カッパドキア・ハゲリスクタイム   作:忘旗かんばせ

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 ◯

 

 府立大学は京都府立植物園のすぐそばに建っている。

 

 小鳥遊氏と槇島氏は共にそこに通う大学三回生であり、学部も同じ、ゼミも同じの友人同士であったのだと言う。

 

 曰くして、今週の頭のこと。

 

 その日はゼミ内での懇親会のようなものが大学内で開かれており、帰宅の時間はいつもと比べ大幅に遅くなっていた。

 

 日はすっかりと沈み込み、どっぷりと闇に暮れた深夜。

 

 二人はゼミのメンバーと別れ、二人連れ立って、研究室を出たのだと言う。

 

 じっとりと暑い、熱帯夜だった。

 

 不快なほど湿度が高く、まるで水の中を歩いているようでさえあった、と彼女は語る。

 

 二人とも、免許こそ取ってはいるが足の類は持っておらず、徒歩と電車が主な移動手段だった。時間帯こそ違うが、いつもの通り、地下鉄北山駅を目指して、正門から下鴨中通へと出た。

 

 その瞬間のことだった——と言う。

 

 吊り下げられたどんぐりのような街灯が照らす正門前。そこで——

 

「——消えたんです」

 

 ふ、と。

 なんの前触れもなく——彼女の目の前から、槇島氏は消えたのだ、と言う。

 

「最初は、水に落ちたのかと思いました」

 

 大学前、下鴨中通沿いには用水路があり、ともすれば、そこに落ちたのではないか、とも思ったと言う。

 

 けれど——そこにも槇島氏の影はなく。

 

 まるで煙のように、槇島氏は、その場から消えてしまったのだ。

 

「すぐ近くに交番があったので、駆け込みました」

 

 けれど——人が突然消えるだなんて、そんな出来事、信用してもらえるはずもなく。小鳥遊氏に酒が入っていたこともあり——梨の礫、門前払いであったそうだ。

 

 けれど——その出来事は、夢でも幻でもありはしない。

 現に——今も。

 

「実丹ちゃんは、行方不明なんです」

 

 電話も繋がらず、家に帰った様子もなく、友人知人にも、目撃情報すらない。

 

 まるでこの世から消えてしまったかのように——槇島実丹は、行方知れずになってしまった。

 

 だからこそ——

 

「彼女を探して欲しいんです」

 

 と。

 小鳥遊氏は頭を下げた。

 

「人が消えた、か」

 

 師匠は顎に手を当てて考え込む。ぼくはどうにも、事態が飲み込めないでいた。人が突然消える——などと、そんなことがあり得るのだろうか?

 

「ふむ、伊江郎」

 

 師匠はぼくに視線を向ける。

 

「お前——鼻は効く方か?」

 

 ◯

 

「えっと、一応持っては来ましたけれど……?」

 

 小鳥遊氏が差し出したのは、一足の靴下だった。

 

「これが、槇島氏の?」

 

 ぼくが問えば、彼女はこくりと弱々しく頷く。以前泊まりにやってきた時、忘れていったものらしい。

 

「ご協力、ありがとうございます」

 

 ジプロックに入ったそれを恭しく受け取る。仮にも婦女子の靴下である。摘むような持ち方をするわけにはいかぬだろうから、きちんと両手で手に取った。

 

「その、本当に嗅ぐのですか?」

 

 少し不安げに、小鳥遊氏は問う。

 

「ええ、嗅ぎます」

 

 ぼくは自信満々に頷いた。

 

 府立大学の正門前。どんぐり型の街灯は、今はまだ明るい時間ゆえに付いていないけれど、しかしそこがこそ、槇島氏消失事件の現場であった。

 

 そこに——ぼくは一人の助っ人を連れて立っている。

 

 ぼくはそちらを見ながら言った。

 

「心配はご無用。こう見えて、探索は得意なのです。——うちの()()()は」

 

 ——一人というか、一匹の。

 

 二つの視線が。ちんまりと縮こまる毛むくじゃらに集まった。

 

 繰り返される、忙しのない呼吸音。

 だらしなくも口をぱかりと開け放ち、舌をだらりと垂らした間抜け面。

 もさりもさりと、黄金色の毛が憎らしいほどに生え倒した、生ける毛玉。

 短い足。ずんぐりとした胴体。くるくるの尻尾。

 彼女こそは、我が飼い犬にして今回の助っ人たる、御歳六歳のポメラニアン——ポチコである。

 

 ぼくは小鳥遊氏に向き直った。

 

「落とし物から落とし主を見つけることなど日常茶飯事で、警察犬の如しと近所でも評判なのです。匂いの嗅ぎ分けは得意中の得意、必ずや、その槇島氏の靴下から、持ち主の手がかりを見つけてみせるでしょう」

