いよいよ三年次が始まった。
去年と異なるのは、ハーヴェイとアデルの所属クラスだ。子爵位を賜ったハーヴェイとその婚約者であるアデルは、新たなスピアリング分家の当主夫妻として相応しい教養が求められ、ために今年度から上級クラスへと編入されることになった。つまり、リオンたちと同じクラスになる。
履修科目こそ変化はあるが、これ自体は好都合でさえある。“三作目”の調整に関して、リオンと連絡を取りやすくなった。アンジェリカとオリヴィアの目を盗む必要があるが、これまでと比してさほど難しくなるわけではない。つまり後の問題は、
『アーロンの監視が面倒になるな……』
「貴方も大変ねぇ」
頭を抱えるハーヴェイの懸念は、その一つだけだった。そしてある意味、最大の問題だった。
『とにかく品性に欠けるのが厄介だ。隙あらば喧嘩を吹っ掛けるあの気性を、どう制御しろと言うんだ』
「彼、あんまり自覚ないみたいよ。貴族派閥のあれこれを知らないだけに、裏で私たちがどれだけ埋め合わせをしているか、分かってないみたい」
『一度、真面目に教育すべきところだな……これでは、“主人公”様の伴侶として相応しくない』
珍しく頬杖を突き、苦々しく顔を歪めるハーヴェイに対し、「その件だけれど」とアデルが続けた。その顔には、何か懸念があるらしい様子が浮かんでいる。
「何かあったんです?」
「何かも何も、あんなチンピラを、本当に“主人公”さんの相手役にするつもり? 帝国様に厄ネタを押し付けるだけじゃない」
「アデル様、言い方」
「妥当な評価でしょ」
さすがに言い咎めるケイトに対し、アデルがふんと鼻を鳴らす。昨年の夏季休暇、たった一人で手綱を取るのに、よほど苦労させられたらしい。
『確かに、今の彼は立身出世に強い興味があるわけでもないようだからな……いきなり帝国へ行けと言われても、納得できないだろう』
「かと言って、こっちで引き取ってしまう訳にもいかないし……“主人公”さん、帝国のお姫様なのでしょう?」
「皇帝様の“ごらくいん”、ってお話でしたっけ」
「そうね。それが今回の留学で発覚するのなら、帝国としても迂闊に手放すわけにはいかないでしょう。……どうして帝国内じゃなくて、留学先の
自分で言いながら首を捻ったアデルの問いに、誰も明瞭な答えを返せなかった。そもそもが恋愛物語、『お話の都合』と割り切った方がいいのかも知れないと、一旦棚上げせざるを得なかった。
――これが結果として重大な過失となることを、この時の誰もが予想していなかった。
「問題は、その時の“相手役”の扱いよ。ジェイク殿下は言わずもがな、有力貴族の子弟が相手だと面倒になるわ。引き抜かれるのは王国としても困るけれど、かと言って二人の仲を引き裂くのも心苦しい」
『そういう意味では、アーロンが最も都合よくはあるが――本人が“
「それに、あんな礼儀も知らないチンピラが皇室入りだなんて、王国の面汚しもいいところだわ。何かやらかしたら、それが巡り巡って、帝国との国際問題にまで発展しかねないわよ」
「アデル様は何をそんなに……」
かつてなく荒ぶる様子のアデルに、ケイトは少し引いた。先の夏季休暇での負担について、もう少しアフターケアをしてあげるべきだったか、とハーヴェイは少々失礼なことを考えた。
◇ ◇ ◇
日は流れ、新入生の入学式の日。昼下がりに、ハーヴェイたちはささやかなお茶会を開いていた。
「入学式の様子、どう思った?」
紅茶を飲みながら、アデルは早速切り出した。新体制になってまだ二年目の王立学園、慌ただしい様子は抜けない。
アデルの問いに対し、半ば強制参加させられたアーロンは、紅茶をずずずと啜りながら答えた。
「アレが王太子とか世も末っすね」
『その不敬な物言いを改めろ。それにきみが言えた口ではない』
その言葉を、ハーヴェイがびしりと咎めた。
