルバートはローランドの戯言を無視して話を進めた。これでもホルファート王国の主権者のはずなのだが、こんな雑な扱いでいいのだろうか。
「バルトファルト
「――は? こうしゃく?」
『ししゃく?』
「共和国が王国に攻め込む前に片を付けた。そして、怪物退治の報酬だ。受け取っておきなさい」
アトリー大臣とギルバートの言葉に、二人は揃って目を点にした。
「いや、その――俺、王族じゃないし、そんな侯爵とか器じゃないので辞退を――」
狼狽えるリオンの横で、ハーヴェイもまた冷や汗を浮かべた。リオンの拝領する侯爵位に比べれば、子爵位などたかが知れている。問題は、ハーヴェイ本人は騎士爵でしかないということだ。
『その、僕、騎士爵しか拝領していないのですが。いきなり二つ飛ばしで子爵はどうかと』
「獅子奮迅の戦いだったのだろう? 先の公国戦の功績を併せて鑑みると、準男爵や男爵程度では釣り合わないよ」
『そうは言っても、これまでの慣習から言って』
「その慣習を破壊している者の隣で、何か言うことはあるかい?」
『…………』
バーナードが隣を指差しながら放った言葉に、ハーヴェイは閉口せざるを得なかった。未だぎゃんぎゃんと騒ぎ立てているリオンは、どうやら『三位上』を拝領し、さらにあの四莫迦を寄子として抱える羽目になるらしい。
その傍ら、ギルバートがきらりとこちらに目を光らせたのを、ハーヴェイは見逃さなかった。
――遥か以前、アデルと推測した陰謀がある。スピアリング家としてではなくハーヴェイ個人に恩を着せることで、独立の野心を煽る――そして、寄子として取り込む。いわば実家からの引き抜きだ。内政へ積極的に干渉しないスピアリング侯爵家に見切りをつけ、個人として強大な戦力であるハーヴェイを手駒にしようという腹積もりなのだろう。
だが、それにしてはいささか露骨だ。一小隊長とはいえ、実家での居場所を与えられているハーヴェイが独立するのは困難だ。何がレッドグレイブ家を急き立てているのだろうか――?
それはともかく、大騒ぎするリオンの声を聞きつけたのか、王妃ミレーヌが執務室にやってきた。
「騒々しいですね。何を騒いで――リオン君、どうしたの!」
「王妃様ァ! 王様が俺をいじめるんです! 鬼だよあいつ!」
「陛下? 私は最大限の敬意を払えと言いましたよね?」
『王妃殿下、Mr.自身が敬意を払っていません』
ミレーヌに泣きつくリオンの背中に、ハーヴェイが冷淡なツッコミを飛ばした。仮にも――というか、仮でも何でもなく、国家主権者とその伴侶である。彼の辞書に、『畏敬』の二文字はないのだろうか。
「ち、違うぞ! 昇進させて、おまけに寄子まで用意してやったんだ! 鬼だのと言われるなど心外だ! それに私なりに最大限の敬意を払った! ――つもりだ」
「その話でしたか。それでしたら、私からも条件を一つ加えます」
「お、何だ? その小僧が苦しむなら大歓迎だぞ」
「私の娘をリオン君に嫁がせます」
ミレーヌの言葉に、ざわり、と執務室が色めき立った。
「ミレーヌ様のご息女? って言うと――」
『――エリカ様?』
第一王女エリカ殿下。第二王子ジェイク殿下に続き、王位継承権第二位に当たる存在だ。
だが、それでは筋が通らない。エリカ殿下は、すでにフレーザー家の嫡男と婚約しているはずだ。困惑するリオンとハーヴェイ以上に、ローランドがぷるぷると震えていた。
「へ? あ――え? ミレーヌ、よく聞こえなかった。もう一度言ってくれないか? 王女の一人を小僧に嫁がせるんだよな? お前の娘を嫁がせると聞こえたような気がするんだが?」
「エリカを嫁がせると言いました」
「だ、駄目だ! エリカだけは駄目だ! 他の娘にしなさい! あの子がこんな小僧に嫁いだら苦労してしまうだろうが! 絶対に認めないからな。私は絶対に認めないぞ。王権を使ってでも阻止してやる!」
「――まったく、あの子のことになるとすぐに親馬鹿になる。年頃の娘はエリカだけです。仕方がないではないですか。その下の王女はまだ十二歳ですよ」
「エリカだってまだ十四歳ではないか! 私は絶対に認めないぞ。婚約するときだって本当は反対したかったんだ! あの子はずっと側に置くんだ!」
「いい加減にしなさい! それにエリカは今年で十五歳ですよ!」
「まだ十五歳だ! お前と違って、あの子は目に入れても痛くないほどに可愛いんだ」
「――後でゆっくり話をしましょうね、陛下」
笑顔のまま凄んだミレーヌの迫力に、ローランドはひぃっと震えあがった。とんだ親バカのせいで地雷を踏んでしまったようだ。「こういうあたり、やっぱりユリウス殿下の父君なのだなあ」と思考したハーヴェイを咎めていいのか、どうか。
一方、リオンがおずおずと手を挙げながら割り込んだ。
「あの~……俺って婚約者がいるので、辞退をしたいかな、って」
「エリカと婚約できるのに、辞退するとはいい度胸だな、小僧!」
『どっちの立場なんですか陛下』
「それに、レッドグレイブ家の面子もあることですし。ねぇギルバート様? ――ギルバート様?」
無茶を言うローランドを無視し、リオンがギルバートに水を向ける。だが――
「王妃様、意味が分かっているのですよね?」
「ギルバート君、そう怒らないで。アンジェにも許可を取っていますから」
無表情ですうと目を細めるギルバートに、ミレーヌはおどけた笑みを見せた。だが余人には、その間に鋭い感情のぶつかり合いが見て取れた。
「それに、バーナードは賛成してくれたわよ。私の娘――エリカがリオン君の正妻になれば、その下に伯爵家の娘がいてもおかしくないもの」
「ははは、そうですね、王妃様」
急に槍玉に挙げられたアトリー大臣が、硬い表情で愛想笑いを浮かべる。きっとギルバートの鋭い視線を浴び、彼は愛想笑いを引っ込めた。
一方――そんな高度な政治ゲームなどまるで与り知らぬとばかりに、ローランドは床に転がって駄々を捏ねていた。
「嫌だぁぁぁ! エリカだけは――エリカだけは手放したくないんだ! それもこの小僧になど、あの子が可哀想すぎるだろうが!」
……三度目になるが、これでもホルファート王国の国家主権者である。政治調整を放り出して親バカに興じている場合なのだろうか。
それにしても――と、ハーヴェイは内心冷や汗を浮かべた。
(こんなふうに転んでくるとは)
第一王女エリカ・ラファ・ホルファート――“三作目”では『悪役令嬢』にあたる存在だ。