 

 な、ポチコ! と手綱の先に呼び掛ければ、ポチコは街灯の根元でぷりぷりと大便をひり出していた。

 

「ポチコ!」

 

 ぼくは叫びながら、慌ててスコップでブツをビニール袋に回収する。全く、仮にも女子であろうに、お外で恥ずかしげもなく排便をかますとは、なんたる無作法だ。

 

「ほ、本当に大丈夫ですか?」

「大丈夫です」

 

 ぼくは努めて厳しい顔つきを作り、神妙に頷いた。大丈夫だ。ポチコは出来る子。出来る犬。ぼくの心に応えてか、ポチコは威勢よく「あん!」と鳴いて見せた。

 

「では失礼して」

 

 取り出した靴下を、ポチコの眼前に差し出せば、突き出た鼻がふごふごと靴下を嗅ぎ散らかす。

 

「どうだ、ポチコ、行けるか?」

 

 ぼくが問い掛ければ、ポチコはピンと耳をたて、短い足でぽてぽてと歩き出した。

 ふんふんと地面を嗅ぎながら、次第に速度を増していく。その様子に、小鳥遊氏からの疑いの目も薄れていく。

 

「すごい、本当に警察犬みたいですね」

 

 そうであろうそうであろう。うちのポチコはすごいのだ。飼い主として鼻高々となりつつも、ついには駆けるような速度になったポチコを我々も小走りで追う。向かう先は、大学の敷地内だ。

 

 敷地内をしばらく進むと、ある地点でついにポチコは一直線に走り出し、そして、その先には——

 

「ヴヴーッ!!」

「わぁっ、なんだぁっ!?」

 

 唸り声と共にポチコが喰らい付いたのは、一人の男だった。

 小型犬とはいえ、獣。襲い掛かられた男はもんどりうって倒れ、地面に伏す。

 

「ふむ。見たところ、貴様が犯人のようだな。神妙にお縄に付くがいい」

「待て待て待て、なんの話だ! つーかこの犬、何!? ものすごい勢いで噛みついてくんだけど!」

 

 がうがうと首元に齧り付こうとするポチコの猛攻を両手で防ぎながら、男は叫んだ。

 ふ、往生際の悪いやつめ。

 

「ネタは上がっているのだぞ、悪党よ。貴様が槇島実丹氏消失事件の犯人なのだろう? 彼女をどこへやった、さあ言え!」

「だから待てって、それを聞きたいのは俺の方だっつーの!」

 

 もう、なんなんだよ——と情けなく弱音を吐きながら、どうにかこうにかポチコから逃れ、男は立ち上がる。

 

 って、ん?

 あれ、お前は——

 

「助悪郎……?」

「……伊江郎?」

 

 お互いに、ぽかんと名前を呼び合う。

 お互い末尾が同じ文字であるから、まるで生き別れの兄弟同士が再会したかのようなやり取りになった。

 

 いや、こいつの場合、それは本名ではないのだが——

 ともかく。

 

「何をやっているのだお前、こんなところで」

「それはこっちのセリフだよ」

 

 つーか、なんだこの凶暴な犬。

 まだ飛びかかる機会を伺って姿勢を整えているポチコに、彼——スケコマシの助悪郎こと、鹿威鹿驚はあからさまにビビっていた。

 

 乱れた金髪を手櫛で直し、制服についた土埃を払うと、そこには傷だらけではあるものの、大層顔の良い、女衒紛いの男が現れる。

 

「誰が女衒紛いだ、こら」

 

 助悪郎は言って、口から血混じりの唾を吐いた。どうやら、転けた時に口の中を切ったらしい。

 

「つーか、何? どういうことだよ、実丹が消失って」

「その前に、待て。お前、槇島実丹とどういう関係なのだ」

 

 熱り立つ助悪郎を制止し、ぼくは問う。まるで親しげに呼んでいるが、まさか——

 

「どういう関係ってそりゃ——男女の関係に決まってるだろ」

 

 俺の彼女だよ、彼女——

 助悪郎が言えば——小鳥遊雪崩氏はビキリと固まった。

 

「か、彼女?」

「おう」

「実丹が、あなたの?」

「そうだけど……」

 

 肯首され、小鳥遊氏は天を仰いだ。

 

「……つかぬことをお伺いしますが」

「はい……?」

 

 小鳥遊氏から漂うただならぬ気迫に、助悪郎は思わず居住まいを正した。

 

「あなたのその服は、コスプレですか?」

「いや普通に、現役の制服っすけど」

 

 未成年掠取——! 小鳥遊氏は叫びながらしゃがみ込んだ。どうやら、無二の親友が犯していた罪に罪悪感を感じているらしい。

 