今年入学の第二王子ジェイクによる、新入生代表挨拶に対する評価だろう。内容がどうあれ、アーロンの普段の言動を棚に上げて言っていい台詞ではない。
「まぁ、何というか……センセーショナルではあったわよね……」
「あんまりいい方向じゃなかったですけどね……」
ただ残念ながら、アデルとケイトも同じような感想だった。
――「さっきの愚かな兄は、王太子を廃嫡された負け犬だ」「私こそが王太子で、この国を背負う男だ」「誰に従うのが正しいのか、お前らはよく考えて行動しろ」……
腐っても王子として、やるべきことはきちんとやるユリウスの在学生代表祝辞を蹴るかのようにぶち上げられた、答辞と呼ぶにはあまりにも相応しくない演説。その挑戦的な物言いに、慌てて教職員たちが駆け寄ってジェイクを引き摺り下ろし、そのまま謹慎室送りにしてしまったらしい。稀代の魔女マリエに転んで醜態を晒し続けたユリウスではあるが、あれはあれで真面目な方だったんだなぁ……と、在学生たちは思ったとか、何とか。
事もあろうに恥ずかしいのが、帝国からの留学生たちに一部始終を見られてしまった点だ。国内問題のゴタゴタを露呈している――という政治問題以前として、あんな恥ずかしい姿を晒してしまっては、国家として示しがつかない。
『今年はヴォルデノワ帝国からの留学生もいる。何かと勝手が分からないだろうし、きみも目をかけてやれ』
「え~、俺がっすか~? めんどくせー」
「文句言わない。淑女の手助けをするのも紳士の務めよ」
「そんなこと言っても、どうせ同級生が何とかするでしょ。それに、俺はお付きの騎士の方が興味ありますね。あいつ、相当強いですよ」
言いつつ、アーロンの表情が獰猛な戦士のそれに変わった。留学生の一人、フィン・ルタ・ヘリング――よほどの強者だということか。そんな精兵が、何のために留学を?
『……くれぐれも喧嘩を売ったりしないように。何かあれば、分かっているな』
「ちぇ~」
とはいえ、向こうの事情などハーヴェイたちには関係ない。ハーヴェイに釘を刺され、アーロンはしぶしぶ引き下がった。一時の喧嘩屋根性に呑まれて“
「――あ、そうだ。貴方、実家との摩擦とかないの?」
とそこで、アデルがひとつの懸念を思い出した。
「摩擦? 何でですか?」
「ほら、実家とは別に独立した爵位を拝領したじゃない。その件で、ダグラス閣下やセドリック殿とギクシャクしたりしてないのかなーって」
「いいことなんじゃないんすか? 怪物退治をしたのは兄貴の功績でしょ」
「その褒賞を、当主閣下の頭越しに与えられたのが問題なのよ。そもそもアルゼルに行ったのだって、“
すでに実家から独立しており、自らの意志でアルゼルに留学していたリオンとは事情が違う。“
一方、ハーヴェイは紅茶を飲みつつ涼しい顔をしていた。
『そんなことで目くじらを立てるほど、父上も兄上たちも狭量じゃないよ。素直に祝福してくれた』
「そうは言っても貴方、一時期セドリック殿と喧嘩してたことがあるじゃない」
『あれは僕が悪いだけだよ。分際を弁えずにしゃしゃり出て、“
「……なんか、兄貴が言うと微妙に説得力ないっすねぇ……」
「貴方もハーヴェイのことが分かってきたわね」
涼しい顔で自己否定を述べるハーヴェイに、アーロンとアデルは揃ってジト目を向けた。
ハーヴェイの“
と、そんなとき、学園の使用人がハーヴェイたちの許へやってきた。
「スピアリング様、お手紙です」
そう言って、使用人はひとつの手紙を差し出してきた。手触り柔らかで上等な封筒に包まれた、薄い手紙だ。封蝋の印章は――レッドグレイブ家のもの。
「珍しいわね。差出人は?」
『……ヴィンス閣下の直筆……? どういうことだ……?』
「どこのどいつっすか?」
「レッドグレイブ公爵家の当主様です。失礼な口を利かない」
「へぇーい」