「いや、その、そういうのじゃないっすよ。俺の方から引っ掛けたわけですし……」

「だとしてもですよ!」

 

 ダメでしょう、大人として! なんて小鳥遊氏は叫ぶ。どうもなんというか、見た目通り、お堅い方らしい。

 

「まあまあ、落ち着いてください小鳥遊さん。こいつは我が学園でも有名などうしようもないスケコマシでしてね。槇島さんも、この悪い男に誑かされて、つい出来心でそのような関係になってしまったのでしょう。心配しなくても、あなたのご親友に過失はありませんよ」

「ううー、でもその言い訳は司法の現場では通じないんですよう……」

 

 しくしくと涙を流す小鳥遊氏。なんと真面目なお方なのだろうか。今更ながら、ぼくの中での好感度がぐっと上がる。男女の付き合いなど、良いのは女、悪いのは男と常に思っておけば良いものを、こうも誠実に判断なさるとは。なんとしても、彼女に吉報をもたらさなくてはならない。ぼくは今一度決心を新たにした。

 

「というか彼女、彼氏いたんですねぇ……」

 

 私には教えてくれなかったな……と彼女は残念そうに肩を落とす。多分、こうなることがわかっていたから秘密にしたのではあるまいだろうか。

 

「あー、まあ、付き合い出したの最近なんで……」

 

 助悪郎はなんともバツの悪そうな顔でつぶやいた。彼奴が女相手にこうもたじろいでいる様子など、久々に見た。いい気味である。

 

「ふむ、それで——」

 

 ぼくは話を戻す。

 

「ぼくは槇島氏の友人であるこちらの小鳥遊氏からの依頼で、彼女を探しているわけだが、お前もまた、彼氏として槇島氏を探しているというわけか?」

 

 ぼくが問えば、助悪郎は頷いた。

 

「ああ、そうだよ。あいつ——ここ数日、家に帰ってきてねぇからな」

「ちょっと待ってください、同棲してるんですか!?」

「え? まあ……」

 

 うおおお、と悶え苦しみ始めた小鳥遊氏に、助悪郎は肩を竦める。奴が女の家に転がり込んでいるのはいつものことだ。女の家から女の家へ、一年三百六十五日、渡り鳥なのである。

 

「まあまあ、とりあえず、槇島氏とこの破廉恥男の関係についてはとりあえず置いておいて、話を聞きましょう」

 

 ぼくは促して、小鳥遊氏を立たせた。

 彼女は弱々しくこくりと頷く。どうやら、傷は深かったらしい。

 

「というかお前、同棲して帰ってこなかったならもっと早く探せよ」

「仕方ねぇだろ。最初は、俺に嫌気がさして出ていったのかと思ったんだよ。でもよく考えたらあの部屋借りてんのあいつだし、俺を追い出す前に出て行くわけねぇよなって今日気付いて……」

「馬鹿なのかお前は」

 

 ぼくは深々とため息をついた。

 

「まあいい。しかしそれなら、この靴下は、もしかして——」

「……俺の靴下じゃん、それ」

 

 やっぱりか。

 どうやらポチコは誠実に仕事を果たしたらしい。

 

「おそらく、小鳥遊氏の部屋に間違えて持って行かれたのだろうな」

 

 そして、もともと自分のものではなかったから、その存在を忘れてしまっていたとか、そんなところであろうか。

 

 いずれにせよ——振り出しに戻る、というわけだ。

 

「……いや、そうでもないぜ」

 

 助悪郎はそう言って、学生鞄に付けていたストラップを一つ、取り外した。ピンク色の。熊の編みぐるみだ。

 

「これ、ついこの間実丹からもらったんだよ。()()()()っつってたから、匂いは十分以上に染み付いてんじゃないか」

 

 これを嗅がせて、改めて手掛かりを探ればいいのではないか、と彼は言った。

 

「なるほど、でかしたぞ」

 

 あるいは一度家に帰らせて、服の類なんかを持ってきてもらうということも考えたが、それよりは速度重視だ。ぼくは助悪郎から編みぐるみを受け取り、ポチコに嗅がせる。

 

 ふんふんふん、と鼻を擦り付けるようにして匂いを嗅ぎ——ぴくり、と顔を跳ね上げる。

 

「あん!」

 

 こっちだ! とでも叫びたいのであろう。振り返って一鳴きしたポチコは、そのまま駆け出す。ぼくたち三人はそれを追った。向かう先は——

 

「外?」

 

 大学の門の外。そこを流れる水路の——その末端だった。

 

「あうあうあう!」

 

 立ち止まって、ポチコは吠えたくる。見れば——水路の端に。

 なんぞの小さな、青い何かが引っ掛かっている。

 よく目を凝らせば——

 

「……編みぐるみ?」

 

 水に濡れて分かり辛かったが、それは助悪郎が持っていたそれとよく似た、青色の編みぐるみだった。

 

「あれは、実丹のだ」

 

 二人が同時に言った。

 

「俺と、お揃いっつって、自分も携帯に付けてたはずだ」

「あの日も確かに、あのストラップを付けていた記憶があります」

 

 二人からのお墨付きがあったのなら、間違いないだろう。

 ぼくはえいやと柵を乗り越えてそれを拾った。

 

 しかし——なぜ。

 槇島氏のストラップが、こんな場所に?

 

「そう言えば——」

 

 ぼくは思い出す。

 

『最初は、水に落ちたのかと思いました』

 

 小鳥遊氏は、確かそう言っていた。

 

「小鳥遊さん。なぜあなたは、()()()()()()()なんて思ったのですか?」

 

 ぼくは高い柵を乗り越えて戻ってから問う。額にうっすらと汗が浮かんだ。

 

 大学の脇に流れる水路には、今の通り、背の高い柵が掛けられており、とてもではないがうっかり落ちれるような構造はしていない。背の低い女性ならばなおさらだろう。だというのになぜ、そう思ったのだろうか——?

 

「そう言えば、なんででしょう……いえ、違う、確か、あの時——」

 

 記憶を辿るように、彼女はこめかみに手を当てた。

 

「あの時、()()()がしたんです」

 

 たとえば——

 

 

 

 ぼちゃん。

 

 

 

「そう、ちょうど、今みたいに——」

「危ないっ!」

 

 ぼくは駆け出した。小鳥遊氏の体に飛びついて、その体を強引に押し倒す。

 

「ええっ、ちょっと待ってください伊江郎くん私は未成年とそんな関係になるつもりは——」

「伏せろ、助悪郎!」

 

 妄言を無視して、助悪郎にも指示を飛ばす。

 

「急にどうした——」

「下を見ろ、()()!」

 

 そこには。

 陽の当たる大地を悠々と泳ぐ、()()()がいた。

 

「え、な、なんですかこれ——」

「——っ」

 

 巨大な、まるでピラルクか何かのような、魚の影。そんなものを作る実像などどこにもないというのに、影だけが、自由自在に泳いでいる。

 

 それが、()()()()、と水音を立てて——

 

「うぉぉおおおっ、なんだァーー——ッ!!」

 

 がぶり、と。その影が、助悪郎の影に()()()()()

 

 そして——引かれる。

 

「わあああっ、伊江郎っ!」

 

 助悪郎が情けのない叫び声を上げる。それを軟弱と笑えはしないだろう。彼は今まさに、影の魚によって、用水路へと引き摺り込まれそうになっているのだから。

 

 ぼくは立ち上がって、駆け出す。

 

 助悪郎の体を掴み、引っ張るが、びくともしない。いやそれどころか、ぼくまで引きずり込まれそうだ。

 

 影の魚の方をなんとかしようとそちらへよるが、兎にも角にも影なのである。触れようとしても大地の感触があるばかりで、なんの意味もない。ぼくは歯を食い縛った。

 

 嫌だが。

 ああ、本当に嫌だが——人の命には変えられぬ!

 

「二人とも、耳を塞げっ!」

 

 叫び、ぼくはその場で、()()()()()()()()

 

 

 

()()()()()()——」

 

 

 

 ——のこった!!

 

 

 

 ()()()()()()()————

 

 

 

 雷鳴のような音色が響く。

 それは、()()()()()()()()()()()

 

 河童は、相撲が好きである。

 相撲とは、神に捧げる神事。

 古来、四股とは「醜」に通じ、その意味は「醜いもの、強いもの」を意味したという。その役割は、大地を強く踏み鳴らし、()()()()()()()()()——()()()()()()()()()()()()()()()()という——

 

 古くは水の神の司祭でもあったという河童。それが踏む四股は特に邪気払いの力が強く、地中にあり、()()()()()()()()()に対しても、間違いなく特効となる——!

 

「どうだ——」

 

 河童としての力を使ったが故に、毛根が死に絶え、髪の毛がハラハラと抜けていくのを感じながら、ぼくは助悪郎を見る。

 

 彼は——呆然とした表情で、ぼくを見つめていた。

 

「倒した——のか?」

 

 彼を捕まえていた影の魚は——消えていた。

 

「いや、逃げられた」

 

 ぼくは首を振る。

 あの時、四股を踏んだ直後、ぼくは確かに、「ぼちゃん」と水音が立つのを聞いていた。

 おそらくは、水を伝って逃げられただろう。

 

「しかし、これで確定したな」

 

 槇島氏を攫ったのは——

 

 妖怪だ。

 





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