相変わらず失礼な口を利くアーロンをケイトが嗜める横で、ハーヴェイは封蝋を切り手紙を開いた。
「アンジェリカ越しではなく、実家越しでもなく、貴方に直接?」
『そのようだ。“バルトファルト侯爵や君との面会を望んでいる人物がいるため、その紹介を”――とのことだが、その程度ならMs.レッドグレイブを通して伝えればいい。これまで関係のなかった僕に宛てるには、少し動機が弱い』
まるで、アンジェリカやスピアリング本家には知られたくないかのようだ。同じ想像に至ったアデルも、不思議そうに首を捻る。
「そうまでして会わせたい人物ということかしら……?」
「アデル様は、何か心当たりないです?」
「うーん、無いわね……“殺戮人形”に関心を寄せる連中は多いけれど、わざわざ面会を希望する人物となると、ちょっと候補が思い当たらないわ」
「兄貴に会いたがらないなんて、貴族共も腰抜けばっかりっすね」
「こら」
不特定多数への無礼を言い放つアーロンの放言を、ケイトが嗜める。その横で、ハーヴェイは相変わらず不審げな目で手紙を覗き込んでいた。
気になるのは――ハーヴェイのことを『スピアリング子爵』と呼称していることだ。
まるで、スピアリング侯爵家から独立した一個人として扱うかのような。
◇ ◇ ◇
「“三作目”の件、進展がありました」
翌日。ホームルーム前の自由時間にて、リオンが意外な情報を持ってきた。
『具体的には』
「“主人公”と一緒にやってきた護衛騎士――あいつ、転生者だったみたいです」
「えっ」
リオンの報告に、アデルはげっと目を剥いた。彼女にとって“転生者”といえば、余計な知識と浅い思慮で事態を掻き乱す、危険人物そのものだ。
(目の前のリオンをも侮辱する極大の暴言だが、この際目を瞑っていただきたい。残念ながら、ユリウスらに次ぐ程度には王国を引っ掻き回している問題人物である)
「ちょ、それどうするのよ、Mr.。また“シナリオ”が崩壊しかねないじゃない」
「それも大丈夫そうです。あっちも“シナリオ”を安全に進めたいみたいで、協力を取り付けました」
とまれ、明確な不安要素ではないらしい。すでに狂わせてしまった“三作目”、その軌道修正あるいは穏当な着地に貢献してくれるかも知れない。
それにしても、護衛騎士フィン・ルタ・ヘリング――アーロンの注目を買っていた強者のようだが、まさか転生者だったとは。まかり間違って敵対していれば、かつてない脅威となっていたかも知れない。
『具体的には? レリアやセルジュのような事態にならないか?』
「あいつ自身は“ゲーム”のことをあんまり知らないみたいで、“主人公”のミアちゃんの相手役を見定めるために、色々融通させてくっついてきた身らしいです。
あと、ミアちゃんの体調が“ゲーム”と関係してるらしくって、その二つさえ解決すれば、
「エリカ様との衝突の件は?」
「手を出さないように釘を刺しておきました。エリカ本人もあの通りだから、問題は起きないはず」
「……まぁ、エリカ様から事を起こすような真似はなさらないと思うけど……」
『Mr.が“大丈夫”と言うと、途端に不安になるんだが……』
「俺のこと何だと思ってます!?」
ハーヴェイとアデルのジト目に、リオンは不満げな悲鳴を上げた。残念ながら、二人の中では『善良だが詰めが甘く、迂闊な人物』という評価でほぼ固まっており、そしてそれを覆すだけの反例はない。
『念のため、僕たちも面会しておきたい。話を通してくれないか?』
「それはいいんですけど……ちょっと今日は都合が悪いです。ヴィンスさんに呼び出されてるんで」
『きみも? ヴィンス閣下に?』
「え、もしかしてハーヴェイさんも?」
意外な接点に、ハーヴェイとリオンは思わず顔を見合わせた。
――これは一波乱あるかも知れない、と咄嗟に身構えたアデルの判断は、まず間違いない。